第216話、怪物が動き出す



 書斎とは、まさにこのような部屋を言うのだろう。


 扉を開けて中に入ると、木目調の大きなデスクが一つ。上にはインク瓶やペン、書きかけの書類に火の灯った燭台。


 それを囲うようにガラス張りの棚に敷き詰められた本。背後の棚には小物を置くスペースもある。蔵書の多さからも私的な書庫も兼ねている。


「ふむふむ、驚きパムの木モコッチョスの木……」


 その者は、巫山戯ふざけている。


「うん? なんだね、失敬な。巫山戯てなどいな鼻かゆ……」


 巫山戯切って、巫山戯倒して、それでもまだ巫山戯ている。


「だからぁ! 俺は全然まったくこれっぽっちも巫山け背中かゆ……」


 デスク向こうの重厚な椅子の背もたれ越しに、その者は一人きりの書斎で反論する。


「俺はいつだって真剣そのもの。人間を食う時だって、人間を殺す時だって、人間見て腹を鳴らす時だって、人間ってやっぱり美味いよなぁって思っているさ!」


 話の筋が変わっているが、この日の朝、この者の本質が判明してしまった。


 名前は既に捨てたのだが、帝国はその者を“トニー”と呼称して指名手配する。だが部隊が派遣されるも、幾度となく壊滅させられた。


 性別すらも掴めないまま、大陸最強国家が逃亡も許してしまう。


「――やぁ、どうも諸君」


 背を向けていた椅子が反転して、その姿が露わとなった。


「私がトニー・トニー・トニーだ。一つだと短いのでサービスも兼ねて三つ重ねてみた…………いやいいんだいいんだ、何も言うな! 俺がしたかっただけだから! お礼なんていらないから!」


 鹿撃ち帽とコートを羽織り、咥えたパイプを吹かしながら寛ぐ……人型の黒い狼。その幻獣はニメートルを優に超え、椅子に深々と身を沈める姿は実に奇妙である。


 まるで謎を解く探偵のような服装なのが、より一層の不気味さを演出していた。


「やっと俺の出番が来たか…………来たかぁぁぁぁーっ!!」


 その金の眼は、狙った獲物を逃さない。


「そして歯磨きを欠かさないことで維持される勇ましい牙」


 更に体毛の下には通常の生物とは別次元に強靭な筋肉が、これでもかと敷き詰められている。


「あとはこの爪、切れ味抜群。包丁要らずで……いや包丁はいる。君達に包丁捌きを見せる時が来るかもしれないだろ?」


 つまり、トニーは生物的に完全な怪物。帝国でさえも退治どころか、正体を暴くことすら叶わなかった本物の化け物だ。


「その通り。稀代の怪物とは、この私のこビクシッ!? ……あぁ〜っ、なんか埃っぽいな、掃除はしろよ……」


 本日、書斎の掃除当番はトニーだ。そのクシャミは自業自得である。


「…………さて、驚くべきことに私の正体に迫る人物が現れた。デューア、という男だ」


 しなやかさの瞭然な脚を組み、人狼は物語を構想する。


 両手人差し指の爪を打ち合わせ、金属音にも似た無機質な音を響かせながら想定外の事態を思う。


「俺はメイドとして潜入、常にあっちこっちに聞き耳を立てているのだが……。……出先に帝国の人間がいたのか、トニーという単語が聞こえて来たんだ。そんなことあるんだなぁ……」


 事実は小説よりも奇なり。


「しかも何故だか、メイドの中にいることまでバレてるらしい…………なんで?」


 加えて三人を殺害後に、トニーの預かり知らぬ殺人が起きてしまった。


「そうだよ、それだ。可愛い可愛い可愛いねぇ、俺の真似をしちゃったんだぁ、可愛いねぇうんうんうんうん…………負けて死んじゃったけど」


 トニーは物語の創作に再び着手する。


「そこでだ、諸君。俺は君達のような傍観者をとても重要だと考えている。いや、全てだ。いくら物語を紡いだところで、観る者読む者知る者がいなければ広がりを見せないからだ」


 トニーはいつも五人から八人の“民”を殺す。


 つまり最低でもあと二人を殺さなければ、物語を締められない。


「あと二人……誰がいいと思う? ここでの登場キャラクターをよく知る君達に訊きたいんだ」


 トニーは選択肢を三つ用意していた。


 まずは人差し指を伸ばし、英雄に憧れる弟子を示す。


「一人目は、クーラ。あの領主のボンボンだ」


 次に中指……。


「二人目は、チャンプ。ただのスキンヘッドの筋肉だ……あとどうでもいいけどさ、あいつ何で仕事もせずに筋トレしてるの? この俺様だって働いてんのに凄くない?」


 三人目として、薬指を……。


「最後は、サンボ……あのパッソに媚び売る獣人差別主義者だ。忘れてあげるな、地味だからって。全員が濃いと胸焼けして吐き気がするだろ?」


 トニーは問う。次に殺す民を、傍観者達に委ねる。


「誰がいい? 選ばれた奴をこの後すぐにちゃちゃっとズバっと殺しておくからさ。あ〜ん……」


 トニーが立ち上がり、火の点いたパイプを口に放り込んで焼き菓子のように咀嚼する。ついでに鹿撃ち帽とコートも引き裂きながら口に放り込み、デスクのコーヒーで流し込む。


「ふ〜ん、マイルドな口当たり…………もっとシンキングタイムが必要か? あぁ、好きなだけ悩め。待つよ、そんなの。いいってことよ」


 傍観者が殺すキャラクターを選ぶ間、トニーは暇を持て余す。


 後ろ手を組み、室内を歩き回り…………目に付いた棚にある小説を手に取る。


「“猿はゆく”…………もっといい題名タイトルがあったと思うで?」


 舌で指先を湿らせ、本の内容に目を通す。


 本の内容は、人間並みの知能を持つ猿達の物語。彼等は森の中でコミュニティを作り、皆が仲良く助け合って生きていた。


 けれど不和が起こる。


 ある夫婦の間に白い猿が生まれた事により、群れに異変が起こる。


「あ〜! なるほど! つまり白猿が迫害されて、夫婦が迎え討つみたいな感じだ! 家族愛サイコーっ、いい読みもんじゃないか! 猿っていいよな、美味いもんな!」


 だがトニーの予想に反して、迫害された白猿は生涯愛すると誓っていた親に見放される。


 母が死に、父は白猿をある役目を担わせて見捨てる。そして再婚。同じ群れの中で再婚した雌猿と子供を育み家族を作った。


「…………なんで?」


 ある役目とは、穢らわしい赤猿との貿易役であった。見下して蔑んではいるが交流をしなければ特定の果物を入手できない。


 だが赤猿と言葉を交わせば穢れる。穢れた交流役は群れに生きながらも誰とも関われない。赤猿へ果実を持っていき、果物を群れへと持って帰る。言葉も交わさず目も合わせられない。


 白猿は幸せそうな父の家族を横目にしながらも役目を果たしていた。毎日毎日、何年も。愛していると言っていた父はもう白猿が視界に入っても無いものとしている。


 白猿は……愛を忘れてしまう。誰も信じず、持って生まれた才能で群れへと復讐を誓う。


 だがある日、白猿を憐れむ者が現れる。旅の途中、群れを訪れた導き手は白猿を外の世界へ連れ出してしまう。


 生き方を教え、戦い方を教え、社会を説いた。


 結果、白猿は自由を求めて導き手を離れ、世界を見て回ることに――


「――有害図書に指定する」


 閉じた分厚い本を人差し指で軽く突く。それだけで爪が易々と貫通して突き刺さる。


 トニーは本を口に放り込み、一呑みにした。


「根本的におかしい。よって俺はこれを俺の傍観者には見せられないとした」


 肩を竦めて無駄な時間を過ごしたことを嘆き、トニーは改めて向き直る。


「さぁさ、決まったな? 俺の予想が正しければぁ…………やっぱりな。傍観者達らしい人選で何より何より」


 トニーの仕事が始まる。


「チョイスに感謝感謝。じゃ! 今から殺して来るぜ!」


 芝居がかった挙動で駆け出し、乱暴に扉を開け放つ。


「……あっ、殺し方は今から考えるから! この後すぐに分かるから!」


 身体の大きさから考えて、どうやっても通り抜けられない扉を前に現実を疑うも、気を取り直して傍観者へ告げた。


 帝国を翻弄した怪物トニーがまた、比類なき殺戮に興じる。

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