第210話、黒騎士、人の道を説かれるも不良になる
大型の魔物用に作られた大きな檻の隅に、じっと蹲って動かない影があった。
「……グーリー……」
昨夜に出された餌も手付かずで、朝食前に確認しに来たデューアが堪らず溜め息を吐く。
もう何日もまともに食事が摂れていない。屈強な火熊と言えども不安にもなる。
「……グーリー、みんな心配しているぞ。お前の家族はカナンだけではないのだから」
「…………」
檻に入って新しい餌と交換し、頭を上げたグーリーを撫でる。
「これからも私がいる。アーチェもサドンも……カナン程ではなくとも、共に育って来たみんながいる」
「…………」
「もうすぐ葬儀が行われることになった。日程も段取りも決まっている。カナンを安心して眠らせてあげないか?」
一般的に親兄弟と過ごすよりも多くの時間を共にしたカナンを失った。それは想像も付かない悲痛なのだろう。
「カナンの代わりにはなれないが、私達だって仲良しだっただろう?」
「…………っ」
語りかけるデューアの思いが伝わったのか、屋敷を出て歩んで来るアーチェ達を目にしたグーリーが少しずつ肉に齧り付き始めた。
「ありがとう……」
胸を撫で下ろしたデューアが心置きなく出立できると、安堵の溜め息を吐いた。
そして自身も朝食を終えて間もなく、先生やチャンプ達の見送りを受け、デューアが発つ。
布で巻かれた武具を馬に括り付け、修繕依頼に向かうべく山越えとなる。
「このように大袈裟な見送りなどしなくとも、明日には帰って来るんだぞ……」
「危険な山に向かうのだ。怪我も治ったばかりで心配するなと言う方が難しいさ」
苦笑いするチャンプの指摘は、全員の心根を表していた。
異常な回復速度で完治したとは言え、あのガニメデ等をたった一人で打ち倒した代償は計り知れない。
たとえ〈夜の剣〉と〈痺翠〉があれども、不安に思うのも無理はなかった。
そのような中で、素朴な疑問に首を捻る者がいる。
「意味が分からないんだよなぁ……。明日って言ってるけど、そんな残骸になった物を持って行っても、正気を疑われて終わるだけじゃないの?」
「領主の言う事を鵜呑みにすれば、無理をすれば深夜には戻れるそうです。今は……海辺によく落ちている木片と何ら変わりませんが」
当人も戸惑いはあるようだが壊した手前、引き受けざるを得ない。
程々に言葉を交わしたデューアはあまり時間をかけるものでもないと、クーラから馬の手綱を受け取る。
「……ところでアーチェは何をしているんだ?」
「っ〜〜〜〜!!」
サドンに口元を押さえられ、羽交締めで拘束されるアーチェを見て訊ねる。
「先ほど先生に護衛として付いて行けと強要していたのだ。吃驚して慌てて取り押さえた」
「あれ? 皆さん、これが初見? あなた方が見ていない時は、大体あんな感じで恐喝されてますよ?」
気の優しいことをいいことに、先生へと無理難題をするアーチェに幾度目かの嘆息を吐く。
「本当は付いて行きたいんだけどね。でも今日はバイオリン教室があるから行けないんだ」
「このような雑務に付き合わせるわけにはいきません。お気遣いは無用です」
「でも護衛ならもう用意しちゃった……ほら」
常からの独特な調子で話す先生が指差したのは、デューアの背後であった。
弓と矢筒を携えてやって来る人物に、一同が息を呑む。
「……何を見てんの? 次に目が合うたヤツから抉っていこかぁ? 何をぅとは言わへんけどなぁ」
全員が揃って、あからさまに不機嫌なユミから顔を逸らした。
「ホンマ面倒やわぁ……あ〜あ〜、力に物を言わせて無理矢理に従わされて、ウチはどないなってまうんやろ。予定だってあってんで? はぁ……これはホンマに明ける夜なんやろかぁーっ!!」
「どの口で何を言ってるの。君の予定って、どうせカジノの売り上げに貢献しに行くだけでしょ? しかもきっちり条件だって突き付けて来たじゃん」
「忘れんといてや……? もし破ったらウチにも考えがあるんやからな。あんたの名前を使うて各地で借金したるねん」
「こんなヤバい人と取引したの、間違いだったかも」
異様な気迫で脅迫をぶつけ、軽やかに馬の背後部に跳び乗った。
驚きに暴れる馬にも構わず後ろ向きに座り、抜群のバランス感覚を見せている。
「どうっ、どうどう! よしっ、いい子だ…………まぁ、いないよりはいいか」
「言葉に気ぃつけや。これから数刻は常にあんたの背後にはウチがおるんやで? ちょっとでも嫌なことがあったら射抜いたんねん」
「降りてもらってもいいか?」
馬を宥めつつ下馬を求めるもユミは降りず、結局は同行することとなった。
アルスの街を出て、先日にマンティコアを目指した街道を再び行く。
「……帰ってからが楽しみやわぁ。ホンマなんやろか……」
「…………」
背後から聴こえるやけに大きな独り言。
退屈そうにダガーで木を削るユミに、ふと気の向くままに話しかける。
「ユミにしては珍しく協力的だが、先生とどのような取引をしたんだ?」
「うっさいなぁ…………暇やから刺しとこかぁ」
日常会話でもと訊ねたデューアの背に、尖った木の枝が突き刺された。
気分で突き込まれてしまった。
「ぐぁぁっ!? なっ……き、気でも触れたのかっ!」
「ウチよりもあんたが心配やねん」
「何がだ!」
「あんた……帰って来るまでにおかしくなってしまうんちゃうやろか」
「ああっ、そうだな! お前といれば誰だっておかしくなりそうになる! お前はもう何もせずに乗っていろ! 護衛すらしなくていい!」
「何を怒っとんの……? こわぁ……」
「ぐっ…………」
このまま言い合いをしていれば、本当に気が狂ってしまう。
そう察したデューアはユミの徹底無視を決め、正当な反論を喉元から押し留めて馬を歩ませる。
「ん〜〜〜…………アカンなぁ」
姿勢が悪かったのかユミが横向きに座り直して以降は、身動ぎする程度で会話もなく、ただ馬を進めるのみであった。
そして二度の小休止を挟み、午後には順調に目的地へ到達する。
夜は山風が強くなり危険ということもあって、急いだことが功を奏したようだ。
だが、
「…………」
デューアが二つの魔剣を抜く。
「ユミ、早く構えろ……」
「無駄や無駄。くくっ、勝てるわけあらへんやん」
匙を投げるユミは愉快そうに笑い、前方の敵へ視線を投げかけている。
「……黒騎士、何の用でここにいる」
面構え険しい彫像が並ぶ中で、その一つに背を預けて待ち構えていた男。
漆黒の鎧は遠目からでもはっきりと捕捉可能で、何を身構えるでもなくデューア達を待ち受けていた。
「そう構えなくとも、俺は武器すら持っていない。だろ?」
「…………」
敵対する間柄であるのは明確で、ミッティを殺した翌日には手を貸すことがある。
何を考えているのか、何か裏があるのか、警戒するには充分過ぎるまでに不気味であった。
「その斧を壊したのは俺だ。修理代を出すのは当然だろう」
「…………確かに」
道理であった。
大斧二つは特に重く、運ぶ段階から申し出て欲しかったとの言葉を飲み込み、デューアが双剣を収める。
「黒騎士はん、こいつ修理代いうて物凄い大金持ってんで。領主の武具もや。エンゼ教、ここで終わらせてもうてもええんちゃいます?」
「黙っていろ」
理由を付けて殺そうとする女狐を睨み、手綱を引いて奥に見える山小屋を目指す。
「修理代はいいが、ここの家主は酷く気難しいらしい。鎧姿では警戒させてしまうかもしれない」
「では俺は…………そうだな、この辺りで待っていよう」
鍛治士の家から三十メートルほど手前で立ち止まる黒騎士に頷く。
身を隠せば鍛治士からは見えないだろう。
「コンっ」
「……まぁ、お前はもう好きにしろ」
同時に馬から飛び降りるユミには、もう構えないと嘆息混じりに告げた。
「それよりいいのか?」
「…………何かあるのか?」
腕を組んで訊ねた黒騎士だが、デューアにはその質問の意図が掴めない。
すると黒騎士はそっと家屋方面へ指を差した。
「…………っ」
「…………」
ゾッとする。
毛むくじゃらの大男が、音もなく背後に立って見下ろしていた。
ドワーフ族に分類されるノール族と呼ばれる種族で、ドワーフが低身長である事に対してノール族は、人の倍近くある長身と幅広の巨体が特徴である。
この鍛治士も例に漏れず体躯は大きく、髭は胸元にまで伸びており、古びたコートなどとも相まって威厳を感じる。
「鍛治士とは思えない忍び足だったな」
「このくらい分かるようにならんとなぁ、くくっ」
感心する黒騎士と嘲笑うユミはこの男を察知していたようだ。
決して鈍くはなく、むしろ鋭い筈のデューアはまるで掴めていなかった。
「……用は」
「あ、あぁ…………武器の修繕を依頼したく、ギャブル・キャブルさんの紹介で参りました」
「……物は」
大男は機械的とでも言えば良いのか、淡々と抑揚のない声音で応答するのみ。
けれど話は早く、慌てて〈煙痲・キセラ〉であった残骸を入れた袋を馬から取り外す。
そして手に取った時に、しまったと心中で失敗を察した。
最も無理難題である〈煙痲・キセラ〉は、当然に様子を見て機嫌を伺ってから依頼する手筈であった。
「……ここで待て」
「えっ……」
振り向き様で一方的に告げ、名乗りも待たずして巨漢が自宅らしき建物に向かっていく。
呆気に取られるデューアだったが、なんと鍛治士はほんの五分足らずで戻って来た。
「はぁっ!?」
黒騎士には似つかわしくない、素っ頓狂な声音が漏れる。
「……次は」
「こ、これを……」
そして、さも当然と再び踵を返した。
「……気が散る」
ふと足を止めた鍛治士が、背中越しに若干だけ声色低く言う。
「……一つ目の像まで引き返せ」
「一つ目の像……あの辺りか。分かりました、引き返して待ちます」
デューアの了解に納得したのか、鍛治士は無言で家屋に視線を戻して歩み去った。
「…………君達は先に引いていてくれ」
「黒騎士はどうするつもりだ。皆で戻らなければ、あの鍛治士はおそらく機嫌を損ねるぞ」
「有り得ない」
黒騎士は〈煙痲・キセラ〉を指差して、至極真っ当な意見を述べる。
「あの状態から復元できるわけがない。しかも、ものの数分だぞ」
「…………だが、事実として鍛治士殿はできてしまったわけで……」
「同じ物を予め用意していたのなら納得できるが、それは考え難い。何をしたのか確かめる必要がある」
理解不能として鍛治士を疑う黒騎士に、デューアは諭すように告げた。
「……黒騎士、この世にはとても信じられない人がいるものだ。私も数日前に出会ったばかりだ」
「…………」
「自分の物差しで全てが測れるわけではない。鍛治士殿もその一人なのだろう。それにたとえ何かあるのだとしても、直してもらった人を疑うのは義に反するのではないだろうか」
人の道を説かれた黒騎士は、深く考え込む仕草を見せる。
「アホくさいわぁ……ズルしてるに決まってるやん。あいつはそれで大金を得とるんやから、暴いて自分のもんにしたらええねん。迷うことあらへん」
不良の道を説かれた黒騎士は、僅か数秒の逡巡の後に決断する。
「行って来る。二人は引き返してくれ」
「…………」
存在感が薄まっていき、家屋へ向かう黒騎士はすぐに認識できなくなっていた。
仕方なくユミと来た道を引き返したデューアは、次に修復依頼をする〈風仙〉を用意する。
「…………そんなんしとらんと、はよ立ち」
「ん? どうした、いきなり……」
「明らかに普通とちゃう集団がこっちを探っとるみたいやで?」
「……敵襲か?」
「まだ分からんに決まってるやん。けどその一人は、大魔導級の魔術師や。アホみたいな範囲で索敵魔術を使用しとる」
「…………ユミは狙撃の用意をしてくれ」
「ウチは誰の指図も聞かへんのよぉ〜。楽しい楽しい宴が始まるでぇ〜、コ〜ンコンっ」
弾む声色で笑みを覗かせ、スキップ混じりに歩み出し、軽快な跳躍で像に飛び乗ってすぐに何処かへと消えてしまった。
「まったく……」
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