第259話、魅せられてしまった者

 サーシャは以前まで務めていた、ヒルデガルトの秘書という立場で築いた人脈を使い、追い出されたライト王国へ帰還。


 国とエンゼ教との諍いに乗じて、ディア・メイズまで乗り込む事に成功する。


 目的は、以前からマダムが預けていた秘宝。あのマダムが王国から隠す為、コナー・スターコートに願い出る程の品なのだ。金に替えられない程の宝である事は間違いない。


「早くしてっ! 早く運び込みなさいッ!」


 都合良くやって来ていた業者のランクルを奪い、ライト王国での活動に際して雇った傭兵等を急かす。裏の仕事も請け負うだけあり、高額の報酬を約束している。使えるだけ使うべきだろう。


 宝が保管されている箱は頑丈な錠がかけられており、重さも大人一人分はある。傭兵が三人がかりでやっと運べている代物だ。開けるのは運び出した後でいい。今はとにかく急がなければならなかった。


「なんで、こんなタイミングでアイツが来るのよッ! 運が悪いなんてもんじゃないわ!」


 ヒルデガルト亡き後で、マダムから破格の役職をとの取り決めは、彼女が失われて白紙となる。


 そして、追放。クジョウの子供を狙われ、マダムに売られたヒルデガルトの怒りは、察して余りある。どれだけ恐ろしいかを知っているサーシャには、安心して過ごす夜はない。とても耐えられない日々だ。


 けれど同時に心中にあるのは、打倒女皇への情熱。あの地位へ、あの様で立つ日を夢見て、マダムの秘宝からまた始めよう。


「——追放に留めてやった恩を、二度に渡る仇で返されるとはな」

「…………」


 心臓が止まる思いとは、この事だろう。大きく跳ねた後、もう動かないのではと錯覚する激痛が胸に残る。


 場に行き渡る強い響き、耳通りの良いその調べには、聞き覚えがあった。毎日毎日、来る日も来る日も共にあったその声音の持ち主は……。


「………………ヒルデガル——」


 覚悟を決めて振り返る狭間に、顔面の両側を烈火の物体が通過する。


 殺気を構えに表した一流の傭兵達は、頭を爆散させられて背後に倒れる。ランクルに積もうとしていた宝箱は落下し、もはやサーシャに持ち出す術はない。


「半端者を使い、ここに荷を運び込む業者を殺したか。落ちるところまで堕ちたな。明らかに殺す必要は無かった」


 久しぶりに目にするヒルデガルトは、一段と愛らしく感じられていた。より可憐で、苛烈で、しかし不思議と柔らかさがあるようにも見えている。


「帰りの足を計算に入れていなかったのか? 貴様らしくもない」

「……夕方定時にやってくる運行便で去る予定でした」

「テラーに遊ばれたな。私が来る事を知らせなかったのは、こうなるのを高みの見物で楽しみたかったからだろう」


 読み切れなかった企みを聞かされ、テラーへの憤りはあるものの、ヒルデガルトが殺そうとはしていない現状に希望を見る。


 上手く話せば、また追放程度の処罰に持ち込める筈だ。


「保身を先行するから身を滅ぼすのだ。いいように利用され、捨てられる。まだ分かっていなかったのか?」

「っ……必ずっ、あなたを超えてみせます」


 本心から出た言葉だった。誰よりもヒルデガルトに憧れ、このようになりたいと願った。美しく、強く、弱みも見せず、誰にも媚びず、理想的な上位者の立場で人生を謳歌する。


 絶対に、ヒルデガルトに代わってヒルデガルトになってみせる。


 しかし当の彼女は、静かに首を左右へ振る。


「平気で無関係な者を殺すようになったお前を、野放しには出来ない。何処で誰を殺そうが構わないが、今のお前は子供達を狙いかねない」

「っ……!?」

「あの子達に、手は出させない」


 二度目の慈悲は無かった。ヒルデガルトの右手に集まる紅い魔力が、決した殺意を物語っている。


 追放されても諦めないと言うのなら、第二のマダムを生むわけにはいかないと、自らの手を汚す決意をしていた。


「牢に送るなど生温い事も知っている。お前は必ず逃れる。送られようとも、必ず出て来る。そしてまた、私達を狙う」

「わ、私は玉座の場所を突き止めていますッ! 王国と手を組んだのでしょう!? 私がいればレッド王に恩を売れますよっ!?」

「相も変わらず頭が回るな、サーシャ。口から出任せか否かを判断できない絶妙な取引だ」


 サーシャはヒルデガルトの返答に胸を撫で下ろしかける。その最中には異変に気が付き、魔力を込めて翳した手が下がらない現実を疑問に思う。


「不要だ。あれはすぐに手に入る」

「なんですってっ!? う、嘘ですッ!!」

「あの女がここの攻略を想定して、以前から準備していたのだ。特に取り返す意味がなかったから放置していたに過ぎん」

 

 あの女。ヒルデガルトがそう呼称する者は多くいるが、この場合は間違いなく——


「サーシャ」

「っ…………」

「よく働いた」


 最期にヒルデガルトがかけた言葉は、予想だにしないサーシャへの労いだった。


「………………なん、ですか、それ」

「私の秘書という立場は過酷だ。そして私以上の激務だ。それを四年間もよくやった。誰が認めずとも、私はその功績を評価する」


 思いもよらない温かい言葉の数々。反旗を翻した者に送るには、あまりに女皇らしくないものだ。


 だが、妙に様になっている。褒める姿が、ごく自然に感じられる。胸を締め殺す気なのかと怒鳴りたくなるほど、心が動く。


「もう少し欲が無ければもっと先までとも思うが、勤め上げられたのはその強欲さがあったからなのかもしれない」

「……そうですね。無理です。こう聞かされても、全く諦める気になりませんから。あなたを、絶対に倒しちゃいます」


 サーシャは笑っていた。苦々しく笑いながらも、上手く二人でやっていた時間を想い、泣いていた。


 少し前の日常なのに、途轍もなく懐かしい日々。戻りたいとも思うが、彼女の背中を見続けて芽生えた野心は抑えられない。


 ヒルデガルトに成り代われないのなら、生き甲斐など無い。おそらくは、マダムと同種なのだろう。ヒルデガルトの宝であり、弱点でもある子供を利用する事も真っ先に考えた。


 偽りなき自分は、嫉妬と強欲の塊だ。皮肉にもヒルデガルトの労いが、彼女の本性を暴いていた。


「…………よく勤めた」

「はい」


 紅弾は放たれる。正確に心臓を撃ち抜き、疑いようもない死を手向ける。


 真顔のヒルデガルトへ満面の笑みを浮かべ、サーシャは夢半ばで倒れた。


「……魔女に狂わされるな、馬鹿者め」


 亡き骸へとそっと呟き、動かぬ彼女をじっと見つめていた。

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