第222話、らすとちゃんす

 アルス中心部で、最も高い建造物の上に二つの影があった。


 とある富豪の建てた時計塔の上部。その縁に座り、アルスの街を見下ろしていた。


「……魔王はん、ウチの胸はよ返して」

「あれはあくまでもご褒美だよ。また目立った働きがあったらやってあげるから」


 隣り合うユミが苛立たしさを露わに言えば、魔王は能天気とも言える声音で蜜を翳して見せた。


「こんな貧しい胸にしといて、次はご褒美や言うたんっ? ええ度胸しとるやないの……」

「それが君のノーマル状態だからね? 君本来の姿だからね?」

「違いますぅ、呪いが解けたんですぅ。あれが本当のウチに他ならへんねん」

「何が不満なのか分からないよ……。……図に乗りそうだったから言わなかったけど、性格を除けば君はそれはもう素敵な容姿をしていると思うよ?」

「エロいユミとエロくないユミ、どっちか選んでみぃ」

「どうだろ。どっちでも――」

「嘘吐くのはどいつやの。エロいユミしか勝たんやん、真理やん。二度と綺麗事は抜かさんといて。腹立つわぁ……」

「う〜ん……とんでもない化け物を生み出しちゃったかもしれない」


 ユミは巨乳や美乳の撲滅運動に熱心であった。


 けれど手に入れた時、彼女は持たざる者から生まれ変わり、改心した。いや、持つ者の側と和解したと言える。


 大きい小さい、それだけだ。けれど大きいだけで、男女問わず視線を呼び込む魅力がある。大きいだけで、迫力がある。


「大きいのは何よりエロいねん。コ〜ンな美人なウチがエロくなったら、もう無敵やねん」

「それを聞かされてもだよ。肩も凝るって聞くし、男性のイヤらしい視線も嫌だとかあるんじゃない?」

「マッサージしてや、守ってや。お気に入りは自分の手で手入れせんと、守らんとぉ」

「…………」


 真っ白い太腿の際どいところまで露わとして、魔王の膝に乗せて誘惑する。


 ユミに護衛とは、これほど縁遠い言葉はない。


 クジョウでの狙撃、ガニメデ達との戦闘、帝国との諍い、どれを取っても常軌を逸した実力が証明されている。


 魔王を除けば、このアルスで勝てる者など…………。


(……そのトニーってのが、どれだけやるかによるか)


「はぁ〜あ、ホテル戻って寝たいわぁ……」

「先に戻ってていいよ? いつになるか分からないし、ここから何らかの異変が分かるとも断言できないしね」

「まっ、もう少しだけ付き合ってあげましょかぁ。なんかぶっ殺せるかも分からんしぃ」

「君は変わんないね。……変わったことと言えば、やけに遠慮ってものが無くなったくらい」


 魔王の膝に頭を乗せ、寝そべって夜空を眺め始める。


 眼下の喧騒は遠く、吹き付ける風は程良く、星が流れる夜は陶酔するほどに心地良い。


「……他人が嫌いやねん。皆んな、何を考えとるか分からんやろ?」

「…………」

「この空みたいに綺麗でも、どうしても裏があるもんやと思うてしまう。それが正解やと分かってしまう。世界はこんなにも汚いねん」


 夢見心地になって来たのか、星を見上げるユミが唐突に呟いた。


「……それが面白いんじゃないか。この魔王が世界に変革を齎らすんだ。プランはまだ全然ないけど」

「内から裏切られるかもしれへんで? ウチでも、王女はんでも、他にもおるんやろ? 誰しもに裏の顔がある。隠しとる本性があんねん」

「君がいつの間に魔王軍に加入したのか知らないけど、裏切りがあってこその魔王軍。他の人に迷惑をかけないのであれば、むしろ望むところだね」


 突き抜けて強く、底抜けにお人好しで、楽観的なのか肯定的なのか明るい側面も持つ。


「……あんたのお膝元は、居心地ええなぁ」

「大腿四頭筋のことぉ?」

「そやなぁ、大体死闘菌やなぁ」


 星空を見上げ、時折思い出したように怪物が潜むアルスを見下ろす。



 ♢♢♢



 時計の秒針が秒を刻む音のみが鳴る。


 夕食を終えてすぐに、三つの大部屋に司教と大司教が集う。犯行予告のその時間を、刻々と待つ。


 所用で部屋を離れる場合でも、三人で行動。就寝は自由だが、椅子に座ったまま。メイド達も原則として部屋から出られない。


 今夜限りの様々な規則に縛られながらも、トニーが動き出すその瞬間に備え、各自が表情固く時を過ごす。


「なんか子供の頃に夜更かしした時みたいでワクワクするね」

「……相変わらず大した度胸だな」


 孤児院で育った際に、子供部屋に見回りがなかったのをいいことに、寄付されたボードゲームなどが夜を通して行われた。流行りのものが届く度に、恒例となっていた。


 アーチェは特にボードゲームが好きで、デューアを無理矢理に付き合わせて遊んでいた。


「ねぇ、子供の頃ってどんな話をしてたっけ」

「どんな? …………覚えていないな」


 コーヒーと紅茶を片手にテーブルで向かい合い、他愛もない談話に興じる。


「お腹が減ったとか、明日の当番が嫌とか、朝ご飯が楽しみとか、色々なことを話していたじゃない」

「外で遊ぶことが好きではなかったことは覚えてるんだがな……」

「デューア、剣を覚えるまでは本ばっかり読んでいたものね」


 外の世界を知りたかったデューアが、限られた中で少しでも知識を得るには本が最も良いように思われた。


 後になってから、エンゼ教に精査された本で知れるものなど高が知れていると気付いたのだが。


「あの頃は……途中から戦記物の小説を読むことに熱中していたな」

「そうだ! その話もよく聞かせてくれたじゃない! キラッキラした目で教えてくれたわ!」

「そうだったか……? それが本当なら恥ずかしくなって来たぞ……」


 顔を赤くするデューアを前に、より興奮するアーチェ。そこへまた一人の幼馴染が会話に加わる。


「これが終わったら、身内を連れて逃げるべきだろうな」

「…………」

「皆、分かっていることだ。エンゼ教は勝てない。負けて散り散りになり、主要な面子はお尋ね者として手配されるだけだ」


 ミッティやカナンの件でズルズルと先延ばしになっているが、デューアも同じ考えを抱いていた。


 王国軍に本気で勝てるとは思えない。エンゼ教の信仰者は激減する一方で、直接対決をすると上層部は言うが、そもそも兵数が違い過ぎる。


「トニーをどうにかしなければ、付いて来かねない。今夜で諦めさせるしかない」

「だな。最後の踏ん張りどころだ」

「魔剣などは返して、遺物も置き土産に置いていけば領主やパッソさんも追っては来ないだろう」

「暫くは傭兵を装って旅をするのが良いと思うが、定住先に何処か当てはあるか?」


 安全に隠れられる居場所に当てなど無い。


 だが、旅と聞いて思い出すことがあった。丁度、幼い頃の話をしていたからなのか、ふとある会話の記憶が蘇る。


「……アーチェ」

「えっ……!? な、なに……?」

「大きくなったら両親を探す旅に出たいと言っていたな」


 アーチェだけではない。子供の頃にはサドンもデューアも同じ思いを抱いていた。


 理由を聞きたい。怒鳴り付けたい。殴り付けたい。ただ会いたい。動機は様々ながら、生涯で一度でもいいから顔を見たいという者は多かった。


「い、言ったけど……。……けど、そんなの子供の時の話だし……」

「旅のついでに、みんなの親を捜すのもいいかもな。ただ傭兵の仕事をすると言っても、目的があった方が張りが出る」


 言いたいことは分かる。今更、親に会ったところで伝えたい思いはない。大人になる過程で失われていた。


 少なくともデューアとサドンはそうであった。


「ふっ、アーチェや数名は今でも関心があるのだろう? デューアや俺に隠すことはない」

「そうだ。時間も持て余すだろうし、都合がいい」


 二十代にもなって親に会いたいと素直に言えず、言葉を濁すアーチェを察して告げた。


「ぅぅ………………よ、寄り道して損はないっていう時には、そうしましょ! ねっ?」


 これでも遠慮気味に提案するアーチェに、互いの顔を見合わせた二人が肩を竦める。


「デューアだって、先生に会いに行くでしょ?」

「……可能なら、纏まった時間を取って指導してもらいたい。少しでもあの剣に近付けるように」

「め、目の色が変わっちゃった……」


 兄のような慈しむ目付きから一転。肉食獣を思わせるギラギラとした眼に、アーチェが気圧される。


「…………どうした、何を騒いでいる」


 サドンが入り口で口論する者達へ歩み寄る。


「さ、サドンさんっ! 今、こんな手紙が内ポケットに入ってて……」


 若い男の司教が、一通の派手な封筒に入った手紙を差し出す。自然とその手紙を取ろうとサドンが手を出した。


 その時だった。



 ………


 ……


 …




 しなる鞭が土床を打つ。


「ヤァっ! ヤッハァーっ!」


 檻で息巻く魔物の嘶きが、篝火に照らされる室内に反響する。


 そこはコンロ・シアゥの地下施設。剣闘士達と戦う魔物が収容されている。


 中はお世辞にも清潔とは言い難く、魔物達の糞尿で悪臭が立ち込めていた。先日に搬入されたばかりとは思えない汚さとなっている。


「パーティーだっ! パーティーだっ! お前らぁ! 俺達のパーティーだぁ!」


 トニーが調教士の上着と帽子を身に付け、鞭を弾いて魔物達を焚き付ける。


「ふぅ〜、ホスト役も大変だぜぇ…………あっ、そうだ」


 額を腕毛で拭ったトニーが我に帰る。


「こんばんは、傍観者の諸君。約束通り、奴等にチャンスをやることにしようじゃないか」


 トニーは大仰にお辞儀をして、運命を分かつ夜を開宴する。


「早速だが俺は英雄にこのような試練を用意した……ジャジャ〜〜ん!!」


 見せびらかすように諸手を広げるも、初めから誰しもの目に入っている。


 魔物を解放するのは、目に見えている。


「……そうなの?」


 そうだ。


「…………はい、気を取り直してやっていこう!」


 トニーが僅かな傷心を携えて、大小様々な檻の魔物達を解き放つ。


「残念なことに、約束は約束だ。この結果次第では、今回の英雄譚は中途半端に終わる」


 鉄格子を指で摘み、開く。それだけで麺の生地を思わせる柔軟さで、鉄が曲がり切って行く。


「この間、選んでおいてと言った二人も殺せなくなるし、俺は次の英雄を探しに暫しの別れとなるわけだ。はぁ……また仕切り直しとなるかもと考えたら憂鬱になるよ」


 溜め息も止まらない。その間にも、魔物達は自由を手に入れる。


「さっきメイドを二人食ってなけりゃあ落ち込んでしまって、ここの魔物を食ってたかもしれないなぁ」


 魔物は自由を喜び飛び出すどころか、異様な人狼を警戒して牙を剥く。


 檻の隅で身を潜め、芝居がかった動きで独り言を繰り返すそれを睨む。


「まぁ、なっちまったもんは仕方ない! 二十五名までに被害者を抑えられたなら、奴らの勝ち。超えたら…………怪物と英雄の物語はクライマックスだぁぁ!!」


 …………トニーの予定では、この決めポーズをしたタイミングで魔物達が飛び出すことになっていた。


「……ダァァっ! ダァァぁぁぁ!!」


 魔物達は動かない。指図など知ったことかとトニーを睨む。


 しょんぼりと肩を落とすトニーだったが、予定時刻は間もなく。致し方なく強硬策に打って出る。


「ンンッ、ん、んんっ! あっ、あ〜っ……ららららら〜〜っ」


 咳払いに発声練習にと、喉の調子を整え、万全を期して臨む。


「傍観者諸君を待たせてはいかんとも――――」


 幻獣ライカンスロープの遠吠えが、アルスの街を揺らした。

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