第221話、魔王、プレス機になる


 クシャミに端を発し、怪物と扉越しに出会う。


 全員が鳥肌を身体に帯び、血の気が引く思いをしながらも、デューアだけは冷静に剣を扉へ投擲していた。


 大司教の福音を羽ばたかせて投げられた〈夜の剣〉が、扉を突き破って刃半ばまで突き刺さった。


『アォウっ!?』

「チャンプ、行くぞッ!」


 もう戦うしかない。


 日の高い今でなら、騒ぎを聞きつけて続々と援軍が集まる筈だ。


「ハンッ!!」

「私から出るッ」


 剣を引き抜くと同時に浮かせ、デューアへと渡しながらもチャンプは扉を蹴り破る。


 そこをすかさず剣を受け取ったデューアが飛び出した。


「…………っ」

『ダハハハハハハハハぁ……』


 階段の上から反響して聴こえる巫山戯た笑い声が、あっという間に遠のいていく。


 聞きしに勝る素早さを思い知り、馬鹿げた存在であることを嫌にでも痛感する。


「怪物、ですね……」

「……もう手段を選んでいられない。黒騎士を雇ってでも倒さなければ、何をされるか知れたものではない」


 パッソとサドンが共に、これが災害級の危機的状況であると表情に表して告げた。


「トニーは巫山戯てはいるが、奴なりの流儀のようなものを持って行動している。おそらく今夜のパーティーとやらも奴の言う通り行われるのだろう」

「傭兵と剣闘士達に警戒してもらえるよう、お願いに向かうべきでしょう。標的となっている我等は領主館周辺に集中して、それ以外は彼等に任せましょう」

「私が行きます。ならず者も多い。チャンプは……あまり良く思われていないしな」


 迅速な行動を求むパッソの指示に、剣を収めたデューアが応えた。


 今晩だけでもメイド達を拘束しておきたい気持ちはあるが、トニーの神経を逆撫でする行為は避けるのが良いと思われる。


 トニーの取り仕切るパーティーとやらをクリアすれば、約束通りならば殺戮は終わる。


「夜の巡回も今夜は止めた方が良さそうだね。そちらを彼等に頼んではどうだろう」

「一夜とは言え、街中で喧嘩が勃発するでしょうね。それを良しとするか否かになります」


 会話に発展するも、冷気に凍えながらでは声も震える。誰ともなく階段を行き、警戒しながら上の階へ向かう。


「…………」


 静かな決意を秘めるサドンが、目を閉じて会話に耳を傾けていた。



 ………


 ……


 …



 午後の一時、いつもの場所でいつもの習い事をしている。


「…………お前さん、才能無いなぁ」

「才能なんて努力で踏み潰すタイプだから問題ないよ。不作と獣害を戦い抜いた農家の次男を舐めないでもらおうか」

「音楽は多少なりとも才能がいると思うがなぁ……顔付きだけなんだよなぁ。顔付きだけは誰よりもバイオリニストなんだが、聴こえて来るのは猿の喚き声なんだよなぁ。猿が股間を蹴られた時みたいな音なんだよ」


 遺跡近くで演奏しているいつものバイオリンのお爺さんから、教えを受ける事これで四回目。


 だが驚くことに俺は音楽の才能が無いのだと言う。これまでは苦手なものも、それなりに出来ていたので嬉しい発見だ。


 確かに小学校以降、音楽を聴く事はあっても歌うとかはしていなかった。


 燃えて来たぜ……。最終的な目標は、楽団に入ってプロの演奏家としてお客さんに披露することにしよう。


「ここにいましたか」

「あれ、サドン君。珍しいですね」


 この街で購入したマイバイオリンを下ろし、演奏家さながらの顔付きからノーマルなアイドリング状態に移行する。完全に緩み切らない程度で、すぐにバイオリニストに戻れる心構えだ。


 気分は、オーケストラで担当する一曲目を終えて、三曲目までの休憩時間。二曲目を耳にしながらも、気を抜き過ぎないのがプロである。


「デューアが言っていたので、先生が時間がある時にバイオリンを習っていることは知っていたのだ」

「でもわざわざ来るってことは、何か用事ですか? 俺は今、後天的に絶対音感を手に入れようと色々試してたんですけど」

「それは……邪魔をして申し訳ないが、ご推察通り頼み事をしに来たんです」

「……あぁ、デューア君が聞くと怒るからこっそり来たんですね」


 いるけどね、すぐ後ろの建物の角に。


 しっかり怪しまれて尾行されているけどね、サドン君。


「俺もできるなら避けたいですが、今回はあまりに危険過ぎる。巻き込まない範囲で先生の手を借りたいのです」

「構いませんけど、一応なにをすればいいのか聞かせてください。メイドの中に潜入しろとか言われたら、この野郎って返さないといけないんで」

「お、俺の頼みは、今夜のどこかで起こる騒動が街中で行われた時に、その時に近くにいたなら助力して欲しい。無論、先生自身が引き際を選んでもらって構いません」

「今日の夜に何か起きるのかぁ……」


 何とも曖昧な頼み事だと思うのだが、明らかに溜め息を吐きながらデューア君がこちらへ歩んで来る。俺へ軽く頭を下げ、サドン君の背へと声をかけた。


「……先生ならそう聞いたら手を貸すに決まっている」

「っ…………デューア、尾けていたのかっ」

「お前は悪巧みをする時、ボロが出ないよう黙って行うからな。遺体安置所で話し合いに入って来ない辺りからおかしいと思っていた」


 責める目付きにタジタジなサドン君に、デューア君は語気を強めて続けた。


「お前は今がどれだけ危険かを理解しているし、先生が気の良いことも承知の筈だ。だからこそ腹立たしい」

「……そうも言っていられないだろう」

「いいから帰るぞ。やる事など山のようにあるのだからな」


 機嫌の悪さを物語るように顎を振って指図され、サドン君が渋々踵を返した。


「手伝えることがあるなら手伝うよ? どうせ明日の朝にはお別れなんだから、今日くらいやらせてよ」

「…………夜の間はどうかホテルで休息を取ってください。名前も伏せられているのですから、あまり表立って活動したくはありませんよね?」

「最後の日に怒られたくはないからね。ホテルでいつも通りに作業して過ごすよ」


 俺が手伝いを申し出るとサドン君を横目で睨み、俺にも釘を刺す。余程にそのトニーとやらが危険であったようだ。頑なに巻き込まないよう徹底している。


 でも今日の手伝いくらいはしたっていい筈だ。バイオリンをケースに仕舞い、片付けてから立ち上がる。


「それじゃあ、お爺さん。今日もありがとう」

「はいはい、こちらこそ爺いに付き合ってくれてどうも」


 ハットに手を添えて軽くお辞儀するお爺さん。彼とも明日の朝までだ。名残惜しさを残して別れ、デューア君達に付いて行く。


「傭兵は金を出せば引き受けてもらえるだろう。問題は剣闘士だな」

「近頃は荒れていて、安い酒場で呑んだくれているらしい。上手く説得できればいいが……」


 どうやら協力を要請する為に、その酒場を目指しているようだ。


 口先で言いくるめるのは得意だから、役に立つかもしれない。



 ………


 ……


 …



 白い建物が立ち並んでいた観光地から一転、様相が異なり道端にゴミが散乱する一帯に踏み入った三人。


 遺跡群から僅か二百メートル程しか歩いていないのだが、そこにはアルスの影とも言うべき地区がある。


「――帰れや、胡散臭え宗教もんがぁ……」


 灯りや窓すらない薄暗いその酒場のカウンターで、男は酒に溺れていた。入口からの唯一の光を背に受け、訪問者に慈悲をくれる。


 彼はアルス最強の剣闘士であった男、ベルト・マケナイ。


 チャンプにも負けない体躯で、酒浸りとなってもトレードマークの顎髭だけは手入れを欠かさない無法者だ。


「アルスは今、あなたの影響力を必要としている。一声かければボイコットしている剣闘士達も動かせるのだろう? どうにか頼めないだろうか」

「聞こえなかったのか?」

「報酬は払う。アルスの為にも、もう一度立ち上がってもらえないか?」

「聞・こ・え・な・かっ・た・の・かぁ〜?」


 言葉を刻み、挙動を刻み、デューアへ向き直ったベルト。


 チャンプよりも大きく、酒や摘みによる若干の皮下脂肪を蓄え、威圧的に三人を見下ろす。


「……チャンプに敗れたなら、このように腐らず、鍛えてリベンジすればいいだろう」

「あんな素っ惚けた奴に二度も負ける訳がねぇだろう」

「ではどうして闘技場に戻って来ない。王者に返り咲けばいい。そうすれば何もかもが元通りの筈だろう」

「この俺が、てめぇらの、前座なんかできるか……? 面子ってもんがあるんだよ、俺等にゃあなぁ」


 がたがたと音を立てて、酒場中の荒くれ者達が立ち上がる。


(…………これは骨が折れそうだ。長期戦にならないといいが、そうも言っていられないな)


 周りに一通り視線を流し、少し前までは現役の剣闘士達であった者達を目にして、密かに溜め息を漏らす。


「チャンプを連れて来い。叩きのめした後に、話くらいは聞いてやる」

「決闘をしようと言うんじゃない。ただ協力して欲しいだけだ」

「俺は決闘をしようって言ってんだ」


 持っていたジョッキを返し、デューアの頭へと酒を派手に浴びせる。


「っ…………」

「…………」


 頭に血が昇ったサドンを腕で制し、あくまで冷静な話し合いを試みる。


「……報酬は何が欲しい」

「ふん、俺はてめぇみてぇな意気地のねぇ野郎が一番嫌いなんだよ。いねぇのかよ、どっかに。目が覚めるくらいの気合いが入った野郎はよぉ」


 新たに交渉の糸口を模索するデューアの背後で、腰に手を当てて憤慨する影があった。ふんすと息巻いている。


 その男は入口を塞ぐように立っていた、ベルトよりも遥かに大きな巨漢を指差す。


「あ〜ん……?」


 極太の金棒をあろうことか片手で持ち上げ、軽々と担いで歩み出た。


「…………」

「…………ふっ」


 黒髪の男は金棒を指差し、返した指を曲げて渡すよう要求している。


 少しは腕に覚えがあるのだろう。皆が揃って鼻で笑うも、金棒に押し潰される様を見て、哄笑を上げたいと期待する視線に応える。


「では、チャンプとの一騎打ちなどはどうだろう」

「舐めてんのか……? そりゃ当然だ。これまでがおかしい」

「加えて金銭も渡す。それで今夜だけ、皆で満遍なく街の巡回をして欲しい」

「……断る。明らかにヤベェ裏があるじゃねぇか」


 裏組織にも通ずるベルトは鼻が利く。殺されそうになったことも一度や二度ではない。


 素人とは明らかに異なる嗅覚を持ち、危険や異常、罠の匂いを嗅ぎ分けられるのだ。


「帰れ。今なら半殺しで許してやる。おいっ、こいつらを纏めて…………」


 話は終わりと痛い思いをさせて見せしめにしようと、舎弟等に命じる間際に、デューアの背後を見てしまう。


「待ってくれ。まだ話は終わっていない」

「…………」


 何となく目にする背後には、剣闘士の中でも最も怪力に優れた舎弟から金棒を受け取る男がいた。


 男は金棒を受け取ると、


「望みを教えてくれ。今夜だけは助けがいるんだ」


 先端と柄頭に手をやって挟み持ち、


「高い酒でも何でも用意しよう。せめてアルスの南部だけでも――」


 ――押し潰した……。


「――――」

「傭兵達だけでは、北部のみでも手一杯だ」


 サドンや舎弟等と揃って目を剥き、顎が外れそうな程に口を開け、鉄の花のようになった金棒をみる。


 ふにゃりと手で潰された中心が真っ平となり、周りはメリメリと割れて押し出されている。本来ならあり得ない異様な金属板が生み出された。


 男は白目を剥く巨漢へ鉄屑を押し付けて渡し、再度デューアとベルトへと向き直る。


「あやっ!? ぃ、ぁぁ…………いやぁ〜、そのぉ……」

「駄目か…………先生、申し訳ありません。どうやら協力してもらえない――」

「するしっ!! ……はぁ!? するに決まってるじゃん!!」

「えっ……? 協力、してくれるのか?」


 汗を滝のように流し、ちらちらと先生と呼ばれる男を窺いながら、デューアへ正式な返答を述べる。


「ちょっと待ってっ、ちょっと待ってね、その前にちょいと待ってくれ? ……オメェ等っ! 帰り道の掃除しとけぇぇ!! 道が汚ねぇだろうが馬鹿タレがぁ!!」

「へ、へいっ、すいませぇぇん!!」

「で、何だっけ。南部の巡回? 風紀ってやつを守ればいいのか? ルートとか当番とか、そこらへんは相談してぇなぁ。無知蒙昧、厚顔無恥にケツもデケェと来たもんだからな、ばっはっはっは!」


 舎弟等は騒々しく挙って清掃に駆け出し、酒場の厳つい店主も震える手でウェルカムドリンクを三つ用意し始める。


「き、急にどうした……?」

「何が? それよりおいっ! 俺の分はまだかっ? ここでは親しみっ!! 親しみの意味を込めて酒をぶっかけ合うって風習があるだろうがっ!」

「……そうなのか? 意気地が無いと言われた気が……」

「仲が良くなれば良くなるほど悪口って酷くなるだろ……? 同じ同じ。認めてたさ、てめぇの根性くらい見抜いてたさ」


 身を清めるように何度も自分と店主にジョッキの酒を浴びせつつ言う。


「そ、そうか……」

「テメェとは長い付き合いになりそうだぜ。よろしくな、ダチ公」

「ダチ公……?」


 酒塗れで固い握手を交わし、友情を確かめ合い、アルスの警備が異質の改善を果たす。

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