第260話、玉座を取り返す簡単なお仕事

 いつの間にか、気絶していた。玉座の下で無様な姿を晒し、眠りに就いていた。


 目を覚まして真っ先に空腹を感じたテラーは、急がれるアルト捜索を中断して身なりを一新し、昼食を取る事に。待っているであろう貴族派達の元まで、多忙を極める中での昼食という風を装って急ぐ。


「あ〜、やっと一息吐ける。今日は一段とお腹が空く。……みんなはもう来た?」

「ほぼ揃っておられます」

「……そうか」


 食堂の扉を開けた執事に若干の違和感を感じるも、正体が何なのか分からずに室内へ踏み入る。


「やぁ、待たせたね」

「遅いじゃない。で、お目当てのヒルデガルトは手に入れられたの?」

「…………いや、まだだ」


 席に座り歓談する貴族達。声をかけたイゾルデのみはテーブル向こうのソファで背を向けて座っており、聞き慣れた声音より少し張りじみた何かを感じた。


 半分ほどは姿が見えないが、いずれ揃うだろう。


「…………」

「侯爵? 食事を始めませんか?」


 執事が椅子を引き、テラーは特等席に腰を下ろしながら、裏切った貴族に名乗り出るよう、どう誘い出すかを考える。


 同時に、連日、食事の度に見た景色の中に、確実な違和感を感じていた。


「お疲れなのでしょう」

「何を言うのです。だからこそ精を付けて英気を養わねば」


 席順も同じで、会話もおだてる台詞セリフも同じ。


「侯爵は何を固まっておられるのだ?」

「不思議ですな、はっはっは!」


 同じ景色にありながら、いつもと異なる違和感の正体に気付いた時、テラーは自画自賛を叫びたくなる程、迅速かつ自然に動き出していた。


「……そうだ、何か忘れていたと思ったら、ヒルデガルトを呼ぼうとしていたのだった」

「それでは私めが——」

「いや、いい。これ以上、彼等を待たせるわけにはいかないから、先に食事を始めていてくれ。僕が呼びに行って来る」

「いえいえ、そちらは私が」

「ぐっ!?」


 一足遅かった。このテラーが発した命令を拒むなど有り得ない。それどころか力任せに肩を押さえられ、立ち上がろうとしたテラーは強引に座らされてしまう。


「テラー様は皆様のお相手をお願いします」

「そうですぞ。我等よりヒルデガルトですか? なんと水臭い……水臭さの悪戯いたずらとして、縄で縛ってみたりしてみますか、ハッハッハ」

「それがいいですな。刺激的でテラー様も気に入られるでしょう」

「おお! ならば早速!」


 貴族達が次々と立ち上がって近寄り、何処からか取り出した縄で椅子に括り付けられる。


 分かり易く、裏切りだった。


「なっ!? じ、自分達が何をしているのか、分かっているのキャ——!?」


 猿轡さるぐつわまで口に咥えさせられ、完全に自由を失った。


 冗談にしては悪質過ぎる。テラー無しでは、貴族派など王国にとって犯罪者でしかない。ただでさえ、エンゼ教から資金を受け取って味方している段階で、逆賊だ。


 そもそもテラー以外は、既に爵位すら無い。


 損失はそれだけではない。彼等の資産であってもテラーがいなくては、取り出せすら出来はしない。


「そう怒らないで?」


 答えたのはイゾルデだった。


 立ち上がって振り返る。その動きすら、はっきりと別物だった。顔を見れば、時が止まる。いや、遡る。




 ………


 ……


 …




 ヒルデガルトとの面会を行うテラー。その間、昼食の時を待つイゾルデ達は、賭け事やディア・メイズならでは・・・・の娯楽も程々に、ゲストルームへ移動していた。


 食前酒や軽い摘みを腹に入れて、昼食に備えるのが通例だったからだ。言うなら、ディア・メイズでの規則正しい生活に則った結果だろう。


「落ち着かないわね……」

「心配には及ばないでしょう。我等ならば上手く行きますとも」

「……だといいのだけどね」


 南部の美容術について解説された古い書物の写しを読むドレス姿のイゾルデ。五十歳を超えるにも関わらず、胸や太腿に集まる男達からの粘り気ある視線を受け止め、自覚しながらも平然と読み進める。


 虫の知らせを暗に示しつつ、扉が開くのを内心で身構えながら待つ。


「——いらっしゃいました」


 扉は開かれる。


 もう少し後だろうと気楽にしていた貴族等に緊張が走り、中でもイゾルデは腰が抜けそうになり立ち上がれなかった。


 入って来たのは、イゾルデの部下……を装うマリーという王女付きの女騎士。王女セレスティアの護衛だ。


「皆さん、くれぐれも……くれぐれも失礼のないように」


 マリーの低くなった声は、事の重大さを警告するには充分だった。


 イゾルデ自らが選出した貴族達は、ここに来てやっと到着した人物の格を察し始める。


「……では、お通しします」


 身嗜みを整え、髪型や態度を改めて整え、それを確認。マリー自身も更に風貌を見定めてから、また扉は開かれた。


「……………………?」


 ……開かれた扉からは誰も入って来ず、不審に思ったマリーが廊下を覗き込む。


「……ふぅ」


 少しの余裕が生まれ、溜め息を漏らしたイゾルデ。


「——お前が、イゾルデとやらか?」

「ッッ!?」


 最も後方にいたイゾルデの背後から、声は生まれる。


「うっ、お……ま、魔王陛下っ」

「よ、よくぞお越しくださいましたッ! 魔王陛下!」


 跳ねるように反応し、魔王の元で跪く貴族達。


 イゾルデのみは息が止まり、言霊の力なのか金縛りをかけられていた。それとも既に魔王の術中にいるのだろうか。どうにも身体が強張り、動けない。


 貴族等の見る彼の見た目は、ただの若い男だ。ラフな白いシャツに黒いズボンと下履き。


 だがマリーが慌てて駆け寄ったところを見れば、彼が魔王で相違ないだろう。


「そちらでしたかっ」

「うむ」


 魔王と思しき人物は、貴族等に構う事なくイゾルデへ喋りかける。


「……この私を呼び出すとはいい度胸をしているじゃないか」

「ま、魔王陛下……」

「セレスティアから若返りたいのだと聞いたが? 私の秘術を施して欲しいと願われたよ」


 イゾルデがディア・メイズへ入る前に、突如として現れたセレスティアとの密談。若々しく美しいセレスティアやヒルデガルトを狂おしく妬んでいたイゾルデは、煮え滾る敵対心と妬みを何とか堪えて話を聞いた。


 しかし語られたのは、夢にも思わなかった夢物語。


 悪魔と取り引きしてでも欲していた。死ぬよりも恐ろしい老化という不治の病。これを完治する方法を、知っているのだと言う。


 かつて前王妃と並んでライト王国三大美女と謳われた、あの頃の美貌をもう一度と、手段を選ばず探し求めていた答え。喉から手が出る突然の吉報。


 セレスティアは自分の主人なら容易い事だと、笑って見せた。知っている彼女とは違う、作り物めいた眼差しで。


「で、できるのですか……? わたしを二十代のわたしに戻せるのです————カッ!?」

「許可もなくわめくな。我が…………〈時魔術・暗血ブラック永人愚オペレーション〉を疑うか。無礼者め」


 自らの魔術を疑われた魔王は、背後から苛立たし気にイゾルデの頭を鷲掴みにした。


 そして、闇は溢れ————


「——っ、あァァァアアああっ、ヒャァァーっ!!」


 漆黒の魔力がイゾルデに流れ込み、絶叫とも悲鳴とも、そして喘ぎ声とも取れる声で鳴き始めた。


「っ……!?」

「な、なんと……」


 なんと邪悪な、その言葉は魔王への恐怖心により押し止められる。


 黒に呑み込まれるイゾルデ。内部の人影は、もがき苦しんでいるとも、快楽に身悶えしているとも見える。


 息を呑む貴族派だったが、当の本人であるイゾルデは拒む様子もなく、僅か一分もの間も声を張り上げていた。


「ぁ……ァァ…………」


 魔王の洗礼が終わると、イゾルデは熱を帯びた吐息を吐き、呆然と虚空を見つめる。


「…………」

「化粧水? 保湿? 乳液? 適度な運動? もっと簡単な話だ。時間を戻せばいい」

「…………ッ!?」


 魔王の声を受けて我に帰り、頬に指先を当てた。


 瞬間、大きく身震いして歓喜が脳天から突き抜ける。


「弾力ゥぅぅぅ————ッ!!」

「っ……!?」


 喜びと嫉妬心からの解放感はイゾルデの許容量を超えて、雄叫びとなって溢れ出た。


 音圧は、軽く魔王が跳ねたように見えた程だ。


「弾力弾力弾力弾力ッッ!! は、跳ね返ってくるッ! わたしの肌がっ……押したら戻って、跳ね返ってくるゥゥゥ!!」

「本当に若返ったのかっ!? いや見るからに若かりし頃のイゾルデだっ! なんとまさかっ、なんという秘術だ……! 自然の摂理を捻じ曲げているではないか!」


 神の法が如き魔術。明らかに半分は若返ったイゾルデを見せつけられ、貴族派は騒然とさせられる。


 不老不死とは誰もが夢見る生命の夢。それが、魔王にかかれば造作もなく実現される。貴族達の目付きが変わっていた。歳を取っていればいる程に。


「へ、陛下ァァ!! 永遠の忠誠を誓いますっ! 私めに何でもお申し付けくださいッ!!」


 王国や貴族派など関係ない。命よりも尊い“若さ”を与えし偉大な王へ、床に額を付けて下僕と認めてもらうよう懇願する。


「っ、っ……!」

「…………」


 あの気位が高く、十代の齢から男を手玉に取って来たイゾルデが、熱心に魔王の靴へ口付けをしている。舌を這わせて靴の汚れを舐め取り、魔王へ必死の自己主張を見せる。


「っ…………」


 イゾルデの無我夢中で媚びる様に男が疼き、貴族達は魔王へ羨望の思いを抱いていた。


 しかしイゾルデを冷めた目でジッと見下ろす魔王は、慣れたものなのだろう。目を細め、身動き一つしない。


 しかし、やがて興味を失ったのか、出口へ向けて歩み出した。


「……利益をもたらす内は飼ってやろう。他にも不老や健康体が欲しければ、私と組織に貢献せよ」

「わ、我等にも機会を頂けるのですかっ!?」

「二度は言わん」


 そして魔王は平伏するイゾルデや貴族達を残し、マリーを連れて去っていった。


「……人智を超えておられる」

「時を操るという噂は真実だったのかっ……」


 魔王は百の魔眼を持ち、時を操る魔術さえ扱え、その上で剣の達人でもある。地上に舞い降りた神か悪魔か、それでも自分達はかの存在に選ばれたのだ。


 かつてない高揚感が彼等の胸中を満たすのは、必然であった。



 ♢♢♢



 マリーを連れて着替えを行うべく、空き部屋に入る。そこはイゾルデ専用の衣装部屋で、誰の目が入る事もない。


「これ……自前なのに……」


 絶望感を露わに呟いた。靴のみは自身のものを履いていた事が油断に繋がり、手痛いしっぺ返しを食らう。


「……まさか、でしたね」

「ど、どうして俺がこんな目に……」


 唾液まみれの靴を前に膝を突き、化学反応で跡にならないかだけを心配していた。


「あ、えっとですね…………ご、ご報告します」

「……どうぞ」


 かける言葉も見つからず、これからの予定などを意気消沈の魔王へ知らせる。持ち込んだ刀を手渡しながら告げた。


「計画通りですので、後は私が貴族派を見張ります。存在しないアルト様を探し、飽きて帰って来たテラーを拘束させ、忠誠心を試し、万が一にも叶わぬなら私が纏めて処断する運びになります」


 そもそも《大公の玉座》攻略は、外の人脈と内のテラーを結び付けるイゾルデが鍵を握っている。アルトもエリカも潜入させる必要はない。


 目前の町への到着をテラーに認識させた後、アルトは変装してネムとエンダール神殿へ旅立ち、エリカは迅速な玉座奪取の観点で起用されていた。


 ヒルデガルトやアルト、エリカ等にテラーの注意を引かせ、その裏でイゾルデを完全に引き込めば難なく勝てる。


「イゾルデ以外の貴族はテラー確保後、搾り取れるだけ取り上げてから処す予定です。もうお忘れください」

「はい……」


 イゾルデを除く貴族達は、マリーの調査でも救い難い所業を犯している。セレスティアの設けた指標を合格したのは、驚く事にイゾルデのみだった。


「あとは、これをエリカ様にお渡しください」

「……これは?」

「玉座の座標と経路が記されています」


 ペットとして持ち込んだ茶色い梟の魔眼が、移動するテラーを建物越しに透過して見つめ続け、玉座の位置と経路は既に割り出されていた。並行して行われた玉座の位置情報特定の策もあるが、最も確実な方法での情報が届けられる。


 旅の途中で降ろしたクラウスが、軍を率いてディア・メイズを包囲している。大捕物がじきに開始されるだろう。

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