第239話、魔王と心理戦

 魔王は五人へ飴をぶら下げた。


『私に擦りでもさせられたなら、私が長年貯めて来た山賊王達の財宝を全てくれてやろう』


 目の色が変わる。魔王の配下に手を挙げるだけあり、欲望の赴くままに刃を振り翳した。


 動きは武術的ではない。


 けれど場数慣れしているのは一目瞭然で、陣形なども気にして魔王を取り囲み、慣れた様子で攻め始める。


「オウフっ!!」

「ダァァ————!!」


 槍を主に、屈強な身体を揺らして、まさしく凶器として振り回す。


 人族として強い。力が強く、動きがしなやかで速く、情け容赦なく集団で弱みを突く。五人衆は戦経験者の如く沈着冷静に刃を差し向ける。


「…………」


 予想と異なっていたのは、魔王の動きだった。


 強く打てば『強い』のではないのか。速く動けるのが『強い』のではなかったのか。


 魔王は……いや、魔王達こそ踊っているようだった。


「……美しい……」


 剣術を見て心から魅了された事が、これまであっただろうか。果たしてこれまで、息の合った歌劇を見る目で実戦を観た事があっただろうか。


 四方八方から迫る刃や棍を、魔王の剣は軽やかに跳ね退ける。どうなっているのか、銀の軌跡で全てを払ってしまう。


 届く気がしない。五人衆と呼吸を合わせて立ち回り、回転しながらまた槍を二つとも一挙に弾いた。


「……っ」


 しかもそれは、自分達でも再現可能な範疇での技巧なのだ。


 聞いていた瞬間的な移動による剣術ではなく、圧倒的な魔力を使った魔術でもなく、人族が持つ可能性の範囲内に収まった『完全無欠』であった。


「なにが、どうなって……?」


 奏者達は多数戦も念頭に訓練が行われている。指揮者次第で一人が一騎当千の実力を持てるモンド魔術においては、必須の訓練だった。


 だからこそ、何をしているのか全く分からない。背後から襲われて、なぜ察知できるのか。正反対から攻められて、なぜ間に合うのか。双方から伸びる刃を、どうして防げているのか。


 そして望んでしまうのは、この剣術本来の在りようだ。この『跳ね除ける』が、『斬る』に転じた時には、どのような絶技が生まれるのか。


 ゾッとするような悲劇が、凄惨な無双劇により誕生するだろう。無情にも怖いもの見たさなのか、使者達は高望みして止まなかった。


「不合格」

「どぁぁぁ……!?」


 深く懐に踏み込まれ、退避する為に重心を後ろへ持っていく瞬間だった。


 剣先を浮いた足首へと添えられ、跳ね上がられて転倒させられてしまう。


「五名とも、戦闘員の水準には届いていない」

「ま、待ってくんだばちょ……!」

「くんだばちょっ!? 何処の方言だ、それはっ」

「王国からチョッチョ東に行ったとこにゃよぉ」

「……今のは辛うじて何が言いたいのか分かったが、うちでは雇えない。その体力で大人しく傭兵でもやりなさい」


 集中して耳を傾けなければ意思疎通が難しく、戦闘力も使えるものではない。


 控えていたソルナーダへ歩み寄り、声を潜めて決定を告げる。


「彼等は不合格だ」

『かしこまりました』

「……ちなみに、彼等はどうするつもり?」

『いつものように、外に放り捨てる予定で御座います』

「じゃ、後はお願い。俺はお客さんの相手をするからね」

『かしこまりました』


 頭を下げる執事を後にし、魔王は舞台から降りてシグウィン達の元へ。


 我も忘れ、呆然と見入っていた一同だが、何処からか生まれた拍手に引かれ、我先にとすぐに手を打ち合わせる。驚嘆の剣技への礼にと、拍手の嵐で迎えられた。


 魔王は軽く手を挙げて応え、剣の持ち手をメイドへ向けて手渡し、椅子に座る。


「田舎剣術だが、参考になったかな?」

「たいへん美しく御座いました。皆……見ての通り、華麗な陛下の剣技に夢中となっております。特に奏者達は強く影響を受けたでしょう。無論、良い影響を。なんと言葉にすれば良いのやら」

「披露してくれた君達の魔術に応えられたのなら、それでいいさ」


 互いに歩み寄るという名目で取り行われた会談は、両者が思う以上に友好的な進展を見せる。


 《クロノス》としての方針や、マル・タロト国が望むカース森林との関係。それらは既にソルナーダと話し終えており、無難な言葉のやり取りで距離感は変わらなかった。


 けれど魔王との短い歓談は、国随一の魔術師でもあるシグウィンを始めとして、部下達の心も鷲掴みにした。


 人外の組織とあって明確な恐怖心と敵対心を持って臨んだ一同は、心持ちを一転させていた。魔王から誘われれば頷きかねないと、自認する程に。


「撤収作業が終わるまで、私達はゲームでもしていよう」


 更にはマル・タロトの帰国準備の間にも時間を割いて、シグウィンとの盤での遊戯でもてなしを提案した。


 出立時まで魔王自らが相手をするなど、誰が予想できただろう。


 シグウィンは王家や大臣等に、これら絶賛の言動を具に伝える事を誓う。噂など、まるで当てにならない。魔王とは、恐ろしくも魅力溢れる人物なのだと語って聞かせよう。


 少しでも、国の現状・・・・が改善するようにと。


「…………」

「…………」


 盤上の駒を、魔王と交互に動かしていく。


「……そう言えば、先程の彼等」

「うむ、加入試験を受けに来た彼等だが、何か気になったのかな?」

「王国出身との事ですが、やはり服装の流行りなどは似通うようですな。マル・タロトでも似たものが流行しています」

「森を挟んでいるとは言え、隣り合っているとも言える。通ずるものでもあるのかもしれない。はたまた、公国方面を経由して伝わったのかもな」


 雑談混じりに、盤上の戦が展開されていく。


 大陸では最もメジャーな遊戯の一つで、王国発祥ながら周辺国家ならばルールは概ね理解していた。シグウィンも私的に盤と駒を所持していて、熱心なプレイヤーの一人と言える。


 予想外だったのは、魔王がそれほど遊戯『へロズ』に通じていなかった点だろう。


 騒ぐほど弱くはないが、強くもない。


 手も足も出ずに敗北すると覚悟していたシグウィンとしては、安堵なのか物足りないのか、密かに嘆息していた。


 片や、魔王は……。


「…………」


 淀みなく駒を進ませ、若干の熟考へ入ったシグウィンを見ながら思う。


(……王国のゲームなのに、この人なんでルール知ってんの? 名人面で指南してやろうと思って誘ったのに、めちゃくちゃ強いんだけど)


 なかなか勝てないゲームを、初心者を使って勝ち星を増やそうとした罰が降っていた。


 貴国に接待は無いのかと内心で罵倒しながら、一発逆転の策を練る。


「……今日はどうだったかな?」

「両国の発展を思えば、これ以上の成功はないでしょう。国にも良い報告が出来ます」

「それは良かった」


 返答と同時に駒を差され、笑みを交わしながら盤上を見る。


(……なんでそんなところに移動させるかなぁっ。これで逃げられたら勝てっこないじゃん……。そりゃ魔王をこれだけ踏んだり蹴ったりで負かしたなら、良い報告だって出来るよっ、弱虫!)


 イライラしながらも微笑み、苦し紛れに駒を移動させる。


(あったま来た。明らかにシグウィンのお気に入りな“剣士”と“騎馬”だけでも、その素っ首を刎ねてくれるわっ!)


「さて、どちらを取るか」

「…………」


 魔王が唐突に、意味深な発言をする。


 駒を動かしながら談笑も交わし、あとはシグウィンが攻めの陣形を動かしていくのみだ。魔王のささやかな守りを崩し、その先にある『王』を討ち取るのみ。


「……『剣士』、そして『騎馬』……」


 だがしかし……こちらの駒、『剣士』と『騎馬』。前線で魔王の駒を苦しめる、シグウィンお得意の戦法に使われる駒だ。魔王の『魔術師』の駒が、二つとも狙える位置にある。


 魔王は芝居がかった仕草で二つの駒を指差した。


 どちらを取っても圧倒的劣勢は変わらないのに、何を迷っているのだろうか。


「どう思う。どちらを取り上げれば良いと思う」


 問いの意味を、すぐに察する事はできなかった。


 だが続けられる魔王の言により、徐々に話の全容が見え始める。


「君の言う方をもらう。『剣士』か『騎馬』か、選んでみなさい」

「…………」

「言い換えるなら、どちらを生かし、どちらを殺すか……。是非、君の意見が聞きたい」


 劣勢にも関わらず、魔王は気楽に脚を組み、愉しげにシグウィンの答えを待っている。


 今の意味深な問いかけ。加えて、魔王とは思えない尋常ならざる平凡な一手の連続。そして、『魔術師』の前にある『剣士』と『騎馬』。


「……………………っ」


 ふと、魔王が伝えようとしている何かに察しが付く。しかし、有り得ない、考え過ぎだと胸中ではまだ否定的な思いが強い。


 仮に、先程の剣技からこの『剣士』を魔王だとしよう。


 そして、馬に乗る『騎馬』を、魔物を操るラルマーン共和国だとするならば、言わんとするところは分かる。


 どちらと手を組み、どちらを無下にするのかと、尋問しているのだ。


(やはり、気付かれていたのか……?)


 マル・タロトが実質的に、ラルマーン共和国から脅迫を受けて偵察にやって来たのだと読んでいるのだろうか。


 近年、数を増やしつつあるラルマーン共和国の人造魔獣は、マル・タロトの立場を着実に弱めている。示威的に行われる国境での魔獣実験からも、その性能は紛う事なく脅威だ。


 無論マル・タロトとしても侵略には常に備え、禁じ手さえも辞さない覚悟だとしても、即断即決とはいかない。外交面で解決可能ならば、受け入れる他なかった。


 そちらの為にもなるのだから魔王や《クロノス》なる組織の軍事力を視察せよと、高圧的な提案も涙を呑んで聞き入れた。


(いやしかし……そのような事があるか?)


 出来過ぎている。ラルマーン共和国に虐げられ、他国に削られていくように衰退するマル・タロトの行く末を、魔王が打ち手として演じている事になるが、考え過ぎとしか思えない。


 悲しくも、そう考えたなら魔王の下手の横好きとも思える弱過ぎる実力にも納得だが、こうまで完璧な状況を作り出すなど不可能だ。


 もう一つ、不可能がある。この仮説が正しいとしよう。すると魔王を意味する『剣士』の駒を取って手元に加えた場合に、マル・タロトを演じる魔王がシグウィンに勝利する必要がある。でなければ意味が無い。


 けれど、どう読んでも勝ち筋は皆無だ。シグウィンが負けるつもりで動かなければ勝利は有り得ない。


(…………試してみる他あるまい)


「どうぞ、お好きな方を」

「…………」


 魔王は退屈そうにも、つまらなそうにも、失望しているようにも見える眼差しを返した。


「っ……すみません。もう一度、考えさせてください」

「あぁ、構わないとも。好きなだけ時間をかけて選びたまえ」

「ありがとうございます」


 やはり意味ある選択のようだ。だとするならば、驚異的だがクロノスとラルマーンのどちらかを選べという状況を、本当に作り出したようだ。神算を遺憾なく見せ付けてマル・タロトの苦境を表現し、恐ろしくも何とも洒落た選択肢を突き付けた。


 しかし、拭えないのは勝ち筋が無いこと。どう動いたとしても勝てない。最早、数手の命だ。


 ……分からない。シグウィンは悩みに悩んだ末に、外聞も構わず当人へと訊ねる事に。


「仮に…………剣士を取ったとして、果たして陛下の側に勝ちの目はあるのでしょうか」

「……シグウィン君」


 魔王は上半身を預けていた背もたれから前のめりになり、真っ向から目を合わせて告げた。


「——この私を、愚弄するつもりか?」

「っ……!?」


 王の迫力により、確信を持って“答え”られる。


(勝てるわけねぇだろうがぁぁぁ!!)

(勝てるのかぁぁぁぁ!!)


 二者の心の叫びが、各々の内側でのみ轟いた。


(勝ちの目? あるわけないだろっ! こんなにボコボコにしておいて、勝てるわけがないだろっ! 神妙な顔して“こっから勝てる?”……どれだけ無神経!?)


 奥歯をガタガタと食い縛りながら、魔王は胸中で叫んだ。


(勝てるのか!? えっ!? ここからぁ!? …………どうやって!? もうあと一手で勝つ可能性すらあるが!? ………………えぇ!?)


 驚愕の事実に混乱するシグウィンもまた、脳内を高速回転して掻き乱し、尚も少しも理解できずに心で叫ぶ。


 そこでシグウィンはチラリと視線を上げ、魔王の表情を伺った。


「…………」

「…………」


 魔王の余裕ある微笑みを、精一杯の愛想笑いで返す。


(笑うなぁぁぁぁ!!)

(やっぱり勝てるんだスゴぉぉぉぉ!?)


 やはり悪魔的な頭脳により、マル・タロトの行く末を盤上で再現していた。だが詰まるところ国家の命運を委ねられ、シグウィン史上最大の岐路に立たされている事になる。


「…………」

「…………」


 決められる筈もない。時間ばかりが過ぎていき、優勢のシグウィンの側こそが、著しい焦燥感を味わっていた。


「——マエストロ、そろそろ出発しませんと」

「っ…………」


 部下が声をかけるまで、どれだけの時間が過ぎたのだろう。


 既に出立しなければ森を出られない時刻となっており、陽の高さからも予定よりも遥かに遅れていると分かる。


「決着はまたの機会としよう」


 席を立った魔王に助けられ、胸を撫で下ろす。


「では、そちらの方々にもよろしくと伝えて欲しい」

「……しっかりと、お伝えさせていただきます」


 固い握手を交わした後に、魔王はソルナーダに耳打ちをされ、二人して少し離れた場所へ歩んでいく。


 勝手に動くわけにもいかず、ソルナーダを待ってシグウィンと秘書は盤を前に突っ立っていた。


「恐ろしい方だ……」

「何を、悩まれていたのですか? すぐにでも勝てる流れでしたが……」

「魔王陛下は我等の真の目的も、この使節団の背景にあるものも、全てご存知だったようだ」

「っ……!?」

「信じられないが、盤の上で語られたのだ。マル・タロトにとって最後の救いは自分で、否もなくクロノスに付けとな」


 心休まる僅かな時を、魔王の選択から解放された安心感にて堪能する。


「アレと敵対など、どれだけ恐ろしい結末が待っているのだろうな」

「しかし、本国がなんと言うか……」

「……諌める他あるまい。どれだけ骨が折れようとも」


 嘆息混じりに呟いたシグウィンは、聞き耳を立てるメイド等へ視線を流した。


 メイド達はマル・タロトが魔王へ隠し事をしていたのだと察しており、二人してシグウィンを睨み付けている。これはメイドとして、主人に恥をかかせる過ちだ。魔王から謝罪をさせる口実にさえなり得る。


 だがシグウィンは怒るでもなく、苦笑いを向けて告げた。


「お前達が羨ましいよ……。心から尊敬でき、これ生き甲斐と担ぎ上げられる自慢の主人がいるのだからな」


 自国でないのなら本音でもと吐露すると、メイドは毒気を抜かれて間抜けな顔を見せている。


 一笑い出来たのを機に心機一転、歩み寄るソルナーダを迎える。


『それではお帰りの先導をします。森を出るのは深夜になるでしょうが、道中の安全は保証しますのでご安心ください』

「お願いします。人族にとって、夜の暗闇は安全ではありませんから」


 シグウィンを連れてソルナーダが去る間際に、スイレンが駆け寄って小声で囁いた。


 慌てて問われたのは、姿が消えていた主人の行方だ。


「ソルナーダ様っ、魔王様はどちらにっ……?」

『あぁ、魔王様でしたら保護している魔物達に魔力を与えるべく、西南の森へ向かわれましたよ?』

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