第214話、シャンクレア、鼻血を流す

 大陸最強国家、グリムドア帝国。


 最も多くの遺物を有し、皇族達は摩訶不思議な能力まで宿す。


 現在も大陸西側中部の殆どを領土としており、その絶大な軍事力で他国を圧倒している。


 陸では“耀帝彩色戦団”が猛威を振るい、海では“ルペイス海軍”が無敵を誇っている。


 ライト王国とは大昔の戦時から続く冷戦状態にある為、交流は殆どなく実質的な断交状態であった。


 だと言うのに、現皇帝第十三子であるシャンクレア並びに第十九子であるゲーテルが、王国の山岳にその姿を現していた。


「……皇子がどうして王国にいる」

「何でやろなぁ。興味あらへん」

「どうして帝国の人間だと分かった。確かに遺物の保有数は他国と段違いと聞くが……」

「あの男、さっきから部下を制する時に、腕を斜め下に下ろすやろ? あれ、帝国のお偉いさんがする仕草やねん。ほんで遺物をあれだけ持っとるんなら、そら皇族やろ」

「すんごっ……」


 狐人族の美しい乙女が黒騎士にもたれかかって説明した。


 魔弓を腰に携えていることからも、先ほどの驚異的な射手は彼女だろうと察せられる。


「…………」


 ババッカがこめかみから汗を垂らす。


 正体が露呈したからには、秘密を知る者を全員余す事なく口封じしなければならない。


 王国から脱出するには、必須条件と言える。


 だが…………あの魔剣士と何より黒騎士が相手である。


「シャンクレア様、如何しましょう…………シャンクレア様?」


 判断を仰ぐババッカだったが、常に毅然と配下を導くシャンクレアからの応答はない。


 不審に思い、その顔を覗き込む。


「…………なんと、美しい」

「このような時にっ…………ああっ、女などこの世に溢れているではありませんかっ!」


 好色な一面が前面に押し出され、獣人族の女にのぼせ上がっていた。


「んんっ…………そこの麗しき魔弓の乙女よっ!」

「……なんやの、妙な呼び方せんといてぇ」

「余の妻とする! 共に行こうぞッ!」

「往ねや。くくっ、ただのボンボンがウチと釣り合うわけないやん。あと人生三周してから出直してきぃ」

「んん〜っ、堪らんっ! 痺れる眼光っ、冷える笑み、余にも楯突く不遜の極み! やはり此奴は連れて行く!!」


 反り返るほど胸を張るシャンクレアが身震いして興奮を露わとする。


「し、シャンクレアさまぁ……」

「…………」


 その様に配下達は嘆き、その間を利用して長考に宛てがう。


「不自由はさせん! 金もっ、自由もっ、衣食住も全てだ! 返答や如何にッ!」

「…………金くれんの?」

「望む額をくれようぞ! 余の所有する三十三の別荘も使い放題である!」


 帝国の皇族と言えば、世界でも有数の大富豪である。言葉通りに、手に入らないものがない。


「……黒騎士はん、どうしたらええと思う? 博打癖のせいか、行ったろうかなぁと思う自分もおんねん。ウチ、こんな山奥で大金持ちになりそうやねんけどぉ」

「それは好きにしたらいいだろう……。求婚されているのは、ユミなんだから」

「はぁ…………まっ、あんたからしたら厄介もんが消えるだけやもんなぁ。こんだけ一緒におって寂しいわぁ」

「いや、俺も寂しくはあるよ」


 調子者らしく冗談混じりに言う女だったが、黒騎士は茶化して返すでもなく雑に扱うでもなく、至って真面目に返した。


「好きにすべきだとは思うけど…………正直に言うと寂しくはなるよ。君との生活もなんだかんだと楽しかったからね」

「…………」

「送り出すとしても、笑顔で背中を押してあげることはできないかも……いやでもできそうかも」


 暫く真顔で呆けるも、女は黒騎士にニヤけて言う。


「……なんやの、やっぱりウチに夢中やったんや〜ん」

「そうは言ってないね。多分、五歩くらい歩いたら一人でいる生活を満喫できるようになってると思う」

「ええやん、隠さんでも。今更やん。要はあれなんやろ? これまでの連れない態度は、好きな女の子に意地悪してしまう猿とおんなじアレなんやろ?」

「男子を猿って呼称するの止めてくれない?」

「枯れるまで男は猿やん。下半身で考えて下半身しか動かさへんねん」

「そんな生き物が世の半数だと思って生きてるの……?」


 嬉々として一気にはしゃぎ始める女に、纏わりつかれる黒騎士はたじろぎっ放しである。


「これっ、妾の国士から離れよっ! 無許可とは何たる不遜っ!」

「はぁ? ……ほんなら許可してもらおかぁ。太っ腹な嬢ちゃんは、ケチ臭いことは言わへんやろ?」

「ぬっ……其の方には特別に許しをくれてやろうかの! おほほほほほほほ!」


 ゲーテルと一緒になって黒騎士に戯れる女は、やっとシャンクレアへ視線を戻した。


「あっ、まだおったん? そんなわけやから、ウチは諦め。この人がどうしても離れとうないらしいわぁ」

「………………嫉妬で鼻血が出たのは初の事態よ」


 鼻血を垂れ流すシャンクレアの視線は、意中の女に擦り寄られる黒騎士から離れない。


「それよりも、どうして帝国の皇子が王国にいる。場合によっては捕縛しなければならない」

「…………一から十までの詳細を語る事はできん。だが王国への害意を持ってここにいる訳ではない事は誓おう」

「見逃せと言っているように聞こえるが?」

「伝わっているようで結構。取引をしようではないか」


 側に侍るシャーカに鼻血を拭かれながら、シャンクレアは毅然とした態度となって言う。


「其方は強い。だがテトとババッカ、そして我等にはまだ奥の手がある。必ずや双方に死傷者が出るだろう」

「だろうな」

「侵入方法や滞在先、脱出経路等は言えぬが見逃せ。その分も相応の見返りをくれてやろうという話よ」


 当然、帝国からの侵入者を王国は警戒していた。


 それでも侵入できた要因として大きなものは協力者がいたからで、それは今後も利用価値がある。ここで露見することは防ぎたい。


「……聞くだけ聞いてみよう」

「ここにある三つの遺物の内、一つを選ぶがいい。其方ないし王国へ、餞別代わりにくれてやるわっ!」


 異変を察知して戻ったテトに続き、銀髪の魔剣士も黒騎士達と並び立つ。


「余等は主に、人材の引き抜きが目当てであった。実のところ幾人かの目星い者達は引き抜き済みで、裏経路を使い帝国で合流する手筈となっている。だが王国の者に立ち去れと言われるならば、是非もなく従おう。しかし言うまでもなく、捕まるわけにはいかん」

「……俺は王国軍ではないし、立場的にはそちら側だろうが…………それなりの信頼をされている以上、そう簡単に首を縦に振るわけにはいかん」

「だろうよ、だからこその取り引きよ。元より鍛治士を軍門に加えた暁には去る予定であった。遺物と引き換えに穏便な別れとしようぞ。アルスとかいう街で“トニー”らしき者の犯行が続けられているとの噂を耳にしたからな。こちらも一刻も早く遠のかねばならん」

「…………詳しく聞きたい」


 交換条件が成立する。


 黒騎士は見送る。シャンクレアからは遺物〈死霊ガ残ス光〉と、トニーという名称が付けられた歴史的殺人者の情報。


 大陸に覇を唱える帝国にあって、僅か三年で七名もの若き英傑達、並びにその英傑等を殺すにあたって、百五十三名の軍人と民間人を惨殺した世紀の怪物であった。

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