第224話、怪物、死にかける


「ちぃ……! 横着するんやなかったわ!」


 アルスで最も目立つ場所から狙撃していた慢心が、ユミを窮地に追いやっていた。


 夜の建物を跳び回り、黒騎士の元へ避難しようとするも、怪物がすぐ後ろにまで迫っていた。


「大丈夫っ! 一瞬! 顎パカ〜んからのガチ〜んで終わりだから!」

「嫌やなぁ、冗談はやめてぇ〜。そこらの魔物で間に合わせてもらえますぅ? それか今日は都合が悪いねん、明日にしといてぇ」

「分かりましたぁ…………ってなりませんっ! 観念してください!」


 巫山戯る逃走者と巫山戯る追跡者。トニーに追われて尚も自分の歩調は乱さないながらも、常軌を逸した幻獣ライカンスロープの速度に顔を顰める。


 いや、これでもわざと泳がせているように見受けられる。


「――よっ!」


 跳びながら弓に矢を番え、次々に空へ放つ。全ての矢が異なる軌道を描き、トニーが着地したポイントへ降り注ぐ。


 魔力により弾け、鋼の破片が細かく降り頻る。


「オオウ!? 今日のシャワーはこれにて終了!」

「ほんまもんのバケモンやん……」


 全身で浴びて爽快とばかりに、ハンカチーフで身体を拭くライカンスロープ。破片はコンクリートすらも容易く貫いている。速度だけでなく、強靭さも伝説に謳われるだけはあった。


 ユミにとって、天敵とも言える相手だ。既に対面しており、近接戦で勝ち目はなく、速度で負けている。


 最悪な状況と言えた。


「なんやのぉ……ウチになんの用なん?」

「どうもすんませんねぇ、姉さん」


 揉み手をして媚を売るトニーに、嘆息混じりに対話しながら打開策を思索する。


「いやね? 二十五人以内の犠牲者で終われば、もう止めようって約束だったんですわぁ。けど二十五人を超えちゃったから、ユミさんかグーリーを殺そうと思いましてね?」

「だったらグーリーにしとき」

「それが俺の傍観者はあなたを選択したんですよぉ〜」

「……何を言うてんの?」


 訳が分からない。発言の内容に理解が及ばず、素直な疑問が漏れ出ていた。


「あら、ご存じでない? それじゃあ説明しましょう。傍観者とは物語を見ているこいつらのことで、あれぇ……?」


 ユミの姿は消え…………遥か前方にいた。


「付き合ってられへん。明らかにヤバい匂いしかせぇへんし、はよ魔王はんに殺してもらおかぁ」


 全力疾走で逃げるユミは風に運ばれる匂いを辿り、確実にトニーを葬れる唯一の存在の元へ向かう。


(それにアイツ、多分もう……)


 数度の会話を経て、ユミはトニーがどのような存在かを察した。


 屋根に降り立ち、走り抜け、次の屋根へ跳――


「――あ〜ん」

「っ――――」


 下からぬるりと這い出た影が、顎を開いて待ち構える。


 幾ら何でも速過ぎる。あれだけの距離を四秒で埋め、先回りまでしてみせた。


(そら帝国も手を焼くわけやね……)


 先んじて感知して体勢を変え、顎の上顎と下顎に足を開いて踏み付け、閉じる勢いを利用して飛び退いた。


「ガチンっ! …………おんやぁ?」

「ガチンって自分で言うな。充分、アホみたいな音が鳴っとるわ」


 手を付き、後方に回転して跳ぶと、そのまま弓を構えた。


 しかし、そこにトニーはいなかった。


「どんだけ素早いねん……」

「おおっ!? はぁ!?」


 背後から突き出された爪を、そちらも見ずして躱してしまう。


「ええっ!? ば、化け物めぇぇ! エンガチョ!」


 トニーの怪物人生で、初めて背後からの奇襲を躱される。芝居掛かった動きでユミへの悪感情を表し、自分の身体を抱いて驚愕する。


「ええやん、燃えて来たわ」

「えっ、ウソ! 俺を見て勝負しかけて来たの、初めてなんですけど……」

「逃げられへんなら戦うしかないなぁってだけやねんよ?」


 一体だけリーパーを残しておいた。魔王は察したようで、現在は先程の塔方面にいる。


 時間を稼ぎ、騒げば騒ぐ程に見つけ易くなる筈。


 だが、ここでユミでさえもどうしようもない事態が発生する。


 相手に何ができるか知り得ない場合、初見では不可避な攻撃がある。ユミ自身のような超遠距離狙撃がそれである。


「ああ〜っ、んんっ! っ――――――」


 トニーの場合は、咆哮であった。


 奇しくも、ミッティやデューアと同じく音波による衝撃波。それも技の起こりすら見極め難く、突然に打ち出される回避不能の音波攻撃であった。


 距離も運が悪い。互いの距離間も短く、どこに跳躍できたとしても巻き込まれてしまう。


「ッ――――!!」


 才能ではなく、ユミの持つ経験から大司教の翼が解き放たれた。


「ふぅ…………えっ?」

「…………」


 トニーはパチパチと瞬きして目を疑う。


 傷はあれども五体満足に立つユミを目にして、英雄……こいつが良かったんじゃないのかと後悔に苛まれる。


 それほどに確信を持って圧殺できたと思える手応えであった。


(アカン……鼓膜が破れて聴こえへん)


 匂いよりも音の方が早く届く。故に聴覚も異常な進化を遂げたユミは、トニーにさえも対応してみせていた。


「…………」

「…………」


 トニーを注視するユミへと、怪物は下を指差す。


 あるのは…………今の咆哮でヒビだらけとなった屋根。


「建て替えた方がきっと早いよね? っ――――――」


 怪物の行動は、怪物にしか分からない。


 トニーが真下へと咆哮を爆発させた。



 ………


 ……


 …



「っ…………」


 前方で一度の雄叫び、それから二度目は建物が倒壊しているのが、立ち上る粉塵から把握できる。


 クロノの姿がかき消え、一瞬と経たずして倒壊した建物跡に到着する。


 同時に目撃者がいても無茶ができるよう黒騎士となって降り立つ。


「…………」


 辺りを見回してもトニーらしき姿もユミの姿も見当たらない。


 と、向かいの建物に大きな穴が空いていることに気付く。


「…………」


 黒騎士が、暗闇の中へ踏み入る。


 中は暗い。しかし予想よりも広いようで、吹き抜けのような造りをしている。


 どのような建物なのかは分からない。


 分かるのは生活感の気配が無く、住居でないことくらいだ。


「……君がトニーか?」


 視線を上げた黒騎士が問いかけた。


 閉ざされた闇黒の暗がりの中で、興味津々に見下ろす眼差しをくれる者へと。


「そうとも。会えて嬉しいよ、黒騎士くん」

「ユミは?」

「それより鎧を脱いでみない? お顔はさぞ端正なのだろうと思う。ブ男でもガッカリしないからさぁ、頼むよぉ」

「すまないが、先にユミをどうしたのかだけ教えてくれ」

「どうしてもぉ?」

「あぁ、どうしてもだ」


 先程から、血の匂いは感じていた。


 漆黒の鎧が黒く朧げとなり、眼は冷たく鋭いものとなっていく……。


「生きているなら治療しなければならないし、殺してしまったのなら仕方ない」

「あら、淡白。白身魚みたい」

「俺に蘇生なんてできないから、割り切るしかないさ」


 やがて闇をそのまま纏うような姿となった黒騎士は、武装を解除して、


「死んでしまっているのなら、今すぐに君を倒すだけだ……」


 怪物へと死を宣告した。


「ブルブルブルブル……!」


 階上の影が、大きく身震いした。


 冗談混じりに震えるも、下手なことを言えば本当に殺されるのではと思わされる。


 怪物が初めて、怪物とも呼べない何かに出会ってしまう。息を吐かれれば塵よりも儚く飛ばされるのではと感じられる程に、自分が矮小に思えてしまう。


「ん〜〜〜っ、気に入った!」

「…………」

「分かったよぉ、ならコレはプレゼントしちゃう!」


 投げ付けられたそれを抱き止める。


「っ…………」

「じゃ、またすぐに会おうぜ! そん時にやり合おう! ちょっとした舞台を作っておくからさ!」


 壁を突き破って離れていく気配に取り合わず、完全に力の抜けた抜け殻のような人体に魔力を流す。


 咬み千切られる寸前であった、呼吸しているのかも怪しいユミに集中する。


『忙しくなるぞぉ〜!』


 黒騎士をして、怪物は止まらない。



 ………


 ……


 …



「――――ハッ!?」


 開眼。悪夢から覚めたユミが、勢いよく上半身を起こす。


 そこはいつものホテルのベッド。いつもの装いに、いつもの朝日。


「おっ? 起きた?」


 そして、日常となった魔王の背中。向かいのデスクから振り返り、こちらを見る。


「おはよ〜」

「……なんや、夢かぁ。油断して負けてしもうた夢見たわぁ。朝から気ぃ悪いなぁ……」


 トニーに敗北する悪夢から覚め、滲む汗を拭って一息吐く。


「夢じゃないけどね」

「えっ……?」

「君、ばっちり死にかけてたよ? ていうか、ほぼ死んでたよ?」


 刀の錆を造る傍らに、何気なく言う。


 昨夜はその場の魔改造だけでは完治できず、連れ帰って治療を続け、やっと生き永らえていた。


「……ほな、手札も見たし次は確実に殺すとしましょ」

「アレは……思ったより危険かもしれないね。死ぬことも何とも思ってなさそうだったし、たぶん本気になったら黒騎士なんか手も足も出ないかも」

「あれな、ふふっ……もうぶっ壊れてもうてるみたいやなぁ」


 おそらくトニーは、これまでの人生で怪物として完成した後だ。いや、壊された後とも言える。


 そうならざるを得ない半生があり、怪物として力を振るうことを躊躇わない。怪物としてならば死ぬことすらも受け入れるだろう。


 だからこそ、何をするか分からない。それが最も恐ろしい。


「これからデューア君に稽古を付けに行って、そのままお別れになるから。護衛してあげるから君も来たら?」

「しゃあないなぁ。あんたがそない頼むなら、ウチも重い腰を上げよかぁ」

「これからは寝ずの番をして領主館を見張ってやるんだ。帝国もあんな危険なの、逃がさないでくれよ……」


 贈り物を手に立ち上がった魔王に続き、ユミもそそくさと着替えを始める。着替え始めて……自分が昨夜に着替えさせられたことに気付く。

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