第225話、待ち伏せにはバーガー


 朝の空気は清々しく、冷え込む今日は最後の稽古には打って付けであった。


「くぁ〜〜〜っ……」


 鳥の囀りや風切り音に混じり、ユミの欠伸をする声が耳に届く。早起きをしてカジノが開くまで暇をしているらしい。


 構わず僅かな呼吸の乱れを加速させんばかりに、足裏が忙しなく土を引く。


 トニーを想定して、身躱しのみでの手合わせが行われていた。


 今回の指導を総括する、成長度合いを試すものでもある。


「ぬぐっ――」


 逆袈裟に斬り下ろされる木剣を、全力で仰け反って躱す。


「そんな仰け反る……? もうちょっと視野を広くして、力を抜いてごらん? 当たったら痛いけど、躱しやすくなるよ」

「言っとること、無茶苦茶やなぁ」


 助言を受けるも、言いたい事は理解できる。


 これが並大抵の相手であれば、一寸の見切りで躱してみせよう。


 だが自然体から繰り出されるこの男の剣は、気付いた時には首筋に迫っている。加えて鋭さも疾るようで、閃きを見た時には通過している。


「遅くしたったらええやん。分かりやすぅ振ったったらええですやん」

「徐々に速く、見え辛くしないと意味ないんだもん」

「ボコボコにしよう思うてんの? ええやんええやん、これはウチも腰を据えて観よかぁ。はよ血を見してください」

「絶句の一言だね」


 寝坊してしまっているクーラには悪く思うが、一人で集中できる環境なのが有り難い。


 気を失う程のトレーニングも乗り越えた。それは確かな自負となって、一歩先へ踏み出す勇気となる。


「よし、そろそろまた行くよ?」

「はい」


 また木剣が速くなる。


「ッ――――」


 ゾッと恐怖が心を蝕み、左薙を受け止めてしまった。


 これが続いている内は、完全な身躱しを体得することはできないだろう。


 恐怖を感じる余地のない集中。あるいは無の境地。例え方は様々だが、それらに類する地点に至らなければならない。


「はい、次ぃ〜」

「…………――――」


 また剣が、速くなる。



 ………


 ……


 …



 お別れの時が来た。


 早朝稽古後、領主館前でデューア君との一旦のお別れをする。


「はい、これ」

「これは……」

「名付けて“約束の剣”だね」


 俺の剣をデューア君へ渡す。


「それを王都のアーチ・チーってカジノのジェラルドって大男に見せれば、俺に連絡が来るから」

「分かりました。アーチ・チーのジェラルドですね」

「あと……クーラ君にも何か送ろうかと思ったんだけど、何もなかったんだよね。だから、これをあげといてもらえる?」


 鍛治士ボボンの家でデューア君を待つ間に暇して作ってあった、竹の箸を差し出す。


「これも“約束の箸”って名前付けたから。これをカジノに持って行っても、おそらく俺に連絡が来る……んじゃないかなぁ」

「わ、分かりました。伝えておきます……」


 これで連絡が取れる。ジェラルドでなくともマルコがいれば、察して俺に教えてくれるだろう。


 となると、お別れとなるわけだが……。


「……すん、短い間だったけど、ありがとう!」


 ハンカチで濡れる目元を押さえ、デューア君と別れの握手をする。


「こ、こちらこそっ、観光目的にも関わらずご不便をおかけしました。このご恩は決して忘れません」


 卓越した双剣技で、エンゼ教を導く若きエース。行く先の道に光あらんことを祈るばかりだ。


「ごめん……! 泣くつもりはなかったんだけど……」

「ハンカチ用意しとるやん。流れるように出してたやん」


 流れる涙を堪え、両手で強く握り返してから手を離す。


「じゃ、またね」

「はい。そう遠くない未来に、必ず顔を出します」


 最後は笑顔でお別れした。


 こうして今までの弟子を鼻で笑ってしまいそうな過去最高の弟子が生まれ、独り立ちしていった。



 〜三時間後〜



 俺は再び、領主館前へとやって来ていた。


 気付いたメイドが悲鳴を上げ、駆け付けたエンゼ教の戦闘員に包囲される。


 昨日は仲良く戦ってましたやん……などと言える雰囲気ではない。


「く、黒騎士っ、ここに何の用だ……!」


 寝坊した分際で先頭切って構えるクーラだが、知らんぷりをしてあげなければならない。


 何故なら今の俺は黒騎士。先生は他の都市に旅立ったのだから。


「トニーと思しき者と接触した。その情報を提供しようと思い参上した次第だ」



 ♢♢♢



 黒騎士を迎え入れ、会議室へと通す。


 身に宿す膨大な魔力を滲ませ、人離れした剛腕は昨日に幾人かがその目にしている。


 大司教司教に取り囲まれようと、何の警戒もなく指定された椅子に着く。


「初めましてお目にかかります。私がエンゼ教アルス支部の代表、プッチ・パッソです」

「こちらこそ、初めまして。私のことは知っているようだから、自己紹介は省こう」


 強者故の余裕からなのか、非常に穏やかな開口で敵対者同士の会議は始まった。


「異論はありません。では足早ではありますが、本題へ移りましょう」

「あぁ」

「トニーの情報を提供していただけるとの事ですが、どのようなものなのかお聞かせください」


 黒騎士はエンゼ教関係者達を前に、トニーと対面した際の印象や行動を具に言って聞かせた。


「あれは私でも手に余るだろう。君達と私とで手を組んで当たるべきだ」

「こちらとしては願ってもない申し出ですが…………すみません。他に言い方が思い付かないので、端的に申します」


 回りくどい言い方は控え、あえて舌鋒鋭く問いかけた。


「そちらは、何を求めておいでなのでしょうか」


 黒騎士が求める利益がある筈だ。金かエンゼ教からの離反か、魔剣やそれ以外に狙いがあるのか。


 もしくは遺物〈死霊ガ残ス光〉の事も知っているので、それを要求するのかもしれない。


「別に。お礼なら受け取るが、私はトニーという危険人物を倒したいだけだ」

「……無償で協力をすると、仰るのですか?」

「そもそも勘違いをしているようだが、私は君達と敵対しているつもりはない。用があるのは、ベネディクト・アークマンと悪党だけだ」


 それは詰まるところ自分達との敵対関係であることを表すのだが、黒騎士としては違いがあると考えているらしい。


「ふむ…………具体的に、どう協力しましょう。トニーらしきメイドは逃亡している様子。特定されないようにでしょう。メイド三名が消息を絶ち、私共は待ちの一手しか残されていません」

「昨夜で最後であれば良いが、逃げたからにはまだ続けるのだろう。だからこそ、夜は私が外から領主館を見張ろうと思う」

「おおっ……!」


 願ってもない申し出であった。


 内にはもうトニーはいないと思われる。三名を排除してその実、まだ潜んでいる可能性はある。だが、それでも外にいるかもしれないならば、黒騎士が見張るならこれが最善の手と言える。


 領主館を覆う防壁が目に見えるようであった。


 気を許さないよう顔色険しく見守っていた誰もが、思いがけない朗報に胸を撫で下ろす。


「……どう考えても、こちらにメリットしかない。これは協力とは言えません」

「それは無論です」


 横合いから口を挟んだデューアに同意して、パッソは報酬に考えを巡らせる。


 遺物は所持しておくべきだ。領主ギャブルの金庫に保管してあるが、これを動かすことは本意ではない。


 魔剣や魔具も惜しい。黒騎士から口に出して要求されない限り、こちらからは触れないのが得策だろう。


「普通に金銭と引き換えでいいのではないだろうか」

「……あなたがそれでいいと仰るなら、言い値をご用意します」


 金に困っているわけではないだろうに、無難なところを自ら提示した。


 信じられない事に、本当にトニーを倒す事にしか関心がないようだ。


「では外からは黒騎士殿が、館内は我々自身で警戒すると言う事で、三日は様子を見てみましょう」

「了解した」


 席を立った黒騎士の威圧感に、一同が足並み揃えて後退りする。


「……デューア君、彼を外まで送り届けてもらえますか?」

「分かりました」


 他に適任がいない。あのチャンプですら、黒騎士とまともに接する事は難しいだろう。


 パッソの指示を受けたデューアが、先んじて扉を開ける。


「こちらだ」

「……一人で帰れるのだがな」

「客として来た以上、見送りをしなければ団体として品が損なわれる。これでも最低限度の礼儀だろうがな」


 慣れたのか気後れすることなく、黒騎士を背後に伴ったデューアが部屋を後に正面玄関へ進む。


「……どうして自らトニーなどという狂気の殺人鬼と事を構えようとするのか、私には理解できない」

「人には人の理屈がある。矜持がある。利用できるものなのだから、君は身内の為に利用すればいい」

「……そう簡単にはいかないだろう。手を貸してくれた善人であれば、尚更だ」


 ガニメデ戦でも借りがある。


 遭遇した帝国の部隊相手にも共闘した。


 パッソ達は黒騎士を前面に押して、自分達の被害をできるだけ抑えるよう考えている筈だ。トニーと再度の交渉をしてでも、黒騎士とぶつける算段を立てるだろう。


「黒騎士、そちらが関わるべき事ではない。このまま去るんだ」

「飽きたら帰るさ」


 トニーも自分達も無視して、素直にアルスから去れば良いものをと深く嘆息する。


 やがて玄関を過ぎ、正門にて向き合う。


「差し当たり、三日だ。三日後に何もなければ、また来る」

「……あぁ、トニーが諦めてくれることを祈るばかりだ」


 本日、二度目の見送りが終わる。



 ………


 ……


 …



 ダブルチーズバーガーを食べます。


 牛百%の挽き肉をパティにしたチーズバーガーを、ホテルのシェフに調理してもらいました。


 代わりにレシピを求められたので、俺直伝という旨をしかと伝えて姑息にも自分の手柄にして渡してしまいました。自責の念が途轍もありませんが、誰が発明したのか知らないので勘弁してもらいます。


「よしっ、これを食ってしっかり見張るよ!」

「何でこんなアホな事せんとアカンのやろなぁ……」


 領主館がよく見える大きな樹の幹に座り、日が暮れてから夜通しの監視が始まる。


 久しぶりの子供形態で、まずはダブルチーズバーガーを食べる。


「君だってまだ狙われてるかもしれないでしょ? ここでやっつけておかないと、恐ろしくてこれから生活できないかもよ?」

「……なぁなぁ、こっちのは何なん?」


 太い枝の上で器用に身動きするユミが、軽々しく俺の籠を漁っていた。


「ちょっと触んないで。それは後半に食べるライスバーガーなんだから。俺はこっちが本命」


 ライスバーガーが好きです。


 何故ならライスを使って肉を挟んで、野菜まで潜ませるという禁忌のバーガーだから。


「この竹筒にはミルクコーヒーが入ってるから、冷たい内にバーガーとどうぞ」

「あっ、おおきにぃ〜」


 これで暫くは黙っているだろう。ダブルチーズバーガーとミルクコーヒーで、口が忙しくなる。


 それでは俺も頂きます。


「いただきま〜す…………あむっ」

「うんまっ、なにこれぇ」


 最悪のタイミングで水を差されるも、やはりハンバーガーって美味しい。


 それに一流ホテルのお肉を使ったからか、めちゃくちゃジューシー。挽き肉にしてくれと言った時の苦々しい顔なんて、見れたものではなかったが。トマトも水々しくて、濃厚なチーズとの相性が抜群だ。


 大口を開けて、もう一口。バンズの風味とシャキシャキ野菜の食感がまず楽しめ、噛み締めていくと肉の旨味とトマト、チーズが合わさり、病み付きにさせてくれる。


「う〜〜んっ、明日は中にトマトソースとか入れてもらおうかな」


 明日の楽しみも生まれたところで、飲み物で喉を潤そう。


 コーラは無し。だってどうやって作るか分からないもの。


 なのでミルクコーヒーで代用する。パン系にはコーヒー牛乳かカフェオレが個人的には好ましい。ミルクティーも代用可能。


「あ〜むっ……」


 早くもダブルチーズバーガーを完食し、ミルクコーヒーを飲みつつ領主館を見張る。


 風下に位置する場所でもあり、ユミと二人しての万全態勢で臨む。


 けれど…………トニーは現れなかった。












 ………


 ……


 …















 三つの夜を越え、朝日が昇る。


 トニーは現れず、改めて策を練る必要がある。


 黒騎士は領主館へ赴いた。けれど屋敷の人間から受けた報せにより、向かう先を変えることとなった。


「っ……黒騎士っ!」

「退いてくれ」


 建物の前に集まる人だかりを姿一つで退かせ、早足で目的の場所へ急ぐ。


 駆け降り、目的地の扉を開く。


 その前から聴こえる嗚咽に、多くの悲痛な声……。


「……………………っ」


 遺体安置所の地下に、また一つ運ばれた者がいた。


 その者は数多くの者に慕われ、その証拠にこうして別れを惜しまれている。彼等は受け入れられないでいる。


 これを真実と認められない者達で溢れている。


 黒騎士はその遺体から視線を外し…………傍らに置かれた二つの魔剣と一本の剣を見てから、静かに俯いた。

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