第215話、死者の記憶

 黒騎士等に見逃される形で鍛治士を目前に撤退するシャンクレア一向。


「嫌じゃ嫌じゃ! 彼奴は連れ帰るのじゃ!」

「えぇい、聞き分けい。文通の約束をして繋がりは得たであろう。此度はそれで良しとするのだ」

「袖にされた兄様の言う事など聞かぬっ!」

「ぐはっ!? く、くぅぅ……言うではないかっ」


 目を覚ました兄弟に担がれ、強引に運ばれるゲーテル。容赦ない言葉が先頭のシャンクレアを襲う。


 背に視線を受けながらも、来た時と同様に騒がしく帰路を行く。


「……ふむ」

「残念そうですね。あなたが率先して人材を欲するのは初めてではありませんか?」

「彼は単純な剣士として、私を遥かに上回る逸材です。陣営に引き込めば、必ずや国外にも名の轟く騎士となったでしょう」


 別れ際に交わしたデューアとのやり取りを想い、テトが無念な心情をババッカへと吐露した。


『――私と来ないか? 君はまだまだ伸びる。私など片手間に倒せる程に強くなれる』

『すまないが、私には帰る場所がある。それに……運にも恵まれて、師にも不自由していない。忠誠心とも無縁なので、そちらに付いても互いに利はないだろう』

『……そうか。だが気が変わったなら、私を訊ねて欲しい。いつでも歓迎しよう』


 迷いのない眼に、真っ直ぐな言葉を返された。


 それでも口を突いて出たのは、同様の勧誘であった。惜しい、考えれば考えるだけ惜しいと思えてしまう。


「……宜しかったのでしょうか。貴重な遺物を差し出してしまって……」

「良い。あの黒騎士、あれとは敵対してはならぬ」

「…………? まだテト様もババッカ様も健在ですが……」


 ババッカの本領は遺物〈道魔怨々妖絵巻〉ではなく魔術にある。魔法大国ツァルカから亡命した魔術師の弟子だけあり、保有する魔力の絶大さを活かしたその魔術は、帝国でも並ぶ者がいない。


 そしてテトも配下の少ないシャンクレアを、他の皇子達と引けを取らない勢力に育て上げた名騎士である。


 だがシャンクレアは退いた。


「余の勘だけでなく、ゲーテルも気付いていた。皇の血が伝えているのだ。アレとは友好的でなければならぬとな」


 シャンクレアは言う。


 王は、鍛えてはならない。


 命を賭して矛と盾となる配下を裏切る行為なのだから。


 王は、怯んではならない。


 その顔を他国は見ている。その背を配下は見ている。その姿を民は見ている。


 王は、勇敢であれど愚かではならない。


 一つの判断で国が崩壊することもある。見極めるべきを間違えてはいけない。


「全ては、余が皇帝となった暁に花開く……」


 人材確保も、人脈形成も、戦力増強も、雌伏の時を過ごし、皇帝となる為。なった後の為……。



 ♢♢♢



 よく分からない一団が去って行く。


「……そう言えば、鍛治士殿はどうだったんだ?」

「…………」


 ……鍛治士ボボンの話も、ノールハンマーの話も、とてもではないがデューア君には聞かせられない。


 何か面倒ごとに巻き込まれてしまうかも。


 あそこでの出来事は俺の胸に仕舞っておこう。


「……騒ぎ過ぎたな。その鍛治士がこちらへやって来る」


 大斧を二つ、軽々と手にするボボンがこちらへ歩み寄っていた。


 デューア君は騒動で破壊された像などのこともあり、激怒していると思っているのか緊張気味だ。


「……鍛治士殿、すまない。妙な一団からここを守る為、戦闘を行なって荒れてしまった」


 妥当な言い訳でお茶を濁そうとするデューア君へ、ボボンは大斧を差し出して言う。


「……依頼料は」

「あ、あぁ、ここにあります」


 何とボボン、全てを知る俺を前に堂々と金銭を要求し始めた。


「どの口でっ――」

「っ、黒騎士っ! 何を考えている!」


 掴みかかろうとする俺をいち早く察したデューア君に、ものの見事に制されてしまう。


 未だに最初の厳格なキャラクターを演じるボボンを背に、庇うように立ちはだかった。


「……鍛治士殿を掴もうとしていただろう。自宅前も荒らされて心中穏やかではないだろうに、黙って怒りを抑えてくださっているのが分からないのかっ?」


 ちゃんとした大人に説教される、パート二。


「…………」


 そんなデューア君の背後で『ニヤ〜〜っ』と笑うボボンを睨み、学校の先生に怒られていた学生時代の思い出を想起する。


「黒騎士、流石に無礼が過ぎている。鍛治士殿に謝罪すべきだ」

「……一回でいい」


 こいつっ!


 背後からボソリと、謝罪要求に乗っかりやがった!


「一回でいいとの事だ。さっ、私と謝罪しよう」

「…………」

「黒騎士、いくら強くとも私達は大人だ。失礼をしてしまったなら、謝らなければならない」

「………………ずまなかっだ」


 歯を食いしばり、不当な謝罪を口にした。


「…………」


 あろうことか何度も首を傾げて、『何て言っているのか分からなかったなぁ……』と無言でアピールをするボボンに、俺のバルーンサイズの堪忍袋も底が抜けそうになる。


 さっきの化け物達なんかよりも遥かに正拳突きを喰らわせてやりたい。


 学生時代三年間お世話になった師範直伝の正拳だ。ボボンの曲がった性根も叩き直してくれることだろう。


「もう帰ろやぁ。今からなら、夜中には帰れるやん? ウチ、ベッドで寝たいねん」

「待て、あと二つだけ修繕が必要な武具が残っている」


 もうノールハンマーは無いボボンが顔色を悪くしているが、最後の慈悲として家まで付き添い、武具を修復してあげた。


 今はそれよりも気になる事がある。


『その〈死霊ガ残ス光〉は、死者の死する瞬間の記憶も見ることができる。トニーであれば、悪いことは言わん。黒騎士よ、速やかに逃げるのだ』


 シャンクレアが残した忠告を有り難く受け止めるも、馬鹿正直に黒騎士で戦う筋合いはない。犯人が分かれば、密かに退治させてもらう。



 ♢♢♢



 〈死霊ガ残ス光〉を手に、明け方近くの領主館から三人の男が姿を現した。


 一人は叩き起こされたのだろう。堪え切れず大きな欠伸を見せており、寝癖もそのままで急ぎ着替えたばかりと言った状態だ。


 もう一人は早朝鍛錬の為に早起きをしていた若い青年。


「その者が言うには死体の時間が経てば経つ程、身体に遺された記憶は薄まって消えてしまうのだそうだ」

「……何者なのか言えと言っているだろう」


 デューアへじろりと問い詰める視線を向けるサドン。魔具などの修復を終えて早々に帰還するなり、部屋に押しかけ、世にも奇妙な話を語り始めたのだから当然だ。


 ましてや遺物を持ち帰ったなどと言われたなら、訊き出さずにはいられない。


「約束は約束だ。しかも遺物と引き換えと言われれば、守らざるを得ない」

「……正直に言うぞ? 向こうも守られるとは考えていないのだぞ? 話の触りだけしか聞いていないが、被害を出さずに矛を収める為にした事で、もう報告されていると想定している筈だ」

「我等は国と敵対している。国軍に報告などできはしないし、だとしたらお前達に話したところで意味はない」

「興味はあるだろうが……」


 無理に起こされ、肝心な情報をひた隠しにされる身としては、とてもではないが現在の状況は納得できないようだ。


「……デューアさん、その遺物は今後どうするつもりですか」

「所有権は私にあるだろう。その場にいた者で話し合った結果がそうだからだ。ただ、使う予定もない。差し当たってはギャブルさんの金庫を利用させてもらえないか相談するつもりだ」

「そう、ですか」


 クーラは微かな驚きを隠して二人に並び、平素を装って歩む。


 遺物を領主へ献上するとは思っていなかったが、まさか使うつもりがないとは誰が予想できただろう。


 〈夜の剣〉に加えて〈痺翠〉の所持を勧められた際には、一人が二つ持つべきではないと固辞していた。最終的にはアーチェに無理矢理に待たされるも、武具自体の強さには執着が無いらしい。


 いや、無くなったのだろうと思われる。


「頭脳明晰な先生にも同行してもらいたかったが、時間も時間だ。可能な限り早くと言うのであれば、無許可も仕方ない」

「余計な事件に辟易しているパッソさんなら了承しただろうがな」


 辿り着いたのは領主館から程なくしたところにある兵舎。その地下には死体安置所があり、ギャブルの私兵やエンゼ教関係者の遺体が保管されている。


 建物に入って左手にある地下への扉を開け、ヒヤリとした風を受けながら階段を降りる。


 発光石を使用した比較的新しい建築物で、灯りを付けることなく長い階段を終えられた。


 サドンが鍵を開け、息が白くなる程の冷気で満たされた室内へ入る。


「寒いな……」

「確かフルネームは、アドリナ・モラーナという名前でしたよね」


 両側に並べられた台に、布を被せられて横たわる死体。今は七名の遺体が安置されている。


「…………」


 自然とデューアが足を止め、一人の遺体を見つめる。


 数日前には当たり前に一緒だった人。その笑顔も笑い声も、明日も明後日もこれからも当然にあるものだと思っていた。


 もう失われた事実が、未だに受け入れられない。


「……デューア、あったぞ」

「そうか、分かった」


 最も近かったデューアの心情を思えば、サドンには気を遣う程度の配慮が精一杯であった。


「その〈死霊ガ残ス光〉とやらで本人から話を聞くとかはできないんですか?」

「できない。これで死霊化させた者は使い手の傀儡となった人形に過ぎないらしい。言葉を交わすこともなく、戦闘能力をそのままにした魔物とされて使役されるのみだ」

「そう都合良くはないんですね、やっぱり」


 使役できる死霊に限りがない、もしくは限界値が発見されていないという点で馬鹿げた性能ではあれども、死者を復活させるというものではない。


「しかも使い手が変わると、その者の貯めた死霊はリセットさせる。奪われても同じだ。少し扱いに困る遺物ではある」

「……何でもいいが、早く終わらせてしまおう。寒くて凍えそうだ」

「そうだな、そうしよう」


 カンテラを掲げ、デューアは持つ手から伝わる感覚に従い、内部の光で三件目に殺された殺人被害者の遺体を照らす。


 すると…………死体から紅い煙のようなものが浮かび上がり、彼女に訪れた死の間際を再現し始めた。


『――こんな時間まで大変ね。でも読書に集中したいから、早く回収して出て行ってもらえる?』


 あやふやであった出だしから、すぐに鮮明な声音となってその景色が映し出された。


 見えるのは被害者の室内。デスクに置いてある本へ向かって歩んでいる。どうやら〈死霊ガ残ス光〉により、被害者の視界が反映されるらしい。


 死後一週間以上も過ぎているからなのか、既に犯人を招き入れたところから始まっていた。


 背後から続く足音まで聴こえるも、振り返らなければ誰かは分からない。


「背後を向けっ……」

「クーラ、静かに」

「っ…………」


 つい口を挟むクーラを叱責し、デューアは映される景色に集中する。ここにある情報を、全て見つけ出す必要がある。


『でも、髪留めなんてあったかしら……。そもそも、あなたなら付けなくても問題はないんじゃない?』

『何よっ! 問題多ありよっ!』


 その声音に、身体中が怖気に塗れる。


 女性口調で話すも、声色は酷く低く、耳にすればこの犯人が如何に異常か・・・を瞬時に悟ることができた。


『っ、何を言っ――――』


 ――――最後に見えたのは、無数の牙と長い舌。


 それは身の丈を包みそうなまでの魔獣の口内。


 とうとう振り返った被害者だったが、そこで目にした光景を最後に紅い煙は霧と散った。


「っ…………」

「…………」


 顔面から血の気が失せた三人は、それぞれに恐怖を堪えていた。


 サドンは冷や汗に塗れ、デューアは険しい面持ちとなって何かを熟考する。


 腰を抜かしたクーラなどは白い顔をして震えていた。


「……残念な事に、犯人はそのトニーらしい」

「…………あれは」


 確信したデューアはシャンクレアから聞いたトニーの正体を告げる。


「――ライカンスロープ……。……人狼とも呼ばれる伝説の魔獣だ」

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