第245話、しどう
「また出張だよ? ちょっとは腰を落ち着けたかったのに、よりによって、ちゃんと権力を持ってる王子様が来るんだもんな……」
カース森林で飼っている元王都地下にいた魔物達へ、魔王は魔力を垂れ流して餌やりをしながら愚痴を溢す。
大きな蟻と手脚の長い白い化け物、そして角の生えた兎だ。
ククは半袖短パンの子供のような形態を取る魔王に侍り、静かに動向を伺っていた。
「冗談じゃないよ……。こっちは刀の注文が止まらないっていうのに、稼ぎ時にまた遠出だってさ。これじゃあ何の為にあの二人に稽古を付けたのか分からないよ。だっていざとなったら俺を連れて行こうとするんだよ? 本末転倒して
愚痴は溢れる一途を辿り、この時間が長くなればなる程、自分に向けられる嫉妬の目も厳しくなるだろう。
「弟子制度は廃止にしようかな。この間、完成形を見てしまったし、ククで最後にしよう。そうしよう…………厳密に言えばククは俺の弟子じゃないんだけどね」
「そうですね……」
壮絶な修行を行った七日間を回想し、ククが汗を滲ませた。
「あっ、そう言えばアスラとカゲハには注意しておいたからね。もうククが狙われる事はないと思う」
「助かります……」
「でも監査役にとか言っちゃったものだから、簡単に引けないんだよな。任命責任を問われたら大変」
魔王から六席の問題行動などを監視する名目で、監査役に就いたクク。
監視の目があれば暴走を防ぐのに都合が良いからと任されたのだが、多くからは嫉妬心が向けられている。
「それにしても、早速喧嘩を売られるとは思わなかったなぁ。どれだけ血の気が多いんだろ」
「…………レルガ先輩もそうでしたが」
「あっ、そっか。そう言えばそうだね、ナハハハハハハっ!」
事の始まり、あれは二週間前の事……。
まだ魔王に大森林から連れ出されたばかり、金剛壁の邸宅へ移動させられた際の出来事であった。
「レルガ、このオークはククって言うんだ。気が弱いところもあるみたいなんだけど、俺とは気が合いそうだからこっちを手伝ってもらう事になったんだよ?」
「…………」
小さな獣人族の少女が、あろうことか帰宅した魔王によじ登り、肩の上に座った。
そしてククをじっと見つめて、黙っている。
「………………っ!?」
突然に目の前で異変が起こる。少女が目にも止まらない速さで拳を突き出し、それ以上の速さで魔王が頭上に手を差し出して拳を受け止めた。
「オークの中でも弱い方だから、くれぐれも襲わないように。ククはレルガの後輩なんだから、むしろ指導してあげなくちゃ」
「ヤダ! こいつ、弱い!」
「戦うのは苦手なんだってさ。何事も役割分担だよ。強い担当ばかりが居ても、組織は回らないものなんだ」
「ふ〜ん」
「ククには鍛治の手伝いをしてもらう為に連れて来たんだから、色々とここの事を教えてあげてね」
肩を叩いて同行を促され、魔王と恐ろしい獣人の少女の後に大人しく続く。
古代の遺跡だったのだろうか。異界のような魔王の邸宅を、点々と設置された発光石頼りに歩んでいく。
「……掃除しに来てもらった例の子達と仲良くやれてる?」
「しらない。レルガ、毎日ドウサンとギンタのとこ行ってる」
「警備はっ? 別に行っても構わないんだけど、門番してるんだって豪語してるでしょっ? 実はその頻度で南の森まで行ってたの……?」
「スモウがあるからでしょ」
魔王の顔をぺちぺちと叩いて憮然とする少女に戦々恐々になるも、本人は気を悪くする様子はない。
「季節の行事が優先なんだね、ウチは……」
「メシはなに?」
「今日はハンバーグでも作ろうか。みんな好きだろうし、手軽だし。掃除してもらってるんだから、できるだけ美味しいものを出さなくちゃ」
「はんばぁぐ! あの歯ごたえなくしたやつ!」
「ハンバーグ史上でも稀に見るマイナスな言い方をされちゃった」
会話をしながら歩みを進め、辿り着いたのは何もない漆黒の空間であった。
高い天井も広がる壁も床も凹凸があり、辺りには掘る段階で出た破片らしき物が散乱している。
「まずはこの残骸を集めたり、工房に運ぶ手伝いをしてもらおうかな」
「はやく食べたい!」
「はいはい、じゃあククのこと頼むよ?」
地団駄を踏んで急かすレルガという少女に応え、魔王が後ろ手を振って去って行った。ククは漠然とその背中を見送る。姿が見えなくなったのが運の尽きだとも知らずに。
「……おい」
「エッ?」
「レルガが、しどうしてやる」
命の危機、生物としての本能、虫の知らせ、言い方は様々だがククはそれらを纏めて一気に察した。
「あちゃー!」
「ギャオっ!?」
横に倒れ込んだ瞬間、後に突風を生む影が通過した。
通り過ぎたのは予想通りにレルガであったが、その強さはやはり魔王の配下であった。
もう二度と避けられるとは思えない。次は腹に先程の飛び蹴りを受け、破裂して死に絶えるだろう。
「そう、それでいい。でもたおれるな、イライラする」
「マッ、まっテ……!」
恐怖で声は霞み、制止の挙動も師範顔のレルガには伝わらない。姿勢を低くして、飛び掛かる構えを取る。
そこへ新たな危険生物が現れた。
「おう、ここにおったんかい。クロノ様のお側を離れたらアカンがな。すぐサボるんやから、ホンマ……」
「レルガは仕事してる。ドウサンとちがう。息するな」
「なんでそこまで言われなアカンねん!! そんなこと言うたらアカンっ! ……アカンばっかり言うとるやないか!」
魔王に言い付けられたからだろう。きちんと指導していたつもりのレルガは、カチンと来たようで強めの悪口を吐いている。
……火のような橙色をした巨大な蛇へと。
「……なんやぁ? もしかしてこの弱っちいオークを鍛えとるんかぁ?」
「そう、おしえてる」
「ほぉ……そら確かに大したもんや。ワイなら無理や言うて匙を投げとるところやで。珍しくええ子しとるやないか……さっきは堪忍な」
「ダメ」
「駄目なん……?」
感心したとばかりの蛇は、尚も当然のように喋り、愕然とし、次には鎌首をもたげて頭上を睨む。
そこには天井に逆さまとなってぶら下がる蝙蝠…………ではなく、梟がいた。
「……おいっ、帰って来とるんならお前も手伝わんかい!」
「…………」
蛇を無視する梟は翼を毛繕いする。それから明らかに時間を置いて、その瞳に魔術陣を表した。
「ッ、ッ……!?」
「次、いく?」
身体が勝手に動き始め、意思に反してレルガの問いに首肯を返してしまう。
「しねぇ!!」
油断したのか殺意が漏れていた。死の掛け声と共に、一撃目を上回る速度で飛び蹴りが放たれる。
「っ――――!?」
また自分の意思と異なり、身体が動く。だが今度は不格好な避け方ではなく、最小限と思われる見事な回避を見せた。
問題があるとすれば、身動きが速過ぎて骨や筋肉が猛烈な悲鳴を上げている点だ。精神的ストレスはこの際、除外する。
しかし自由の効かない身体は、休もうとする挙動はおろか辛さを表す動作すら許さず、情け容赦なく限界を超えた動きを取る。
「あたぁー! アタタタタたっ!」
「ええやんけ、そらその通りやわ。弱くても当たらへんかったら、負けへんねん。クロノ様みたく完璧な回避っちゅうもんを身に付けろや」
レルガの猛攻を無茶苦茶な動きで避けながら、ククは早くも心肺機能が限界を迎え、意識は朦朧としていた。
それから、五分……。
「レルガ〜? 中にチーズ入れたり、目玉焼き乗せたりできるけど、どうするぅ〜〜ってクク!?」
「…………」
何かが聴こえる気がするも、白目を剥いて口から泡を吹くのが精々であった。
「頼んだ仕事も放り出して、どうしたの!?」
「おしえてた。そしたら、いきなりこうなった」
「あっ……レルガに練習相手を頼んだのか。そりゃレベルが違うから、こうもなるのかもね」
助けての声も上げられず、誤解されてしまう。
しかし身体に途方もない何かが流れ込む感覚を覚えると、次第に楽になっていく。それどころか、力が漲っていく。
「まぁ、人とは違うからこの程度になっちゃうけど、いいでしょう」
「レルガはチーズも“あいびき”もいらない。でも目玉はのせて? 二つ、一緒になってないやつ」
「よし分かった。じゃあ、引き続き仲良くね?」
声の主が去っていく。足音が消えてなくなり、微かに残った疲労感から快眠へと促される。
混濁していた頭は、透き通る就寝へ――
「次やで、何を寝ようとしてんねん。まだまだやろがい」
謎の影響を受けて無理矢理に立ち上がらされ、意識は急激に現実へと引き戻される。
目の前に立ちはだかるのは、やはり腕組みするレルガ。更に周囲には例の残骸が浮遊し、二人を取り巻いて渦巻き始める。
「レルガに当てるんやないで?」
蛇には容赦なく撃ち込まれる残骸だが、鱗が弾く音は身の毛もよだつものだ。聞いた事のない“チュインッ!”という不吉な音だ。
「ほれ、目は慣れたやろ? 身体もクロノ様がようしてくれたんや。今度は自分でレルガとこいつらを避けてみんかい」
「――――」
殺される。間違いなく、ククの人生は終わる。そう確信した。
〜確信から、十分後〜
「――また死にかけてるじゃん!」
慌てて駆け寄る足音も遠く、白目を剥いて口から泡を吹く。一度目と違うのは、明確に身体は傷だらけとなっている点だろう。
しかし言葉を発する余裕は残っていない。魔王よ、察してくれと神頼みする。
「こいつ、ちょこっとだけ強くなった」
「本当……? …………でもなんか、どことなく武人の風格は付いた気はするな」
努力の賜物と自慢するレルガに、魔王は腑に落ちたように言う。
「口では嫌と言いつつ、やっぱり悔しかったんだろうな……」
「はやく治して。はんば〜ぐまでに強くする」
「あっ、オッケー。まさかレルガに先生の素質があるとはね」
五日、これが続いた。
大抵は気絶していたり、魔王が留守にしていたりと不幸が続いてしまい、五日もこれが過激になりながら継続されてしまう。
金剛壁周辺の大自然へも連れ出され、環境も手段も変え、死ぬ事で終わるなどもない。魔王がいなくとも、ヒサヒデにより完全回復してしまうのだから。時間の制限もなく朝も昼も夜も、二匹が競うように東へ西へ。
そして金剛壁門番組の魔改造により完成したのが、回避と危機察知能力だけは鍛え抜かれるも、何一つ反撃できない悲しき戦士・ククであった。
「ほ、ほんとは鍛えたくないの……?」
「はい……」
「おっとそれなら大問題だな。この五日間が世間に知られたら、いかに魔王軍と言えども問題視されるよ」
いつの間にか、言語まで上達していた。生死の境目を駆け抜けた五日を経験する内に、回避する術を身に付けるべく脳を酷使した影響だろうか。
ドレス・ド・オムライスを作る魔王へ、遂に真意を明かせた。戦闘よりも、生まれ持った知能を活かせる仕事がしたいのだと、ようやく話せた。
レルガ先輩は厨房に持ち込んだテーブルで夢中になってオムライスを頬張っている。今が好機だろう。
自分の物も用意してあり、中もチキンライスで自分も好みだ。卵はふわふわ、これだけで魔王の傘下に入ったのは大正解であった。
「嫌々やってたってこと? 早く言ってくれたら止めたのに……」
「先輩の指導で気を失うことも多く、機を逃し続けていました」
「図らずも指導方針が俺に似て来ちゃってるじゃないか。でも……それだけ鍛えちゃったら、ウチの腕自慢達に喧嘩を売られるかも」
身体付きは、引き締まっていれども分厚く格闘に適したものとなっていた。レルガと共に用意される大量の米と肉により、急発達してしまったのだ。
「じゃあ好きな武器だけでも持って行ったら? 護身用にさ。無いものなら造ってあげるよ」
「オレは避ける事しか出来ませんが……」
「…………パンチは?」
「出来ません」
「キックや……まぁ、なんでもいいから、攻撃技は?」
「出来ま…………しかし教わった通りの、こんな感じならっ」
アスラから習ったものを、見様見真似で再現してみる。
拳を握り締めて、渾身の力で突き出した。
「うん、致命的な隙が生まれるだけだね。攻めたら命は無いものと思った方がいいかも……」
「…………」
「拳の握り方もだけど、身体の使い方がめちゃくちゃだなぁ」
「すみません……」
「謝らなくていいんだよ? 向き不向きはあるし、君はそもそもやりたくなかったんだから。今回は事故ってブラック勤務しちゃっただけ」
生きて来た中で、魔王が最も優しいという現実に直面していた。
「でもどうするかな。言葉が通じない魔物もだけど、話が通じない人も多いからなぁ、ウチは…………回避はできるんだよね?」
「本気ではないレルガ先輩の攻撃程度ならば、身体が勝手に反応します。集中すれば、もっといける筈ですが……」
「ほとんどは避けられるって事だ。凄いな、サイボーグにされちゃってるじゃん…………じゃあ他のオークなんて問題にならないか。ん〜、後は俺が仕上げの稽古をして、見かけで只ならない雰囲気を出したら、戦わなくてもよくなるんじゃないかな。俺の愛弟子とか名乗ったりしてさ。あとで俺からも軽く教えるよ」
そして用意されたのが魔王と同様の黒衣と仮面、それに抜いた事すらない『コレ、巫山戯て作ったやつだけど……なんとなく背負っとく?』と待たされた重いだけの大太刀であった。当然、使えない。若干、動きが遅れる。
この日から、魔王の直弟子ククの不戦の日々が始まった。
「…………」
「…………」
……我に帰ると魔王は、魔王が自分用に作ったオムライスを凝視するレルガを見ていた。
じーっと間近で見つめる彼女は、食べ終わった口元も汚したままだ。その様を魔王は、ジッと見ている。
「……………………これ美味しそ――」
鍛錬時など比較にもならない速さで手を出したレルガだったが、魔王には難なく掴み止められてしまう。
「がう? ちがうちがう」
「違わないでしょ、またやろうとしたでしょっ?」
「ちがう。これ美味しそうだねってやろうとした」
「それでオムライスに指ぶっ刺して、当たっちゃった! ごめんだからレルガが食べるね! ってやるつもりだったんでしょっ? ハンバーグの時みたいに……!」
「レルガ、ぶきよーだから。だから止まれずに、ちょっと先までいっちゃうの」
「トレジャーハンターみたいなこと言わないの! この先を見るまでは帰れねぇみたいな事!? 無邪気なフリしても駄目! 器用だよ! 次から次へとあの手この手を思い付く時点で器用だよ! 材料がある時なら作るから、欲しいものを見つけたら奪おうと考えるの止めてくんないっ?」
金剛壁の日常は、とても異常で賑やかだ。
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