第252話、ディア・メイズ
そして、ヒルデと面白楽しく時間を過ごしての早朝。俺はグラスの姿に着替え、心持ちを使用人に切り替えてホテルを出る。
俺達は遂にディア・メイズへと侵入することとなったのだ。
「ところでヒルデガルト様は何をしに行くのですか?」
何故か質問をしただけなのに、背後のお付きの方達がギョッとしている。
「借金を取り立てる。マダムの時代から積み重なった借金を精算させるなら、今しかない。そして、
「そうでしたか……。……会長自ら、ご立派です」
「気にするな。今から貴様等に訪れる苦行を思えば取るに足らん」
「…………」
日傘を刺したヒルデガルトが乗り込む荷台を引き、ヒルデの付き人達と三人で砂漠に挑む。
「考えれば分かることだろうがっ……」
不機嫌真っ盛りのヒルデは荷台に座り、また一度だけ横目で、震え上がる付き人達を睨んだ。
砂漠を越えるには、ルンクルと呼ばれる魔物に乗るのが最良とされている。
ラクダや象のような生き物で、荷物も一度に多くを運べる上に数日間は飲まず食わずで過ごせる、砂漠環境に打って付けなのだ。
だが付き人達の不手際で指示が行き届いておらず、アルト王子達を含めて他の人達が街のルンクルを全て連れて行ってしまったらしい。
お陰で俺達は荷物とヒルデガルト会長様を連れて、砂に埋まる荷台を引いて砂漠越えを目指す難行に挑まなければならなくなった。
俺がいるからいいものの、死んじゃうよ……?
「ま、まぁまぁ、私も押しますから」
「…………っ!」
「胸ぐらっ!?」
突然に荷台のヒルデから胸倉を掴まれてしまう。
「……貴様は私とこいつら、どちらの味方だ」
「も、勿論ヒルデガルト様です……」
「ならば態度で示せ。貴様は私の護衛で、立場を弁えろ」
解放されたので、更に怒られる前に荷車を押して砂漠へ挑む。
「このようなミスなど、あそこが如何に馬鹿げているかを理解していない証拠だ。弁解も擁護も許されはしない」
「すみません……」
「直径二キロメートルの巨大な要塞……その全てを自在に操れる男が相手なのだぞ」
起動したその地その場所に、環境や立地、地形に関わらず『ディア・メイズ』を数分にして構築してしまう《大公の玉座》。
それを所有しているのは、現代のスターコート侯爵。ベネディクトによりライト王国が崩壊してから、貴族派を率いるとされる次代の王。
………
……
…
黄土色の壁に、天井、紫色の花を生けたテーブル。広い空間は侯爵家のゲストルームとしても、とても華やかに思える。
「――配置は指定すると?」
エンゼ教『ディア・メイズ』担当責任者であるエルドン・チーター大司教は、あくまでも指導者は自分であると自負している。
白い教会騎士服の部下等を背後に連れ、肩にかかるベージュの長髪を首を振って避け、酷く尊大な態度で、椅子に座る男を見下ろす。
最重要拠点であるディア・メイズを任せられた自分達は、まさにエンゼ教の頂点だ。貴族などという括りでさえ超越した先にいる身で、当の集まりから指図を受けるなどあってはならない。
「誤解だよ……それは僕の要望が正しく伝わっていない」
テラー・スターコート侯爵は言う。
童顔に困惑の色を浮かべ、四年前から当主を務める若きスターコートは弁明する。
「言い方が悪いな、事故を避ける為だよ。私と君はここディア・メイズの主人と最高戦力なんだよ? そう構えず、互いにリスペクトの心を持って協力しない?」
「……失礼。指揮系統は確立させなければ、非常事態に隙が生まれる。私の立場も察して欲しい」
「勿論」
表情と同じく涼しげな風がカーテンを超えて吹き込み、背後からテラーの空色の丸い髪を揺らす。
「君達のいる位置を指定させてもらえない場合、《大公の玉座》を起動した際に間違って殺してしまう。それは僕も避けたいんだ」
「それならば私からプランを提示し、そちらがその地点を避ければ済む話では?」
「あっ、それでもいいよ? ただ、どうしても変更してもらわなきゃいけない場所が幾つかあるから、そこを指定された時は変えてもらえるかな?」
「合意しよう。一刻だけ時間を貰う」
「今日の午前中であれば、いつでもいいからねぇ〜」
部下と会議にと背を向けるエルドンに手を振り、テラーは笑顔で送り出す。
「…………」
そして扉が閉まって三秒、こめかみを指で掻き、嘆息混じりに言う。
「面白いなぁ……司令官気取りで張り切っているよ。ベネディクトの側や例の神殿から離された時点で、揺動のお飾りになっているのにね」
「――終わったの?」
テーブルの向こう…………ゲームルームで待たせていた貴族派の者達が、酒や小休止を求めて部屋に雪崩れ込む。
先頭はいつもの如く、イゾルデ・マドンナであった。華美な紅いドレスを着用し、ウェーブがかる赤毛を揺らしてやって来る。
若かりし頃から女性向け美容品ブランドを立ち上げ、貴族や富豪から庶民まで幅広い層を狙い展開している。王国内ではあのスカーレット商会を抑え、最大規模のブランドとなっていた。
本人もその美貌は確かなもので、齢五十五を超えて尚も、その容貌は思わず各所に目がいくものだ。
財力、人脈、知識…………テラーをして、このイゾルデだけは手元に置いておきたい協力者であった。
「うん、終わったさ。あいつはね」
「意味深ね」
各々が気も楽に寛ぎ、ソファに腰掛け、酒を注ぎ、フルーツを摘む。
二十歳とは思えない若き容姿をしたスターコート侯爵の元、来る日も来る日も娯楽に興じる。
「やっぱり坊ちゃんにはお酒は早いようね。あなた用の冷水も運んであるわよ」
肩を竦めてイゾルデの冗談を受け流したテラーは、これからやって来る客人のことで頭がいっぱいである。
「……それにしても本当に来るのかしらね」
「来るさ。セレスティア王女のことだから、アルト王子とエリカ王女を送って来る」
「はぁ? 王族が二人して敵地…………それもディア・メイズに来るわけがないじゃない」
「分かるんだよ。セレスティア王女は王族だろうと家族だろうと駒扱いだ。だからこそ確実に目的を果たす。護衛は四人くらいかな。かなり強いだろうから、これとまともに戦ってはいけない」
饒舌に語り始めたテラーを囲むように、貴族達が集まる。
「君だって、つい先日セレスティア王女と外で会って来たのだろう?」
「向こうから無理矢理ね。やっぱり好かないわぁ……」
「どんな話をしたの?」
「うふんっ……気になるなら、初めから訊けば良かったじゃない」
「君が王女を心底嫌っているようだったから、気を遣って避けていたんだよ」
肩を竦めるテラーを前に、気ままに黄色いカクテルを飲むイゾルデ。
「……って言っても、よく分からなかったのよね」
「と言うと?」
「玉座関連は何も訊かれなかったわ。主だったのは、そうねぇ……どちらかと言えば貴族派の皆さんについてね。私でなくても知っているような情報しか答えていないわ。構わないわよね?」
テラーに関心すら示さず、淡々とされる質問へ返答しただけだ。
「それはいいのだけど…………《大公の玉座》の在処ではなくて?」
「玉座についてはそもそも何も知らないから、答えようが無かったわ。あぁ……だから質問されなかったのかもしれないわね」
「…………」
テラー・スターコートは、生まれてから一度もディア・メイズの外に出たことがない。
にも関わらず、彼は外の世界を熟知し、人を知り、その鬼才ぶりで兄達や敵対者を葬って来た。毒殺、暗殺、撲殺、拷問死、様々な手段を用いて……。
今回も、既に待ちに待った王女との知恵比べは始まっている。テラーはセレスティアの上を行くべく、乗り込んで来るアルト王子等が取るであろう手段に思慮を巡らせていた。
「……こんな時こそ、
「私からは一つよ。《大公の玉座》だけは死守しなさい」
「分かっているさ」
「あれが私達の生命線でもあるのだからね」
「言うまでもなくね」
ここは貴族や富豪達にとって、外の法から護られた聖地。違法薬物や攫ってきた民の売買、殺人を犯した後の逃亡先、用途は多岐に渡る。クジャーロ側からも利用者がおり、自然と富と欲の集まる場所となっている。
決まりは一つ。スターコートという法のみが存在する城が、このディア・メイズである。
「巷では、ベネディクトさんが大規模な儀式で信徒を生贄にするのだとか。だったら、いる可能性が拭えないここは無視できない。でも総攻撃で崩せる代物ではない。ならば彼女なら、これを機に取り戻そうと考えるはず……ライトの血筋を持つ者による所有権移行を企んでいるだろう」
「ふ〜ん……けど肝心な問題があるじゃない」
「どうやって侵入するか、だろう?」
「えぇ、ここは厳重に出入りが管理されているわ。今朝は貴族派の人達も裸にされて調べられたらしいじゃない」
イゾルデが妖艶な流し目で、レークの街から戻って来た貴族の一人を見る。視線を受けた本人は苦々しく顔を歪め、羞恥を思い起こして酒を煽った。
「まっ、誰かの関係者として忍び込むしかないだろうね。おそらくは偽装魔術により姿を偽って現れる筈さ。ネムとかいう傭兵がアルト王子の友人が作った傭兵団に所属しているしね」
テラーにはその誰かという人物にも心当たりがあった。
「実はその人は見当が付いていて、先程このディア・メイズに到着した。今は魔術阻害に使われる魔石などで正体を暴いているところだ」
「エリカ王女であったら、私に回して頂きたい。姉などよりも、あの可憐さにこそ華がある」
あくまで貴族派を通したにも関わらず丸裸にされて臍を曲げるカスタージョ子爵が、声高々に王女を要求した。
「構わないとも。僕は彼女に微塵も関心がない。むしろ僕はアルト王子と話してみたいな。近くの街で確認されているから、間違いなく会えるだろう」
「テラー様、調査が終わりました」
「ん? …………それで、二人は?」
扉を開けて口を挟んだ執事に問うも、帰って来た返答は予想外のものであった。
「お連れの方々は、正真正銘の付き人でした。ライトの王族は連れておりません」
「…………」
おかしい。
珍しくも、テラーの読みが外れてしまう。強行突破でなければ、どのようにして入るつもりなのだろうか。
調査した者達に催眠や認識阻害を施したのか、はたまた……。
「とりあえずは
初対面の日から七年。そして三年前から招待し続け、やっと応じられた返信の手紙。
セレスティア王女が利用したものと考えていたのだが、彼女がそのような見え透いた手を使う筈もなかった。当てが外れたようだ。
「テラー様、ヒルデガルト会長は如何なさいましょう」
「ヒルデガルトっ!?」
イゾルデが恐怖で表情を引き攣らせ、ワイングラスを指からするりと落としてしまう。割れるグラスから深いレッドが床を汚すも、それどころではない。
「丁重に接待して? くれぐれも失礼のないように」
「かしこまりました」
やっと迎え入れたヒルデガルトを、これ以上は機嫌を損なうべきではない。アレ程の女は、二度と手に入る機会は巡って来ないだろう。
「……セレスティア王女、果たして僕を捕まえられるかな?」
彼が捕まる一時間半前の独り言である。
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