第243話、ウンカイ

 夕焼けの時刻。茜色に染まる平野に、“黒”が拡がる。


 紅い眼光を放つ魔術師のような魔物から、陽の光を蝕む暗黒が溢れ出す。激流となって漆黒の雲海の如く広がっていく。


 地表を伝い、大地を蝕み、暗黒が世を満たしていく。


 その底知れぬ魔力量たるや、伝え聴く魔王そのもので、騎士隊は戦慄から顔面蒼白となる。


「まさかっ……!! アレが魔王なのか!? 聞いていた姿とちがうじゃないかっ!」

「言っている場合かぁ!! 離れるんだ! 退避しろぉーっ!!」


 足元に流れる黒い雲海に、本能的な危機感を抱いた。衣服や肉体が蝕まれ始めている事もそうだが、まだ何かある。何かが潜んでいる。


 ここから、何かが起きようとしている。


『————』


 使徒は手に黒炎の如く魔力を揺らめかせ、その特異な能力を発現させた。


「っ!? な、なんだっ!」


 異常は暗黒の雲海にて発生した。


 魔物の足元に広がる雲海から、何かが浮き上がっていく。明らかに物体となって姿を形成しながら、存在を確立させていく。


 それは朧げなものではなく誰の目にも明らかで、騎士も知り得ているものだった。


「…………魔術師ソーサラー系のスケルトン?」

「いや違うっ、アレは……」


 浮かび上がったそれが、濡羽色の使徒と同じ紅い双眸を人族へと向ける。


 内包する魔力と扱う魔術は、容易に都市を壊滅せしめるだろう。辺りに災害を散らし、生者を混沌に包み込む危機的存在。


 その魔物の名は——


「……リッチだ」


 不死王とも呼ばれ、賢者とされるような魔術師の死体が魔物化して生まれているのではとされる、幻の魔物だった。


「魔物を、呼び出した……?」

「召喚魔術かっ……!」


 使徒の能力を看破し、苦々しく顔を歪める。


 相手がリッチでは生存は不可能。十人規模の隊では歯が立たないのは、火を見るより明らかだった。それどころか周辺の都市が危ない。ただちに近隣の住民を避難させ、同時に軍隊を集結させなければならなかった。


 使徒ならびに不死王との死闘が始まろうとしている。


 だが…………、真に本質を見極めていたのは、遥か遠方で盗み見ていた【沼の悪魔】一体のみだった。


 自室の水晶越しに、その計り知れない危険性を視認する。


『……愚かな生者共めが、それは召喚魔術などではない』


 魔術ではない。そして、呼び出したのでもない。


 自身が沼地から配下を呼び起こすように、雲海から取り出したのではない。


『此奴はあろう事か、魔物を生み出しておる……』


 使徒は、高位魔物を世界へと産み落としていた。


 自身の持つ冗談としか言えない規格外の魔力と、数百年間も積み上げて宿った不死性により、アンデッド創造の術を身に付けるに至った。


 使徒は、“理不尽”の支度を整え始める。


『————』

「…………そんな……」


 視界に広がる雲海の所々から、不死王・リッチが次々と浮かび上がる。


 暗黒雲から持ち上がる無数の影。分け与えられた闇色の魔力により、賢者と紛う魔術を獲得せし亡霊の王達が、空虚な産声を上げている。


 更に————合間を縫って、死期を運ぶ不吉の象徴も出現した。


 首級しるしを手に持ち、死神の代弁者として刃を振るう悪しき騎士がやって来る。肉が爛れて骨身の見える愛馬に跨がり、首無しの鎧騎士もまた使徒により生み出された。


「……デュラハンだ……」

「作り話ではなかったのか……!」

 

 伝説の悪しき騎士・デュラハンを見た者はいない。確かな証言も残されていない。


 死を告げに現れるデュラハンを目にした者は、必ず死ぬ運命にあるからだ。その出会いは最期の悪夢となり、人々は騎士の悪霊を前に生涯を締め括る。


 戦車チャリオットや馬に騎乗するデュラハンもまた、リッチと並ぶ伝説的なアンデッドだ。その強さは未知数。リッチと異なり、手にある大剣や槍がどのような結末をもたらすかは、誰にも分からない。


 そして、その二種だけではない。


 伝説種を筆頭にして使徒を中心に、雲海の至るところからアンデッドが生まれていく。


 鎌や剣と融合したような黒い死霊・レイス。金の紋様が怪しく光る布塗れで、数多の病を振り撒く古からの怨霊・マミー。生者の根源にある生命の力を吸い上げるスケルトンの上位種・ワイト。


 様々な魔物が創造されていく。雲海より這い出し、使徒に従って人族に紅い眼光を向けた。


 生命無き故に、生者をうとおびやかすという本能を背負いし不死の軍団が、見渡す限りを越えて誕生した。


「…………」

「…………」


 王国の終わりを予感する騎士達は、もはや逃げる事もできずに軍勢を前に呆然としていた。


 成す術がない。


 少なくとも複数の都市が、明日の朝日が昇るまでに壊滅するだろう。魔術と病が振り撒かれ、不死の刃が生者を殺し、また新たなアンデッドを生んで広がっていく。


 何故なのか、この使徒の不興を買ったが為に。


『…………』


 使徒は騎士達の予想に反して、軍団へと命じた。一度目は忠告、一度だけの警告。魔王がそうしたように、目の前の人族達に“理不尽”に対する“己が理不尽”を知らしめる。


「………………っ」


 雲海の上に、使徒を中心にして魔術陣が編まれていく。左右に魔術陣が羅列させていき、避けられぬ大破砕を人族に確信させる。


 使徒もまた差し向けた手で魔術陣を編み、矛先を一団へ定めた。リッチ達に先んじて、威嚇の先陣を切る。


「違うと思うよ?」

『っ…………』


 ただちに命令を取り止める。


 背後の暗黒に埋もれる中で、しゃがんで老夫婦らしき死体を見る人影を見つける。


「彼等が殺したんじゃないと思う。この亡骸には、無いとおかしい物が残ってないもん。それをあの人達が持って行ったとは思えない」

『…………』

「多分、あの人達はカース森林の監視をしている王国の騎士達だね。巡回していたら、この亡骸の影を見つけてやって来てたんじゃないかな」


 魔王が立ち上がり、こちらを柔和な微笑みで見上げる。


「君は大きな力を持って生まれた。普通は持て余して振り翳しがちなものなんだけど、君なりに考えてから判断したようだね。今回は、もうあと一歩だけ想像が届かなかったみたいだけど、また次がある。次はもっと慎重に行動できるよね? これを反省って言うんだ」


 視線を魔王から老人達へ移す。間違えて判断してしまったらしいが、自分には彼等に何が足りないのか全く分からない。


「帰ろう。家に帰りながら説明するよ」


 創造主に帰宅を促される。


 以前の主人に逆らえても、魔王に楯突くなど有り得ない。


『————』


 暗黒で魔物達を覆い尽くし、すり潰して魔力に溶け込ませる。不死の軍勢はすぐに使徒の意のままに滅され、再び誕生する瞬間を待つ。


 真顔の骨格も……切り替わって、笑みとなって王へ向けられた。


『…………』

「うん、いい笑顔だ」


 魔王は世にも恐ろしいだろうこの笑顔を褒めた。


「森の守護者として魔力をあげたんだけど、やりたい事があるなら何をしたっていいからね。ここで仲間と仲良く暮らしてもいいし、旅に出たっていい。君が持ってる可能性は凄く多いんだから」

『…………』

「勿論、色んな事を学んでからね。まだ君には知らない事が多いから」


 闇の雲海が多くの余韻を残す中、二人して騎士達に背を向けて森へと帰る。


 その際に、老夫婦をもう一度だけ見ながら通り過ぎる。


『…………』

「……俺達は強いだけで、万能なわけじゃない。叶わない、思い通りにいかない、涙を呑むなんてのは日常茶飯事だ。もうこの人達は王国に任せよう」


 偶然、道端で見かけた死体から犯人を捕まえるなど、そう都合の良い話はない。


 捜査があり、吟味があり、結果が追い付く。


「だからせめて、手の届くところだけはって話だね」


 魔王から現実を教えられ、使徒はその日の内に挫折を知る。


「さっ、気分を入れ替えて、今頃激怒しながら俺達の帰りを待ってるモリーを、どう騙くらかして納得させるか考えよう」

『…………』

「あっ、そうだ。大切な事を忘れてた」


 魔王はまた振り返り、爽やかな笑みを浮かべて告げた。


「君の名前は“ウンカイ”にしようと思う。偶然にも同じような技を使うからね」

『…………』

「今日が君の誕生日だ、おめでとう。君にとって、この世界が良き世界でありますように」




 ………


 ……


 …




 帰宅後、魔王達は『六席の間』にて緊急会議を開いた。要請したのは、モリーだ。魔王の参加も絶対的に必要として、アスラと三名で開始される。


『——奴は危険過ぎる。排除すべきじゃ』


 議題は、ウンカイの処遇について。


 モリーはウンカイを激しく危険視していた。すぐにでも滅するべきと、魔王へ説いている。


「能力がどうこうじゃない。要は使う側がどうするかだろ? それに不死の魔物が自然現象と同じって言うなら、雷やらを使うモリーとも同じだよ」

『全く違う。彼奴は儂など比較にもならぬほど危険じゃ』


 上座でモリーの発言を受ける魔王は、ウンカイの処分には明確に否定的だった。そこへモリーはどうしてウンカイの存在自体を否定するのかを、順序を並べて説明した。


『あれだけの魔物をあれだけの数だけ、瞬時に産み落とせる。じゃが魔力量から言っても、まだまだ造れるぞ? 儂の配下など一瞬で上回ってみせるじゃろう』

「うん……」

『魔力が回復し次第、また高位の魔物をさも当然と創り出せる。どこまでも数は膨れ上がり……控えめに言っても世界を滅亡させかねない力じゃ』

「戻してるからいいじゃん」

『……戻してるからいいじゃん、ではないッ!!』


 拗ねたように返す魔王へ尚も強く反論する。


『今日は戻しただけかもしれぬ。じゃが、あの機動力を見たじゃろう。いつでも世に飛び出し、姿を隠せる。陰から強力な不死を増殖し続け、世界を破滅へ追いやれる。それが問題なのじゃろうが!』

「そうなったら確かに危険だけどね」

『最も重大なのは、あの軍勢は奴と意識が繋がっておる恐れがある』


 モリーがやるように簡単な命令を下し、眷属が実行するという風でもなかった。


 ウンカイは手脚でも動かすかの如く、不死達と揃って行動している。


『見たところ、奴自身も生み出せる不死達の能力を扱えるらしい……。それもまた危うい。ただでさえ厄介な上に潜在能力は計り知れん……』

「…………」

『儂の認識では最強種に次ぐ存在じゃ。陛下がやれぬのなら、儂が殺す』


 魔王はモリーの本気を目にして困り顔をアスラへ向ける。


「…………」

「…………」


 アスラは実際にウンカイの能力を見たわけでもなく、説得に助力できるわけもなかった。無言で返したアスラに察しを付け、改めてモリーを宥める。


「……モリー、ウンカイはまだ何も知らない。折角、この世界で自分を持てたのにね」

『不死と生命の秩序は崩してはならん。それは絶対の法則じゃ』

「だから俺達で力の使い方を教えてあげるんだろ? それだけじゃない。知識もルールも楽しみも悲しみも、俺達が経験して来たように学ばせてあげるべきじゃないかな」

『…………』

「その機会は、与えるべきだと思う。彼にはその権利があるし、俺にはその責任がある」


 魔王は熱心にモリーへ語りかけていた。


 薄らと開いていた扉から、会議が終わるのを待つ。魔王は気付いているのだろう。モリーへと理解するまで粘り強く諭しながらも、守ろうという意思が柔らかな語調から伝わって来る。


「不安か?」

『…………』


 付き添うカゲハが見上げて声をかけた。


「心配は要らないからな。主が守ってくださる。モリーも……あんな事は言っているが、本当は元眷属を処断したくはない筈だ」


 カゲハもまた恐ろしい風貌を前に、優しく微笑んでみせた。それどころか少年を元気付けるように、腕をさすりながら言う。


「これからはここがウンカイの家なのだ。住みづらいのなら主の邸宅でもいいだろう。とにかく、いてならんという事は絶対に無い。主がそう言っているだろう?」

『…………』

「主と私を信じるのだ、いいな?」


 まるで人族でいう姉のようだった。あのモリーすら危惧する自分へ、落ち込む弟へと言うように……。


『…………』

「うむ、いい笑顔だ。主に似て良かったな」


 魔王の“魔”から生まれたウンカイは、こうして居場所を見つけた。


 魔王直属とされる二巨頭の片割れを担い、【沼の悪魔】が恐れる程の能力を持つ暗黒の使徒は、このようにして名と居場所を見つけた。


 では…………もう一つのイレギュラーはと言うと。

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