第256話、玉座設計者の想定外


「——うぁぁああああっ、ガァァァぁぁ!!」


 竜人化して常識外の身体能力を手にしたエルドン部隊が、変貌直後にして絶叫を上げていた。


 迫る壁が、テラーの遊び心により竜人を試している。


 人を超え、竜を取り込んだ者等を、ディア・メイズを使って試していた。


「あああっ、ハァァァァぁああ!!」

「ッ————っ、ぅオオオ————ッ!!」


 総勢八名の竜人が、迫る壁を押し返す。分厚い鉄板すら容易く捻じ曲げるであろう腕力が、重ねられて一つになる。


 しかし、押し込むどころか少しも減速させられずに、進むがままにズラされていく。後退していき、とうとうかかとついの壁に付いてしまう。


「お、お前達もっ、手伝えぇぇーっ!!」

「えっ、嫌だよ……。だって私達は無事だもん」


 何故なぜなのかエリカとソウリュウは、わずかな隙間すきまに入り込んで安全が確保されている。


「ぐぁぁぁぁぁぁ!?」

「わ、分かったよ。応援はするから……ソ〜レ! ソ〜レ! あよいしょ!」


 相手はディア・メイズそのもの。竜体がゆっくりと潰れていくのを、無駄な努力と理解できてはいても、エリカ達は声をかけ続ける事しか出来なかった。




 ………


 ……


 …




 《大公たいこう玉座ぎょくざ》からの眺めは、いつも格別だ。


 ディア・メイズ天蓋てんがいにある不可視の魔術陣から細部までよく見える。


 鷹の目の如く冴え渡る視界で、潰れていくエルドン隊を嘲笑あざわらう。


「兵士如きが調子に乗るからだよ。大きな力を持てども、上には上がいる。死なない程度の隙間は残してあげるから、その身でよく思い知るといい」


 地獄の苦痛を与えながらに身を以て諭し、傍らに立つ可憐な二人を見る。


「あれが我がスターコートの宿敵、ライトか……」


 宿敵とも怨敵とも言えるライト王家を、ただで殺すなどトンデモない。スターコートならば明快に出る答えだった。


 生かして捕らえるのは、長き雌伏の時から考えても自明の理である。


「…………にしても可愛いな。二人とも何とも可愛らしい」


 ディア・メイズの支配者は、違法を許す場を提供する代わりに、欲しい物は何でも手中に収められる。


 金も女も、権利も美味も。


 テラーはまたその特権を使い、蛮勇を奮って飛び込んだ二匹の麗しい少女等を飼う事に決めた。


「で、問題はこっちだよ……」


 深い嘆息混じりに、他の地点で動かし続けるメイズへと視点を移す。


 間髪入れず次々と、切り替わっては駆動するメイズ。ここまで長く断続的に組み変わっていくメイズを、テラーも初めて目にする。


 いや、玉座が初めて使用され、帝国の軍隊を退けてから初の事態ではないだろうか。


「…………どうなっているんだ」


 一人の男が、迫る壁、無くなる床、変わる道筋。それらを無視しながら、エリカ等のいる方面へ向けて走っていた。


 好奇心から殺害を決め、発見したと同時にメイズを操作して殺そうとしているのだが、まったく掴めない。


 今もまた道が閉じたのを見て、真横の窓枠へ足先をかけて跳び、隣にあった建物の屋根に乗る。


 屋根を滑り落ち、その先の床が無くなると、壁へ抜刀した刀を突き刺して落下を阻止。引き抜く勢いで壁を走り、対岸へ到達し、また平地を走り出した。


「フゥ〜! 通いたいくらい運動になるなぁ」


 両側から迫る壁を、交互に蹴って登り、また取り逃してしまう。


「あら?」

「……遅いっ」


 グラスがある建物の前で、憮然とした顔を見つける。


 刀を片手に降り立つと、ヒルデガルトはすぐに抱き上げるようグラスへ背中を向けて合図を送る。


「はいはい、急いでるんだね」

「マダムとコナーの取り決めで保管されていたのは、確かこの建物だった筈だ。念の為に記憶していたのだが、やはり持ち出されている。私を北の出入口へ送れ。サーシャなら、そこから逃げるだろう」

「了解っ!」

「その後にエリカ・ライト達を助けに向かうがいい。私は一人でも問題ない」


 ヒルデガルトを抱えても、グラスの速度は一向に落ちる様子はなかった。両手が塞がっていても、道筋を予測して走り抜けていく。


「僕もメイズでの日々が長いもんでね。…………はい、これで詰んだ」


 前代未聞。驚愕の身体能力だが、両腕が使えないのなら読める。


 逃れられない道へ誘い込み、左から壁を迫らせる。


「ぬっ!?」


 人一人分の逃げ場を作り、ヒルデガルトのみに慈悲を与える。仮にヒルデガルトを見捨てるならば、それはそれで面白いものが見られるだろう。


「…………」


 グラスは迫る壁を前に、あからさまに躊躇った表情を見せていた。


「さて、どうなるキャニャァァァ!?」


 テラーの脳に激烈な不快感が走る。


 ディア・メイズと一体化状態にあると言っていいテラーには、メイズに起きた異常が与える精神的苦痛が直接伝わっていた。


「…………」

「……さっさと押し返してしまえ」


 壁へ指先を添えるだけで、稼働する都市全体を停止させたグラスへ、ヒルデガルトが興味本位で命じる。


「あ、うん。……えい」


 一息に指先で押して壁を元の位置まで押し退け、ディア・メイズを瞬時に逆送させた。


 これは、大公も想定していなかった事態だ。


「ァアぁぁぁぁぁアアアアアアぁぁあオエッアアアアアアッ!!」


 脳と内臓を素手で激しく掻き回されるような感覚とでも言えばいいのか、都市と神経が通うように直結するテラーは失禁しながら玉座でのたうち回る。


 意識は離れ、無意識に玉座から離脱しながら気絶した。


 そんな事など知りもしないグラスは、ディア・メイズの手応えからエリカ達を憂いていた。屋根から屋根へ飛び移り、不安を口にする。


「今の壁、結構強いよ? エリカ姫達が心配になって来たなぁ……」

「ならば急げ。…………いや、待て」

「ん?」

「あそこだ、あそこを片付ける」


 動き続けるメイズに動転して立ち往生していた一行を発見。任務にかまけた、とある悪行帰りの者達だ。


 ヒルデガルトに見つかってしまったのは、騎士の護衛を連れ歩くベネディクトの影武者だった。


 とりあえずは指示の通りに彼等の目の前へと降り立ち、一団の処遇を検討する事に。


「……後でまとめて捕まえればいいんじゃないの?」

「このベネディクトが本物だったら、どうするつもりだ」

「そうだけど……」


 アルスでエンゼ教側にも様々な事情があると知ったグラスは、出会って即断罪という気にはならないようだ。


 現にベネディクトの影武者らしき人物は、うり二つの穏やかな顔付きで、優しく声をかけて来た。


「そこのお嬢さん、私はベネディクト最高司教です。こんなところで出会ったのも何かの縁。私とお茶でもいかがですか?」

「断る」

「ほっほ、何も怖がる必要などありません。ただのお茶です。お茶という名の婚姻こんいんです。あなたは非常に愛らしいので、私の五十四番目の妻にしましょう。さぁ、こちらへ。運命に抗ってはいけません」

「死ね」


 茶の品位を容易たやすおとしめる下劣な影武者を前に、テラーに対するのと同様に嫌悪感を露わにするヒルデガルト。


 と同時にグラスも、影武者への目付きを冷めたものにした。


「皆様、私の妻に触れるあの男性の方にも慈悲を。いつものように、天へと召すお手伝いをお願いします」

「お言葉ですが、最高司教。今日だけで三人目ですよ? 今回は私の二十番目にください。昨日はカード勝負で譲ったじゃありませんか」

「いやいや、ここは私でしょう。あなた方はすぐにダメにしてしまう」


 語れば語るだけ罪人である。


 取り囲む騎士達も議論に加わり、彼等は救い難く現在のディア・メイズに染まり切っていた。欲望と暴虐に心を委ねる形で、無法下を満喫していた。


 今回も横抱きにされるヒルデガルトの愛らしい顔立ちや、それに不釣り合いな胸元を見るや否や、なんとしても獲得すべきと手を挙げ、鼻息を荒くしてクジ引きの準備をしている。


 ここからが早かった。ヒルデガルトの行動は特殊だった。


 当たり前に膠着する空気にも関わらず、腕の中の彼女はグラスへと、このように指示をする。


「口を開けろ」

「えっ……?」

「早く口を開けろ」

「きっと良くない事が起こるんだろうけど…………んあ」


 訳も分からず、口を開けさせられるグラス。


 するとヒルデガルトは、なんとその口の中へと自慢の〈緋晶〉を放り込んでしまう。飴玉サイズを放り込み、顎を閉じさせてしまった。


 頼んでもいないのに処方された魔女の必殺技を、グラスは服用してしまう。


「…………」

「…………」


 何をさせようとしているのかを知り、不服を訴えかけるグラスへ、ヒルデガルトから発動許可の頷きが返される。


「……————」


 物申したげにも口を開けば、そりゃそうだと言わんばかりの轟々と膨れ上がる火焔が放たれる。


 会話もなく悲鳴もなく、〈緋晶〉の圧倒的な火力により、骨も残さず焼き尽くされていく。


「よし」

「よしじゃないよ? 無断で火炎放射器に改造してくれちゃってさぁ……和解の道は遠いよ?」


 口から若干の残り火を失礼させながら物申される。


 やるのは構わない。食わされるのがあのような馬鹿げた火力のものでも、ヒルデガルトは燃える結晶を見られたくないであろうから。


 そう思いながらもグラスは堪らず言う。


「せめてリハーサルくらいはさせて欲しいもんだよね。ぶっつけ本番で火遁を撃たされた身にもなってみな?」

「訳の分からない事を言うな。あと出だしが遅いぞ」


 火遁のダメ出しまで受けるグラスが、茶目っ気で火を吹かせたヒルデガルトへと抗議の眼差しを向ける。


「…………」

「…………」


 ジッと視線を向けられ、幼げな面持ちで見上げるヒルデガルトは嘆息混じりに説いた。


「……なんだ、その目は。私に歯向かえばどうなるか、教えてやろうか」

「ふっ、この魔王に脅しとは笑っちゃうね。日頃からアホほど鍛えているのは、何者にも屈さない為なのにさ」


 笑い混じりに腕の中で踏ん反り返るヒルデガルトへ返答した。


 するとヒルデガルトは止む無しと言う。


「そうか、分かった。すぐにでも銀行に連絡し、貴様の口座を——」

「口座を!? 俺の口座に何するつもりっ!? 君は何が出来るの!? コツコツ貯めてるんだから絶対に触んないで!」

「止めて欲しいのなら、やるべき事に集中しろ。さっさと先を急げ」

「よし行こう!」

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