第237話、魔王の威厳


「はぁ、はぁ……」

「…………」


 怪しげな施術により体調も快調となった筈なのに、目の前でフラフラするリリア。息遣いも荒く、むしろ発熱しているかのようだ。


 施術中も釣り上げられた魚みたいに悶えるし、ひょっとして悪影響なのだろうか。


「……ちゃんと、身体は良くなってるの? なんか悪くなってない?」

「い、いいえ、とても良い感じです……」


 本当だろうかと疑う俺を許して欲しい。三人とも、尋常ではない反応と結果を見せておいて、いつも揃って答えはコレだ。


 俺に遠慮して我慢している可能性が出て来た。


「感覚的にはどうなんだろう。痛いの? 苦しいの? 気持ちいいの?」

「…………おそらく気持ちいいです」


 ……何も感じない筈だが、他者へは事情が異なるらしい。でも気持ち良いのなら温泉と大差ないし、問題ないか。


「リリアの身体がご主人様に満たされる感じが、すごく良いです………」

「まぁ、実際そうなんだけど……よ、他所で言わないでね?」


 そう言われると、この会社では最上級のセクハラをしていると捉えられかねない。疲労を取ってるだけなのに。


 やはり、よく分からない。


「それでは、リリアは下がらせていただきます」

「はいお疲れ様。道中、くれぐれも気を付けて」


 何はともあれ元気になったようなので、湯呑みでお茶を飲みながらホッと息を吐き、リリアを送り出した。


 この後は何しようか。昼までまた鍛錬でもしようかな。


 あっ、入れ替わりで二人が来るのか。




 ………


 ……


 …




「——失礼いたします」


 頭を深く下げたリリアが、ワゴンと共に魔王の執務室から出て来る。


 朝食というので時間が費やされると踏むも、予想外の早さで退室される。


「……二人の紹介をして、許可をいただきました。すぐに入室させてもらい、くれぐれも粗相のないように」


 それだけを言い残したリリアは、真っ赤な顔でフラフラと去っていった。ワゴンを支えに覚束ない足取りで……。


「行きましょうっ。時間を置けないから」

「お、おぅ……」

 

 脳内で綿密な行動計画を立てる癖が付いていたスイレンが、扉のノブを握る。大きく呼吸して心を決め、入室した。


 続いて、グールになっても喧嘩っ早さと荒い口調が抜けないラナンキュラスが後を追う。


「…………」

 

 室内には、上質な王の装いを身に纏い、デスクで分厚い魔導書を読み耽る魔王がいた。仮面を付けており、時折には積まれた書物の中から手に取って中身を吟味、ペンを持って用紙へ走らせている。


 朝食後、間もなくというのに多忙を極めていた。おそらくは夜通しの作業だろう。手洗いなどに起きたグールも、魔王滞在時に部屋の明かりが消えているところを見た者はいない。


「……壁際に椅子を用意しておいた。私が調べ物をする間、座って過ごしていなさい」

「っ……!? し、失礼いたしました!」


 謁見時はよく見えなかった魔王は、人族とあまり相違ないように見受けられ、それでも王然と在る浮世離れした風格に見入ってしまう。


 慌てて謝罪してから壁際の椅子を探し、二つ並んだそれへ急ぎ向かった。


「…………」

「…………」


 立つ姿勢、座る姿勢、歩き方、お辞儀、全てを自然にこなせるようになるまで練習した。


 習った通りに主人が恥ぬよう、姿勢良く座って役目を待つ。激務をこなす魔王を酷い緊張感と共に注視し、リリアから教え込まれた通りに気を配り続ける。


「…………」


 魔王の頭脳は、あの王国の麒麟児と呼ばれるセレスティア・ライトを上回るものだと聞く。今の姿がその証明だった。


 積み重ねられた書物は、複数の言語で書かれたものだ。それらを満遍なく手に取り、文字列に目を通してページをめくり、欲する情報を見つけては紙へと記す。


 この事からも魔王は剣術や魔術のみならず、おそらくは外交面を考えてだろう。言語力に関しても兼ね備えており、たいへん抜け目なく完璧主義な人物と分かる。


「…………この辺にしておくか」


 二十分ほど学習に没頭していただろうか。勤勉な魔王はやっとペンを置いて、小さく一区切りと呟いた。


 どうにも洗練されたスマートな所作に見入ってしまい、あっという間に時は過ぎていた。仕事の出来る大人とは、このような品のある動きをするのだろう。


 ハッと我に帰り、スイレンはすかさず思い描いていた行動を取る。


「っ、書物をお片付けいたしましょうか」

「そうしてくれたまえ」

「かしこまりました」


 椅子から立ち上がり、魔王のデスクへと歩み出す。


「……ラナンキュラスっ」

「っ!? すまんっ……!」

 

 頭が真っ白になったのか、座ったままでいたラナンキュラスへ潜めた小声で厳しく呼びかけ、二人で向かう。


「——ラナンキュラス?」


 ところが、魔王の呼びかけが二人を戦慄させる。既に失ったグールの血の気が引いた。


 ひとつの失態も許されないと口酸っぱく言われていたにも関わらず、二度も続けて犯してしまっていた。


 一度目を慈悲故か見逃していた魔王も、二度目には堪らず声を上げたのだろう。


 居場所を失う事を恐れた二人が、刹那の間に頭を下げて赦しを乞う。咄嗟に身体が反応していた。


「その子はニーナだろう?」


 行動に移すよりも前に、そう続けられた。


 メイド達は与えられた新しい名前を名乗っている。それは外部に情報が漏れて、グール達の本名が悪名とならぬようにと配慮されたからだった。


 当然、人間だった頃の名前はある。


「…………あ、あたしの名前を、ご存知なんですか?」

「君だけではない。雇用主として、君達の名前と特徴には目を通してある。既にこの世を去った者のものも含めてな」


 意外という感想が先立った。天上人が取るに足らない元村娘の名前を記憶に残していた事が、意外としか言えなかった。


「…………」

「侍女長様が、便宜を図って名付けられました。今後はそう名乗るようにと」


 比較的に冷静だったスイレンが、呆けて固まるラナンキュラスに代わって説明した。


「……そうだったか。では私も気を付けよう」


 納得した魔王は席を立ち、器具にかけてあった上着を着る素振りを見せる。慌てて駆け寄り、リリアの言い付け通りに袖を通す手伝いを行う。


 二人して畏れ多く、拙く着替えを補助する。


 メイドが行う本来の仕事は、これまでよりも一層に忙しいものだ。魔王を待たせないよう、書物を大急ぎで元の場所へ戻す。


 その過程で、チラリと魔王が書き留めたデスクの書類に目を向けてしまう。





 “——昆布、醤油、味噌(白)”。


 “大根、豆腐、レルガのオヤツ用にチーズとハムと肉炒め用のバラ肉とローストするチキン(気付かれないように、こっそり野菜スープも仕込んでおく)”。


 “明日までの買い足しは、絶対に忘れないように”。





 ……未だかつて目にした事のない、難解な言語で書かれていた。古代文字だろうか。やはり魔王とは伝説の類なのだと、スイレンは緊張を強める事に。


 魔王は二人を伴い、次に魔術試験場へ向かった。城の庭先に造られた、モリーがメイドの護身用に作っている魔術を試す場であった。


 頑丈な石壁に丸く囲まれ、鎧の標的が敵に見立てて置かれている。


「…………」


 そこでの魔王は、黙々と魔術開発の作業に徹していた。


 指先に集めた魔力を様々な形で鎧へ放つ。それを淡々と繰り返している。


 薄く黒い暴風のように靡かせたり、細い矢のように撃ち込んだり、指を振って薄い刃にして放ったり、多種を試している。


 これも魔術の形なのだろう。多彩な魔力の技はキャンバスに絵を描くように、目の前で生まれては消え、芸術となって目に届いていた。


(……綺麗……)


 芸術家にも見えていた。このように容易く独創的な魔術を作っては振るう姿に、憧れずにいられようか。寿命もない魔物となったからには、いつかは習得可能なのだろうか。魔物としての自覚を持ち、漠然とそのように夢想しながら、美しく鮮やかに“黒”を操る魔王を見つめていた。


「はぁ……」


 この偉大な王に仕えている自分という現実に、やっと実感が追い付いた瞬間だった。陶酔感から生まれた溜め息は、無意識に漏れていた。




 ………


 ……


 …




 溜め息っ!? 弱過ぎってか!?


 自慢する為に連れて来たのに、期待にそぐわなかったのか、スイレンというメイドから溜め息を吐かれる。いつもの研究の一環だったのだが、魔王がこの有様では誇れないとでも思ったらしい。


 い、威厳を保たねば。リリアに言われたそばから、この醜態はナンセンス!


 とりあえず、マナハラスメントは礼儀として発動。嫌がらせ程度に魔力の極微風をそよ風の如く送っておく。


 すかさず黒い魔力を辺りに溢れさせ、保有量任せに馬鹿の使い方をして、メイドに魔王というものを知らしめる。前方の的に大量の漆黒を差し向け、鎧を無駄に握り潰す。あっさりと鋼鉄の鎧はひしゃげてしまう。


 これは制御可能な状態を保つべく、途切れないように見た目よりも更に多量の魔力を消費している。威力を出すにも一苦労。


 これが現在開発中の外面にしか配慮しない魔王的魔術『雲海システム』の基本系だ。


「ッ……!?」

「うっ……!」


 背後の呻き声に気を良くして、もういっちょ行ってみよう。


 ひしゃげた鎧へ向けて、周囲に戻した魔力から手裏剣をイメージした小さな回転体を複数放つ。それらの着弾を待たずして、更に大きな斬撃を放っておく。細く鋭くと操り、引き伸ばしながら弾き出すように飛ばした。


 しかし無駄遣いと侮るなかれ、これはこれで多少は有用だと思っている。威力も速度も精度も俺自身がやった方がいいにも程があるが、モーションが無くて、全方位に放てる上に続けて使える。


 動く必要がなくて、魔術感があるのもいい。何より多数を相手にする時、非常に楽なのではと予想している。


「…………」


 小さな手裏剣もどきが刺さった鎧は、後に続いた斬撃によってあっさりと縦に切り分かれ、左右に落ちる。


 決まった……と満足してから思いっ切り背後に聞き耳を立て、メイド達の反応を窺う。


「…………っ」

「っ……」


 はい、喉越し二つ頂きました。息を呑むとは正にこの事。


 贅沢な魔力の使い方をしているだけに、自分でもなかなか見応えのあるものだと考えている。


 あぁ……分かった。きっと彼女等は村の娘だったから魔術を知らなかったんだ。やってみたら、色々と分かるんじゃないかな。魔王の苦労とか。




 ………


 ……


 …




 大魔術を終えた魔王は考え込む仕草を見せる。


 グールには不要ながら呼吸さえ奪われ、唐突に無限の魔力を溢れさせた魔王に圧倒される。やっと息を吐けたかと思えば、視線はこちらへ。


 存在を思い出したのか、背後に控える自分達へ振り返った。


「……君達は魔術を使えるのか?」

「わ、私達は素人ですから、モリー様から教わっても、簡単な魔術すら誰一人として出来ませんでしたから……」


 あらゆる面で完璧な魔王の下僕として、不甲斐ない思いはある。


 けれど、それだけ魔術とは敷居が高く、高貴なものなのだろう。幼少期より生来から聡い者達が学び、知識を蓄えてこそ使用可能なものなのだ。


「……だからなのかもしれないな」


 ところが魔王は悲観する事も同情する事もない。スイレンへと歩み寄り、ある焦げたような十字架を渡した。


 差し出された手を前に、咄嗟に受け取ったまではいいが……。


「……あの、これは?」

「実際にやってみよう。こちらへ来なさい」


 壁際から試験場へ歩み出させ、魔具を持つ手を翳させられる。その右手へ、魔王の手が伸びた。


「っ……!?」

「少しずつ魔力を流す。その道具に集中していればいい」

「は、はいっ……!」

 

 夜のような暗い魔力が手元で曇り、魔具が明らかに機能し始める。


 例えるなら、息をし始めたような感覚だ。凶暴な生き物を手に持っているようだった。抑えていなければ、暴れ出しそうな危うさを悟らせている。


「そろそろ前方へ解放してもいいだろう」

「わかりましたっ」


 恐ろしくもあり、どのような結果となるのか好奇心が胸を弾ませる。スイレンは囁かれた通りに、魔具に棲まう猛獣を解き放った。


「っ……————————」


 目の前を覆う、炎の猛り。非日常の燃焼現象。自らが放ったとは思えない、強力な火の魔術だった。紛れもなく、魔術の火だった。


 灼熱の発生は一瞬ながら、火炎の華をしかとスイレンの心に刻む。


 昂りに荒い呼吸を繰り返しながら、熱に火照る顔で呆然と佇む。


「…………」

「初めてならこんなものだが、これが魔術だ。やってみれば分かる事もあるだろう?」

「魔王さま……」


 含蓄ある言葉を授けた魔王は、振り返ってラナンキュラスへ目を向けた。


 視線を受けたラナンキュラスは、ぎこちなく身体を硬直させ、発せられるであろう言葉を待つ。


「……ラナンキュラスにも何か手伝ってやれる事はあるだろうか。魔術なら君も体験しておいてもいいだろう」

「あ、あたしは……」

「何かあるのだな。言ってみなさい」


 ラナンキュラスには、憧れているものがあった。


 それはアスラやカゲハのように、魔術よりも目に見えた強さだ。


「……あたしは…………剣が習ってみたい、です」


 尻すぼみに小さくなる声で、以前から密かに羨んでいた願望を告げた。


 村娘が、不良崩れの平民が、弱小なグールが、何を生意気にと思われただろう。羞恥で俯くラナンキュラスだったが、魔王は幾らか逡巡してから動いた。


「…………これを使いなさい」

「へ……?」


 あろう事か腰に差していた剣を、惜しかったのか暫く見詰めた末に差し出した。


 数多の猛者や覇者を切り裂いて来たであろう魔王が、その剣を差し出した。


「…………」

「他の武器に変えるでもいいが、まずは希望通り剣から試してみよう」


 ベルトも外して長さを調節し、気が動転して固まるラナンキュラスに装着する。


「何か目標や楽しみが増えるのはいい事だ」


 鞘から剣を抜いて、剣身を持ち、柄を向けて声をかけた。


「…………ラナンキュラス?」

「ひゃいっ!」

「まずは思うように振ってみるといい。カゲハやアスラ辺りに伝えておくので、休みには習ってみるのもいいだろう」

「…………」


 持たせ続けるのも無礼と、魔王の剣を恐る恐る手をする。


 人を傷付ける武器にも関わらず、鋼色の素朴な剣身は鏡の如く澄んでいる。細い刃先から切っ先にかけて、視線を滑らせれば、寒気がするほどに真っ直ぐだった。


 持ち手も妙に手の平の形状に馴染み、鍔の意匠ひとつ取っても魅せられる。


 これが、剣。


「……暫くは木剣で基礎を覚えて、上手くなったらそれを練習用に使うといい」

「これは……あたしの宝としてっ、部屋に飾らせてもらいますっ!」

「せめて護身用として持ち歩きなさい……?」


 

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