第238話、魔王の外交

 昼食の時間も忘れてメイド等へ魔術と剣術を交互に教え、気が付けばソルナーダが姿を現した。


『魔王様、親善大使の皆様を基地の方に案内して御座います』


 山羊の頭蓋をした執事が迎えに来ると、魔王は霧の魔獣ミストの背に乗り、オーク達の棲まう領域近くにある東部基地へ。


 そこは数を増やしつつあるオークやゴブリンが、訓練や集団行動を練習させられる場でもある。


「……っ————!?」


 ミストに気付いたマル・タロトの使者達は驚きに騒然となるも、飛び降りた魔王を前にして言葉を呑み込みざるを得なくなる。


 魔王が普通の人族と変わらなく見えたのは幸いと言えた。失礼にならない程度には狼狽を誤魔化し、自己紹介も程々に軽い談笑も済ませ、マル・タロト国の演舞が披露される運びとなる。


 魔術の達人でもある魔王へ捧げるべく、親愛を込めてという体で二人の演者が舞台へと上がる。


「…………」

「…………」


 事前に伝えられた魔王との対面時における注意事項は、舞台上の二人や親善大使等に多大な重圧を余儀なくさせていた。


 覚悟をして踏み入った『魔』の巣窟だったのだが辿り着いて聞かされたのは、全滅の可能性。魔王の一存により、これまでも殺された訪問者がいるらしい。理由は、魔術が気に入らなかったというもの。


 つまり魔王に気に入られなければ、森中の魔物が敵に回るのみならず、この場で殺されてもおかしくないのだという。


 その魔王や親善大使が横並びとなって見守る中で、演奏は始まった。


「っ————!」

「——、っ————ッ」


 噂に名高いマル・タロト独自の魔術『モンド魔術』は、楽団の演奏と同時に披露される。


 “奏者”と呼ばれる前衛で戦う戦士と“指揮者”と呼ばれる補佐を務める後衛の二手に役目が分かれていた。


 指揮者が振るう特殊な短い魔術杖は、特定のパターンで振られると魔術が奏者へ送られる。


 奏者が装備する武具に刻まれた刻印が反応し、魔術的な効果を発現する。


 それは攻撃的な電撃であったり、奏者の速度を向上させたり、自然治癒力を高めたりだ。


「…………」


 音色と剣舞を目にする魔王は、ジッと見るばかりだ。


 特に反応はない。


 それはそうだろう。先程まで行っていた大規模な魔力の御技を思えば、児戯にも程がある。


 マル・タロト側の緊張する面持ちを見るところ、魔力の気配は伝わっていたようで、やはりメイドと同じ思いを胸に抱えている。歴史を切り拓いて来た由緒ある魔術は、魔王の目にはさぞかし小さく見えているのだろう。


「………………ふっ」


 軽い笑みを溢した。頬杖を肘掛けに突きながら、明らかに笑った。


 嘲笑ったに違いない。この程度のものを、よくも自分に見せられたものだと。


 魔王の魔力を感じた誰しもが、そう確信した。


 悟ったが故にソルナーダの行動は早かった。すぐにメイド達との列から前に出て、魔王の耳元へ口を寄せる。


『お見苦しいようでしたら、すぐに止めさせますが?』


 腹の底に響く声は、背後の列にも届いた。


 つまり魔王の横一列に並ぶマル・タロト側にも丸聞こえで、それは伝統的かつ国の象徴とも言うべき魔術を愚弄し、彼等の面子を潰した事に他ならない。

 

 顔を一瞬にして茹で上がらせた“シグウィン・リットン”は、怒りを抑えながらも声を上げようと口を開く。多少は語調も荒らげる事になろうとも、黙っていられなかった。


 マル・タロト国魔術会の最高権威である《マエストロ》の血がそうさせた。


「っ————」

「見苦しいなんてとんでもない。こんなに躍動感のある魔術は初めて観る」


 ところが初めて剣舞に対して声を発した魔王により、肩透かしを食らう事に。


 上機嫌に発言した魔王を、マル・タロトの人間は驚きの目で盗み見る。


 魔王は視線を察しているだろうが、構う事なく剣舞と演奏に意識を割いていた。


「………………素晴らしい」


 見せ物が終わると、演者等は拍手で出迎えられる。


 舞台上にいた二人は慌てて魔王の元へ駆け足で向かった。予定では静寂の中で舞台から降り、魔王とシグウィンとの談話に移る筈だった。


 だが褒められた以上は、礼を返さなければならない。


「光栄の至り、魔王陛下」

「有り難き幸せです」


 特に優秀な少年少女の組み合わせは、魔王の趣向を擽るのでは期待して選出されていた。果たして、それが功を奏したのだろうか。


 いずれにしても魔王は上機嫌だった。


 そして何より、その様子を見た演者二人の喜びようは、シグウィン等に矜持を取り戻させた。


「まだ若いのに、魔術も剣術も見事だった。演奏家もだ。何より長い時をかけて洗練された魔術だけあって、全体の調和が見て取れた。私が好む類なのは間違いない」

「……陛下、何かご質問があればお答えしますが」


 シグウィンには、魔王が心底から言っているように思えてならなかった。


 誇りを持って魔術を修めただけあり、マエストロにまで登り詰めたシグウィンが好感を覚えるのは極自然な流れだ。


 それも、森を震撼させる程の魔力を持つ魔王ならば尚更に。魔術で感心を引けたなど、先人達も鼻を高くしているに違いない。


 すると魔王は早速訊ねた。


「あの弦楽器の演奏家に、楽器のコツか何かを是非とも教えてもらいたいなぁ」

「えっ、魔術ではなくてですか……?」

「うん?」


 意表を突かれた全員の目が点になる。披露された演舞とは殆ど無関係な、楽器を指差したのだから無理もない。


 不思議な空気感の中で、魔王とシグウィンが間の抜けた顔で目を合わす。


「…………冗談だよ、シグウィン君。当たり前だろう?」

「あ、あぁ、冗談ですかっ! これは申し訳ございません!」

「意味分かんないだろ? 魔術を見せてもらってるのに、楽器のコツはなんて。まるで俺が練習中で、なんとしても上達したくて堪らないみたいじゃないか」

「そうですよね! これはすみません。私も察しが悪く、冗談だと思い至りませんでした」

「君達の表情が硬いので、フレキシブルなジョークでもと思ってね。気付けば笑えるだろう?」

「はっはっは! 確かにこれは傑作だ! 楽器のコツとは、はっはっは!」


 手を叩いて笑うシグウィンを始めとして、魔王の心配りに使節団等の愛想笑いが返される。


「雰囲気も良くなったところで、本当の質問をしてもいいかな?」

「勿論です、魔王陛下」


 魔王は親近感のある愉快な一面も覗かせてから、本来の問いかけをした。


「……この魔術は一人の指揮者に対して、一人の奏者に限定されるのかな? 無論、戦場では音楽もないだろうし、舞うという華麗なものとはかけ離れるだろう。指揮者が複数人の奏者を強化した方が効率的に思える」

「ご慧眼に感服します。仰る通りに複数人の奏者を指揮者が導く事もあります。指揮する者の位がより高くなれば人数も増え、奏者に施される魔術の種類も増えていきます」

「……奏者を強くする指揮者は当然、真っ先に狙われるだろう。どのような自衛の手段があるのだろうか」


 魔王の問いに、シグウィンは舞台の演者達に視線を向けた。用意をしろと暗に告げている。


 指示を受けた部下達が、慌てて静かに動き出すのを確認してから魔王へと提案した。


「……宜しければ、彼等に実演させますが」

「頼もうか。可能なら複数人での演目があれば、それも見てみたい」

「すぐに用意させます。……早く準備させるのだ」

 

 指揮者へと剣を構える奏者。指揮の魔術杖を握り、先端へ火を灯す。


 振れば火の鞭、払えば炎の破裂。指揮者の護身術は種類が限られるも、単独であっても充分に戦えるものだ。


「他にも電雷や魔力そのものを使う指揮者もおります。戦場で生き残った、とある有名な指揮者が単身で敵軍を追い返したという伝説も残っていますので、決して侮れるものではありません」


 指揮者による防衛術の披露が終わると、続けて演奏がまた始まる。


 急遽という事もあったが、それでも曲を変えて三名の奏者と一人の指揮者による演目が開始された。


 難易度は格段に上がる。だがそれでも同行した精鋭たるメンバーならば、失敗は有り得なかった。


「……国で三人しかいないマエストロのあなたは、何人まで受け持てるんだ?」

「私は、三十名までを指揮可能です」

「彼等がマエストロへ向ける目が、ただならないのも分かるな。それが離れ業なのは明らかだ」

「伝説には…………一千人を操ったという達人までいるとか」

「……失礼だが、本当にいたと思うか?」

「これに関しては私も何とも……。……ただ実在していて欲しいなという子供心は未だにあります」


 今度は談笑混じりに観覧する演舞。伝統的なマル・タロトの『モンドの舞い』が、演目の二部目も終わる。


「いいものを見させてもらった。ただ迎えた側が、もてなされてばかりではな。何か返さなければならない」


 魔王は考え込む様子を見せた。腕を組み、返礼をと頭を悩ませる。


 友好の証として、白米を俵で三つも用意されたが、それ以上をと考えている。邪悪とされる魔王の軍勢から食材を渡され、気は進まなかったが試食したところ、程良い弾力と甘い味わいで、とても高品質なものだった。あれだけでも充分のように思える。


 けれどマル・タロトにとって、この展開は降って沸いた好機だった。


「……魔王陛下は、剣術と魔術の達人であられると聞きます」

「ん……?」

「本日の友好は、若者達のお陰でもあるでしょう。何かをとお悩みならば、彼等に陛下のお手本を拝見させてやってはもらえませんか?」


 シグウィンは歩み寄りを見せる魔王へ、瞬時の躊躇いを見せながらも使命感から提案した。


「…………」

「っ…………」


 魔王の瞳と視線が絡み合い、見透かされたように思えて危機意識が高まる。


 体感では数十、実際は三秒間の事だった。


 魔王はそっと視線を外し、思案するように漠然と斜め下へと目線を置いていた。


「…………いや、まだ止めておくか」


 意味深な呟きだ。


 小声で呟いた魔王は、背後に視線を向ける。目の行く先には連れて来たメイドの一人がおり、気付いた若い女は急いで魔王の元へ。


 シグウィンが気掛かりだったのは、そのメイドの様子だ。


 恐縮した様子はあっても恐怖しているようには見えず、むしろ今か今かと待ち望んでいた愛犬かのように早足で駆け付けている。


「剣を借りる。抜いてくれ」

「っ……こちらを」


 言われるがままに、拙く不慣れな様で帯剣する剣を抜き、魔王へ捧げ持って翳す。


 受け取った魔王は舞台へと飛び乗り、恐ろしい姿形をする執事へ告げた。


「ソルナーダ、相手をしてくれ」

『コッ!? わ、私がお相手をっ……?』

「それなりに見応えがないといけない。ここにいる中だと、ソルナーダしかいないだろう?」

『でしたら、すぐにモリー様かもしくは適度な魔物でも連れて参りますっ』

「客人を待たせるわけにもいかないだろう……」

『要望したのはあちらで御座います。多少の待ち時間は辛抱すべきと考えられます、はい』

「それは、この場に適任がいない場合の話だ。違うか?」

『………………え〜っと』


 余程に嫌なのだろう。あの獣の骸骨を頭に持つ執事が、あの手この手で魔王との手合わせを避けようとしている。


 丁寧な口調や物腰とは裏腹に、人族への嘲りや驕りが垣間見える骸骨執事。裏にあるのは、執事が持つ絶大な魔力故だろう。


「それと、さっきから意図して彼等に失礼な態度を取っているだろ? 良くないなぁ。ここでは仲良くすべきだと言われているだろう」

『…………はい』


 それでも魔王相手には、形無しのようだ。


 会話の内容は聞こえないが、小声で説く魔王にソルナーダは恐縮し切りの様子だ。


『…………コッ!』


 明らかに閃いた。


『魔王様、適任がいらっしゃいました。待機していただいておりますので、こちらにお呼びしても宜しいで御座いますか?』

「……誰?」


 大急ぎでソルナーダと呼ばれる執事が連れて来たのは、基地の何処かに控えていた…………五人の人族だった。


 全員が漏れなく髭面で、身体付きが分厚い点を除き、至って一般的な平民という者等だ。髭で隠れてはいるが、見える肌からは見た目よりも若そうに感じられる。


「…………誰?」

『是非とも魔王様の配下にと、押し掛けて来る者達の一部です。森の各地に建つ施設まで到達したのですから、それなりには実力がある者達です』

「あぁ……前みたいのか」

『いつもは私めが試験し、アスラ様へ最終確認を求めております。未だに合格者は出ておりませんが、彼等を試すついでにご披露されては如何で御座いましょう』

「……自分の仕事を上司に押し付けてる自覚あるっ?」

  

 何やら魔王とソルナーダが五人を前に、小声で密談を交わしている。


 だがやがて、魔王は五人へ歩み出た。どうやら五対一で手合わせするつもりのようだ。


 遂に魔王の剣技がお披露目となり、それはシグウィン達の予想していたものと大きく異なっていた。

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