第234話、新たな依頼人

 王宮の庭園にある王妃の庭は色取り取りの花が咲き誇り、噴水は涼しげで、世界有数の美麗さを誇る。


 蒼穹の下にあれば、それは格別であろう。


「…………」

「…………」


 けれど建物の前に控えて並ぶ騎士や兵士達は緊張の面持ちである。


 僅かな乱れもなく整然と並ぶ姿からは、精鋭中の精鋭であると一目で分かる。気品高く、実力も見合い、宮殿守護を請け負うに足る人材達であろう。


 彼等は今、ただ一点を見つめて万事に備える。


「…………やっぱりそわそわするわ」

「お母様、まだ出立してもいないのですから落ち着いてください」


 王妃レラザ・ライトはここのところ、落ち着かない日々を過ごしていた。


 娘であるセレスティアは対面で物腰穏やかに緑茶を飲むも、レラザの側は紅茶の味も香りも感じない。


 どちらも涼しげな普段着で、親娘の憩いのひと時といった様子だ。


「二人とも、危ないところに行くのでしょう? お仕事とは言え、心配になってしまうわ……」

「今回の任務は安全と言って差し支えありません。むしろ別部隊が担う役目の方が余程に困難でしょう」

「そうなの……? どうしましょう、その方々が心配だわ……」

「お母様……」


 苦笑いを浮かべて、方々を憂慮する母を見る。いつもながらの気の優しさを見せて、困り顔をするレラザ。


 しかしセレスティアは席を立つ。


「あら、もう行ってしまうの?」

「えぇ、少し習い事を始めまして。お茶会にお誘いくださって、ありがとうございました」

「趣味ができたのねっ? いいじゃない、何を始めたの?」


 あのセレスティアが興味あるものを見つけたと興奮するレラザは、手を叩いて喜びを露わに訊ねた。


「趣味と言う程のものではありませんが…………バイオリンを少々」


 護衛騎士であるマリーを伴ったセレスティアは庭園を後に。


 自室へ向かい、楽譜に沿って感覚に任せて弾き、自身の耳を頼りにバイオリンを学習する。


 セレスティアの習い事はいつからか、このような独自の手法を取るようになっていた。数日の内には専門家とも遜色ない出来となるだろう。


「…………」


 扉前に控えていたモッブが戸を開ける。淀みなく歩み中に入るも、ふと足を止めてしまう。


 不審に思って話しかけようとするマリーだったが、開口よりも早くセレスティアが虚空に告げた。


「……次に無許可で立ち入れば、その命は無いものと考えてください」

「――ご無礼を」


 表情と声音から感情が失せたセレスティア。その凍える声色により、カーテンの向こうから大きな人型が現れた。


「っ…………」

「一度だけです。私は陛下ほど慈悲深くはありません」


 冷徹に言うセレスティアから発せられる殺気に、不審者の登場に息を呑んだマリーも硬直を強いられる。


「マスターは忍び込んだとお聞きしましたので」

「それはあの御方が私にとって特別な存在だからです。あなた如きが足を踏み入れて良い領域ではないと知りなさい」

「…………」


 無言で腰から深々とお辞儀をして了承の意志を伝える…………小柄なオーク。


 しかし黒衣に身を包み、仮面を付け、背には大太刀を備えている。


 それらは魔王による特製の品であった。その身に宿る体術や戦術も同様で、【クロノス】で唯一直々に一から十までの指導を受けて体得したものである。


 今ではオークの中でも頭抜けて強く、現在の六席に迫るともされている。


 組織内において、多大な嫉妬を集める存在であった。


「用件を伺います」

「師から一つ、モリー様から一つ」

「陛下のものから聞きましょう」


 わざわざ選択肢を提示する“クク”に苛立つも、表情に表すことなく平静そのもので耳を傾ける。


「では…………“借家の扉の建て付けが悪かったので、奮発していい物に付け替えました。これが新しい鍵です”……と」

「…………」


 ククから鍵を受け取り、苛立ちが嘘のように霧散して幸福感に満たされる。


 ドキドキと早鐘を打つ胸にそっと抱き締め、無くさないよう早々にポケットへ仕舞う。


「……それで、モリーはなんと?」

「謎の人物と交わした会話の報告を聞いた。にも関わらず尚も第二天使を放置するつもりか、と」

「放置はしていません。何を聞いていたら放置などという言葉が出てくるのか理解に苦しみます。口を閉じて成すべき事を成すように伝えてください」

「確かにお伝え致します」


 用を終えたククは紳士の礼でお辞儀をしてから、そっと背を向けて歩み始める。


 その一歩目が床に着く間際――――


「…………」

「…………」


 セレスティアが突き出した黒い装飾剣を、半身に切り替えて避けたクク。完璧な察知と動作、更には視覚要らずの見切りにより不意打ちを回避した。


「……何か?」

「いえ、あの御方が史上二番目・・・に優れた弟子であるとまで称していたので、その実力を試してみただけです」

「如何様にも」

「もう結構です。元より陛下から教えを受けた者の実力を疑ってなどいません。程度を見たまでです」

「では……」


 装飾剣を手元から消失させたセレスティアが嘆息混じりに言い終えると、再びククが背を向けて歩み出す。


「…………」

「…………」


 ……再び突かれた強襲を、やはり回避したククがもの言いたげにセレスティアを見つめる。


 仮面越しの視線を受けたセレスティアはやがて剣を仕舞い、それを機にククが口を開く。


「……急所を外しているとは言え、これでは突かれるまで帰れませぬ」

「帰ってください。もう用はありません」

「…………」


 無言のまま後退りして、窓に近付いていく。


 その間にも不可視の剣が全方位から放たれるも、それらを師匠譲りの回避術で避けながら窓から逃げ去った。


「……驚嘆、ではありますね」

「流石は魔王陛下の直弟子……あのオークですら、ここまで強くなるとは……」


 マリーどころかセレスティアも唸る腕前となったクク。驚くべき事に、アスラの元からククを預かって一週間の間に鍛え上げたのだと言う。


「私にはクロノ様の真似事すら叶いませんが、これでオークを指導するアスラさんは言い訳をできなくなりました。そのような狙いもあるのでしょう」

「…………」


 セレスティアが発するにはあまりに違和感のある物言いであった。


 彼女を知る多くの者達は、セレスティアを不可能など存在しない天上人と認識している。


 事実として、さも当然という風にベネディクトを特定すると言ってのけたのだった。それも自軍も使わず、手も汚さず、国やエンゼ教にも悟られる事なく、抹殺まで望めるとして。


「……その、天使ベネディクトに、何をされたのですか?」


 その手段はマリー達にも知らされてはいない。大勢の代弁者となったモッブが背後から問いかけた。


「…………」


 問われたセレスティアは、不思議そうな配下二人を横目にして改めて…………あの日の驚きを思い返す。


 有り得ない。自分を上回るどころか、これから取るであろう手段を先読みして、当の本人を目の前に現れさせてしまった。自分が訪問する事も見通し、予め顔を合わせて取り入っていた。


 考えれば考える程、自分には到底真似できない。まさに神の算段であった。


「……アークマンの話はもう止めましょう。いずれは判明するのですから」


 再燃する不甲斐なさを押し殺し、ポケットの鍵を握り締めて愉悦に浸る。



 ………


 ……


 …


 


 決戦前夜。


 静寂は満月の夜を厳かに飾り付ける。


 ベネディクト・アークマン。その姿は〈聖域〉により“寝所”の生成を既に終えたアナボカン遺跡にあった。


 各都市に影武者を派遣し、周到に姿を隠して辿り着いた古代遺跡。


 これで国軍を欺いて、静かに第一天使リリスを寝所に呼び戻す事ができる。


「あとは、朝日が昇るのを待つばかり……」


 黒騎士が現れたというアルスの街へマファエルも送り出し、手駒として連れ帰ったなら最上の成果と言える。


 油断などない。この度は抜かりなどない。


「…………」


 付き人達を下がらせて、今宵もまたリリスへ祈祷を捧げる。


 跪き、老いた身を縮めて天へ祈る。


「――ベネディクト殿」


 そこへ、客人が現れる。


 階段を打つ靴の音は規則正しく、しっかりとした機敏なもので、かけられる声にも張りがある。


「これはこれは、このような夜更けまでお疲れ様です」

「いや何、仕事を完了した旨を伝えに来たまでのこと」

「…………もう、ですか?」


 今、ここにいるという事は、予定よりも早く依頼を完遂させた事になる。急遽の依頼だったにも関わらず、最適な時機に欲しいものがあるべき場所へと届いていた。


 その男はベネディクトのいる祭壇であろう跡へ上がる。階段の半ば辺りにある踊り場で旅行鞄を下ろし、一息入れて。


「あぁ、勿論だとも。博士から引き継いだ例の個体を、指定された場所に移送した。その報告をさせてもらう」

「素晴らしい……!」


 ベネディクトは素直な感嘆を男へ送る。


 男は得意げな笑みを浮かべて応え、上着を脱いだ。


「当然だ。何故なら私は一流・・なのだから」


 一流を自称する男は、上着が汚れぬよう鞄の上に柔らかく乗せた。


「いやいや、疑ったわけではありません」

「意外そうにしていなかったかな?」

「想定を遥かに上回っていた事は事実です。言うならばあなたは一流を超えつつある」

「なんの、仕事前の観光でまだまだと知ったところだよ」


 そして階段をまた上がり始めた。


「そうでしたか…………それで、改めて次の依頼をさせてください」

「すまない。次の仕事はもう別で受けているんだ」

「それは……とても残念ですね」


 男はベネディクトへ向けて階段を上がる。


「…………」


 ベネディクトは天使の身で第六感を働かせた。男が一段ごとに歩を進める度、嫌な予感が増大していくのだ。


「その依頼とは……どのようなものか、お訊きしても?」

「うん? …………まぁ、今回の場合は構わないだろう」


 男は、右手に大きめのシャンパングラスのような杯を生み出す。古びたもので、古代の雰囲気を発する食器だ。


「ベネディクト殿からの依頼後に、ある人物から正式な作法で依頼要請が届いた」


 この男は特別な地位に就く事で、国と特殊契約を結ぶ傭兵。


「依頼内容は、標的の抹殺……」


 この男は周辺諸国で、誰もが認める――――最強。


「標的の名は、ベネディクト・アークマン……」

「…………」


 その男に見据えられ、ベネディクトが目を剥いて汗ばみ始める。


「依頼者は……」


 男の背後に、かの者を見て悪寒を走らせる。


「……セレスティア・ライト」


 目に見えて焦るベネディクトが、心中で麒麟児を疎む。永き時の中でも心底から何者よりも疎む。


「ふっ、今回は天使とやらが相手と言うじゃないか。中々に一流に相応しい」


 眼鏡を指で押し上げながら、作り物めいた色彩豊かな炎が立ち昇る杯を掲げ、階上の第二天使へ告げる。


「さて、ベネディクト・アークマン……セレスティア・ライト殿の依頼により、貴公を排除する」


 その男の名は、――――ドレイク・ルスタンド。


 クジャーロ国をただ一人で国家として確立させ続ける、最古級の絶大な遺物を有する【炎獅子】その人である。

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