第250話、一足先に、最終決戦の地にて

 エンゼ教の主力が集められた最後の砦がある。


 それは『エンダール神殿』と呼ばれる断崖絶壁に建てられた歴史的建造物だった。


 不可思議なのは、神殿の最上部、絶壁から空へ伸びる階段の先にある本殿。階段のみで支えられており、遥か下にある目下には大河や森が広がっている。


 同様に本殿を挟む形をとって三叉槍のように伸びる右殿と左殿。これらも階段によって宙に支えられていた。


 王女セレスティアは、ベネディクトがここを〈聖域〉発動の場に選ぶと断定する。


 だからこそ、派遣されたのは精強な部隊ばかりだった。


「……ベネディクトの姿は未だ捉えられずか」


 ライト王国第二騎士団大隊長バーゲン・セルもまた、王やマートン公爵から直々に選出されるだけの指揮能力がある。


 任務達成率は高くとも、兵力の消耗をまるで惜しまないところから部下に嫌われており、ここぞという時にしか呼ばれなくなった豪傑だ。


 この最終局面において指揮を取れるのはバーゲンを置いて他にいないだろう。


「そろそろハクトを呼び戻そう。夜襲を察知してから、ずっと前線で戦っている。二人とも、そろそろ寝させようと思うのだが。いいか?」


 アルト親衛隊として傘下に入った【光旗の騎士団】団長のジーク・フリードもまたこの場に派遣されていた。


「————ッ!!」


 三殿へと段々と高くなる立派な造りをした神殿と、王国軍の野営地とを分つ丘で、福音の翼を狩っていく白光。


 強力な魔力を持つ司教達を、白い輝きを放つ魔力の大剣で次々と焼き切っている。


 加えて影に潜む狙撃者が、何よりも凶悪極まり無い。姿は見えないが、闇夜であっても決して外れる事のない百発百中の弓矢で、ハクトの倒せない如何なる的も射抜いているのだった。


 あれが敵だったらと思えば、身が凍る思いをするのは仕方がない。自分達であっても気が付かない内に射殺されただろう。


「大した魔力だが……まだまだ働いて貰わなくてはならない。無論、休ませるべきだ」

「それがいいだろう。頼みのネムが来るまで半日。ベネディクトが怪しい動きを見せたなら、ハクトとオズワルドには嫌でも総攻撃に参加して貰わなけらばならない」

「……果たして、ここに現れるのだろうか」

「ベネディクトがか? これだけ戦力を集めたのだから、ここが本命なんじゃないか? ……誰か! ハクト達を休ませろ! 戻ったら食事と睡眠を取るよう言っておけ!」

「…………殿下の実績を信じるのみか」


 神殿内には食糧や備蓄、籠城に備えて大司教などの戦力も温存されている。


 これまで誤った選択を一切しないセレスティアを疑う者などいなかった。バーゲンと言えど、万が一を考えるのが精々だ。


「彼女の部隊はどうする。もうすぐ到着予定だそうだ。それも私の騎士団と同等の戦力らしい」

「…………」


 片眉を上げたバーゲンは何気なく放られた新情報に、不信な思いを抱く。


 王国最大だった傭兵団である【旗無き騎士団】と同等など有り得ない。無論、全ての団員がそのまま移ったわけではなく、およそ七割が残って国士と再編成。


 けれどそれでも三千人近くの国軍となった。


「……まだ一ヶ月も経過していない筈だ」

「彼のカリスマは…………と言っている内に、到着したようだな」


 夜の暗闇から姿を現す黒鎧の騎士達。四列で整然と行軍する騎士団が決戦の場へ参上した。


 隊列のみだれもなく、若者から老兵に至るまで様々な年代の者達が、同様の鬼気迫る気配を帯びて揃って止まる。


『黒の騎士団』……黒騎士教の守護者として、世の平和に尽力する黒騎士を追って集結した戦士達だった。


「——遅くなりました」


 屈強な男達の隙間から…………梟を頭に乗せたシスターが現れる。小さな身体で、装いに不釣り合いな曲剣を携え歩み出る。


「どうも、黒の騎士団を率いております。貴族嫌いのリリアと申します」

「嫌いなものから自己を主張して来ただと……?」


 虎視眈々と貴族を狙う勢力が到着してしまう。


 ジークに目を向けるも、彼もよく事情が掴めておらず肩を竦めるのみに終わる。


 謙虚に頭を下げるリリアは、黒騎士教の発起人として既に認知されている人物だった。


 顔見知りとは言わないまでも、バーゲンもジークも王城で見かけた事もある。


「遅れたのは彼等の訓練過程を終えるのが、ギリギリになった為です。私達は悪くないので謝りません」

「あ、あぁ、それで——」

「謝りませんっ」

「分かったからっ……! 誰も言ってないぞ!? いい子だから気を鎮めるのだ!」


 到着早々に牙を剥かれたバーゲンは当惑する。


「貴族はクソですっ。そうは思いませんか?」

「汚い言葉を使うんじゃないっ! 淑女たれ! そう思う!」


 小動物のような見た目で容赦なく吐き捨てるリリア。


 するとリリアは頭上の梟に手をやり、豊満な羽毛の中を探して文を取り出した。


「……それは?」

「これはセレスティア王女から預かった、追加の司令書です。これから起こると予想される流れが記載されています」

「私達の迷いまで把握されているようだな……」


 どこまでも王女の描いた劇中からは逃げられないようだ。計画シナリオに刻み込まれてしまえば、無意識でも意識的にでも、例え抗おうとも物語に沿って動かされるだけ。


「…………」


 ジークは初めて本の中にいるような不思議な感覚を味わっていた。


「ふむ、遠路遥々感謝する。では拝見しよう」

「…………」


 前に出て手を差し出したバーゲンだったが、リリアは文を梟の羽毛に戻して……代わりに一枚のコインを取り出した。


 そして背後に回してゴソゴソと不審な動きを見せてから、握った両手を出した。おそらくはどちらかの手にコインが握られている。


「……どちらです?」

「知るかぁぁぁー!! 欲しければ当てろと言うのか!? なんで君とゲームをしなくてはならんのだっ!」


 顔を真っ赤にしたバーゲンが翻弄される。コインを握る手を当てなければ、司令書を受け取れない事件が発生した。


「大体それは司令書だろう!? 命令だろう!? 外れたなら、どうするつもりだ! 黒騎士殿にはなんと報告するつもりだ!?」

「……冗談です。疲れているお二人に、微笑ましいジョークの差し入れです」

「絶対に本気だったろう。真剣勝負の眼をしていたぞ……」


 黒騎士の名が上がるなり、一転して笑顔で親しげに。全く物怖じしないリリアは威圧感凄まじい黒の騎士団を背後に、狼狽えるバーゲンと呆気に取られるジークを振り回す。


 司令書は無事に二人の知るところとなり、黒の騎士団も野営の準備を終えて休んだ。


 その様子は……対峙するエンダール神殿側も察していた。


 上層、中層、下層と三段に分かれる神殿。


 ベネディクトから指揮権を与えられたのは、長年のお布施を評価された貴族であった。


「男爵、例の黒騎士が集めた私兵が到着したらしいな。数も中々に多いのだとか。戦況の方はどうなのかね……我々はベネディクト様から最後の砦を任されたのだぞ」


 現在、神殿を統括する“ギラン・ウラーレ”伯爵が、現場を任せる男爵へと声をかけた。


 柔らかな蝋燭の光が照らす神殿の上層にある建物内で、作戦会議との名目で騒いで遊んで、食って飲んでと饗宴を享受するエンゼ教徒の貴族派達。


 そこへ舞い込んだ報せは、酔いを少しばかり覚ます事になった。


「ご心配には及びません。私の陣頭指揮により、敵方は着実に疲弊しています」

「流石は私が見込んだ男だ。取って代わられるようなヘマはするなよ。男爵を見込んで、少々無理に抜擢したのだからな」

「感謝しておりますとも。あなたが見込んだ将は、恩には報いる男ですよ」

「そのようだな」


 伯爵は現状をよく理解していた。あと数日の辛抱で、予定日の朝から昼まで…………それだけの時間を耐え忍べばエンゼ教の勝利となる。


 だからこそ子飼いだった“コモッリ・パーター”男爵を、強引に現場の指揮官にと命じた。自身と同じくエンゼ教に与しながらも信仰心は無く、忠実な手駒たる男爵はまさに適任だったのだ。


「いつの間にやら昼にはクジャーロから、調整とやらがされた例の『竜』も届いていた。ベネディクト様の子供であるマファエル様が使われるやもとの事だが、最悪の場合は一体を残して使ってしまおうと考えている。必要なら許可を求めたまえ」


 知らぬ内に神殿内の地下倉庫へと、取り扱いが記載された文を添えて届けられた大きな檻。鋼鉄の格子こうしは異常なまでに分厚く、何重にも重ねられた檻の中には、静かに怒りを燃やす竜達がいた。


 特に強力とされる個体は青白く小さめな種ながら、他の竜を気配のみで押し黙らせるところからも、上位種を思わせる。伯爵も恐る恐る姿を確認するも、洗練された細めな形態をした美しい竜だった。


 自然の中で平穏な暮らしをしていたところを捕らえられ、連れ去られ、子供も置き去りにされ、その竜は血の涙を流すほど激怒していた。


 更には身体を弄られ、不必要な強化をされ、見知らぬ地に放られる。竜は人間を憎み、子を憂いていた。


「とにかく前線を維持できさえすれば、ベネディクト様の〈聖域〉により勝負が決する。先達の配下もいなくなり、その後は我等の天下だ」

「お供しますとも」

「君は賢い……見てみろ」


 ギラン伯爵は各テーブルで貪欲に酒肉を貪る同胞達へ冷笑を向け、小声に侮蔑の感情を乗せてコモッリへ説く。彼等は貴族派であり、敬虔なエンゼ教徒だった。


「勝っても負けても敗北だというのに、大した意義もなく欲望に任せるケダモノを見ておくのだ。生物として、これほど堕落した姿はなかなか見られない」

「先見の明が無い……以前の問題ですな」

「そうだ。我等は決戦の先で、マリア=リリス様にベネディクト様と唯一仕える幹部となるだろう」

「このような他の群れに突かれる蜂箱よりも、美味い蜜が吸えるようになるわけですな」

「分かっているのなら、誤っても祈るなよ。どうやら【白の天女】様に命を捧げられるという話は真実のようだ」


 ナプキンで口元を拭ったギラン伯爵は、ワイングラスを手に同胞達へ声をかけて回る。


 この後も酒池肉林の宴が始まる。その伺いでもあり、多くの幹部達が顔に気の昂りを表していた。博打大会はギランが立ち上がり、夕食を終えてから始まるのだ。


「おっとランディさん、もう酔っ払っているのですか? あなたともあろうお人が、悪い冗談でしょう?」

「なにを言うのかね、ギランくん……儂はまだまだ現役だぞぉ?」

「では今宵も?」

「もちろんだよ、キミぃ……」


 揃って『ハハハハ!』と高笑いを響かせ、世渡りの上手さを遺憾無く見せつける。


「…………」


 見送るコモッリ男爵は素直な感心を胸に、その部屋を後にした。自ら望遠鏡で確認した黒の騎士団を思い、再び前線の指揮へと戻る。


 コモッリ・パーター、自他共に認める卑劣で卑屈な人物である。

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