第242話、謎めいた能力


『…………』


 霧の魔獣より一足遅れて、闇の権化が舞い降りた。限りない暗黒を撒き散らし、世の生物を超える異常存在が出現する。


「っ…………」

「……ッ」


 漂う黒い重圧による強制的な虚脱。腰を抜かす探求者達と魔王との間に、それは降り立った。


 魔術師のような衣から覗く黒ずんだ骨格が発する魔力は途方もなく、現れただけで一帯を押し潰す圧力を生む。


 王の品格を醸しながら、暗黒を従える魔神が探求者の面前に構える。紅が放つ睥睨の眼差しにて捉え、矮小さを教え込むように見下ろした。


「殺さないように。彼等はメッセンジャーにしたい。こちらの主張を一度は伝えておかないと」

『…………』

「……分かった。脅す程度なら試しても構わないよ」


 魔王の指示に、面立ち通りの戯けた仕草で意見を唱え、明確な許可を得てから人差し指を探求者等へ翳した。


 闇黒から、————刃の切っ先が飛び出る。


 指差した先から錆びた鋼の剣が射出される。閃きは瞬間的に突き抜けた。成す術なく探求者の間を縫って撃たれ、風切り音のみを鼓膜に残した。


「…………」


 指先一つで行われた“脅し”は、探求者のみならずグール達も震えるものとなる。


「へぇ……」


 魔王ばかりは嬉しそうに口元を綻ばせて、何事かを呟いた。


 そして真っ青な顔で怖気付く探求者等へと、理不尽に対する対価を知らしめる。


「君達が仕事をするのは構わない。興味もない。けれど君達が“自然な競争”を出来ているのは、私の慈悲があるからだ。それだけは忘れないように」


 傲慢さを隠しもしない魔王は踵を返し、メイド達を魔獣へ乗せる。すぐに飛び立つ魔獣を見送ってから、肩越しに軽く目を向けた。


「悪い自分をこの森で出すと、返って来るのはとても大きなものだと考えて欲しい」


 魔王は切り札であろう使徒を付き従え、森深くへと姿を消していった。


「……私は、粗悪が嫌いなんだ」


 足を止めて、一言だけ言い残して。


 この体験を持ち帰った探求者は、魔王討伐は不可能だと組合に報告した。魔王自身が強大なだけならば、大規模な討伐隊と綿密な作戦により討伐させられたかもしれない。


 けれど魔王と比肩する程に周りを固める配下までも常識破りな強者揃いだったなら、それは話が変わる。魔王まで辿り着けないのだ。


 真に魔王の突出する能力とは、求心力とカリスマ性であったのだという。


 中でも霧の魔獣、暗黒の使徒、沼の悪魔に滅鬼の将軍は、四天王なのだと囁かれ始める。


 ライト王国やラルマーン共和国、そしてマル・タロト国とも異なる魔王像が、公国に伝わっていった。


「ただいま〜」

『うむ…………で、彼奴は?』


 当の魔王は魔物達の様子を確認してから、【沼の悪魔】の元へ帰還した。既に魔王の正装から普段着に着替えており、旅立つ準備も済ませてあった。


 しかし扉から入ったのは魔王のみで、まだ多くが謎に包まれた例の魔物の姿は無い。


「森を見て回りたいんだってさ。だから暗くなる前に帰っておいでって、送り出しておいたよ」

『馬鹿な真似をっ……。まだ訳の分からん状態で、本質も不明な内から自由を与えるとは何たる愚策か』

「……君にだって訳の分からない内から結構自由にやってもらってたと思うけど? モリーって自覚してるよりも、相当訳が分からないからね?」

『何よりも訳が分からん陛下が言うでないわっ。それに儂は分別が付くわぃ。一緒くたにするでない』

「分別のある魔物が、森を焼き払う規模の魔術を使ったりはしないよ」

『カッ! どうなっても知らんぞ、儂は……』


 とは言っても、モリーはどうしても無視できない違和感を抱いていた。謎の魔物が見せた、たった一度の片鱗。


『……奴が仕出かした事は、どうにも理に反しておる。野放しするには危険じゃとだけ諌めさせてもらう』

「刃を造ったやつ? モリーも同じような魔術を使ってるじゃん」

『魔術、ならのぅ……』


 しかし、あの魔物は魔力を灯しただけだ。


『奴は魔術を使用してはおらなんだ。何かある。何か……あの錬金術的な作用を呼び起こした秘密が、何かある筈じゃ』


 魔王はモリーの深い憂慮にも関わらず、呑気にも思える態度をして水晶を指差した。


「そんなに心配なら……悪趣味だけど、これで少し監視しようか」

『…………』

「それに名前を付けてあげないと。……俺が付けていい?」

『……好きにせい。あのバケモンを生み出したのは、陛下なのじゃからな』


 不貞腐れながらも水晶へと骨の手を翳し、魔力を込めながら覗き見の魔術を発動する。


 水晶には俯瞰的な光景が映し出され、今まさに移動を終えたその人影を捕捉する。


「じゃあ、何にしようかなぁ……」



 ♢♢♢



 彼は生まれた世界を、この日からやっと感情を持って見る事ができた。


 色があり、意図があり、不死と生命がある世界を、正しく認識し始める。


 魔王から自由の許可を得てまず彼が向かったのは、城内のある場所だ。下半身から黒い魔力を噴かせながら、一階窓に降り立って室内の様子を伺う。


『…………』


 中からは、姦しい声が聞こえていた。


「どうだった!?」

「何か失敗はしなかったのっ? 凄いじゃない!」


 スイレンとラナンキュラスが厨房に到着したばかりで、夕食の支度をしていたメイド達が初めての魔王付きを終えた二人へ群がっていた。


「すっごく大変だったわ……」

「やっぱり……で、で? 魔王様はどうだったのよっ」


 恐怖と暴力によりカース森林へ君臨した魔王。


 リリアや噂を通して見たメイド達の想像する魔王は、厳格で武闘派で、失敗を決して許さない冷血な王だ。殺しを好み、殺戮を厭わず、虎視眈々と世界進出を目論む冷徹な王なのだ。


 だがスイレンは、


「……とても素晴らしい御方だったわ」

「ぇ…………」


 朝とは正反対の反応を示した。

 

 それはラナンキュラスも同様で、次の担当に選ばれやしないか憂う一同に鼻高々と言ってのける。


「心配すんな。次があっても、またあたしが担当してやるから。今度は完璧に勤めてみせるぜ……!」

「…………」


 呆気に取られる面々だった。洗脳すら疑うメイド達だが、先程から気になっていた物について遂に訊ねてみる。


「ところで、その剣は……?」

「これな? これは魔王様が、あたし等に何か始めてみたい事はないかって訊ねられて、剣と言ったら腰の物をくださったんだよ」

「魔王様の剣なのっ!?」


 天下に名を轟かせる剣士である魔王が使う剣など、どのような業物よりも値が張る筈。


 胸を張るラナンキュラスを羨む眼差しは、非常に多い。


「私は火の魔術を使わせてもらったわ。魔術の素晴らしさを伝えたかったのだと思う。魔力を道具に込めてくださって、それを解放するだけでとても大きな炎が生まれたの」

「マル・タロトの連中も手玉に取ってたんだよ。人間の頭なんかお見通しだったみたいだ」

「それに先程も危なかったところを、助けていただいたのよ」


 二人から湧いて出る魔王への絶賛する言葉は暫く尽きず、夕食は大幅に遅れたという。


『…………』


 メイド二人が何事もなく過ごす様子を確認し、また暗黒を用いて別の場所へと飛び立つ。


 溢れる魔力は尽きる兆しすら感じられない。


 自分に何が出来て、どの規格で力が振るえるのか。漠然と把握しつつある中で、試したいと思う気持ちは確かにある。


 だが、無作法に奮う気にもなれなかった。


『…………っ!』


 目下で興味深いものを見つける。


 魔王が話していた探求者の内、二人が死んでいる。岩にぶつかったのか、派手に破損して死に絶えていた。


 おそらくは知恵を付けたサイレンターが遠くから岩を投げ付けたのだろう。


『…………』


 やれやれと頭を振って、自然な競争に敗北した人間を見下ろす。


 虫除けの粉が雨風で消え次第、カンタイアリの餌となるだろう。死体も残さず森の糧となり、時に魔物が負け、競争は続いていく。


 憐れむ気持ちはない。時に勝ち、時に負ける。それが自然な姿だ。


『…………?』


 西の森の外に、また別の一団が固まっているのを確認する。


 湧き上がる悪戯心が燃え、驚かせてみようとそちらへ飛んだ。


『……っ』


 だがしかし目前にして、森の外周を掠めるように通る道で、あるものを発見する。


 降り立ってよく見るも、やはり人間の死体だった。


「な、なんだっ!? 何か現れたぞーっ!!」

「っ……こいつっ、一体何なのだッ」

「構えっ! 構えーッ!!」


 少し離れた位置で囀る人族に構わず、その死体を観察する。


 何か特別な特徴があるわけではない。老いた人族の男女だ。刃物で無残に殺され、街道に放り捨てられている。


 抵抗できた様子もなく、抱き合って怯えながら死んでいったようだ。涙の跡も残っており、男が女を庇うように覆い被さっている。


 それが、何故なのかなかなか目が離せない。そこまで時が過ぎているとも思えず、少し前に起きた出来事を色々と想像してしまう。このような場合には多くが賊によるものだとも、漠然と理解できていた。


 それから、やがて思い出したのは、ある言葉だった。


『…………』



 ——先程の彼女達のように理不尽な目に遭う者がいれば、こちらも相応の“理不尽”を振り下ろす。



『…………』


 人族の一団を見る。


 手には剣、屈強な身体に武装もしており、老人達を殺すのに何の苦労もないだろう。


『……————』


 顔面の骨格が組み変わって切り替わり、笑顔から真顔そのものの顔付きとなる。


 自らに芽生えた破格の能力を使い、理不尽を敢行した人族へ力の行使を決断する。


 魔王により生まれ、魔王により授かった神の如き能力を、初めて世界へ解き放つ。


 ————暗黒が、溢れ出す。

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