第266話、卑劣な呼びかけ

 コモッリは司教の祭服などを着た数名を連れて、馬を出した。颯爽と神殿を駆け出し、瞬く間に離れていく。


 先に送った遣いが手紙を届け、返答を携えて戻って来たと同時にすれ違いながら飛び出していた。内容なども確認せずに走り出す様は、交渉に応じよという強気な心情が如実に表れていた。


 冷静かつ迅速な対応で、一部の者を除き、そのコモッリの姿は勇猛に映っていた。


 位として同格とされる大司教達に、コモッリの尊大で高慢な態度は嫌われていたが、自分達を率いるに相応しいと考えを改める者まで出る。


「そこで止まれっ!」

「……承知した。全てそちらの指示通りにしよう」


 度し難いと発されたジークの怒声を受け、コモッリは互いの陣地を挟む中間地点で対面した。


 王国側に交渉を受けるつもりは無かった。というのも対話拒否の返答をわざわざ記したものを、送り返したばかりだったのだ。


 だがコモッリが拠点まで飛び込む勢いだった為、急遽の対応として、排除も念頭に据えた上で対面する運びとなる。


 だからこそ拒絶が大前提の、交渉とも呼べないものだ。


「おぉ……! 噂に名高い、かのジーク・フリード殿にお会い出来て光栄です。私は——」

「コモッリ・パーター男爵だ」

「……その通り」


 何度か顔を合わすも馬が合わなかったバーゲンもまた、交渉の場には参加していた。擦り寄ろうとするも、下心を見抜かれてしまったとも言える。


 此度もコモッリの芝居がかった名乗りを遮り、微かながらの侮辱を与えられる。変わらずの面長を隠す髭が鬱陶しく、コモッリの美意識に障る。


「…………」

「…………ちっ」


 護衛には非常に厄介な人物が同行していた。


 連日、エンゼ教側の戦力を力任せにき潰している白髪の少年。初めは目を疑うものだったが、荒々しくも魔力による豪快な力技は、立ち所に福音持ちを打ち倒してみせた。


 わざわざ特徴的な彼を同行させたという事は、妙な真似をすればいつでも殺してやるのだという意図を、暗に示しているからなのだと分かる。


 そして護衛には、巨体の野蛮そうな男もいる。こちらは見た目の迫力故だろう。


「要件を聞こう。時間稼ぎと判断すれば即決裂だ」


 ジークは浅はかな考えなど見抜いた上で問いかけた。無駄な時間なのは明白で、下らないと一蹴にして帰るつもりだ。


 だが無論、察せられている事はコモッリも百も承知だ。


 その上での提案だった。


「私とこちらの数名は、そちらに投降する」

「…………なんだとっ?」


 予想通りに、相手側の代表であるバーゲンは眉をひそめて、怪訝けげんそうな表情を見せる。


 他の者達も警戒一色に染まり、指先の動き一つも見逃さないよう注視している。


「…………」


 ジークのみは薄々察していたようで、冷徹な目をくれるばかりだった。


 一方で疑わしいという表情を隠しもしないバーゲンだが、ジークだけではもう交渉が決裂していただろう。その点のみを密かに感謝する。


「何を不思議がる。先ほどの攻撃を見れば当然だろう」


 恥ずかしげもなく言う。


 我慢ならずにコモッリへと声を上げたのは、やはりバーゲンだった。騎士として発言せずにはいられなかったようだ。


「こんなにもあっさりと手の平を返すのを、認めろと言うのかっ?」

「当然だ。人道的に見ても受け入れるしか無いだろう?」

「冗談ではない! 恥を知れっ! 貴族でありながら王国を裏切り、身の危険と知るや降伏だとっ? そんなものを認められるかっ!」

「ここで私達を捕らえなければ、ベネディクトに関する重要な情報が手に入らないが?」

「何っ……!?」


 上手をゆくコモッリは、幾つかの手札を隠しながら交渉に入る。


 前線指揮官という地位にいたからこそ、ギランから仕入れられた情報も少なくない。王国が知りたいであろう機密も多数知り得ている。


「ベネディクトの情報やあちらの態勢を教えよう。弱点もな。ギランはまだ奥の手を隠している。だがその代わりに投降受け入れと同時に、無罪放免を条件にした司法取引を確約して頂こう」

「なっ!? 何を言うのかッ!! そのような条件がまかり通るわけがなかろうっ!」

「何故?」

「国家叛逆なのだぞっ! 王国と王家、王国民に敵対したのだぞッ!」


 馬上で居丈高いたけだかなコモッリへと反論するのは、バーゲンばかり。


 あとの面子はコモッリの非常識な発言の数々に言葉も失い、正気を疑うのみだった。


 無罪放免など応じるわけがない。万に一つも有り得ない。どの口で言うのか、厚顔無恥にも程がある。


「では王国民にどう説明する。彼等がベネディクトに殺されても良いのか?」

「っ…………」

「殺された後に、死なずに済んだかもしれない場面があったと、きちんと説明するのだぞ? いやここでこの提案を断るならば、それはやらなければならん。貴殿は清廉潔白な王国騎士団、第二騎士団長なのだからな」


 憎々しげに睨み付けるバーゲンに、一枚一枚、手札を見せて追い詰める。


 事実としてギランにはまだ兵器がある。ここまで隠し通した最後の奥の手が。それらの猛威は無視できるものではない。


 多くが死に、王国軍に致命的な被害を与えるのは必至。ベネディクトを控えた上で、王国側にとって避けなければならない一手だ。


「……したり顔のところへ言っておくが、たとえバーゲン殿が頷いたとしても、俺は拒否する。お前の一言一句が信用足り得ない」


 やはりこの男は一筋縄にはいかなかった。


 ジークが決して受け入れるつもりは無い事は、眼差しや口調からも明らかだった。彼だけは付け入る隙が無い。


「殿下から最終決定権を与えられているのは、この俺だ。少なくとも現段階でそちらの投降を受け入れる意思は、全くの皆無としか言えないな」

「私はまさに現在のベネディクトが取っている行動を知っているのですが?」

「内容は無関係だ。とてもでは無いが、お前を信じられないと言っている。ただただ要らぬ情報が増えて、僅かなりとも煩わしくなるだけだ」

「…………」


 やはり関門となるのは、ジークだ。


 ジークは聡かった。いざ王国軍が劣勢になれば、神殿側との交渉役を買って出る腹積りも読んでいるのだろう。


 この交渉の場で卑怯にも王国軍に拘束されたと伝え、改めてエンゼ教軍へ寝返る算段すらも。


 そこでコモッリは、必ず連れて来るよう記載してあった人物へ目を移す。そしてこれまでと違い、召使いへ命じるように冷淡な声をかけた。


「……リリア・・・、私達の司法取引を受け入れるのだ」


 王国側の視線が、その少女に集まる。


 代表の一人として交渉の場に同行した、特殊な立場にある騎士団団長の少女へ。


「ぇ…………」

「…………」


 思わず声を漏らすハクトも例に漏れず。


 ジークですら驚きから口を開けたまま、少女を見る。数瞬の時間だけ驚きにのみに徹し、すぐに思考を回転させた。


 コモッリから気安く呼びかけられる様は、その関係性をいくつか連想させる。


 雇っていた小間使い、知人の子、かつての教え子、そして……。


「どうした。早く案内しろ、リリア」


 コモッリはふくろうを頭に乗せ、黒い修道服を着るようになった奇妙な娘へと再度告げた。


「…………」

「っ、実の父親に向かって、なんだその目はっ」


 リリアの見た事もない殺意が込められた眼差しを受け、内心で震えるコモッリは苛立ちから語気を強くする。


 メイドとして命令にただ従い、怯えて耐えるばかりだったリリアの反発は、コモッリ達を強く憤らせた。


 それが父ならば尚更だ。生意気になり、分不相応な態度を見せる娘への怒りは、とても抑えられるものではない。


「父上に育ててもらっておいてっ、小娘の分際で恥を知るのだっ!」

「……これだから下々の子は嫌なのよッ」


 鎧や司教服を着て馬に乗るのは、司教などではなくコモッリの家族達だった。


 口々にリリアへ痛烈な罵声を浴びせる。口汚なく吐き捨てるのは、彼女が幼少期から慣れたものだ。ただ恐れて受け入れるのがリリアの役目だった。


「……なんだかよく分からないが、お前達は勘違いをしていないか?」

「何がですかな?」


 割って入ったジークはさも当然と、公の場における作法を語った。


「今のリリア殿はお前達よりも立場が上なんだ。呼び捨てなど言語道断だろう。今からは敬称を用いるんだ」

「娘ですぞっ?」

「関係ない。彼女は黒の騎士団の指導者として、王国側の代表を務める一人だ。特に、引き連れられた何の役目も持たない者等は、口を開くな。下品なだけで、単に耳障りだ」

「…………」


 ジークの一声で、場は静まる。あとは歯軋りのみが生まれるばかりだ。


 誇りを深く傷付けられたコモッリも顔を歪めるも、一度落ち着くように嘆息を混じえてから口を開いた。


「ふぅ…………ではリリア殿、私達を連れて行くのだ」

「ご冗談を。あなた達がプチっと潰れる瞬間を楽しみにしています」

「なっ!?」


 リリアにより交渉決裂を通告され、真っ赤に染まるコモッリの顔面。浮かび上がる血管から血が噴き出そうなほどだ。


 憤死すらしかねない形相で驚きを露わに。やがてそれは怒りに変わっていく。コモッリはやっと何を発したら良いのか言葉を見つけ、猛烈に耐え難き感情を吐き出すべく口を開く。


「…………ナニをっ——」

「育ててもらっておいてと言いましたね。いいえ、育ててもらっていません。私とお母さんはきちんと自分達で働いて、そのケチ臭さが表れた少ないお給料の中で生活をしていました」

「舐めた口を後悔するなよッ!! 私は父親でッ! 貴様は娘な——」

「それも違います。あなたを父親とは認めません。お母さんを殺して私を売った、ただ最低な赤の他人です。いいえ間違えました。首を刎ねられて当然の大罪人ですっ」


 感情的なところは見られても、リリアは毅然とした態度で、かつて恐れて止まなかったパーター家と対峙する。


 首を指で掻き切る仕草も添えて。


「…………」


 頭に乗る梟だけは、足元から伝わる微かな震えを感じ取っていた。


 いつでも場を完全支配・・・・・・するつもりで、成り行きを見守る。総じて一切を、一度に終わらせるつもりで、周囲全体の視界を確保する。


「自分達が助けてもらえるような人間だとでも? さっさと帰るのです。ベネディクト共々、王女様には完膚なきまでにエンゼ教を叩き潰す策があるのです。あなたの情報に価値などありません」


 代表三人の内、ジークとリリアが拒絶を決定した。


 捕縛を迷っていたバーゲンも、リリアの堂に入った物言いに感銘を受け、同意を心に決めているのは頷く様子からも伝わっている。


「決まったな。リリア殿の言う通り、交渉は決裂だ」

「リリアはこれで失礼します」


 ジークが最終的に判断したのを耳にして、リリアはきびすを返した。


 名残惜しさなど有り得ない。長年もの間、同じ屋敷で過ごしたパーター家の人間達に素早く背を向け、断罪を告げる。


「…………」


 未だ激昂の途上にあるコモッリは、深く息を吸い込んで強引に気を鎮める。


 ここで感情任せに怒鳴り付けるほど愚かではなかった。感情的になって良い場面など、ほぼ無い。そのくらいの知能はあり、それがコモッリに一つの望みを残した。


 用意しておいた最後の手札を、ここで使う。苛立ちに震える声で、去っていくリリアへ言葉を投げかけた。


「……貴様の母親が、今どこにいるのかを教えてやると言ってもか?」

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