第251話、協力者と行く難攻不落の大城砦
それは砂漠の中にあるオアシスだ。その城は迷宮でもあり、監獄でもあり、楽園でもある。
ディア・メイズを目と鼻の先にして、視界に捉えるアルト一行。目前の街にある高級宿にて、最後の打ち合わせを行う。
「……では、手筈通りに俺、エリカ、ソウリュウが先に潜入。グラスは彼女の護衛として、明日の朝に続いて来てくれ」
望遠鏡で砂漠向こうのディア・メイズを観ていたアルトが、視線を戻して告げた。首肯が続き、最後にはグラスが無言で頭を下げ、了承が示される。
「この程度の雑事で一々馴れ合おうとするな。私は国の協力者ではない」
可憐な容姿で不服を露わにする黒髪の乙女。同席する者達が思わず背筋を伸ばす威圧感を放ち、王子アルトすら冷たく見据える。
椅子に収まる可愛らしい人形のような小柄な姿からは、想像もできないプレッシャーが室内を満たしていた。
王都からの道程はヒルデガルトの息がかかった宿屋を経由しており、ここもまたそのホテルの一つ。機密が漏れることはないだろう。
「そちらはそちらで自由にしてくれて構わない。グラスはニダイを破った達人で、護衛として付けるのは誠意だと受け取ってくれ」
「ほぇ〜……」
怯まずヒルデガルトに返答するアルトの一方で、エリカは唸る。
黒髪を艶やかに、近頃の若者が好むようなファッションをするヒルデガルトに、唯一エリカはお洒落だなと感嘆の溜め息を吐いていた。
そして帰還した暁には服を買いに出かける決意をする。エリカが自分は年頃の娘なのだと、やっと思い出した瞬間であった。
「じゃ、さっさと終わらせましょうかね。え〜…………これがアルト様の偽装魔術を発動できる人形です。魔力を込めれば三十代前半の男の見た目になれます。で、これがエリカ様で、四十代のおっさんになれます」
「なんでっ!?」
年頃の娘である自覚を持った直後、ネムという名のおっさんから、おっさんを強制されようとしていた。
「なんで私がおっさんにならなきゃダメなの!?」
「エリカ様…………エリカ様が女性の姿に偽装したら、まんまじゃありやせんか? 何事も経験なんですから、そこはねぇ? だからこの“大人のお姉さん人形”はソウリュウにあげちゃう」
「いいよいいよ、そっちで。おっさんになるくらいなら、大人の色気ってのを予習しておくよ」
「……いただけませんねぇ。エリカ様はおっさんの何がお嫌なんですかい?」
「臭そうだから」
「ぐはぁ!? ぬっ、くぅぅ…………おじさんも長いこと、おじさんとして生きてますけどねぇ、一撃で膝を突いたのは初めてですよ……」
容赦ない偏見がネムを襲い、王国随一の魔導師としての風格が風化していく。
「だ、大丈夫だよ、おっさんだってきっと妖精になれるよ……!」
「別に妖精になりたくておっさんをやってるわけではないんですがねぇ? あとおっさんは絶対に妖精になれません」
肩を叩いて慰めにもならない情けをかけられ、ネムはおっさん代表として毅然と言い返した。言い返して真実に辿り着く。
「……ふん、私は部屋に戻る。後は勝手にしろ」
二人の部下を引き連れ、付き合っていられないと立ち上がったヒルデガルトが扉へ向かう。
「あっ、そうでした。アルト様にセレス様からお手紙を預かって来ていたのでした」
「私に……?」
そのようなグラスとアルトの会話を尻目に、流れるように肩へと上着をかけられ、当たり前に開かれた扉から退室した。
「……貴様等も明日の朝まで自由にしていろ。用があればホテルの者を使う」
「えっ……し、承知しましたっ」
最上階への階段を上がる直前、突然に通達された。
フロアを貸し切るヒルデガルトは、部下等の見送りを受けて自室へと戻る。
「…………」
クジョウ以来の休暇である。明日にディア・メイズで少しの用があるが、纏まった休みと言える。
と言っても、ある程度の報告書や計画書、手紙には目を通し、消化しなければならない。自分の代わりに仕事を担うカイン達に任せても良かったのだが、ただでさえ時間を持て余している。
とりあえずは、目の前の書類を手に仕事を始める。
「…………」
ホテルの者が細心の注意を払って機を伺い、差し入れていた冷えたコーヒーを飲む。
書類と向き合い、暫く集中して目を通す。
「…………」
ちらりと視線を上げ、扉を見る。物音一つ無いフロアの静かさが示す通り、開く気配は無い。
そして何の変化も見られないとなると、再び書類を読み進める。
だが……ふとまた暫くした時、次には立ち上がって扉へ進む。
「…………」
扉を開き、こっそりと半身だけ出して左を覗き見るが…………誰もいない。
それから右を見るも…………やはり誰の姿もない。
「…………」
ヒルデガルトは扉を閉じ、デスクへ戻る。
誰かが一目すれば、慌てて駆け寄り所望する要求すべてに応える努力をするだろう。彼女にはそれをさせる力がある。
けれどヒルデガルトはホテルの者を呼ぶでもなく、廊下を見てから席へ戻った。
「…………」
書類を手にして文字を読み進め、問題アリの側へ弾く。
そうしていると……また暫くして、ヒルデガルトが立ち上がる。扉へ歩んで開き、子供のように顔を半分だけ覗かせて左通路を見る。
誰もいない…………次に右の通路に目をやる。
「…………」
「…………」
……目をやると、自分と全く同じようにして、開いた扉から右側を見る小さな影が、隣にいる事に気付く。
「…………」
「…………ん? 俺以外に誰か来んの?」
クジョウで見慣れた子供がそこにいた。
その黒髪の子供を見下ろし、眉間に皺を寄せるとすぐに室内へと足を向ける。
「……何でもない。ただ小腹が空いていただけだ」
「丁度いいよ。何となくヒルデが寂しがってそうだなって思って、急いで来たんだけど、一緒に街へ繰り出そうよと誘うつもりだったんだから」
てくてくと後に続く魔王に懐かしさを覚えるのは、一日一日を充実して過ごせているからなのだろうか。
まだそれほどの時は経過していないというのに。
「なんか美味しい麺料理があるんでしょ? 是非とも食べてみたいなぁ」
「まだ昼には早い。そこで大人しくしていろ」
「そっかぁ…………なんか用意してあげようか?」
「…………」
暇なのかデスクに座った自分を前に立ち、後ろ手を組んで呑気に問われる。
出会った時から変わらない己が歩調で生きるこの男に、間髪入れずにデスクを扇子で叩いて無言の要求を示す。
「……扇子で机を叩いてるけど、俺のセンスで軽食を持って来いってこと? 扇子とセンスでかけてんの?」
「違う」
「じゃあ…………紅茶かなにか?」
「全く違う」
「えっ、だったら何だろ……」
探偵顔となって腕を組み、顎まで撫でて本格的に考え込む子供の姿をした魔王。
「……分かんないな、この魔王の頭脳を以てしてもだよ。正解は?」
「ここに貴様の顔をぶつけろと言っている」
「そんなこと言ってたの!? なんでそんな酷いこと言うの!?」
いつも通りに喧しく返され、堪らずデスクの四隅を扇子で叩いて要求する。
「一番痛いところ! このデスクが一番自信を持ってるところ!」
「だからどうした。私が怪我をするわけではない」
「一番よくない考え方……」
しょんぼりとする魔王に構わず、コーヒーを一口飲む。
身を乗り出し、グラスの結露で濡れた手を魔王の服で拭い、書類仕事へと戻った。
「……他人には思い付かない事をするよね、ヒルデは。それも才能なのかもね。でもさ、物言いたい気持ちはあるよ? 実害という程でもないし、すぐに乾くとは言え、なんか少しだけ複雑な気持ちになるんだもん。それが人ってもの」
仕事の邪魔になると考えたのか、若干の不満を告げた魔王は部屋を眺めながら歩き回る。
時にクッションを触って感触を確かめたり、時に棚の上に指を擦って埃が残っていないか確かめたり……。
次には壁に飾られた絵画に興味を持ち始める。
「…………だれ?」
知った事かと言いたいが、何者かが描かれた絵画に向かって一人で訊ねている。
当然に返ってくる答えはない。再びすぐに広い部屋を散策し始めた。
「…………」
「…………」
何の意味があるのか、今度はソファに腰掛け…………数秒もせずに立ち上がり、また歩き回る。
「……焼き菓子かな」
次はテーブルに用意された焼き菓子に決まっているであろう物を摘み上げ、何となしに口に運んだ。
「…………っ!」
予想外に美味であったのか、他のものも手当たり次第に食べ始める。片っ端から貪る勢いで、クラッカーにチーズを塗って口に放り込み、パンにハムを挟んで放り込み、壊れたように食い漁っている。
「……事ある毎にいちいち騒ぐな」
「美味っ、こんなのあるなら外出しなくていいよ! ヒルデも早くこっち来て食べなっ?」
仕方なしに立ち上がり、歩み寄って魔王の襟を掴んで引き摺る。
「騒々しくて仕事にならない。黙って大人しくしていろ」
「あれ俺のだから、片付けないように言っておいてくれない? やっぱりヒルデに出される物となると違うね」
騒がしく落ち着きの無い魔王を膝に乗せて座り、残りの書類に目を通す。
「……あの、俺は魔王なんだけど」
「卑下する必要はない」
「してないよっ? 誇りに思ってるともさ」
魔王を抱き枕代わりに、書類を終わらせていく。また報告書を“問題ナシ”の側へ放る。次から次へと終わらせていく。
「…………ホントに読んでんの? 俺が二行目とかのタイミングで終わってるけどさぁ」
「…………」
「ちなみに、それは何が書かれてたの?」
「ここ最近、東国付近で採掘される希少な宝石が少しずつ売りに出されている。それを買い占めているという報告だ」
人を疑う魔王は投げられた書類を手元に戻し、じっくりと時間をかけて中身を吟味する。
「……お見それしました、と」
「その姿でいる事が功を奏したな。貴様と言えども子供ならば可愛げがある。今回は見逃してやろう」
「いつだって優しい癖にぃ〜ウゥッ!?」
背後から頬を両手で押し潰され、制裁を受ける魔王。そしてグルグルと揉まれ、遊ばれる。
「……余計な事は言うな」
「ふぁい」
拗ねながら照れを隠すヒルデガルトに構われて、魔王は午前の時を充実して過ごす。
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