第209話、シャンクレアは褒めたい

 シャンクレア一行が竜を目指して山岳を歩む。


「それにしても竜とは珍しいですな。餌など無さそうなものですが」

「竜は食い甲斐のある大型の魔物が生息する人里離れた僻地にいることが多い。何かの凶兆かもしれません」


 長くシャンクレアに傅いて来た騎士であるテトと高位魔術師であるババッカは、竜が出没している事態に不信感を抱いていた。


「もしかすると…………“赤き月夜”が近いのやも」

「……合点がいく。だから魔物が活発化しているという訳か」


 充分に腹を満たす餌が無いということは、その竜は飢えている。つまり凶暴化しており、目に付いた瞬間に飛びかかって来ることは明白であった。


 にも関わらず一行は主人であるシャンクレアを前に歩かせ、声を潜めて雑談をする。


「目的は既に果たされていることだし、シャンクレア様がその鍛治士でご納得されたなら早々に王国を出ようではありませんか」

「王国北部は日に日に緊迫しています。それが良いでしょう」


 クジャーロ国との国境近くは、いつ開戦してもおかしくないと行く先々で話題となっていた。


 どちらの王も和解の道を望まず、此度こそ雌雄を決する腹積もりでいるようだ。


 加えて怪しげな宗教との諍いもあり、王国北部の一部地域は混沌としているのが現状だ。


「王国軍と面倒事が起きないとも限らない。シャンクレア様が素直に耳をお貸しくださると良いのですが……」


 この旅がそもそも有り得ない状況であるからこそ、更なる無茶を思い付きやしないかとテトを小心翼々とさせていた。


「シャーカよ、余の側を離れるでないぞ」

「はい、決してっ」


 色めく前方の二人を目にして、気の良さそうな紳士の顔立ちを曇らせ、少し先の未来を憂う。


 と、そうこうしている間に、探査で発見した竜の姿が見えて来る。


『…………』


 蜥蜴を思わせる面で歯を剥き、両手に掴む熊と山羊を交互に食い千切り、黙々と捕食している。


 どうやら山羊の群れを襲って狩りをした熊を、上空から滑空して捕獲。翼と一体となっている巨大な腕で押さえ付けて食い殺したらしい。


「……翼腕竜・ミゼルリオ」

「それなりに強い竜種ですね。飛び立つ前に倒さなければなりません。迅速な討伐が望まれます」


 ババッカは“それなり”と評価するも、ミゼルリオは目撃例が少ない。それは素早い狩猟能力から、どこからともなく舞い降りて去っていく飛竜種最強の狩人だからだ。


 飛行性能、鉤爪にも似た手の握力、どれもが飛竜種の中でも頭一つ抜けている。


 軍隊総出であってもミゼルリオを捕えたという例は極稀だ。


「鍛治士を軍門に加えてやる前に昼餉といこう。竜の肉を馳走してやる」

「では私めが」

「うむ、焚き火を焚かせて待つ。巧遅は拙速に如かずと知れ」

「ははぁっ」


 シャンクレアは決して動かない。


 テトが戦う……と言っても、ただ竜の首を刎ねる一瞬と言えども、戦場を間近にして決して後退せずに不動を貫く。


「大義であった」

「勿体なきお言葉」


 陶器の白さに黒ずみが僅かに混ざり合う刃。そのような不思議な色合いをした剣を手に、紳士然として一礼。シャンクレアへ竜を捧げる。


「テトよ、毎回思うのだが…………それは余の大義加減を愚弄しているのではないか?」

「ええっ!? そ、そのような意図は御座いませんっ……!」

「貴様……余の裁量でくれてやった余の“大義であった”を勿体無しと言う。否、余は“であった”とまで断じているのに、勿体無いとその裁量を否定している……」


 熟考すればするだけ、テトへの苛立ちは募る。


「これまでは“あっ、そのようなものなのか”と、形式として大目に見てやっていたがっ…………やはり無礼千万ッ!!」

「誤解ですっ! ……こ、これから益々の忠義をと考えている私からすればっ、シャンクレア様がお言葉を選び辛くなるやもとの懸念からの謙遜なのですッ!」

「…………貴様、後の功績時に余の“大義であった”を残しておく為と申すか」

「は…………はっ!!」


 ……沈黙の間、シャンクレアは冷めた目で汗塗れのテトを見下ろす。


 背後で着々と進められる竜の解体作業。焚き火の爆ぜる音からも、テトの今後に無関心であることが伺える。


「その忠勤…………見事。大義であるッ……ぁ」


 残しておくことにした“大義である”を早々に使用してしまい、今後の労いを悩む間に竜肉の串焼きは完成した。


 旅の間は食卓に差はない。一団が揃って円を描いて食事を共にする。


 ただし手を付ける順序だけは自然と決まり事ができた。


「……竜はいつ食べても美味である」

「旨そうじゃのぅ……次は妾じゃ」


 まずはシャンクレアとゲーテル、それを見届けてから全員が食事を開始する。


 今回も例外はなく、ゲーテルが程々に冷ました肉の串を食べ始めたのを機に、全員が焚き火を丸く囲うように突き立てられた竜肉へ手を伸ばす。


「…………そう言えば、王国は“黒の魔王”なる輩にも悩まされていると聞きます」

「…………」


 何気ないテトの投じた話題に、シャンクレアの肉を頬張る手を止めた。


「さしもの賢王レッド・ライトも胃痛に事欠きませんでしょうな。魔王というからには国家として名乗りを上げる日も近いのではありませんか?」

「テトよ、その輩を王と呼ぶでない」


 先程のシャンクレアと違い、感情により放たれたものではない。


 むしろ矜持をかけて説くように、場合によっては弁論も辞さないといった面構えでテトを見る。


「知っているであろう。余が何故にグォルミー・クジャーロを王と認めないかを」

「ふむ、確かに仰る通りでした。通り名から察して、魔族の王という想像から突いて出た言葉なのです。浅慮でしたが、どうかご容赦を」

「赦す。其の方等の説く道もあろう。強いるつもりはないが、余の前では控えよ」

「ははぁ」


 どうやら【黒の魔王】はシャンクレアの定義によれば、王とは認められなかったようだ。


 しかし気を悪くした様子もなく、シャーカに世話されるがままに肉を食らうシャンクレア。内心で微かに議論に発展しないかと期待するも、やはりテトの性格上の問題で速やかに打ち切られてしまった。


 どこかに、納得が行くまで闘論できる者がいないだろうか。シャンクレアは口元の肉汁を拭かれながらも、他愛無い夢を見る。


 この大空の元にいるであろう、その一人を思う。



 ………


 ……


 …



 日は沈み、虫の音が心地良い頃……。


 シャンクレア一行は岩肌に沿って続く、気持ちばかりか感じられる人道らしき跡を行く。


「……ふっ、高ければ高い程に、空気が澄んでおる。人から離れた場ほど、穢れから難を逃れているというのか…………すまぬッ、大自然よ! 人を許せッ!」


 吹き付ける風が強くとも、手練れ揃いの旅団には何の痛痒もない。


「わ、妾を不安にさせるとは何たる無礼かっ! 仕置きは免れぬと知るが良いっ!」

「平にご容赦をっ」

「にゃらぬッ!!」


 たった一人を除き、山登りなど夜半を通しても苦にも思わない。


 一行は魔物に出会うこともなく、狼らしき遠吠えを耳に最後の探査を行う。


「〈大地の囁きジオ・スキャン〉」


 目的地は索敵魔術内にあり、例の鍛治士を捕捉後に行動を再開する。


 筈であった。


「…………先客がいるようです」

「ふむ、害意ある者か?」

「それは不明です。ですがどうしてなのか、その二人は鍛治士の自宅前にいます。訪問する気配もなく、動こうとしていません」

「行くしかあるまい。どの道、その鍛治士とやらに用があるのだ」


 仄かに灯る手元の魔術陣。ババッカはシャンクレアが歩み始めたのを察して、魔力の流れを打ち切り、魔術を解こうとする。


「っ…………シャンクレア様、問題が発生しております」

「……? 何があった。怒るかもだが、申してみよ」

「二人のうち一人に、我等の気配が察知されました」

「なにっ……?」


 一瞬にして旅団の顔色が変わる。


 その異様さが手に取るように分かるテトが、真っ先に声を荒らげた。


「馬鹿なっ、有り得ない……!」

「事実です。何かを感じ取り、索敵範囲外へと逃げてしまいました。こちらの方角も正確に把握されたようです」

「ババッカ殿と同等の魔術師…………ネムとかいう傭兵かっ」

「索敵魔術が使用されたなら感覚として掴めるはず。信じ難い身軽さから言っても、その者は魔術師ではありません」

「…………益々、有り得ない。魔術でないのなら、一体どうやって……」


 動揺はやがて警戒へと移り変わり、自明の理として主人へ当たり前の提案を発する。


「シャンクレア様、私とファウストが様子を見て参ります。決してババッカの側を離れぬようくれぐれもご注意ください」

「…………」


 目元を布で隠し、不気味な光が灯るカンテラを手にした男がテトに並ぶ。


 気を高めて戦闘に備え、テトと共に奮起していた。


「何を言う……」

「な、何をと申されますと……?」


 だが呆れたとばかりのシャンクレアは、嘆息混じりに言う。


「いきなり魔術が飛んでくれば、警戒もしよう。何故、怯えさせた側が臨戦態勢で向かわねばならぬ。筋も道理も通らぬではないか。立ち往生ではないかっ! 気管や血管ならば大事であるぞ!」

「し、しかし……!」

「あまつさえ、貴様……団の長たる余が顔を出さずして、何が誠意か。恥を知れっ! 常識もだっ! この世捨て人めがっ!」


 部下の不届きを恥じると共に、テトへ叱責を飛ばしてすぐに歩き出す。


 すっかり機嫌を損ねたシャンクレアを諌めること叶わず、一団は目的地に到着してしまう。


 そこは、異様な様相をしていた。


 左にも像、右にも像、岩壁にも像……。


 躍動するかの如く生き生きと、各々が異なる構えで客人を見下ろす巨大な羅刹。


 厳かな佇まいの中に、無限の闘志を表して表情険しく雑然と立ち並ぶ。


「彫刻家としても一流であったか…………そこでなのだが」


 開けているとは言え薄暗い場所を、目を凝らして見るも細部は捉えられず、仕方なしとして対面する人物に向き直る。


「……何者だ。物騒な装いだが、身元を訊かせてもらう」

「説破ぁぁ!!」


 ……双剣を抜きかけた銀髪の青年が、シャンクレアの発した一声に固まる。


「…………何がだ? 異国の衣装にも見えるが、もしかして言葉が通じなかったか?」

「余のどこが物騒かっ! 余は常に無防備っ、常に無警戒! 案ずるな、剣士よ!」

「えっ…………だが殆どの者が物々しい武装をしているぞ?」

「…………」


 青年の指摘に、シャンクレアは仲間達を一通り目にする。


 重厚な黒の甲冑と濁る白色の剣を持つテト。上質な杖に刺繍の凝った魔術師のローブを着るババッカ。武闘家として動き易さに優れた双子。あからさまに魔具である怪しげなカンテラを持つファウスト。


「………………物騒であるっ! ふははははぁ!」

「なんなんだ、お前達は……」


 その時、青年の足元に文付きの矢が落ちる。


「…………っ」


 青年は文を解き、書かれた内容に目を通した。


 読み進めるに従い、青年の顔付きは険しいものと変わる。


 やがて文を折り畳んで胸の内に仕舞うと、次には迷わず双剣を抜き放った。


「…………」

「そこの男が持つ奇妙な剣、それは…………遺物なのか?」


 片方の青暗く美しい剣で、テトを差して問うた。


 剣を抜いた瞬間から凄まじい緊張感が張り詰める中であっても、青年は動じることなくシャンクレア達を問い質す。


「勇ましきかな、剣士よ。だが余に敵対の意思はない」

「まだだ。もう一つ訊こう」

「許す、申してみよ」


 虫も鳥も、動植物が息を潜める山岳で、青年の問いが投げかけられる。


「そこのカンテラ……まさか、それも遺物なのか?」


 ただの旅団が、二つもの遺物を所持していた。


 国家でさえ二つとあれば大幅な戦力強化となるところを、八名の旅人達が所持している不自然。


 さぞかし異様に見えていることだろう。様々な憶測が堂々巡りして、真実へ辿り着くことは難しいと思える。


「お前達は本当に何者だ……」

「逃げた仲間の知らせか。その聡い者を呼ぶがいい。余、直々に誉めて遣わす」

「断る。アルス及び北部ノドリアナ領内から即刻立ち去れ」

「ならぬっ! 褒めると言ったら褒めるっ! 褒めると決めた以上は必ず褒め尽くしてみせよう! たとえ立ち去るとしてもだ!」

「なんなんだ、こいつは……」


 胸を張って仁王立ちを見せ、初志貫徹の意志を表している。


 困惑する青年と打って変わり、シャンクレアの性分を知る付き人達は冷静であった。


「君が危うくなれば、そのスペシャリストも姿を現さざるを得ないのではないかな?」


 嘆息して告げたテトが、遺物の剣を手に歩み出でた。

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