第236話、魔王の一日
アルト・ライトからの要請を受けた使用人は、遠征の日に備えて仮の姿を脱ぎ捨て、魔王としての業務や自宅で遊ぶ門番達の様子を確認する事にした。
まずは、魔王としてカース森林へと向かう。
魔王の“魔”であるウンカイは、この日に生まれた。
………
……
…
朝も夜もなく、魔王城の一日は過ぎていく。
朝からはオークや、新しくやって来たゴブリン達が騒ぎ出す。訓練や建設、実生活などに動き始める。
彼等が寝静まった夜は夜で、【沼の悪魔】の配下である魔物達が蠢いている。夜の世界を静かに徘徊し、森林の安息を保ちながら仕事をこなしている。
「…………」
「…………っ」
朝早くからメイドとして働くグール達は、ゴブリン達と同じく日中の勤務となっていた。死霊術師により殺され、魔物とされ、魔王への捧げ物として連れられた乙女達だ。
魔王の朝食を作り終え、卵焼きを味見するリリアからの合否を待ち、息を呑んで身体を固くしていた。
「……甘過ぎます。この味付けでも問題ありませんけど、前の方が加減が良かったです」
「気を付けます」
高評価を受けた侍女長補佐のグールが、胸を撫で下ろしながら頭を下げた。立ち並ぶ担当メイド達からも感嘆の溜め息が漏れる。
リリアはメイド業務に関して非常に厳しい。問題ないという評価は、紛れもなく一流の証だった。
現に他の料理の場合は、
「……この魚料理は火加減を間違えています。身がパサパサしているので、気を付けてください」
「…………」
他のメイドが確認した際には問題ないと思われた焼き魚が不合格を言い渡される。担当者は表情には出さず、肩を落とす。
「あとこちらの麺料理は朝にお出しするには濃過ぎます。反して、こちらの汁物は味がしません」
他にも多くの料理が広々とした厨房のテーブルに並んでいる。メイド達は各々に担当を決め、幾つもの料理を作り、合格した品から魔王へ出す献立を決める。
本日もリリアがカートに次から次へと乗せて、魔王のメニューが決まる。
「…………」
作業を終えたリリアが改めて向き直ると、グール達が緊張のあまり身震いする。可愛らしい見た目をする侍女長だが、とても厳しく怒ると怖い。特に魔王関連の失敗は決して許さない。
何か粗相があっただろうかと、十八名が十八名ともに記憶を遡る。
けれど彼女等の不安を他所に、リリアは渋々に語り始めた。
「……私は午前の内にここを発たなくてはなりません」
「えっ……で、ですけど、今日は魔王様もおられますし、お客様訪問の予定もありましたよね……?」
グール達の不安を代弁する侍女長補佐。
彼女達の動揺も必然だった。
魔王の世話はこれまで、リリア自らが全てを担当していた。給仕や洗濯、侍従するのもリリアのみだった。何故なら失敗は許されないからだ。
手伝いや同席すら拒んで来たリリアが、未だ魔王のいる城から去るという。これはメイドとして雇用されてから初めての事だった。不安は果てしなく拡大していく。
「あの御方は、本日ここでご公務になられます。なので、スイレンさんとラナンキュラスさんが代わりに侍らせていただいてください」
任命された二人の血の気のない顔付きが、更に白くなったように感じられた。
信じられない事に、あのモリーやアスラよりも強いという魔王。悪戯に現世へ降り立った神とも悪魔とも噂される魔王の、すぐ近くで世話をするという未知の恐怖に苛まれる。
「後にソルナーダも付きますが、お二人で助け合ってミスをしないように。他の方達は普通に働いていてください。ただし、外の人達と会話はしない事。失礼のないよう挨拶だけに留めてください」
問題はまだある。訪問者の少ないカース森林だが、本日は魔王城に来客がある。
マル・タロト国からの親善大使だという。
そのような重要な場に赴く魔王に同行しなければならないのだ。
「普段から徹底している点に気を付ければ問題ありません。何か質問はありますか?」
質問をしたところで、不安が消えるものでもない。誰の声も挙がる事なく、見届けたリリアが朝のミーティングを終える。
「……それではお食事が冷めない内に、あの御方に配膳をしましょう。今の二人は早速同行してください」
リリアは魔王帰還時の決まりとして、自身で配膳へ。本日は二人を伴い、他のメイド達はアスラやカゲハ、自分達の給仕を行う。
グールの身でも見栄えの良い身体を保つには食事は必要らしく、幸いにもお陰で食事という楽しみを失う事にはなっていなかった。変わった事と言えば、生肉がやたらと美味に感じるくらいだ。
………
……
…
はぁ〜、いい朝だなぁ。変な骨の小鳥も生き生きと飛んでるよ。骨なのに。
魔王城の六階『魔王執務室(ほぼトレーニングルーム)』から、コンビニに行くようなラフな格好のまま森を眺めて朝日を浴びる。
魔具のブレスレットをした左手で火を起こし、直火によりヤカンで湯を沸かしながら、お茶の用意も抜かりなく。
夜通しの鍛錬も終えて、気持ちよく迎える朝。これから美味しいモーニングが届くので、とても楽しみに待っているところだ。うちのメイドは非常にレベルが高い。運動後だし、今日の食事もさぞかし美味しいぞ?
鍛錬の内容は、いつもの魔力凝縮法や格闘術を主に、合間合間にはちょっとお茶目に茶道なんてのも、見様見真似でやってみた。
今度、友達のヒエールとマンティスにでも飲ませよう。剣聖になり損ねてから酒ばっかり飲んでるから、いい解毒になる。心の解毒。
「……リリアが来てくれるまで縄跳びでもしてよ」
フットワークの練習がてら、縄跳びをする事に。
今日はやる事もいっぱいだ。今度の遠征でエリカ姫達へ出す料理を考えて、訪問者の対応もして、販売する刀に付ける付録も考えて、モリーにも森の事で呼ばれている。
ウォーミングアップをして、このスケジュールに向けて張り切らないとな。
と思って、沸騰したヤカンから急須に湯を注いだところだった。外からリリアの声が聞こえて来る。
『まずリリアがお伺いをして来ます。お二人はここで待っていてください』
珍しい。リリアだけでなく、他の人もいるらしい。
「——失礼いたします」
朝食のカートと共にリリアが入室して一礼。小柄な身体で洗練された動きを見せ、こちらのテーブルへ。
「おはようございます、ご主人様。お加減はいかがでしょう」
「ばっちり。リリアもバッチシだね。流石は魔王城のメイド長さんだ」
「っ〜〜〜」
可愛い生き物がいる。赤らんだ頬に両手を当てて、身体を左右に捻って照れている。褒め甲斐があるにも程がある。
きっと部下のメイドさん達も、この可愛らしさにやられて庇護欲から従っているに違いない。初対面以外で会った事ないから、実際のところは分からないのだが。
「ほ、本日のお食事をお持ちしました」
「はい、ありがとう」
俺や幹部は、あまり素顔を見られてはいけないらしい。リリアは指導する都合上、メイド達にのみ面と向き合っているが、本当なら避けたいのだとセレスは言っていた。
ヒサヒデの魔眼による暗示で、俺達の情報は言えなくしてあるのだが、まだイマイチ信用していないようだ。
対してアスラやモリーは、むしろ前面に出したいのだとか。
俺も出て行きたい。いや、むしろ俺こそが出て行きたいところなのだが……仮面は必ず着用との事だ。
「本日なのですが、私はすぐに王都へ帰らなければならないのです」
「……大変だなぁ。行ったり来たりしてるじゃん」
「我らが騎士団の様子を見張らなければなりませんから」
実はアーク大聖堂に創設された【黒の騎士団】はリリアではなく、セレスが担当する予定だった。
それを何故リリアが指導者を務めているのかと言えば、ここのところセレスがベネディクト関連や直属の部下育成を優先して動かなければならなかったからだ。
どうしてそれらのどれか一つにでも俺が選ばれなかったのかは、恐ろしくて訊けなかった。答えによっては泣く事になるから。
「そこで、そろそろメイド達も育って来ましたので、リリアの代役として数名から試験する事にしました」
「外の二人?」
「はい。特に優秀な二人です。本日を通して、ご主人様のお側に付けようかと。どうでしょう」
「勿論いいよ。気楽に臨んでもらって」
気遣いを見せてみたのだが、リリアはテーブルに料理を並べ終えたタイミングで、顔を振ってこれを否定した。
「気楽にでは務まりません。何故なら私共メイドが仕えるのはご主人様なのです。ご主人様は魔王様。メイド達も世界最高の水準でなければならないのです」
「……そうでした」
喝を入れられた気持ち。あっ、そうだったそうだった。俺は魔王だった。彼女等の雇い主として、恥ずかしくない威厳を保たなければならないのだ。
それが彼女達の働き甲斐に繋がれば幸い。すっかり使用人根性が染み付いて、忘れていました。
「メイドに“ありがとう”も原則ナシです。主人とメイドとは元来、仕事で繋がるドライな関係なのです」
「へぇ、そうなんだ。気を付けなきゃ」
と心に念じながら、お茶を淹れてくれたリリアの頭を撫でる。
いつも通りに頭を差し出して喜んでくれるリリアだったが、ふと我に帰ったのか、その頭を指差して言う。
「こ、これですっ! まさにこれです!」
「ッ!? そう言えば……」
それでも身体の正直なリリアは、自分から離れようとはしない。
「…………」
「……リリアは頑張り屋だからね。特別にアリって事にしておこうか」
「っ〜〜〜〜〜」
酸っぱい物でも食べたような顔をして、モニュモニュと苦言を濁らせながら、この話題は終わりとなる。
残る報告は、食事を頂きながらにさせてもらおう。外の二人を待たせているので、お行儀は悪いが早く食べる。
「あ〜む」
白米、味噌汁、卵焼き、ベーコンとほうれん草みたいな炒め物、焼き魚、漬け物。
品数が今日も多い。毎回、魔王城での食事が楽しみでならない。これを目当てに帰って来ていると言っていい。
卵焼きに、大根おろしまで付いてるし。
「マル・タロトからの親善大使は正午の到着になるそうです。そちらはソルナーダが応対して、後からご主人様と面会する事になります」
なら、それまでに些細な用事は済ませておこう。特にエリカ姫達の食事。意味わかんないのは早々と片付けよう。
「……ご馳走様でした」
「それでは彼女等と入れ替わりに、私は王都へ発ちます」
「その前に、疲れだけでも取っておこうか?」
魔王的施術による疲労の治癒で、ささやかな手助け程度はするべきだろう。魔改造を受けたリリアなら、そう時間を取らずして行える。
ただ、これには俺にも分からない問題点があるようだ。
「っ…………」
リリアの顔が真っ赤になる。もうこの時点でおかしい。恥じらいながらマッサージチェアに座る人なんて、生半可な状況ではお目にかかれない。だ、大丈夫ですかと声をかけるだろう。
それだけじゃない。急にもじもじと、言い方を選ばなければ色気を出してくる。リリアだけではなく、セレスやカゲハも。
変な事をするわけじゃない。ずっと昔には自分にもやっていたもので、感覚的には何も感じない筈なのだ。血行が良くなっていくような、ほんのり風呂上がりに似た感じがするだけ。
「お、お願いします……」
こんな感じになられても困るわけだ。
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