第248話、アスラ、黒騎士後にデザートをねだる
黒大剣を両手にして、アスラへ斬り付ける。
迎え打った黒戟と重なり、大剣に込められた力と揃って接点で破裂。続々と生まれる雷鳴にも似た激音が、森林を衝く。
「よっ! ほっ!」
「————!」
軽快かつ緻密に振られ続け、隙間なく攻められる。唐竹から上段、中段、下段、逆風まで、組み合わせも様々に打たれる。
発生する力は言うまでもなく巨大で、人の形をした者達が宿していいものではない。
無言の中で応じるも、少しの隙間もなくアスラは冷静に戟で払い退ける。
「っ…………」
遠目に見るククも、命の危機感を覚える余波。
全てが一振り必殺。ほぼ全開でぶつかり合う黒い刃は、鼓膜を揺らすのみならず、重低の音波で観る者の肌を叩く。
事実としてアスラの手にも、久方振りの痺れが走っていた。
打ち合いと呼べる程の力量を持つ者として、これ以上の人物はいない。言うまでもなく。
だが遊びとしても、児戯だったとしても、かの『力』を欠片でも受けた身としては、酷く違和感のある
左から斬り上げた大剣を、一段上の力で翳した戟にてピタリと止める。
「っっ!?」
「……鎧にこうまで不便を強いられているとは」
役目故に仕方なしと、アスラも頭では分別が付いている。
しかし本来の実力とはまるで別物と化した『力』の質は、嘆かざるを得ない。偽物とも言えるもので、アスラをして勝利を確信するものだった。
「……もし仮に」
「…………?」
憐れみの目を受けた魔王は、その心情を察して嬉々として言う。
鬼を見上げて、侮るなかれと視線を跳ね除ける。
「俺をいつでも倒せると思っているのなら、痛い目を見るかもしれないよ?」
「ほう?」
片やアスラも舐められたものだと、戟を改めて握り締める。
武器伝いに痺れを感じるまでの枷を付けられてまで、劣る自分ではない。そのような事は有り得ない。断じて許さない。
アスラの放つ気質に闘気が混じり、ようやく『倒す』という意思を持つに至る。
「ッ————!!」
鬼の形相がより相応しく険しいものとなる。
「うおっ!?」
大剣を思い切りよく弾き、攻め手を獲る。
両手での駆使を主軸としていた以前とは異なり、魔王のように右手一本で黒戟を振り被り、
「ヌンッッ!!」
極太の腕を振り切った。
ただし戟の矛先は魔王ではなく、その足元に向けられている。
「ぬぅ!?」
鬼の闘いには地面なども無関係だった。
粉々に大地を破壊して足場を崩す。容赦なく崩落を起こすアスラは、既に鬼族という一絡げからも外れた存在となっていた。
自然級の猛威を奮い、次いで体勢が取れなくなった魔王へ戟を振る。
「ぬぅ……! 小癪になりおってっ!」
「フンッ!!」
浮いたところへ規格を超えた強撃をぶつけ、重量のある黒騎士を矢の速さで打ち飛ばす。
それだけで終わらせる程、侮るつもりはない。無駄に逃がす余地など残さない。
滑るように転がる鎧を、一歩の踏み込みで追い付き、また戟を袈裟懸けに振り下ろす。
「ほっ!」
「っ……!?」
転がっていた魔王はあえて地面へ手を付き、身体を跳び上がらせてから戟を受け止め、続けて飛ばされる事を選んだ。
(飛んだ先で万全の着地をする為か……)
腕力では上回っており、攻め切れると判断していたのだが、上手を行かれる。
あと一手が入れば押し切れるという局面を、難なく凌がれてしまう。
「————ッ」
けれど正面からの打ち合いで優位にあるのは変わらない。
ならばと直線的に踏み込み、握り締めた戟を存分に走らせる。当たり前に塞がれる鉄壁の守りを黒戟で押し続ける。
「っ……! やっぱり押されるかっ……!」
「嘆く割にはよく耐えられる」
技巧は及ぶべくもないが、鎧により腕力では優勢を得るまでに低下されている。
けれど、笑えるほど弱く、弱々しく、嘘のように超弱体化されていても————魔王。
戟を打っては塞がれ、ましてや打ち返されるなど、久しくなかった。否、一撃以上が非常に稀だ。ここまで続く事は極めて稀だ。
駄賃代わりに芸を見せるのも一興と、片手に持ち替えた戟で右へと薙ぐ。
「っ……!」
「よっ!」
予想通り、身体を横にズラされながらも大剣で受け止められる。
「ッ――――」
修羅の気迫により、アスラの身体が膨張する錯覚を見せた。戟が停止した瞬間、全身を力みと共に沈めて重心を落とし、強引に張り切ってそのまま宙へと鎧ごと飛び上がらせた。
続けて回転させる戟で石床を抉り、大まかに砕き、大粒の岩飛礫を飛ばす。
「…………」
一方で宙へ飛ばされた魔王も逆さまになった視界で、ぼんやりと『ハハ、メチャクチャだな。笑える……』と、思いながら————魔力を込めた足裏で空気を蹴り付けた。
空を駆ける鎧騎士。足の蹴り付けと魔力の発散により、空中を移動して回る。
「————ッ!」
僅かにアスラの視界から外れた際に、大剣を真っ直ぐに投げ付けた。
嬉々とする佇まいからして、アスラが戦闘中に見せる刹那的な気の緩みがある。投擲を取るに足らないと判断したアスラは、大剣の気配を掴むや否や戟で払う。魔王の予想通りに。
「魔王ボール」
「…………っ」
大剣を容易く払った時には、轟き膨張する魔力の球体が迫っていた。
逆さまの魔王が振るった指先から、黒い丸が撃ち出され、徐々に大きく球となり、やがて巨大な
「――――」
戟を右脇に挟み込んで力みを入れ、同時に紫の魔力迸る左拳を突き出した。
黒玉は紫炎のような魔力を内から溢れさせ、共に爆ぜてしまう。
アスラは衣服を弾かれ、肌を削られながらも、気を張って見失ったその姿を探す。
「――気配を逃したらダメじゃないか」
「っ――――!?」
鈍い音が痛覚と共に、背筋が震える声が耳に届く。
外された右肩関節により、手から溢れた戟が地面を打つ。
「その体勢で咄嗟に出るのは左の裏拳だろ?」
「っ……!?」
読まれていると知った時には、もう遅い。粉砕への左拳を振り終えたところだ。
しゃがんで避けた魔王は、魔力を宿した指先を腹辺りで合わせていた。
「魔王ウェーブもあげちゃう」
指が弾かれると闇色の波動が広がり、アスラの巨体が吹き飛ぶ。
黒騎士を上回る逞しき巨体が飛び、二度だけ跳ねて止まる。
「……ふっ」
如何に鎧を着ているとは言え、少しの油断も許される相手ではないと再三ながら自責する。
だがその口元には、笑みが浮かんでいた。
感じるのは畏怖と敬意、恐怖と信奉。身の危険に晒され、命に届く技巧を見せ付けられ、生じた喜悦は止まらない。
「————ウラァ!」
魔王が足元の戟を拾い上げ、膝を突いて止まったアスラへと穂先を突き出した。
二人の間を一度の踏み込みで埋め、黒戟により鋭利に突いた。
その突きたるや、鬼ごと遠方の城まで貫くのではと思わせる速度で、誰もがそのまま森まで消えていくものと確信していた。
「ッ————」
だが顔を上げて愉しげに笑うアスラはそれを、真っ向から迎え討つ。
「はぁ!? なんだ、この人っ!」
左肘を打って戟の穂先を受け止め、黒騎士の突きをその場で相殺した。
これには魔王も驚きを禁じ得ず、化け物を見る目をアスラに向ける。
それも、弾けた衣服から覗く肘には、血が僅かに滲むのみ。
「————ッ!!」
戟を手で払い退け、もう一発だけ拳打を打つ。
もう一発だけ。鬼気も闘気も、殺気も邪気も纏め上げ、純粋な正拳に変えて打つ。
黒騎士含めたオーク達も、その拳が致命的な結末をもたらす事は、言うまでもなく分かる。
振るうものが戟でも拳でも同じだ。アスラが振るえば何を用いても一切が“破壊”される。等しく“粉砕”される。
「——ははっ」
けれど失策だ。それは自惚れだ。
「俺と殴り合ってみるかい?」
「グッ————!?」
格闘は魔王の取り柄で、武器術などとは比較も憚られるほどレベルが段違いだった。
破壊の拳へと自ら踏み込み、避けながら右拳を合わせる。襲う左拳の上から被せるように打ち、アスラの顎を殴り付けた。
体重を完全に乗せたところへ、黒騎士の拳を急所にへと的確に打ち込まれる。
「————」
揺らいだ視界の散らつきが、取り繕えぬダメージを表している。数瞬とは言え明確な有効打の証を見せられてしまう。
籠手を砕かぬ力量でも、それだけの悪影響を及ぼせるのだと証明されてしまう。
それが、アスラの闘争心に更なる火を付ける事になった。
「——クハハっ!」
「おおっ!?」
左腕で抱き締めるように捕縛し、走り出した。
これまで最も型外れな戦法を見せる。
激走して勢いを付けたアスラはそのまま、跳び上がった。高く、高く、高く……。
「いやっ、ちょっと……!!」
あまりに強引な荒技だが、鎧を掴まれたなら外す手段はない。アスラに捕まったまま宙を飛び、ジタバタと足掻きながら澄み渡る青空を仰ぐ。
そして、落ちていく。
「ちょっとおおおおおお!!」
「奮ッッ!!」
兜を鷲掴み、落下に任せて地面へ叩き付ける。
急速に落ちた二人により、砕け散る床。兜。鈍い地鳴りと共に様々な破片が舞い上がる。
「————」
「————」
割れた兜から覗く魔王と目を合わせる。
先程と同じく墜落の勢いを利用して突き出された掌底が、また顎を捉えている。
また震える脳により、目に見える魔王が歪む。
「っ…………」
一進一退の攻防を終えたアスラは大きく飛び退き、外された右肩関節を平然と入れてから、近くに刺さっていた大剣を抜く。
「なんて無茶をするんだ……」
起き上がってそれを見た魔王は、自身の持つ戟へと視線を落とした。
「……練習だから戟より大剣だな。替えてもらっていい?」
「無論」
「じゃあ——」
両者揃って戟と大剣を投げ付けた。
雨を予期した燕の如く、地表近くを真っ直ぐ飛翔する二つの刃。
同時に魔力を溢れさせながら駆け出し、返って来た武器を掴んで——
「————っ!!」
「————ッ!!」
笑う黒騎士と嗤う鬼が持つ腕力の限りに、力一杯に叩き付けた。
漆黒と紫鈍の魔力が激突の瞬間に大きく弾け、尚も溢れながら負けじと鬩ぎ合う。
力において比肩する者なき二人の衝突は、更なる異常現象を生んだ。
その重なった力が伝わる足場は、耐えられる筈もなかった。二人を取り巻く練兵場が浮かび上がる。円形闘技場のように隆起する。
「グギャァァ!!」
「ニゲっ、ニゲルカッ!?」
潰し合う暴虐的な魔力の押し合い、そして剣戟の残響にオーク達は狂騒しながら逃げ惑う。
その間も力比べの鍔迫り合いは続いている。
力みで分厚く盛り上がるアスラの肉体。受ける黒騎士も鎧の負荷を表しているのか、黒色の魔力が漏れていた。
「やはり蹴散らすが吉かっ!」
「ふむ……」
闘争に歓喜する鬼の圧力により、少しずつ潰れていく魔王。
しかし口から発せられたのは、落ち着いた声音だった。
「相変わらず力が強いな。なら俺は……速度で勝負しようかッ!」
そう言って受け流された黒戟が地面を打ち、炸裂音が上がる頃には魔王の回転は既に一段階は上がっていた。
いや、まだ上がる……まだまだ上がる……。
「っ————!?」
「フゥゥゥっ!」
両手で振る大剣ではなく、慣れた片手での剣の扱いをして、軽快かつ豪快に振られる。
いつもの調子で踊るように剣技を楽しみ始めた魔王は、不規則で読み辛く、蹴りも交え、それでいて力強い上に足運びも複雑で素早い。
大剣は次から次へと戟に押し寄せた。目まぐるしく続く斬剣の嵐。常に波打つ斬気の高波。勝利まで決して止まらず吹き付ける黒剣の旋風。
手数と独自の技巧を得た大剣は、アスラの力押しをも完封した。
「ふっはっはっ! 楽しいぃぃ! 顧問がいない時の部活動みたいっ!」
「ッ……!」
「ありがとう、でしたっ!」
苦し紛れに振られた戟を受けると見せかけて避け、回りながら腹を蹴る。
その隙にもう一回転してから大剣で斬り付け、稽古を締め括った。
「…………」
「…………」
筈だった。
けれど大剣は…………魔力溢れるアスラに素手で掴み止められる。
強靭な掌だけでなく尋常ならざる握力で勢いを殺し、力任せに大剣を捕まえてしまう。
武人よりも鬼が顔を出す。高く上り詰めた闘争心により“鬼”が呼び起こされ、常識では考え付きもしない無茶を可能にした。
鮮血が飛び散るも笑みを絶やさず戟を手放し、修羅の形相で拳を突き出した。
「…………ズルぅぅぅぅぅ!?」
………
……
…
「――アぅ!?」
黒い鎧を全壊させながら転がっていく。
暴力という本領を発揮したアスラの相手は少しも務まらず。
敗北条件である『鎧の破損率五十%』を、拳打ひとつで達成されてしまう。
「……く、くそぅ」
降伏を露わに鎧を復元させて立ち上がる魔王を目にして、多くのオークは安堵していた。
やはりあの恐ろしき鬼神に勝る者はいない。如何に魔王と言え、我等が首魁であるアスラには敵わないのだと。
「教えに感謝します」
「こちらこそ勉強になったよ。あの日以来だったけど、凄く強くなっててビックリした」
「このような余興ではなく、場を設けてお見せしたかったものです」
「まぁ、確かに小ぢんまりとしちゃったけど、またすぐに機会はあるでしょ。……でも戟を肘で受け止めるとか、手で大剣を掴むってのは、どうかと思うよ? あんなの意味わからないんだもん……」
歩み寄って軽く頭を下げたアスラ。
謝意を返して本心から褒め称え、それから改めて確認をする。
「じゃ…………稽古のお礼なんだけど、本当にいいの?」
「無論。あの日のような……否、上回る“敗北”を頂きたく」
「敗北が欲しいって、珍しいね……」
戟を担ぎ上げ、再び四歩の距離を空けて振り返る。
「きっと凄く通なんだね。……じゃあ、少しだけ強めに行くよ?」
「いつでも……――――」
鎧が消えて魔王が現れる。
それからは瞬刻の出来事だった。
「はい、いってらっしゃい」
「————!?」
いつの間にか、そっと顔の横に差し入れられた右手。直後にはその手首が曲がり、頬を打たれる。
痛みより早く、実感より素早く、意識が身体から
樹木を薙ぎ倒して森を飛んでいく鬼は、すぐに先回りした魔王に止められる。こうしてまた更なる高みを覚えた鬼の身体は、また靭くなる。鬼将がまた高みを知ってしまう。
「…………」
ククを含めたオーク達は、魔王が旅立ち、旅立ってからも身動き一つ出来なかった。
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