第208話、謎の旅団
いつでもいい、どこからでもいい、自分はただ受けるか合わせるだけ。
その口上で、過酷な早朝鍛錬は始まった。
「今っ! パッソさん達がメイド達の経歴を……調べていますっ!」
両手に持つ木剣を取り回し、力強く師へ叩き付ける。
「先生の推理で捜査が進展を見せたようで、感謝していました!」
「覚えておくといい。現象には必ず原因がある」
かち合う度に木端を散らし、乾いた剣戟音が鼓膜を揺らすも、目的は果たせずに終わる。
「デェリァァぁぁ!!」
「すんごい大声……」
一拍と置かずに背後から襲い掛かるは、クーラ・キャブルであった。
上段から体重を乗せて振り抜き、頭頂部を割らんばかりの気合いで木剣が放たれる。
けれどそちらも見ずして振り向きながら難なく受け止め、そっと差し出した左手で肩を押さえ、足払いを加えてクーラを転かしてしまう。
「声量で疲れちゃうよ? 背後で祭りが始まったのかと思ったもん」
「またやってるっ! まぁ〜たやってる!」
物音を聞き付けて駆け寄るアーチェは、その勢いのまま先生の首を掴んで絞める。
「何をしているんですかっ! デューアは病人ですよ!?」
「百本組み手です。前に怒られたんで、今日は百本だけで終わりです」
「今は何本目ですかっ! もうすぐに終わるんでしょ!?」
「ぜ〜んぜん。見ての通り、まだ一本しか終わっていません」
首を絞められながらも平然と会話する先生の視線が領主の屋敷を取り囲む壁へ。
「………………えっ!?」
アーチェが百本組み手の内容を察して、素っ頓狂な声を上げた。
用意された木剣は百本。
壁沿いに整然と並べられ、朝露に濡れて滑らかに光る。
その中の最も左端の一本のみが折れており、嫌にでも百本組み手の真意を悟らせていた。
「百本組み手って、百本の木剣が折れるまで続けるということですかっ!?」
「そうですよ? だってアーチェさん、永遠にやる練習は怒るじゃないですか。今回は安心。だって終わりがあるんだから」
「絶望の百本っ!!」
掴んだ首を揺さぶり、根本的に間違えている男を処そうとし始める。
「アーチェ……」
「でも今回はもっと早く終わらせる方法があります」
呆れて言葉もないと嘆くデューアを他所に、先生は持っていた木剣の取っ手をアーチェへ差し出した。
「…………えっ?」
「良かったですね。一人で百本が二人で百本になって、今じゃあ三人で百本になりました。人類みな兄弟姉妹、助け合いって気持ちいいですね」
「…………」
上手を行かれたアーチェが汗を流して駆け付けた後悔に苛まれる。
それから間隔の狭まった剣戟音は絶え間なく続き、しかしある時を境に明らかに減少していく。
「っ…………」
「…………」
荒い呼吸を繰り返し、流れる汗を袖で拭うデューアだが、左の木剣は半ばから折れている。
壁まで歩み、六十七本目の剣を手に取る。足元には木片と化した木々が散らばり、その中に紛れて倒れ伏したアーチェが青空を仰いでいた。
六本目が折れた辺りから大の字で倒れ、微動だにしない。
「ぐっ……」
二十四本目まで粘っていたクーラだったが、前腕は膨らみを見せるまでに固まり、剣を振ろうにも身体が動かない。
いや、先生に言わせるのなら、まだまだ動ける。想像を絶する辛さ故に、疲労のせいでもう動かないのだと限界を作ってしまっただけであった。
剣を手放して苦痛に屈したクーラが、未だ剣を振り続けて前進を望むデューアに追い付くことはない。
「……お願いします」
「は〜い」
三本の剣でジャグリングしていた師へ、改めて双剣を構える。
「やっぱり一人になっちゃったね」
「望むところです。これでやっと正々堂々と一本を勝ち取るつもりで剣を振れる」
「よく言ったっ!」
強がりなのは疲弊を表す佇まいで明らかだが、本音のつもりであった。
師の剣は美しい。何度も試行錯誤し、徹底的に一振りを研磨したのだろう。名刀を思わせる洗練された剣技に、ただ憧れていた。
これを振れたなら、それは剣士として掛け替えのない栄光に他ならない。
「…………」
少年のように目を輝かせ、迷うことなく苦行に身を投じるデューアの姿が、クーラには眩しく見えていた。
この二人は根本的に同じ部類なのだろう。
あらゆる分野で凡才と言われ、福音の翼により人を超えた魔力を得るというエンゼ教へ入信するも、結果として父から贈られた魔具に頼ってですら司教止まり。自分とは生まれながらにして違う。
才能は平等に振り分けてもらえない。
「自分よりも才覚に恵まれた者は必ずいる!」
「っ…………」
「この世に自分の上位互換はいくらでも存在する! 素敵な世の中だろうっ?」
耳を疑った。
自分よりも優れた者の溢れる世界を、どうして受け入れられるのだろう。劣等感に苛まれ、見下されているのではと募る苛立ちに葛藤する日々。
どうしてそのような地獄を素敵と言えるのだろう。
「そんな人達を捩じ伏せる手段もまた、必ず存在しているからだ! 俺は世界一の努力でそれを成し遂げた! 我ながら燃える話じゃないか!」
この男に不可能は無い。
何故か、そう確信させられる。同時に羨望の眼差しを送るクーラの胸が熱くなる。あの人を目にした誰もが、憧憬としてその姿を胸に刻むことだろう。
デューアの心情とおそらく同様の思いが生まれる。
「君にもやれる! 君なら近い将来、無双の鬼や黒騎士と渡り合う剣士になれる!」
「はいっ、必ず!!」
白熱する双剣同士の打ち合い。木剣を折る目的などとうに忘れ、強くなる喜びに打ち震え、本気の剣を存分に振るえる悦びに滾る。
「ふっ……!」
「おおっ!!」
微かに笑みを溢し、気合いの一声を上げ、精魂尽き果てて立ち上がれなくなるまで続けられた。
♢♢♢
「――明日からもお願いします」
食堂で皆さんより遅めの朝食を頂く朝練組。
俺はまだ早かったのではないかと、クーラ君に朝練をどうするのかを訊ねたのだが、予想外にも明日からも参加したいらしい。
狂っていると評判の俺流稽古だが、デューア君とクーラ君には好評のようだ。ちょっと頭の中が心配。
「……俺は獣人の子とかにも分け隔てなく接してるよ?」
「勘違いしないでください。俺が嫌いなのはユミだけです」
「そうなの? なんでだろ、心当たりが無数にあるからどれか分からないな……」
「あいつは才能だけで強い癖に、努力する者を嘲笑うからです」
「そっかぁ……」
ユミは努力していたのではと思うも、実際はどうなのか不明なので無責任なことは言わないでおく。
丸テーブルに鮨詰め状態の料理を次々と食らうデューア君の傍らで、俺達は常人の量を頂く。
食だけなら、もうアスラの域ではある。
「先生、おはよう」
「あっ、おはようございます」
領主のギャブルさんが和やかに挨拶してくれた。
デューア君も軽く頭を下げて応え、クーラ君は父親の登場にどこか落ち着かない風である。
「クーラはどうでしたかな? ここ数年は鍛錬ばかりしているものでね」
「ん〜、どうりで基礎がしっかりしてるわけです。中でも声量が特に気持ちいい」
「せ、声量……?」
ギャブルさんは間の抜けた表情となるも、すぐに咳払いして続けた。
「それで……例の件は考えてもらえたのかな?」
「こんなにお世話になってるところ申し訳ないんですけど、やっぱり魔物を倒すだけの催しには…………参加できないです。すみません」
「そうか……残念だ。午後には今季の催しで戦う魔物達が搬入される予定で、先生が出場すれば過去類を見ない盛り上がりとなると思ったのだがね」
「すみません。アルスを盛り上げる為に一役買ってやろうって気持ちは常にあるんですけどね。魔物を殺したくない以外にも、何分各所から狙われる身なんで派手な行いも避けたいんです」
他国からの団体が近く謁見を求めているとセレスから聞き、『あっ、俺って魔王じゃん』と思い出した。ただでさえ本業より師範代業が多くなって、これ以上は他のことをするわけにはいかない。
仕事も終わったし、早く例の極悪犯罪者を倒して帰還しなければ。そちらに専念すべきだろう。
その間にデューア君達を充分過ぎるくらいには鍛えてあげよう。
変なのに出会っても負けないように。
………
……
…
アルスから北西に伸びる街道を行き、右手に見えてくるチョッヅォ山を目指す。
山岳地帯の道中は魔物も多く、険しい山道。立ち入る者は限られるこの奥深い山に、一風変わった一団の姿があった。
「……余には快晴が相応しい」
鮮やかな紅髪を艶やかに、岩壁から大地を睥睨する青年。居丈高にも思える程に胸を張り、背後の七名を従えてその地に立つ。
装いも男と妹であるゲーテルのみが上質な軽装で、その他の者等が代わりにとばかりに甲冑や鎧、魔法使いのローブで完全武装している。
「それは何故か……答えてみせろ、シャーカ」
「天がシャンクレア様に微笑んでいるからです」
シャンクレアと呼ばれた青年の問いかけに、間髪入れずに答える女シャーカ。すらりと手足の長い引き締まった体型は、神官の装いをしていてもよく分かる。
旅の間中、夜の世話を担当していることもあって、シャンクレアからの寵愛を一身に受ける名誉を授かっていた。
「余の答えの上を行きおったか……見事よ」
「あっ……」
踵を返すなりシャーカの腰を掴んで引き寄せ、嬉々として受け入れる彼女と共にそのまま歩み始める。
「兄様、妾はもう山に飽きておる。もっと良い場所があったのではないのかえ?」
大柄な双子の格闘家に担がれる少女が畏れもなくシャンクレアに言ってのける。
立場が高貴と一目瞭然な二人は髪色が同じという点もあって、おおよそ兄妹であることが伺えた。
「ふっ、山に入ってざっと二刻……飽き性なゲーテルらしくて何よりだ。本日も異常無きなり」
「失敬じゃ……妾は飽き性なのではなくて、向こうがこの妾を飽きさせておる。問題があるのはこの山の方よな」
「だが、どのような状態であろうと完全復元してしまう鍛治士……我が陣営に引き込んで損はない。我が愛しの妹ゲーテルよ、辛抱せよ」
紅髪のツインテールを弄り、表情に不満を露わにしながらも兄には逆らえないのか黙り込んでしまう。
「ババッカ、周辺状況を調査するのだ」
「仰せのままに」
老婆の魔術師が歩み出る。
神聖な印象を感じる意匠の施された杖を手に、魔術を発動した。
「〈
周囲十五キロメートルに渡り目には見えない魔力の流れが波打ち、範囲内全域において大まかな状況把握を瞬時にして成し得る。
「……道中に竜がいるくらいで、特に問題は無いかと」
「うむ、下がれ」
頭を下げるババッカを過ぎて自らが先頭を行き、竜がいると判明した山を行く。
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