第249話、キャンプカレー

 《大公の玉座》奪還へ向けて、旅は既に始まっていた。


 その日、時刻は夕方、目的地へ向けて一度の野宿をするアルト一行は、誰の目にも触れない山中にテントを張っていた。早朝の出発から休みもなく走り、やっとの休息だった。


 ほぼ半日を通して馬車を走らせたのだが、アルトに体力の心配はなく、鍛え抜かれた武術家であるソウリュウやエリカの付き人を務めるマリー等もまた然り。


 軍用の魔物であるハクランと呼ばれる白馬は、背に翼の名残りがあり、祖先に幻獣ユニコーンを持つとされるだけあり疲労の一つも見せていない。


 そして御者を務めた使用人も。


「グラス、先にご飯つくっちゃっていいよ。作るのが大変なら、近くの街で買ってくればいいよ」

「誰よりも仕事をした馬と私に、まだ走れと?」


 アルトと共に薪拾いを終わらせたエリカがテントを張っていたグラスへ指示するも、至って当然の拒否をされてしまう。


「では待って来た食材以外にも、そこらで山菜でも採って参ります。火はソウリュウさんが起こしてくれたので、お湯でも沸かしておいてください」

「今夜の食事はなに?」

「私の独断でカレーです。ちなみに、まだ三回くらいしか作っていません。全て失敗しましたが、あえてこのタイミングでまた作ります」


 反論を許さない南極料理人の顔付きで山へ向かうグラスを見届け、食材のカットを任されたソウリュウは黙々と作業。


 内紛や魔物討伐で野営慣れしているアルトも手を貸し、マリーと米を炊く。


「よしよし、よく頑張ったね」

『…………』


 エリカがハクランを労わって餌を食べさせ終えた頃、山菜やキノコを袋に集めたグラスが戻った。


「ただいま戻りました」

「おかえり〜」

「おや、下準備はもう完成していますね。ありがとうございます。後は私が調理しますので、皆様はお寛ぎください」


 グラスは構わず、いつになく真剣な眼差しでフライパンを手にする。


「これから、スパイスカレーに挑みます。王国の南部で見つけた複数の香辛料で作るものですが、記憶を頼りに手探りで作ります。失敗しても口に出さないでください。怒っても構いませんが、黙って怒ってください」

「わ、わかったよ……」


 眼鏡のズレを直して闘志漲るグラスからは、普段の巫山戯た気質は少しも見て取れない。


 持参したカバンから香辛料の入った瓶をいくつも取り出し、指で顎を叩きながら思案する素振りを見せる。


「これと……これでやってみるか……」


 グラスは油を引き、四種のスパイスを放り込む。フライパンの火加減を調節しながら何らかのスパイスを炒め始めた。


「…………質問は、してもいいのか?」

「勿論です。ただ答えられるタイミングは限られることだけ、ご了承ください」

「そうか……ここにいるクラウスが、城から持ち込んだ食材のみで調理をするようにと、口を酸っぱくして言っていなかったか?」

「仰られていましたね。一回言えば分かるというのに、やれやれ……」

「……そうか、口を挟んですまない」

「いえいえ、また疑問があれば何でも訊いてください」


 彼の中では調味料や山菜は含まれないようだ。


 クラウス等の思惑としては、暗殺者や刺客も雇うというテラー・スターコートを警戒してのことで、店や販売元に毒物を混ぜ込まれる事を恐れての事だ。


 故に自生する山菜や遠方から持ち込んだ香辛料は問題はない。


 厳密に捉えなければ。


「……………………はいっ、タマネギ入れて!」

「えぇっ!? わ、私がするのっ!?」


 腰を下ろしていた丸太から跳び上がったエリカ。


「ああっ、まず手を洗わなくちゃ! それからそれからっ、あたふたあたふた……!」

「ダメだ、あたふたしちゃってる事この上ない」


 あたふたと狼狽するエリカを他所に、救世主的な人物が躍り出る。


 マリーが素早く竹筒の水で手を洗い、右往左往するエリカに代わってタマネギを放り込んだ。


「助かりました、流石はマリーさん」

「痛み入ります」


 茶色になるまで炒めたタマネギにスパイスを加え、辛めに仕上げたところにトマトをぶち込んだ。


「はい、今!」

「これですね」


 情熱溢れるグラスの差し出したフライパンへと、手慣れたマリーが淡々と冷静にサポートする。


 温度差のある二人により、スパイスチキンカレーが出来上がった。


「からっ! うわぁ、辛〜いっ……」

「っ……!!」


 辛さにやられるエリカだが、ソウリュウのスプーンは加速するばかり。


 白米と風味豊かな香辛料が香るスパイスカレーを、黙々と口へと放り込んでいく。


「確かに辛いが、それ以上に美味いな…………私も気に入った」

「それは良う御座いました」


 アルトにも認められて、早くも旅を終えた顔付きを見せるグラスであった。


 

 ♢♢♢



 なんだかんだと言いながらも旅を楽しんでるな、俺。寝ずの番をしながら焚き火を眺めて過ごす夜。いつもと変わんな過ぎて笑える。


 いい雰囲気だぁ……。誰かとキャンプ飯もやはりいいものだな。


 虫の音と焚き火の爆ぜる音を耳にしながら、澄んだ空気とノスタルジックな雰囲気を満喫する。


「グラス〜、なんか寝られないんだけど……」


 並んで設置されたテントの一つから出て来たエリカ姫が、なんか言っている。


 魔術的な細工がされて振動を抑えられた、快適な高級馬車で寝ていたエリカ姫は、至極当然ながら目が冴えているらしい。


「ではゲームでもしましょうか」

「えぇ〜? またそれぇ?」


 シグウィンにボコボコにされた盤ゲームを、エリカ姫相手に鍛え直させてもらう。


 不満げなエリカ姫の手を引いて、少々強引に丸太に座らせ、ぶつくさと文句を言う彼女に構わず一手目を差す。


「……先行をいつも我が物顔で持って行くの止めない?」


 そう言いながらも、いつもながらの小癪な返しで後攻の口火を切った。


「…………」

「…………」


 黙々と駒を差し、真剣勝負は続く。何手、相手より先を読めるかが勝負の分かれ目。思い描いた未来が来た事は無いが、きっとそうなのだ。


 けれど此度も思わぬ形で守りを崩され、俺をしてあわやという流れに。


「痺れる一手ですね。これはいよいよ私も危ないか……?」

「詰んでるけどね。もうグラスの駒はどうにもこうにも動かせないよ」

「……ふっ」

「何が鼻で笑う事があるのっ? やれやれみたいに顔を振っちゃってさっ。あなた負けたんだよ?」


 相変わらずのワンサイドゲームで、情緒や旅情の無さに呆れて笑っていた。エリカ姫は基本的にとても頭がいいので、分かっていたがまた完敗だ。


 いや負けたくねぇぇ……! 負けてるけど、この子には負けたかねぇよっ……! 君は俺に負けてこそでしょっ?


「しかもここまで連勝中みたいな雰囲気でものを言うけど、私が全勝してるんだからね?」

「……あの、いつからかやってるその左から崩していく戦い方は禁止でお願いします。なんというか…………もの悲しくなってくる」

「物悲しいだってさ。まっ、今回はまだマシな方だね」

「はい?」


 ほぼ反則とも言えるグレーな戦術に、王女と我慢して来た俺からもノーが叩き付けられた。


 するとエリカ姫も物申したい事があったらしく、こんな苦し紛れを言い出す。


「初めは“手を抜き過ぎた”だっけ。次はあろうことか“美しくない”、で、“作法がわかってない”」

「…………」

「“くっ、猿が木からっ……ここで落ちたかぁ”。“それやっちゃうかぁ、暗黙の了解だったのになぁ〜っ”。“あなたの駒は私の駒を殺し過ぎ。その虐殺、勝ちと言えますか?”。“あぁこうなるのか、だったら勝ってたな”……で、今回は物悲しい」

「…………」

「……グラスがこの世に産んだ歴代の言い訳達ばけものだよ。後半はもう意味が分からない。最後の勝ってたなんてのは正気を疑うよ。だって負けてるんだもん」


 ルールがそう言っているだけで、負けとは限らないのではなかろうか。この理論でまだ一度も負けを認めていない。不思議な事に、彼女はこれに不満があったらしい。


 だが俺にも言い分はある。


「ん〜なんかね、試合って感じにならないんですよ。レベルが違い過ぎて、こう上手く噛み合わないんですよねぇ。セレスティア様のお相手をしている時は、もっと楽しいんですもの。でもこれを言ったら……言い訳になるでしょ?」

「言い訳だよ!! どこもかしこも言い訳だよ!!」

「堂々たる剣豪同士の鍔迫り合いがしたいんですよ、私は。エリカ様の戦い方はなんというか、原始人がそこらの石を投げてるみたいなもんですよ」

「はぁん!?」

「近代を行く私の戦術では、その投石戦法に対応し切れないんですよね。地味に痛いと言うか」


 じゃあ時を経て劣化してるじゃんと言われたら、だって言い訳だものと返す。


「負け続けて言い訳し続けて、私も見逃し続けて来たけどここまでだよ。負けを認めなさいっ!」

「無論ですよ。ただ私が負けを認めるのは、いずれ勝利した時だってだけです。その時は全部の負けを認めます、潔く」

「勝ち逃げしてチャンピオン面するつもりじゃん! あぁっ、もう! イライラするぅ〜〜〜〜っ!! イライラチャンピオンだよ、もう!」


 このままではもう相手してもらえなくなるので、切り札を切る。


「――接待です」

「っ……!?」


 目を見開き、最大限に驚愕した。未知の宇宙人と遭遇した時みたいな驚愕の表情をされる。


「これだけは言いたくありませんでしたが、私は王女であるエリカ様を接待しています。当然でしょう?」

「き、巨人とか龍とか、めちゃくちゃ強い駒を取った時に『はぁ!?』って毎試合叫んでるけど……あれもわざと?」

「まったくその通り」

「……じゃあ接待しなくていいから、全力で負かしてみてよ」

「は〜、やっとかぁ……」

「こいつっ……」


 やっと勝っていいみたいなので、もう一局を全力でプレーする。


 絶対に負けられない戦い故、セレスが使ったうろ覚えの戦術で勝ちに行く。


「ふむ………………はぁ!? っ……はぁ!?」


 立て続けに二強の駒を失った。見方によっては、もう勝ちは無くなったと考えられる。少なくとも通りすがりの人は、エリカ姫に軍配が上がったと結論付けて、通過して行くだろう。


「くっ……敗北の運命を変えるか、エリカ・ライトッ」

「使用人の物言いじゃないよね」


 結局、運命は捻じ曲げられて敗北。エリカ姫にもボコボコにされ、もはや魔王の精神が保たないので黙って月を眺める事に。


 あ〜あ、最近スランプだ。全然、勝てねぇや。


「……エヘヘ」


 満面の笑みで猫みたいに擦り寄り、照れ臭そうに俺の肩へと頭を乗せて来る。焚き火の火により笑顔は一層眩しく、楽しげに見えた。


「おや……どうしたのですか、いきなり」

「たまには、甘えてみようかなって」


 どうやら雰囲気に当てられたのか、珍しく甘々なエリカ姫が顔を覗かせたようだ。甘え方が姉妹そっくりだな。


「そうでしたか。では私も甘やかしましょう」


 日々、立派に王女をやって、稽古もして、こうして任務で危険な場所へも果敢に乗り込むエリカ姫。多忙かつ重責ものしかかっているだろう。


 頭を撫でて日頃の苦労を労う。


「日頃の努力もそうですが、ご立派ですよ。不安に思っているようですが、エリカ様は素晴らしい方です。たくさんの魅力をお持ちで、私達はありのままの貴女に惹かれている」

「…………うん」

「寄せられる期待も大きいでしょう。なので甘えたい時は、私でも捕まえてください。ウロウロしているので、見つけるだけで苦労しますけどね」

「ホントだよ、もぅ……」


 表情が綻んだ。相変わらずのチョロさだが、喜んでもらえたようだ。俺の手をニギニギと握りながら焚き火を見つめ、夜のムードある雰囲気に酔いしれている。


 けどその手、魔王の手ですよ?


「今は色々と問題の発生している王国ですが、夜は静かなものですね」

「……知ってる? マル・タロトが魔王と接触したってさ。だから王国からも使者を送ろうって話があるの」

「へぇ……それがいざ向かうとなれば、どの辺りの方が赴くのですか?」

「大臣とかじゃないかな。あの森って犯罪にも使われてるから、そこら辺も魔王側と話し合わないといけないんだってさ」

「…………犯罪?」


 エリカ姫から語られたのは、想定外に陰で行われていた悪質な犯罪だった。

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