第255話、エリカ、生き生きとする

「みんな、聞いてくれる?」


 テラーは父親や祖父の代から忠節に励む使用人達へ告げる。


「どうやらアルト王子とエリカ王女は…………既にディア・メイズに侵入しているらしい」

「なっ!? 誠ですかっ!」

「父の時代から付き合いのある、我等が勝手知ったる貴族派の連れまでは、魔術阻害の魔石による検査は実施していない。どうやら裏切り者がいるようだ」


 セレスティアはヒルデガルトを囮に、貴族派を寝返らせて侵入させたのだとテラーは言う。


 彼女と接触済みだと判明しているレークから帰った貴族のみを調べて、満足してしまっていた。それも仕掛けの一つだろう。


「やられたよ。でも幸運にもここ数日、僕は《大公の玉座》を操作していない。さっきの一度だけだ。だから王子達は場所を特定できなかったんだ」


 知らない間に勝負に負け、賭けに勝っていた。


「今は使用人辺りに変装して、僕を見ている筈だ……」


 部屋の中だけでも、十六人の使用人が控えている。


 舌舐めずりしながら、舐めるような視線を順に向けていく。


 生粋のサディストであるテラーは本来の王国刑法で言うなら、幾たびもの死刑を判決されて然るべき重犯罪者だ。子供の頃から兄を殺し、貴族の女を奪い、あらゆる蜜を与え、狂わせ、時が来れば女は拷問部屋に連れて行かれ、戻る事はない。


 幼少期より何度も繰り返し、似たような残酷な行為を行なっている。


 そこに王族、貴族、平民という括りは存在しない。


 エリカ王女が捕まれば、どのような末路が待っているか分からない。


「っ…………」

「…………」


 列の中で開封済みのシャンパンを持つメイドが息を呑み、隣のメイドが軽く手の甲で触れる。


 まるで、落ち着くように諭すかの如く……。


 メイドだけは貴族や富豪に雇われる者等が、城の手伝いをする決まりがある。豪遊するキャスト達の世話ですら手は足りず、清掃や給仕を考えたなら、見知らぬ者が少々混じっていたとしても使うだろう。


「僕の居住区にいる全ての人間を調べろ! 逃げたならば追えっ! 捕まえられないのなら《大公の玉座》を使ってでも対処する!」


 テラーは手下に、使用人の中に王子達がいる可能性を伝達。すぐに術式破壊の魔石を使用し、テラー周辺の人物全てを捜索するよう命じた。


 事実として調査開始直後、二名のメイドが消えており、これらは流石にアルトではないだろうとして、エリカ・ライト並びに護衛と推定された。


(エリカ王女も護衛は連れているだろうから……何処だ? 肝心のアルト王子は何処にいる)


 一方で当のテラーは、充分に警戒しながら万全を喫して《大公の玉座》の元へ。近くにいる筈も気配を霞ほども感じさせないアルトに、明確な危機感を抱いていた。


「…………」


 隠し部屋を抜け、地下通路を行き、螺旋階段を登った先にある小部屋。テラーのみが持つ鍵を使って扉を開き、中へ。


 そこにあるのは、一つの素朴な玉座のみ。


「メイズを組み替えて、子供達のいる僕の邸宅を切り離さないと……。それから、王子を探し出してみせる」


 玉座に座したテラーが目を閉じる。気も楽に背もたれに身を預け、流れ込む情報に脳を働かせた。


 玉座の後方に展開される幾重もの魔術陣。古の錬金術と結界魔術、失われた技法による絡繰仕掛けの都市が動き始める。


 当時の大公と謎の魔術師による古の大傑作が、悪しき無知なる者によってまた持て余される。



 ♢♢♢



「……動かし始めたか」


 揺れるディア・メイズを感じ、エルドンは潜む憎きライト一族の捜索へと戻る。


 どうやらテラーは中央付近のみを動かすつもりらしく、移動をしても巻き込まれないだろう。


 エルドン隊は黄土色で統一された街並みを行き、同じような布切れで過ごす住人を横目に、目を凝らして進む。


 外とは隔絶された世界。後退した文明の中にいるような錯覚を、また何度でも体感しながら。


「…………」

「…………」


 やがて人の気配が無い一本道に差し掛かると、町娘二人とすれ違う。


「……待ちたまえ」

「…………何でしょうか」


 若い女を呼び止めたエルドンは、振り返って歩み寄る。


 そして胸ポケットのハンカチーフを取り出し、肩の汚れを払おうとする。


「身嗜みには気を付けたまえ」

「あっ、ありがとうございま〜す」


 エルドンが触れた瞬間、隠し持っていた魔石により偽装の魔術が弾け飛ぶ。


「特に、王族ならば尚更にな」

「…………」

「ここに女二人で出歩く町娘などいない。王国から逃亡中の犯罪者に目を付けられるだけだ」


 読みが当たり、エリカ・ライトが姿を現した。


「ふ〜ん、やるじゃない。少し待っていなさい」

「…………」


 流石と言うべきか、動揺を見せる事はなかった。王女らしく毅然として告げ、エルドンを感心させながら道の端へ。女の子らしい体勢で地べたに腰を下ろすと、箒や靴に隠した部品を取り出して組み立て始める。


「…………」

「…………」


 明らかに刀を組み立てている。


「あれぇ〜? えっとぉ……」

「っ……!」

「あ、そっか」


 しっくり来なかったところも、護衛らしき小柄な狼人族の閃きから助言を受け、二分後に事態は再開する。


「どこからでもかかって来るといいよ……」


 見違える程に澄み渡る瞳と気配。刀を手に軽く鯉口を切ったエリカは別人のように洗練されていく。


 未だ学び舎に通う者とは思えない練度であるのは、誰の目にも明らかであった。


「…………」


 並び立つ狼人族の少年もだ。構えからして武術が完熟している。鮮やかな水色の髪を靡かせ、マスクで覆う口元は不敵に微笑んで……いるようにも見える。


「……ふっ、これは中々だ。聞きしに勝るは、流石はライトの血族とその護衛よ」


 油断ならないのは、エルドンのみならず隊員全員が肌で感じていた。


 テラーが《大公の玉座》を使用している以上、手の平で踊るに同じ。


 けれど出会ったのならと、日に陰る路地で二人から戦闘の意思を汲み取り、エルドンが剣を抜く。


「しかし不運も不運。私達は紛う事なきエンゼ教最強部隊……」

「っ……!」


 大司教の福音が羽ばたく。薄茶色の翼が背より飛び出し、天の使いさながらの出立ちで剣を翳した。楽団の指揮者がタクトを構えるように。


 流派はクジャーロ由来のものである。


 父はネコカ・チーター、母はサバナ・チーター。驚く事に本名で、どちらも敬虔なエンゼ教徒であり、父であるネコカはクジャーロ出身の友人に親戚が剣の道場を開いている知人と久しぶりに会うと言うので同席したところ、経営難らしいので息子と運動がてら通ってみないかと誘われて何気なく剣を始めたのだった。


 エルドンはパンがポタージュスープを吸うように、クジャーロの剣術を吸収。我が物としてエンゼ教の教会騎士へと瞬く間に駆け上がった。


「…………」


 エリカはエルドン部隊に威厳ある眼差しを巡らせる。一人一人としっかり目を合わせてから口上を述べた。


「私はね、あなた達のような……初対面で真っ先にタメ口を利く人間が大嫌いだよっ?」

「……それはエリカ王女も同様なのでは?」

「あまり言葉にするものではないけど、全身あますところなく王族なんだから、私はいいの」

「確かに言葉にするものではないぃぃ……!」


 あからさまに王族と胸を張るエリカに、エルドンの胸中には感嘆すら生まれる。


「初対面は敬語、敬意を忘れてはダメ。敬語でもアホな奴はいるけど…………あなたにだってあるでしょ? 嫌いな人の傾向とか」

「私か? 私は……仕事を増やす輩だよッ!!」


 前に置いた右足を擦り足で動かす瞬間。致命的にも予兆を事前に掴まれる。


「————!」

「ナニっ……!?」


 陽の如きオレンジの軌跡が瞬時に通過した。エルドンが剣を振り上げるより早く部隊を通り過ぎ、ソウリュウと挟む形となる。


 首筋を狙う刀を辛うじて防いだエルドンが振り返った時には……向かい合い、膝を突いた武の姿勢で鞘へと刀を収めていた。ゆっくりと、残心を込めて……。


 そして、鯉口が鳴る。


「ソウリュウ、あなたはそのお喋り男をやりなさい。私は面倒だから、こちらを斬ります」


 十七名の内、二人が鮮血を飛び散らして倒れる。残り、十五名。




 ………


 ……


 …




 流派にある原理を理解した武人には、形は違えども洗練された明瞭な動作が見られる。


 鞘を持つ左手にも、刀を握る右手にも必要以上の力みはなく、迫る敵を前にしても心の水面みなもには波紋ひとつ無い。


「————キッ!!」


 鋼色の殺意が鞘から解き放たれる。


 刃先の軌跡が銀の輝きを描いて閃く。瞬時の抜刀はエンゼ教騎士の振り上げた剣を、体重が乗り切る前に弾き、致命的な隙を勝ち得る。


 返す刀で袈裟懸けに斬り捨てる。


「ぐぁっ……!? お、おのれぇぇ……」

「国を脅かす下郎め。たとえ父様が許しても、この私が黙っちゃいないよ……」


 また華麗に納刀して、取り囲む騎士達を睨む。


 片膝を突き、隙だらけにも思える体勢で居合い斬りの構えで待つ。微動だにせず…………心を落ち着けて、ただ待つ。


 その様たるや皆伝のそれ。顔付きに至っては伝説の殺し屋のようだ。背後に立つ事すら躊躇われる。


「王女一人に何をもたついているっ! 早く片付けるのだ!」


 大司教の福音を翼に表して戦うエルドンのみが、青炎を両手に燃やして暴れるソウリュウを苦しげにも抑えていた。いや、必死に逃げていた。


「〈六狼〉」


 高度な技法により指で狼を模して、まるで生きているかのような炎の獣を打ち出す。ソウリュウの修めた『模倣灼拳』は、エンゼ教最強を自称するエルドンをして手の付けられない性能を誇る。


「くっ——!?」


 集めた福音の魔力を宿す手を払い、突風で掻き消すようにして襲撃する青炎の狼達を相殺する。


 ベネディクトから授かった魔力任せに払い退ける他なく、素早く身軽な格闘術と相まって反撃する事すら叶わない。


 無口な若き武術の達人、ソウリュウ。【旗無き騎士団】第二師団長にして、【反則】ネムに次ぐ実力は、とても抑えられるものではなかった。


「〈一龍〉」


 ソウリュウの名を師より与えられる所以にもなった技を繰り出す。突き出した両手による龍の模倣。


 蛇の如く唸りながら宙を駆ける青い龍が、凶暴な形相でエルドンに噛み付く。


「ヌゥゥ……!? っ、ぬぉぉぉぉ!!」


 掌を突き出し、放てる限りの魔力を前方へ解き放つ。だが魔力量は上回っていても、技量と武術による差は埋まらない。


「くっ……! ——イぁぁ!?」


 青龍の炎を完全には相殺できず、消し切れなかった尻尾辺りでビンタされる。


「っ…………!」

「な、なんのこれしきっ、うぉぉぉ!!」


 飛び蹴りから絶えず殴り付けるソウリュウに、強気な姿勢で剣を振る。跳び回るソウリュウに届かずとも、果敢に返す。逃げながらに。


「私がエルドンだぁぁぁ! エンゼ教最強部隊の隊長なのだっ!」


 重要なのは弱気を見せないこと。そうすれば王女如きを寄ってたかって叩きのめした部下が駆けつけてくれる筈なのだから。


 一方で檄を受けた部下達は、言われた通りに寄ってたかっていた。


「セリャァーッッ!」

「ジャっ!」

「な、にぃぃ……!?」


 刃を収めたままの鞘に魔力を通わせ、魔力の翼を頼りに斬り付けた剣を激烈に弾いた。


 そのまま背後から迫る騎士へ————抜刀。剣を振り上げた拍子に、胴に一線が走り鮮血が散る。


「ぐぅぅ…………むね、んっ……!」

「くっ、おのれ貴様ぁぁぁ!!」


 敵討ちを誓って踏み込んだ騎士にも即座に反応した。迫る剣を刀で弾き、返す刃で首筋を突く。


 視線、位置取り、構え、間合い、訓練で培った技術は充分な効果を発揮し、対多数戦においても危なげなく対応してみせた。


「シッ——!!」

「グォァァァッ!?」


 断末魔が活きのいいエンゼ教にも目もくれず、次々に襲い掛かり、鮮やかな太刀筋で斬り捨てていく。


 横槍の入らない状況を作り、来たものを斬るのみ。何なら間合いにあるものを斬り裂くのみ。難しく捉える必要は無い。そう教えられている。


「キッ! ——ぬっ!? 浅いっ!」


 また一人、斬ったと判断する直前で、手に伝わる感触から仕留め損ったと知る。


「慢心したなっ、王女ぉぉぉ!!」

「くっ!? くぅぅ〜……!」


 斬られるも決死の覚悟で踏ん張り、斬られながらに斬り付け、最期の福音を発動させながらに鍔迫り合いでエリカを押し潰そうとする。


 小さな身体を体重と腕力任せによって足止めする。基本的に片手で刀を振るエリカの弱点を、的確に突いていた。


「今ダァァァ!! このちっさい猛獣を仕留めよッ!」

「っ……——甘いッ! 獣を舐めるな!」


 命を賭した仲間への咆哮虚しく、陽光の如く煌めく鞘を二刀流のように持ち、足元を掬うように打った。


「へ————?」

「シャッ!」


 足元を掬われて浮遊感を感じる頃には、刀が臍の辺りを通過していた。清らかなる一閃。清流の如く淀みない流れで、刃は人体を擦り抜ける。


「あとは、たの……む…………」

「カァぁ————ッ!!」


 繋がれた襷を受け取り、福音は背より爆ぜた。魔力を惜しみなく剣へと注ぎ、右薙ぎに振り切る。


 打ち出された大司教の魔力は荒波の如く押し寄せ、エリカを巻き込みながら乱然と爆砕するだろう。


「————」


 しかし、エリカの姿は目の前に無い。振る剣は半ばにして、標的を失っていた。


 彼女は何処へ。答えは、気合いの呼気により察せられた。


「シッ——!」

「ッ……、……あっぱれ……っ!」


 魔力渦巻く剣の向かう先に高速歩法で踏み込み、軌道を先回り。背後を取っていたエリカが、魔力に溺れた大司教を斬り捨てた。


「…………」


 刀を振り、血を払って切っ先を突き付ける。まだ半数は残る騎士達を睨んで牽制する。


 返り血を浴び、振るう度に斬れ味を増していく刀を掲げ、人斬りの目付きで獲物を品定めしている。斬る、ただ斬る、斬り伏せる、その意気がヒシヒシと伝わる。


 大司教の福音が頼りないと、初めて感じられていた。


 恐ろしい。まるで修羅に堕ちた辻斬りの如く。これを民は王女と呼んでいるのかと、王国の良識を疑問視する。


 するとそこへ、同じく背水の陣まで追い込まれていたエルドンが叫んだ。


「致し方ないッ! 例のアレを使うのだ!」

「……クソっ! たった二人も止められないのなら、止むを得ないか……!」


 苦渋の決断とでも言いたげなエルドンを始めとした隊員達。


「使える手があるなら使うといいよ。私はこの刀だけで、全てを斬り伏せるのみ……」


 納刀後、親指で軽く鯉口を切り、刃の無機質な輝き越しに標的を見据える。


「この居合い斬り……抗えると言うのなら抗ってみせなさい」


 その宣言の最中にも隊員達は懐から、血色の小さなナイフを取り出し……首筋や太腿に突き刺していく。


 変化は直後から顕著に現れた。


「ぐ、ぐぁァァァ!? 嗚呼ァァァっ、おおぅ!」

「…………」


 クジャーロによる研究成果である『龍晶』。規格外に高い生命力を持つ竜の恩恵を、強引に植え付け、隊員達の身体は瞭然の変化を示す。


「……は、ハハハハ! クカカカカっ!!」

「ギャハハ、はーはっははは!! ヒャハハハ!!」


 人を辞めてまでして得た力は血脈へと漲り、福音よりも力強く、出来上がった不死身の肉体は彼等の理性を容易く決壊させた。


 その全身はまるで竜を纏ったかのような形態へと変貌し、一回りも大きくなった肉体は、未だ不完全ながら別生命体との融合化を果たしている。


「ハハハハハハハハ——バッ!?」


 跳躍したエリカが、知った事かと宙空で抜刀。居合い斬りにて、小気味良い音を鳴らして見事に頭を刎ね飛ばした。


「…………」

「強くなったから何? 魔力が多いから何? アイツは言ったよ。でも斬れば勝てるんだから、斬ればいいでしょ? ってね……」


 竜鱗も諸共せず寸断したエリカに、ソウリュウ含め周囲が絶句する。


 だがしかし、研究により抽出された竜の生命力は…………頭部の再生すら可能とする。


 ボンッ……と音を立てて、刎ねられた頭部が生える。


「ぼん? …………ウワァぁぁぁ!? バケモノだぁぁ!!」

「っ…………」


 勝手知ったる謂わゆる生き物とは違っていた。背中合わせでソウリュウと震え、挟み合うエルドンと騎士達に対峙する。


「……武人としてコレは使いたくなかったがな」

「隊長、任務が優先でしょう……」


 エルドンも漏れなく黒色の竜人と化してソウリュウへと歩む。片やエリカも形勢逆転した騎士達に歩み寄られている。


「あわわわわわっ……!」

「っ……っ……!」


 斬っても勝てない現実を知る。師の真理を覆す不死身を前にして、窮地に追いやられる二人だった。


 だが幸か不幸か一部始終を、魔術で編まれた透明な天蓋から眺めていた者がおり、龍晶の性能に関心を抱いてしまう。


 またメイズが、組み変わる。

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