第226話、最後の民は捧げられた
暗闇に椅子が一つ。
背後の闇から、狼の顔面がゆるりと現れる。
同時に椅子とその者だけが照らされ、此度の英雄譚を語る最後の時が始まる。
「やぁやぁやぁ、傍観者諸君。どうやらアクシデントを乗り越えて、後はクライマックスを残すのみとなったようだ」
トニーが変わらずコミカルに告げる。
上等な椅子に腰掛け、脚を組み、指を組んで、さも楽しげに……。
「あっ、そうだそうだ。謝らないとと思っていたんだぁ……」
手を叩いたトニーは肩を落とし、傍観者へ謝罪する。
「ユミを殺せなかったんだよぉ……不覚にも生きてるみたいなんだよぉ……」
死が目前に迫っていたユミは、黒騎士により何らかの方法で治療されてしまった。
それも完全に、翌日から全快していた。
「しかし安心して欲しい。俺は言ったな? 俺は“もう一人だけ殺す”と言った」
確かに聞いた。
「あの言葉の責任は果たしたさ。もっといい人選があったので、代わりにデューアを殺しておいたよ」
英雄ではなかったのか。彼を英雄と見立てた物語ではなかったのか。
傍観者達は裏切りにも似た思いで、トニーを責める。
「考えたんだ。より君達にとって悲劇的な展開は何だろうって。そして黒騎士に出会って閃いた」
トニーは、傍観者の敵である。
「デューア、要らね。デューアを見て来た諸君は、彼が虫ケラみたいに呆気なくプチっと殺されたなら、それはもう悲しむ筈だ。だから……やっておいたよ」
トニーは、英雄を許さない。
「なぁに、今は黒騎士がいる。デューアは丁度良い塩梅の“民”へと格下げしたのだよ。あいつは器じゃなかった、偽物だ」
トニーは、英雄譚の全てを否定する。
「しかしこれで、英雄が誕生した。あとはこの怪物トニーと黒騎士がやり合うだけだ」
トニーは怪物として英雄を殺し、傍観者を絶望させる為だけに存在している。
「最後まで観ていてくれたまえ。望まない結末だろうと、目を背けたくなろうとも、そこで、全てを観ているんだ……」
あの日から、ずっと。いや、生まれた時から、ずっと。
「諸君らのお陰で、また一つの物語が生まれる」
英雄が死に、怪物が残り、また始まる物語に怯え続ければいい。
「…………それがお望みなんだろう?」
最後の声音だけは呟くようで冷酷で、初めてトニー自身の感情が乗せられていた。
♢♢♢
デューアの遺体はこれまでの演出などはなく、領主館の中庭に投げ捨てられていた。
遺体安置所にはデューアと関わり深かった者達が残されていた。
更に、申し出た黒騎士を加えて、遺物〈死霊ガ残ス光〉による記憶回想が行われる。
布を被せられたデューアの遺体から、赤い煙が昇る。
謎を解かなければならない。知らなければならない。何故デューアが殺されたのか。外部から、どうやってデューアを殺せたのか。黒騎士とユミの監視もある中で、どのように暗躍したのか。
現れた光景は、三日目の夕方であった。
………
……
…
特に何事もなく、黒騎士との約束である三日が経過しようとしている。
物騒な魔物も狩り尽くしたのか、ここ三日は都市外に出ることもない。
巡回任務やエンゼ教入信者への応対が主な仕事内容だった。
アルス到着時に行っていた生活に戻りつつある。ハプニング続きの日常が、落ち着いた証拠だろう。
と、思っていた矢先に、問題が発生した。
「…………」
夕方、ディナー前に着替えをしようと自室へ戻ったのだが、デスクに一通の手紙があることに気付いた。
悪い予感を覚えながらも、デューアは手紙を開いて内容を確認する。
「…………」
手紙を内ポケットに仕舞い、着替えることなく部屋を後にする。
(……まだ屋敷にいたのか……)
トニーからの招待状であった。
アルスから離れたある地点に一人で訪れよと、メイドを人質に取られて指示されていた。
おそらくトニーはまだ屋敷に潜んでいて、様子見をしながら機を伺っていたのだろう。
黒騎士を警戒しての事だろうと予想される。
「デューア? 何処に行くの、もうすぐ夕食よ?」
「少し遠くへ行って来る。魔物が出たそうだ」
食堂へ向かうアーチェに呼び止められるも、平静を装いこれまでにもよくあったシチュエーションで誤魔化した。
「…………本当?」
初めて、アーチェに嘘を疑われた。
「ふっ、本当だ。どうして疑う必要がある」
「そうだけど……」
珍しく不安そうに表情を曇らせるアーチェに微笑み、自然体で平時を装う。
「すぐに帰って来る。夕食は適当に残しておいてくれ」
「……約束ね?」
「あぁ、約束だ。では行って来る」
「うん……」
不審に思われないよう、気持ち軽くアーチェを通り過ぎ、馬小屋へ向かう。
背後に視線を受けながらも、歩みを止める事なく怪物の元へ急ぐ。
夕刻は黒騎士がまだ領主館を見張る前……。トニーは黒騎士が訪れた理由と、この時刻を調べるのに三日をかけていた。
そして念の為に残しておいた三人目のメイドを使い、デューアを誘き出す事に成功した。
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