第244話、クク

 魔王の“武”を授かりしククの場合。


 生まれながらに破滅の能力を持つウンカイと異なり、武術は一長一短にして身に宿らず。


 しかしククは実に短期にして、魔王の武術を形ばかりでも真似る事に成功した。それはアスラをして不可能で、カゲハやリリアをして決して現実味を帯びない。


 ならば、どのようにしてククは体得にまで至ったのだろうか。




 ………


 ……


 …




 練兵場として割り当てられた基地にある広場。木や石がぶつかり合い、呻き声が絶えず生まれる。それは人のものではなく、どちらかと言えば獣じみたものだった。


「グァ……ガァ……」

「……ッ、オォ……」


 腕が上がらない程に多種多様かつ鈍重な武器を振り回し、一対一の模擬戦を続けるオーク達。


 前回はただひたすらに、武器を型通りに振らされ続けていた。地獄と思えていたあの日を、今回は容易に上回る。


 オークである自分達に訓練の覚えなどあるはずもない。あえて言うのなら生きる為に狩りをする、それそのものが訓練となっていた。


 だがこのように腕の筋肉が硬直し、痙攣するまでとなると全員が経験なきことだろう。


 魔王によりこのカース森林にて、自衛ができる程度には訓練せよとの下知が下された。オーク軍は種族ごとに大森林の中央付近で生活をしており、村の建設と生活面の作業、そして訓練する者とを順に入れ替えてこなしている。


 無論、訓練はもっとも“ハズレ”である。


「…………」


 ちらりと横目で窺うも、休めない。逞しき腕を組み、仁王立ちにてこちらを見張る鬼の視線がある。


【第二席】アスラ。


 強烈な眼力を向けられる度に、本能的に屈してしまって身体までもが竦む。一定間隔で手本として漆黒の戟が振われる度に、その計り知れない膂力を思い知らされる。


「“ガガン”」

「ハッ、何カ……」


 この場では珍しく知恵持つオークが、実力に見合う者がおらず、仕方なく行っていた素振りを中断して駆け寄る。


 無骨な戦鎚を抱え、自分よりもずっと小さなアスラへ伺う。


「闘志が足らん。夕餉は何か喜びそうな物をくれてやれ。訓練した部族にのみだ。メイドに伝えれば手配される」

「承知っ」

「懸命にやれば見返りがあることを知れば、お前程に上達せずとも多少は伸びも早くなるだろう」

「…………」


 これ程までの強さを誇る上官に褒められ、感じた事のない例え難い感情が湧き上がる。


 言葉を返さずに無言で、グールの女性達に習ったお辞儀で応える。


「この俺の部隊だ。常勝不敗は言うに及ばず。加えて、組織にとっての兵力とは我等を指すものと見せ付ける。まずはそこからだ」

「ハッ!!」


 あの鬼の副官として特別扱いをされるオークの長に、羨望や嫉妬の視線が集まる。


(……頃合いか)


「……っ!?」


 知恵持つオークであるガガンの持つ、削った樹に岩を括り付けただけの戦鎚を、アスラが握り締めて奪い取る。


「……ふん」

「ガッ!?」


 戦鎚の岩部分を容易く握り潰した瞬間、オーク達から悲鳴じみた騒めきが発生する。


 何か気に障ったのだろうかと、ガガンだけでなく皆が狼狽える。


 しかしアスラは、


「自分の身を案じる必要がなくなるくらいには強くなれ。そこから強者は始まる」


 語りながら背を向けて歩み、背後の壁に立てかけてあった鋼の戦鎚を掴む。軽々と持ち上げ、視線を浴びつつガガンへと向かう。


「……お前はそろそろまともなものを振れ」

「っ……ハッ、有り難うゴザいます!!」


 期待の表れなのか、魔王がわざわざ用意していた鋼鉄の戦鎚を、喜び勇んで受け取るガガン。


「貴様等には王も期待している。励め」

「アノ御方が……」


 この光景はオーク達の脳裏に鮮明に焼き付いたことだろう。強くなれば、あのような立派な武具が貰えるのだと。


「…………」


 将として日が浅いアスラだが、戦鎚に喜ぶガガンや羨むオーク達を目にして若干の前進を思う。


 クロノス最強の部隊。今はとてもではないが口にも出せない。


 だが、困難は承知の上で引き受けた。


「ガガン、続けさせろ」

「ハッ! ……お前達、休マズ続ケロ!!」


 前に勇み出て発せられたガガンの怒声に驚き、跳ねるように組み手を再開するオーク達。また一つ忠実になったガガンやオークを眺めつつ、掲げられた部隊の方針に思いを馳せる。


 “ただ強くあれ……”。


「…………」


 未だただのオークの寄せ集めである自軍を眺め…………やり甲斐を感じながらも険しい道のりと眉根を寄せた。


 左手側から右手方面へ視線を流し、限られた武具を渡すに足るオークを見定める作業に戻る。


「ただ振り上げて振り下ろすを繰り返すだけじゃなくて、この前方の高い位置に棍棒を置いとくだけで軽い圧になるよ。やってみな」

「っ…………」

「ふむ…………お? そこの君、握力が無くなったなら上手く誤魔化すことも考えなきゃ。蹴りとかを入れるといいよ。あんまり疲れを表情や態度に出すのも良くないかもね」


 ふとオークの集団の中に、八歳程度の少年が紛れ込んでいた。


 後ろ手を組んで歩き回り、見るに耐えない無様な組み手を行うオーク達を熱心に指導している。


「あっ、こらこらこら! やり過ぎでしょ! タフなオークだからって何度も棍棒で殴ったら危険だよ!」


 瞬時に遥か離れた逆位置で行われていたオーク達の手合わせに割り込み、馬乗りになって殴り付けていた側の棍棒を指で弾いて粉塵と散らした。


「ちょっと気合いが入り過ぎなのかもしれないなぁ」

「――戻られていましたか」


 呆然自失となっていた馬乗りオークを持ち上げて退かす少年へ、アスラが歩み寄る。


「ちょっと前から見てたよ。かなり良い感じじゃん。アスラが乗り気じゃないなら俺が代わりにやろうかとも思ってたんだけど、指導者としてもやっていけそうだね」

「無論、問題なく」

「けどぉ……この組み合わせみたいに実力差があり過ぎるのはどうだろう。熱くなったオークは自制心とか、なかなか効かないだろうし、危なくない?」


 魔王の問いに微かに言い淀む。


 一般的なオークは前腕が発達しており、武器を持たせるだけでも飛躍的に戦闘力が向上する。更に体重も重い者が多く、分厚い皮膚や筋肉は耐久性にも恵まれている。


 されど、このオークは細身。加えて前腕も周りと比べて二回り以上は細い。身体的なサイズにおいても最も小柄であった。


 どうのように改善すべきか見当もつかない。


「……このオークはククと言う知性を持つ者なのですが、一際弱く、どいつと当てても腰が引けて負けてしまうのです」


 個性と言えば聞こえはいいが、最低限度の段階には辿り着かなければ、大森林の魔物にすら狩られてしまう恐れもある。


 ククは、それが最も危ぶまれるオークであった。


「あらら……そういう性分なんだね、きっと。……ならさ、手伝いが欲しかったところだから俺が連れてっていい?」

「構いませぬ」


 そして、魔王とククが去って一週間と少しの後……。




 ………


 ……


 …




 この日も、練兵場には屈強なオーク達が“武”をその身に叩き込まれていた。


 武器術ばかりではない。魔王曰く、常に最上の武器は自身の肉体である。この日は素手での突きの型を、ひたすらに繰り返していた。


「…………」


 見張れば見張るほど頭を抱えそうになるアスラだったが、静かに長めの息を吐き、瞑目することでそれを堪える。


「う〜む、何と言えば良いのか……」


 建築資材の上に立つカゲハも言葉を濁して言う。


「喧嘩はしなくなったし、整列は覚えた。……だが、気が遠くなるな」


 知性あるオーク達以外に型を教える行程が、思いの外に難航していた。


「やはり最も強いのはガガンか。あのレベルになったからには、また褒美でも渡すのか?」

「…………」


 作った拳を出鱈目に振り回すオーク達だが、ガガンを含めて数体は“突き”と呼べる形を見せていた。


 教える武術は統一しようという事で、魔王直々に提案した“カラテ”という格闘術だ。


 しかし殆どのオークは、突いた拳の勢いに上体は流れ、足運びまで崩れている。


「贔屓にしているとでも言いたげだな。文句があるのなら、お前も一体くらい受け持ったらどうだ。あの御方から蹴り方を習ったのだろう」

「……主が帰って来なくて泣きそうだから、それもまた良しだな……と思ったところで早速だが、主の蹴りを他者に教えるのは嫌だからテキトーにしておこう」


 三白眼で睨み上げたアスラの隣にカゲハが降り立ち、どのオークを指導しようかと視線を彷徨わせていた時である。


 蒼き霧の魔獣が舞い降り、その背から三名が降り立った。


「――じゃ、ファイト。俺はこのまま魔物に魔力をあげに行って来るから、先に元気なところを見せておいで」


 がっちりと握手して軽く振り、肩を叩いて激励を送る魔王。


「……じゃあな!」


 レルガも見よう見真似で手を握り、ぶんぶんと振ってから太ももを引っ叩いてククを送る。


「……では、マスター、レルガ先輩。ご指導ありがとうございました」

「アスラ達によろしくぅ〜」


 すぐに霧の魔獣ミストに乗って旅立った二人を深い礼で見送り、嘘のように饒舌になったククがアスラの元へ歩む。


「…………」


 アスラの関心深い視線は、他のオークと同じくククに釘付けとなる。


 魔王の物に酷似した仮面。黒いコートに上等な装いで、特別感ある装飾が施された長い太刀を背に堂々と歩む。


(……あの御方に気に入られたのか? いや、それよりも……)


 軸に揺らぎがない。


 明瞭な武を纏って歩んでいる。


 周りのオーク達の中であれば、その線はより鮮明に見えた。ただの歩行に隙が見当たらず、下手に手を出したならば攻め手側が隙を作ることになるだろう。


「……ガガン、奴を突いてみろ」

「は、ハッ!」


 集う視線に構う事なく、堂々と目前までやって来るククへ、サイズは人族の大人と子供程の差があるガガンが向かう。


「チョク突きッ!」


 やっと身体に馴染んだ拳の突き出しで、生意気にも上等な着飾りをするククを下がらせた。


 だが————ククの姿が忽然と消える。


「……お、おや? 何やら目を疑うものを見た様な」

「…………」


 周りを見回すガガンの背後に、その姿はあった。


 何が起きたのか、装備を羨んで漠然と見ていたオーク達には理解できずに、騒ぐ事しか出来ない。


 しかし一部始終を眺めていたカゲハとアスラには、ククが何をしたのかを視認して捉えていた。だからこそ瞠目を余儀なくさせていた。


「見事に避けたのも信じ難いが、突いた腕の死角に隠れながら通り過ぎたのか……?」

「…………」


 何をどうしたら、七日であのククをこうまで成長させられるのだろうか。


 侮り難い域にある。武人として、ククに備えている自分達がいる。


 むしろ今のククはある一種の面で、自分等を上回っていた。比較できる筈もないが、あそこまで華麗な回避は一人を除いて見た事がない。


「グォウ!? ゼェァーっ!」

「下がれ、ガガン」

「ッ……!? ぐ、グゥゥ……」


 最弱に恥をかかされたとあって、背後に姿を見つけたガガンは殴り付けようと走る。


 けれどアスラが視線で、それを強制的に制した。


「蹴ってみろ」

「何? 馬鹿も休み休み言ってくれ。なんとも妬ましい事だが、主の武具で彩られた者を蹴れるものか」

「軽くでいい。試してみろ」

「……何故に自らでやらないんだ? 座ってばかりで太るぞ、まったくっ……」


 座するアスラの隣に立っていたカゲハの姿が、消える。小言も多く拗ねていた姿は、ほぼ瞬間的に移動していた。


「————」

「ッ————」


 真横に現れた時には、蹴り脚は既にククの目の前に。


 微かな動揺は完璧な姿勢が揺らいだ事により察せられる。


 けれど容赦なく回し蹴りは、振り抜かれた。反応されたと気付き、武人の血が止めるつもりであった蹴り足を回転させていた。


「っ……!」

「おぉ! なんともはや、ここまでとは!」


 仮面が宙を舞う。


 仰け反って蹴り足を空かせる際に、ほんの少しだけ触れたのは仮面のみだった。


「凄いぞ、ククっ! 主が全て凄いのだとしても、私は褒めてやるからな!」

「……恐悦至極」


 当のカゲハが拍手をしてククの成長を褒める。


 空から落ちる仮面を掴み取り、再び顔を隠したククもカゲハへ礼を返した。


「いやいや、本当に素晴らしい! いやぁ、素晴らしいなぁ……! どうすればそこまでの実力を手に出来るのだろうか…………おそらくは主が付きっきりで教えたのだろうなぁ。それはもう熱心に、手取り足取りなのだろうなぁ、それはそれは密着した一緒の時間を、過ごしたのだろうなァ……」


 笑顔で褒め称えていたカゲハだったが、徐々に歯軋りに近いものになっていく。笑みから薄らと覗く瞳には、明らかな敵意も宿り始める。


 今の避け方は、あの人物が熱心に教え込まなければ有り得ない。つまり様々な想像と妄想が出来る。


 加えて、蹴り後の隙を狙わないというククの驕りも、カゲハの矜持を傷付けていた。まるで、『次は無い』とでも告げているようではないか、と。


「いいなぁ……、羨ましいなぁ……」

「…………」

「そのような至福の時間、私なら嬉しくて失神したかもしれない。それなのにだ、更に太刀に仮面に服に…………随分といい物を持っているじゃないか、ククよ」


 奇襲されたククも黙ってはいられないのだろう。


 あのカゲハを相手に、一歩も引かず脱力して構えている。


 あのカゲハをだ。速度ではアスラを上回り、魔王に次ぐ速さと噂されるカゲハと戦おうとしている。


 賜われた特別な品々を剥ごうとするカゲハへ、真っ向から抗っている。反撃も構えもせず、挑発的にも余裕を覗かせて。武器である太刀にすらも手をかける事なく、無手で十分として待ち構えている。


「引け」

「…………仲間内での競合は許可されているだろう」


 割って入ったアスラの一声に、鬱陶しそうな表情で反論した。


「それは六席内の話だ。格下を嬲ったと知られたなら、どうなるか想像も付かないか?」

「……果たして格下なのか?」

「疑わしくはあるがな」


 カゲハのみならず、アスラのククを見る目も完全に変わっていた。


 自慢の蹴りを躱してみせた事から、同格と判断してカゲハは戦意を持った。


「あぁ、本当に疑わしくはあるな……」

「…………」


 アスラはどうなのだろうか。


 その鬼の目を睨み返すククもまた、どうなのだろうか。


 次なる六席に最も近い位置に躍り出たのは、最弱のオークであった。魔王の“武”を叩き込まれ、ウンカイと同じく魔王の命令のみを実行する直属の配下である。

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