第217話、四件目の殺人

 メイドの朝は早い。


 洗濯に給仕、それが終わっても清掃作業に移らなければならない。


 このメイド達もそうである。領主やエンゼ教関係者達への配膳や給仕を終えて、自分達の食事の後すぐに客室を掃除して回る。


 カートと共に洗濯物やシーツを回収し、新しいシーツに替えて、ゴミ箱を空にしてから清掃。


「もう……また汚してるし。少しは自分達で拭くなりしろっての……」

「聞かれたら怒鳴られるわ……ここの人達はいつもピリピリしているし」

「デューア様達の階がいいのに、最悪……」


 愚痴を溢しながらも二人で手分けし、インクで汚れたデスクを拭き、ゴミ箱周りに落ちたゴミを拾い上げる。


「はい、終わり。時間取られたぁ……」

「いこ? 早くしないと休憩が短くなるわ」

「言われなくても分かってるわよ」


 次の部屋の主も厄介であり、怒りっぽい性格で嫌味や皮肉を言われるなど日常的にある。


「…………っ」


 メイドの一人が扉を開けた直後、驚きに悲鳴を上げそうになる。


「失礼しました! いつもは朝食後すぐにお仕事に向かわれておられたのでっ、では!」


 捲し立てるように一息に謝罪し、慌てて扉を閉めた。


「びっくりしたぁ……」

「……いたの?」

「うん…………椅子に座って考え事をしていたみたい。じっと真っ直ぐに壁を見て、少しも私に反応しなかったわ」

「良かったじゃない。怒られずにすんで」

「良かったぁ……」


 胸を撫で下ろしたメイドの肩を叩き、隣の部屋に入る。


 そして全く同様の反応を見せることとなる。


「っ……!? 申し訳ございません! この時間はいつも執務室におられたので気付きませんでした! 失敗いたします!」


 深々と頭を下げ、焦りながらも怒声が飛ぶ前に扉を閉める。


「び、びっくりした……」

「誰かいらっしゃったの……?」

「う、うん……サンボ様がまだおられたわ……」

「えっ!?」


 それは有り得ないとばかりの過剰な反応を示す。


「どうしたのよっ……! あまり大きな声は出さないでっ、サンボ様の神経を逆撫でたくないのっ……!」

「えっ、だって……! そんなのおかしいわっ!」

「何がなのよ……!」


 口元を塞ごうと揉み合いになりながらも、物静かなメイドは一つ手前のドアを指差して言う。


「あそこがサンボ様のお部屋よっ!? しかも今、私が謝っていたじゃない!」


 そのメイドは、僅か十数秒前にサンボの姿を確認していた。


「…………え、でも……確かに今の部屋にはサンボ様がいたわよ?」

「……た、確かめてみる?」

「あ、あんたがやってよ……? あたしは今しがた失礼をしちゃったんだから当然よねっ」

「同時でお願い……ほら、いつもの“何かお飲み物でもご用意しましょうか”ってやつで……」

「………………分かったわよ……怖い顔しないでよ」


 それぞれが各々の扉前に立ち、息を呑んで視線を交わらせる。口元の動きでタイミングを計り、息を合わせてノック後、間もなくドアを開ける。


「……度々、失礼します。サンボ様、お詫びに何かお飲み物でもご用意しましょうか」


 やはりサンボはそこにいた。デスクに向かい、先程と変わらぬ体勢で考え事をしている。


 そらみたことか。メイドは相方へ鋭い視線を向ける。


「…………?」

「…………」


 だがどうしたことか、あちらもまた同様の視線を向けている。


 どうにも噛み合わない反応に、相方が室内の人間にお辞儀をして断りを入れてから…………こちらへ来た。


「あんた、何を……………………」

「…………どうしたの?」


 血色のいい人間の顔が真っ青になる一連の経過を、初めて目にした。


 呼びかけにも応えず、震えて立ち尽くしている。


「……ちょっとこちらをお願い。向こうの部屋の方に対応しなくちゃ」


 扉を開けた状態でこれだけ放置していれば、それは激怒されても仕方がない。


 急いで相方の開けた扉から中の人間へ声をかける。


「申し訳ございません。それで、何か………………」


 次には、自身の身体が凍り付く。強烈な恐怖は顔から血液を奪い、身震いと共に体温を持ち去っていった。


 デスクには…………サンボがいる。


 壁を軸に先程と対照的に左を向いて座り、全く同じ体勢で壁を見つめている。


「…………ぁ、ぁの……」

「イヤァァぁぁぁぁッ」

「っ……!?」


 浮き足立つところへ、相方の絶叫が届く。とても獣じみたもので、尋常ではない事態であることは瞬時に理解できた。


「ど、どうしたのっ……!」


 逃げ出したい気持ちもあった。同僚を心配するという口実を抱き、隣の部屋へ駆け込んだ。


「っ…………こ、これ……はやくっ……!」

「…………」


 相方は室内半ばまで踏み入っており、腰を抜かして這うようにこちらへ逃げようともがいていた。


 そして駆け寄った姿に気付くなり、デスクのサンボを指差した。


「っ…………」


 服の胸元を震える両手で握り締め、意を決して歩み出す。


 左側の壁に沿うように置かれたベッドに当たることだけを注意しながら歩み、これだけ騒いでも動かないサンボの異変を探る。


「………………――――」


 サンボは頭頂部から股にかけてを縦に真っ二つにされ、別々に座らされていた。



 ………


 ……


 …



 すぐにパッソ達にも知らせは届き、帰還したばかりのデューアを除いて主要な面子が集められた。


 狂気的な事件が、また始まった。今度は模倣犯ではなく、本物の怪物によるものだ。


 朝食後、執務室へ向かうパッソ等から用を足すと言って別れ、その僅か三十分での出来事であった。


「……さっき顔を合わせたばかりだぞ」

「本物の怪物だという話でしたが、我々は依然として標的にされているようです」


 何者が行ったのかを知るサドンとパッソは、事の深刻さに険しい顔付きを更に歪める。


 二人の顔色を伺っていただけに、会議室にただならぬ空気が流れる。


「……パッソさん! メイド達を全員、牢屋にぶち込むべきだっ!」

「それも止むなしだろう。このままでは俺達が殺される……」


 過激な主張であることは承知の上で、誰もが反対する声を上げない。


 鏡合わせのような演出がされた狂気的な殺人に、誰もが怯えて震え上がっていた。


 あれほど誇りに思い、自分達こそが頂点であると疑わなかった根拠。その福音など、もはや何の頼もしさも感じられていない。


「……しかし、伝説の幻獣なのだろう? 暴れられれば損害は計り知れないのではないだろうか」


 ライカンスロープ。物語の中にライカンスロープが出て来る作品は幾つもある。だからなのか、反論したチャンプだけでなくメイドを檻にと騒いでいた者達まで考えを改め始めた。


「私は…………その方を特定、もしくはこちらから呼びかけて“交渉”という手段を取るのが良いと思います」


 この時、パッソの中には三つの選択肢があった。


 まずは、先生を無理矢理に巻き込む。けれどデューアはそれを許さないだろう。ユミと並んで最高戦力であるデューアと更なる問題を起こすのは憚られる。


 ならば黒騎士と手を組むのはどうだろうか。パッソ個人としては問題はない。デューアに手を貸したというのだから悲観的になる可能性でない。


 だが居場所が分からない。連絡が取れない。


 残るは、犯人との交渉。


「これから交渉方法を話し合います。内容も。それを早急にメイド達に通達してください」

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