第227話、怪物退治

 指定された場所に到着する。


 馬を降りて改めて周囲へ視線を巡らせた。


 アルスから西南に進んだ山中にある“ショウカ湖”と呼ばれる湖の湖畔だ。


 童話にあるような澄んだ湖ではない。日が射している間は濁った淡水がよく見える。何処にでもある、ちょっとした湖だ。


「――やぁやぁ、デューアくん」


 右斜め後ろから発せられたトニーの声音。


「実際に会うのは初めてだな、トニー」

「そんな事はないさ。屋敷で何度も会話をしているし、今日だって話しただろう?」

「恐ろしい事を言う」


 そちらに向くも、トニーの姿はない。


「それにしても馬鹿正直だねぇ〜。メイドなんて見捨てちゃったらいいもんなのになぁ……」


 また左手側で上がるトニーの声。嘲るようにデューアの目を翻弄している。


「……メイドはどうした。何処にいる。見渡した限りでは、その姿は見られないが」


 更に左手を向くも、トニーはいない。音もなく、風よりも速く移動しているのだろう。


「ん〜〜、手紙に自分で名前を書かせた後に、ここに連れて来ようと思ったんだけど…………必要性を感じられなくて食っちまった。ごめん! 反省してる!」

「…………」


 もしかしたらという考えが的中してしまう。


 真後ろの方角からの声に返す言葉はなく、無言で馬の尻を叩いて一頭で逃げ帰らせる。


「えっ……おやつに食おうと思ってたのに」

「私を殺して食えばいい」

「ええっ? も、もしかして、俺に勝てるつもりなのぉ!?」

「愚問だな。そのつもりでここに来た」


 幸いにも月光は強烈に射し込み、視界は夜と言えども良くも悪くもない。


 手に馴染んだ〈夜の剣〉と〈痺翠〉を腰の左右から引き抜き、振り向いてトニーへと差し向ける。


「べろべろべろべぇ〜」

「もうこれ以上、お前の遊びで死ぬ命があって堪るか……」


 巫山戯るトニーに取り合わず、気を高めて心を備える。


「…………あら、真面目。例の胡散臭い武道の先生から教わって、気が大きくなったかな?」

「怖いのか?」

「怖いよぉ……刃物を持った兄ちゃんが、これから女の子を襲おうってんだからぁ。このヘンタイッ!!」


 獣が飛び出した。


 揶揄っていた先程の猛烈なスピードで、トニーが襲い掛かる。


 それは先生よりも桁違いに速く、獰猛であった。


「…………」

「……あ、あれ? 避けちゃうの?」


 けれどデューアは身を捻っただけで、その爪を躱してしまう。


「ッ――――」

「オオゥ!?」


 左斬り上げに振られた〈痺翠〉を、反撃されたトニーは大きく跳躍して凌ぐ。


「……速いが、それだけだな」


 飛び出す為には、足先に力を込めなければならない。腰を落とし、獅子や狼は身構えて襲撃する。


 その動作たるや、予告しているようなものだ。先生のものからすると欠伸が出そうなものであった。


「あらぁ……じゃ、次は元英雄くんと怪物らしく、正面からどうだ?」


 ゆっくりと歩み寄るトニー。その歩みの意味は、剣士と剣士が行うような剣戟。


 金属が擦れ合うような耳障りな音を立てて爪を擦り合わせ、間合いに達したトニーがデューアへ切り掛かる。


「――――ッッ!?」


 交差させた双剣で受ける瞬間から、身体が臍の辺りまで地面に沈む錯覚を覚える。


 それ程までに常識外の腕力で、眩暈すら感じていた。


「オオッ……!」

「ヒャッハーっ! どこまで続くかトニーちゃんがテストしてやるぜぇー!」


 この力を受けていては、魔剣も自分もすぐに余力が尽きる。削がれる体力は数手で底を尽き、儚く殺されて終わるだろう。


 後手に回るのは避けるべきとして、常に先手を取り続ける。


「ん〜〜〜期待した割には…………いやまだマシな方ではある。実にテイスティーな手応えではあるぅ……」

「ッ――――!」


 攻め立てる双剣はトニーの右手のみで捌かれ、左の爪で牙の間を掃除する茶番まで演じてみせる。


 一貫して道化じみた怪物であった。


 まずはその皮を剥がねばならないだろう。


「ん……? …………おっ? おっと? ほぉ……!?」


 トニーが慌てて左手を追加して、デューアの双剣を受け始める。


 怪物は生まれてから、これまでずっと怪物の力を持って生きてきた。常に身体の能力のみで勝利できたし、むしろ本気を出したことがない。


 だからこそ衰える事態など頭に無く、〈痺翠〉により下がっていく身体能力に疑問を抱かない。


 加えて――


「――――イタぁぁぁ!?」


 トニーの人差し指からダガーを思わせる鋭利な爪が斬り飛ばされる。


 最強の魔剣である〈夜の剣〉が星空を伴い、滲む魔力に“重み”が足されていく。“害意ある刃”を打つ毎に、一つ……また一つと剣身に星の煌めきが生まれる。


「そろそろッ、巫山戯られなくなって来たんじゃないかっ?」

「なんのこれしきっ! こういう時の戦法くらい知ってるもん! ヒットあんどアウェイ!」


 トニーが周りに生い茂る木々の闇へと逃げ飛んだ。


『卑怯と言う勿れ! 策士、策で泳ぐ!』


 瞬間、左の頬が熱くなる。


「…………」


 ヒヤリとしてすぐに、切られた頬から血が流れる感触が生まれる。


(……目で追えなかった。ここからは本気のようだな……)


『今のはサービス! 舐めていたから謝礼ってことにしてもいい!』


 〈夜の剣〉は二十八合と、最高到達点まで届いていない。それでもトニーの爪を斬ることに成功した。


 という事は、トニー自身も斬れる段階には至っているという事だ。


 要するに問題は、デューア自身が見極められるか否か。


「………………クッ!?」


 ぞわりとする予感を受けて咄嗟に剣を右後ろに翳し、転びながらもトニーの強襲を受ける。


『これくらい凌いでくれなきゃ、もうすぐ終わっちゃうよぉ!』

「ちぃっ……!」


 直感により何度も難を凌ぐも、トニーの気配を感じるのは爪が間近に迫った一瞬のみ。


 腹立たしく思い、内心で自身に苛立つ。


 何度も経験して尚も打開策が見出せずにいる自分に、失望にも似た思いを抱かずにいられない。


 そこでやっと、違和感に気付くこととなる。


(何度も……?)


 トニーと戦うのは初めてだ。ならば何処で経験していたのだろうか。


 その疑問はすぐに解消される。


『遅くしたったらええやん。分かりやすぅ振ったったらええですやん』

『徐々に速く、見え辛くしないと意味ないんだもん』


 その場面に思い至った時、改めて師の偉大さを知る。


 状況は酷似していた。まさかこのような事態を想定して、最終日にあの鍛錬を課したのだろうか。


「……“視野を広くして、力を抜く”……」


 殺意を感じ取る直感に任せていては、察知するのは直前となる。身構えて力が入れば、初動が遅れる。


 周囲に集中し、僅かな変化を読み取る。そして脱力の度合いは強く、魔剣を瞬時に振るえる程度まで筋肉を緩める。


『ん? 疲れたのかぁ〜? それは走り込みが足らんからよっ!』

「……………………――――」


 急速に振り向いたデューアに、正面から顔を合わせる事となったトニーが目を剥く。


「こいつっ……!?」

「行くぞッ」


 ここだ。


 驚きに急停止しようとするも、蹈鞴を踏んだトニー。そこへ重ねた双剣を振り上げ、バツ字を描くように斬り付けた。


「のォォォウ!?」


 トニーであっても夜の重みを受ければ、軽く吹き飛ぶ。


 追撃する〈夜の剣〉によりトニーの巨体は湖方面へ転がり回る。


「なんちゃってぇぇ――――」


 逆さまに倒立するライカンスロープが咆哮を打ち出した。


 地面を巻き上げ、粒子と変えながらデューアを巻き込む。


「――――」


 筈だったのだが、咆哮直前に目にしたデューアは既に交差させた双剣を、擦り合わせながら振り上げていた。


 偶然なのか、読んでいたのか、音波の衝突により幻獣の咆哮が掻き消される。


「夜よっ!!」

「っ……!?」


 跳び上がったデューアが縦に回転して、夜空の軌跡を残しながら魔剣を叩き込む。縦の〈廻旋アクセル〉。


 夜の重みがライカンスロープを打つ。


 景色が揺れる。伝わる重量は地面に抜け、更に湖へと至る。水面は弾けて舞い上がり、霧となって月明かりを反射する。


「…………」


 ……デューアはその光景を、自分を静かに見下ろすトニー越しに見る。


「……英雄ごっこは楽しめたか? これが英雄交代に対する俺流の謝罪だ」


 星空の剣を掴んで受け止めるトニーが穏やかな顔付きで告げた。


 〈夜の剣〉を持つデューアの右腕が、千切れ飛ぶ。

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