第254話、テラー・スターコート

「——久しぶりだね。以前はマダムさんと一緒だったけど、まさか彼女を超えてここまで大きくなるとはさ」


 にこやかに出迎えるスターコート侯爵は、思いの外に若く見える。容姿は少年のようで、しかし納得の血生臭さを放っていた。


 嗅覚に感じられるという意味の匂ってくるのではなく、風格で確実に人を殺しているのだと分かる。


 にも関わらず、俺もヒルデも誰も手を出せない。ここで彼を倒してしまうと、《大公の玉座》奪還への道程が険しくなるだけだ。


 ディア・メイズはまさに迷宮で、隠し部屋や仕掛けが山のように内蔵されている。未発見なものも多いとされており、それを把握できるのは《大公の玉座》に座する者のみ。


「さっきは手違いがあったみたいで失礼をしたよ……。まさか君にまで検査を強いるとは思わなかったんだ。臨機応変な対応くらいしてもらいたいものだよね」

「白々しいっ……」


 つまりは今はテラー・スターコートのみが、ディア・メイズを知っている。どれだけ横柄な態度をしていても、彼を手にかけるわけにはいかない。


 彼が死んだ場合、所有権は子供の誰かに移り、その場合の対策も仕込んであるだろう。


「まぁ、とりあえずは掛けてよ」

「金を出せ」


 予想外にも普通の個室に通される。


 二つある椅子にテラーとヒルデが当然に座り、テーブルの紅茶に手を伸ばす…………テラーだけが。


「……飲まないのかい?」

「ここで出されるものに口を付けるな…………あの貪食のマダムがそうまで言っていたのだ。飲み水も食事も全て持ち込んだ物で済ませる」

「あら残念。軽い睡眠薬しか入れていないのに」


 入っとるんかい。


 この会話を聞けば、俺と同じツッコミをする者で溢れ返るだろう。


「金ね? 勿論、用意してある」

「父親とは違い、結構なことだ」

「あの人のことは忘れてくれる? 多々の欲に溺れて、金にも困っていたんだよ。まっ、反面教師にはなってくれたかな」


 その父親を殺したのがテラーという噂は本当だろうか。兄弟を殺し、父を殺し、“スターコート”を奪い取ったという話は真実なのだろうか。


「そこの三人、別部屋にお金があるから、ヒルデガルトちゃんが泊まる部屋に運んでもらえる?」

「……アホだけを置いて行け」


 命令を受けた俺と二人が跳ねるように動き始めた瞬間に、何故か三方面から俺の服が引っ張られてアホの座を強いられる。


「う〜ん、その人も邪魔だなぁ」

「こいつは護衛だ。そもそも借金の話以外で、貴様に時間を使う意味がない」

「相変わらず可愛いなぁ…………早く泣いて許しを乞う君を見てみたいよ」

「相変わらず気色の悪い男だなっ……!」


 確定している未来とでも言いたげに恍惚とするテラーに、吐き気を催して顔を歪めている。


「……それと、マダムが預けた例のブツを返してもらう」

「……あの厳重な宝箱の事?」

「そうだ。貴様が金を返さなくとも、アレだけは是非もなく回収する」

「あぁ……それは一足遅かったね」


 これには本心から憐れむように呟き、またヒルデの不快感を強める。


「それと同じ要求をする人が来て、ずっとディア・メイズ内を探しているんだ。実は僕も何処にあるのか知らないまま父が急逝きゅうせいしたからさ。勝手にやってもらってる」

「…………」

「こちらが探す義理もない。まだ探し出せていない筈だから、君も好きにしてくれ」

「まさか……奴がここにいるのか?」


 ヒルデには思い当たる節があり、具体的な名前を挙げずにテラーへ問うた。それだけ簡略化しても伝わると確信しているようだ。


「あの時、あの人も一緒にいたよね、確か」

「サーシャめっ……」


 前に言っていた、裏切ってマダムにヒルデの予定や行動を漏らしていた人の名前が上がる。


 ここに来ていて、ヒルデよりも先にマダムの預け物を持ち逃げしようとしているらしい。


「それにしても君が王国に加担するとはね」

「私はタイミングを合わせただけだ。加担した覚えはない」

「……やっぱり王子と時機を合わせたんだ。でも一緒には連れて来なかった。ライトでないと、玉座を取り戻せないって言うのに……」


 テラーは深慮している。ジッとヒルデガルトを真っ向から眺めて、とある結論に行き着く。


「…………なるほど。もうディア・メイズ内に入って来てるんだね?」

「…………」

「僕が身体検査などを確認しなかった信の置ける貴族の中に、裏切り者がいるわけだ。そいつがアルト王子やエリカ王女を連れ込んだ……だろう?」


 ライト王家の兄妹との対決に、心躍らせるテラー。


「しまったな。玉座を君の出迎えに一度起動してしまった。使用人辺りに変装でもされていれば、区画は割り出されたかもしれない」

「自業自得だ。これ程の物に危機意識は常時携えていて然るべきだ」

「王子達は何処にいるの?」

「知った事か。私はそこまで暇ではない」

「優しく扱ってあげられなくなるよ?」

「…………」


 明らかな脅迫だった。あのヒルデガルトに強気に過ぎる脅しがされる。


 すると意外にもヒルデは反応するでもなく立ち上がり、挨拶もなく出口へ向かう。慌てて駆け寄り、先に扉を開けておく。


「……また夜会には呼びに行かせるよ」

「…………」


 部屋を出る間際に発せられるも、視線の鋭いテラーへの返事はなく扉は閉まる。ヒルデはすぐに関心もなく歩き出した。


「……面倒な輩がマダムの隠し財産を狙っている。急ぐぞ」

「え? 何処へ? 玉座は?」


 ヒルデガルトは足早に、宿とされる東側別棟を目指す。


「《大公の玉座》はじきに手に入る。それよりもサーシャが宝を持ち逃げする前に、奴を捕まえなければならない」

「手に入るって……」

「私とあの女が取り返しに来た本当の本命は、マダムの遺産の方だ。貴様も組織の長ならば、間の抜けた顔ばかりしていないで気を引き締めたらどうだ」

「事前に作戦を教えてくれてたら、この温度差で叱られる事もなかったって言ったら……怒るよね?」

「っ…………」


 可愛い。口答えをされて睨み上げるヒルデが、とても可愛い生物に見える。


「うん、何でもなかったかもしれない」

「それに、テラーの奴も何か以前と違う。より強欲になっているように感じた」


 胸を張って覇気凄まじく、俺に頭を撫でられながらも神妙な顔で推察する。


「まさかとは思うが…………奴の父でもこれほど愚かではなかったのだが、まさかな」


 微かな良識も失い、先のことなど考えなくなったのだろうか。ヒルデガルトはテラーの様子から何かを危惧している。


「以前はマダムのおまけで来ていたし、父親が領主……つまり《大公の玉座》を持っていたのだが、あいつは所有者となって予想外に悪質となっているかもしれない」

「つ、つまり俺達を皆殺しにするとかってこと?」

「悪趣味な奴のことだ。殺すくらいなら、私を玩具にするだろう」


 ここからヒルデガルトはマダムから聞かされた、テラーも知らないテラーの秘密を語る。


 それは想像を絶するものであった。


「奴の人格は、父であるコナー・スターコートが作り上げたものだ」


 《大公の玉座》というライト王家にも正面から立ち向かえる宝を持ち、されど酒に薬物、女に溺れたコナーは自らに価値が無いことに気付く。


 スターコートでなければ何者でもなく、ディア・メイズという鳥籠で暮らす憐れな奴隷である事実に思い至ってしまう。


 玉座はあれども何を成すでもなく、漫然と自堕落な日々を過ごすのみ。


「コナーは愚かではあったが、ある能力に特化していた。それが、洗脳だ」


 自身の子供達の中でも、最も愛を注いでいたテラーを洗脳した。


 玉座の所有権は長子に受け継がれる。自分を恐れる長男は既に薬物に溺れる羽目になり、その様子を見て次男は臆病に、三男は情緒が不安定で、五男は能力不足。


 四男ながら残虐性を覗かせていたテラーは輝いて見えた。


 だからこそ死期を悟った時には、兄等を追放してまでテラーに継がせる決意をする。実行される前にテラーは完成し、皆殺しにされるのだが……。


「テラーには大した才能は無い。それでもコナーが与えたスターコート像は忠実に再現されてしまった。植え付けられた過度な自己肯定感が、有りもしない才能を芽生えさせたのかもしれない」


 コナーが思う理想の“スターコート侯爵”……。


 嗜虐的で誰にも臆さず、女を喰らい、けれど固執せず、より良い質を求めて子を産ませ、あくなき強欲さでディア・メイズ外にも目を向ける。加えて薬物や酒には溺れず油断せず、恐怖と蜜による統制を確立させる。


 その証明にテラーは《大公の玉座》を奪い取る。


 まずは次男を撲殺。それから長男を執事を使い、その日の内に毒殺。身の危険を覚えた三男はテラーを恐れて逃亡する。


 そして満を辞して、三日と経たず父・コナーを殺害。


《大公の玉座》を受け継いだテラーは、憂いを絶つべく幼い五男さえも殺した。


「おまけに無邪気な皮を被って平然と嘘を吐き、決して他者に情を抱かない。ある意味ではコナーの人形は完成されている」


 東棟に到着して、伝えられていた二階“二◯三号室”へ。


 しかし建物に入るなり、異様な景色が視界に飛び込む。


「…………」

「…………」


 女性が何人もいる。誰もが首に鎖を付けられて、使用人に手綱を握られている。


 まるで散歩をするように東棟を歩かされていた。


「……悪趣味としか言えないな」

「ふん、私もここに住めと言いたいようだな」


 部屋に辿り着くと、ヒルデガルトの危惧していた通りとなる。


「まさかが実現してしまったか。連れてくるべきではなかったな……。……私の部下にも手を出すとは、自惚れ、履き違えた者ほど痛々しいものはない。私に何かあれば、ディア・メイズへの物資運搬ルートが閉ざされると知っているだろうに」

「……他に当てができたとか?」


 放り捨てられていた付き人達の死体をきちんとベッドへ運び、シーツを被せる。


「いや、そんなものはカインがすぐに潰せる。考えられるとすれば、クジャーロ側と取り引きしたのか、ディア・メイズ内での完全な自給自足ができるようになったのかもしれない。水が生成できるのだから、無理をして取り組めば不可能ではないだろう」


 借金を繰り返していたのは、その準備や研究の為の資金だったのだろうか。


「決起集会でも開こうと言うのか、貴族派も多く集められている。奴はこの宗教の叛乱を機に、自らの王国を作ろうとでもしているみたいだな」

「それで、どうする? エリカ姫を探す?」

「お前にはやる事がある。それを終わらせてから合流しろ」


 ヒルデガルトが廊下の先へ視線を向ければ、そこには女執事が静かに佇んでいた。


「お迎えに上がりました、グラス様」

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