第228話、英雄に至る

 トニーはデューアに合わせていた。


 せめてものお詫びと、民となってしまったデューアに束の間の夢を与えていた。


 斬られた風を装って飛ばした爪を生え替わらせ、少し引っ掻くだけでデューアの右腕は切断される。


「グァァッ……!? ぐぅぅ……っ……」

「あぁっ、痛い痛いっ! 痛いねぇ…………カワイソ」


 血の滴る爪を水音を立てて舐め、トニーは帰り支度を始める。


「え〜っと、あとやる事はなんだっけ…………あぁ、そうだ。黒騎士への伝言だ」


 〈夜の剣〉を回収し、デューアの右腕を呑み込み、トニーは黒騎士へメッセージを送る。


 蹲り苦痛を堪えるデューア越しに、相応しい舞台へ招待する。


「ヤッホー、黒騎士く〜ん。言った通りに舞台を用意したぜ! 時刻は二日後の夜、場所はオックス。そこで待っていてくれたまえ! すぐに演出が始まるからな!」


 これで遺物により、黒騎士へ伝言は伝わるだろう。三日後、つまり明日の朝には、また黒騎士がやって来る。そこで知る事になる。


 となれば後は明日と本番を待つばかり。後始末をして今日を終えるのみ。


「魔剣なんかも返すから、自由に使ってねぇ〜! じゃ、ばいば〜い!」

「待てっ……」


 苦痛に堪えながらも自分を睨んでいたデューアが立ち上がる。


「おいおい、お前の出番は終わりだぞ? ちゃんとシナリオは守らなくちゃあ……」

「悪いが……死ぬわけにはいかない」


 約束がある。家族がデューアの背中を押す。


「アーチェに、すぐに戻ると約束した……」


 交わした約束がある限り、命を諦めずに戦わなければならない。


「サドンと……旅に出ると約束した」


 彼は言っていた。自分が死んだ時、仲間がどう思うかを考えないのかと。


 考えた。だからこそ、このような場で死ねはしない。今ではない。


「チャンプともショーの約束がある。クーラにも、稽古を付けてやると言った……っ」


 約束はデューアを奮い立たせる。戦いの舞台に舞い戻らせる。


「グーリーにもだっ。俺がついていてやらなければならない……カナンの為にもッ!」


 〈痺翠〉を投げ捨て、腰元にある何の効力もない鋼の剣を抜く。逆手で引き抜き、順手に掴み取る。


「……必ず、近い内に顔を出すと、約束した……」


 約束の剣を手に、デューアが告げた。


 その瞳には最早トニーへの恐怖はない。死への不安も、敗北への懸念もない。


 ただトニーを倒して帰る。それのみを剣に託し、目の前の人狼を真っ直ぐ見据える。


「それは知らん! そっちの都合は知らん! すまんけど昇天してくれ!」


 トニーの右腕が消える。逃れられない死であった。


 本来の彼女が持つ速さ。先程までの遊びと違い、本気で殺そうと振るわれた凶爪。鉄も斬り裂き、突風を生む幻獣の一撃だ。


「――――」


 ――その軌跡が、デューアには予め視えていた……。


「…………は?」


 空振った右腕を目にして、心底から疑惑の眼差しを送る。


 しかし気のせいだと肩を竦め、今一度デューアへ切りかかる。


「…………ん〜、何をしたんだ?」


 当たらない。二度、三度、腕を振るもデューアに擦りもしない。


「………………光が…………この光はなんだ……」

「何が!? こわっ、おかしくなっちまったのかぁ……?」


 デューアの目に見える、光の導き……。


 事前にトニーが行う攻撃動作を囁き、手に取るように報せてくれている。指先から関節を経て、全身の動き。相手が行う挙動の全てが伝わり、身体が自然と反応する。


 まさかと思うも、一つだけ心当たりがある。


 “刃の囁き”……剣の極地に達した者のみが垣間見ることができる声とされている。


 単に剣術に優れるのみならず、剣士として矜持を確立し、揺るがぬ使命を掲げ、ただ剣からの声音にのみ耳を傾ける。


 その時、感じられるものなのだと言う。


(俺も、先生の域に辿り着けたのか……?)


 強い興奮を胸に、光の導きに従い剣を合わせてみる。極みというのに相応しい鮮烈な光を信じて鋼を振る。


「クソッ……何がどうなってっ!」


 動体視力で捉えるどころか、初動の起こりすら掴む事を許さない速度を見切り、あまつさえ剣を合わせられる。


 首にカウンターを食らったトニーは、傷付きはしなくとも状況を理解できずに当惑を極めた。


「おいっ! このっ、なんでだ!」


 何度となく我武者羅に襲い掛かれども、手応えは訪れず身体を打たれる感覚が続くだけ……。


「コロスッ――――」


 森の暗闇を利用した四方八方からの強襲。先程のものとは異なり、一瞬の風切り音でのみ通過を知らせる。


 残る影もなく、月光にも悟らせずにデューアを切り付ける。


「なんなんだよっ、こいつ……!」


 だが、囁きは強くなるばかり。苦境に立たされるだけ、トニーが本気になればなるほど、デューアの剣への理解は深まるばかり。


 一手毎に、確実に剣が合わせられる。


「言っておくけどなぁ! 勝ち目なんてねぇんだぜ!? 俺の身に傷を負わせた奴なんざいねぇんだよぉぉ!!」


 鋼の導きが、無敵の怪物への打開策も囁き始める。


「………………はっ!?」


 理解には十秒の時間を要した。左肩口から袈裟懸けに刻まれた一筋の赤い線。今し方に合わせられたカウンターで打たれた箇所だ。


「はぁ!? おいっ、おいおいおい! 嘘だろ!?」


 初めて負った傷は、痛みもさして無く、血もすぐに止まる。


 だが狼狽の加減は見ての通りで、トニーは無意識にデューアへの恐怖心が芽生え始める。何より毛が逆立っていた。目の前に立つただの人間が“敵”であると、幻獣の身体が自覚した瞬間であった。


「俺は、約束を果たす……そう言った筈だ……」

「…………」


 ただの鋼の剣で幻獣を傷付け始めたデューアは、疑う事なく英雄だろう。


「ウルセェェェ――――!!」


 動揺から怒号混じりに放たれた山を揺らす咆哮も、


(……斬れる……)


 左手に持つ剣を唐竹に真っ直ぐ斬り下ろし、霧散させる。


 直後には視える光。疾走するトニーを避けて剣を斬り上げる。


「っ、ウラァァァアアッ!」

「————」


 血の滴が飛んだ後、纏わりつくような幾重もの光を視る。デューアは左腕一本で剣を振り続ける。絶え間なく、踊るように光を退けていく。


 まるで周りから押し寄せる軍勢を斬り伏せる英雄のようだった。その剣は一撃で命を刈り取り、その舞いは誰にも止められない。


 たとえ怪物であっても止められない。


 やがて全身を隈なく傷付けられたトニーは……森の暗闇で停止、沈黙した。


「…………」

「剣一振りあればいい。それだけで俺はもう窮地も死線も切り開ける」


 時が経てば経つ程、トニーが仕掛ければ仕掛ける程、デューアの気迫は流れる刃のように洗練されていく。


 このままでは、幻獣の命にも到達する可能性がある。


 何故なら、それを可能とするのが英雄なのだから……。


『……認めない』

「認めてもらうつもりはない。この光と剣があれば、もう負ける未来などない……」


 もしやデューアは、本物の英雄なのだろうか。


 歴史に名を残す伝説の英雄となり、大陸を揺るがす偉業を成しえる者なのか。


 今から殺す・・・・・この男は、本物の英雄なのだろうか。


『それなら認めさせてくれ。本物の幻獣を殺してみせてくれ……』


 森の闇に潜む人狼が、その姿を変えていく。


 姿を見えずとも、気配と一帯の空気がそれを知らせている。重くのしかかる重圧と舐め回されるような悍ましい空気に苛まれる。


 真に幻獣と呼ばれる存在たる所以は、今そこにある。


「………………——っ」


 背後に、トニーがいる……。


 後ほんの少しの理解で見えた導きが、ほんの僅かに今のトニーへ届かなかった。無意識に突き出した刺突も空振り、無防備な背を晒す。


 あと一合か二合か、正確な数は不明ながら……あとほんの少しの差であった。


「ガッ……!?」

『やっぱりな。微かに反応したことは評価してやるが、お前は英雄じゃない、偽物だ。焦ったぁ〜』


 腹から生えた、より分厚い爪を目にして死を確信する。


『脇役風情がふざけんなよ』

「っ…………くっ、そ……」


 込み上げる悔しさは、死への恐怖よりも遥かに強い。


「く……ソォォ…………」


 あと一歩で勝てたからこそ、涙が滲むまでの口惜しさが強く込み上げる。


 あの日の格言が脳裏を過り、もっとできたのではないかと後悔が胸を締め付ける。


 力一杯に歯軋りすれども、納得の剣が届かなかった悔しさは堪えられるはずもない。


「………………この剣も、渡してくれっ……頼むっ……」


 立ってはいられない程に脚からも力が抜け、力む事すら困難になりながらも、左手の剣を上げて情けを請う。


『まっ、初めて俺を斬った剣だ。渡してやるつもりだったよん』

「ケホっ…………ぁとは、黒騎士に託す…………彼なら、お前にとどく……かならずっ……」

『…………』


 無念を思いながらも、仲間達を憂いながらも、血を吐いてでも黒騎士へ意志を託した。


 今の自分で勝てない相手は、黒騎士にしか倒せない。彼ならこのトニーにも届く。


「…………すまない……みんな……」


 重い目蓋が降りていくと視界は闇に閉ざされ、間もなくデューアが生を終える。


 剣の境地に達しながらも敗北し、譲り受けた剣が手から零れ落ちる。


 地面に突き刺さり、続くようにデューアが倒れ込んだ。


 交わした一つ一つの約束を果たせない事に、ただただ申し訳なく思いながら、一人の英雄が旅立った。






























(——あとはお願いします…………先生……)







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