第205話、黒騎士を上回る怪物
室内は異様な空気が漂っていた。
「…………」
たった三名の部屋で、常から微笑み絶やさないパッソですらも目を剥き、驚愕に身を凍らせている。
「…………め、メイドの中にいるの?」
「はい。ただ事件後の調査不足が災いしていて、そこから先を特定することはできません」
記載された内容が女の求める水準に達していれば、犯人を暴くところまで到達できた。
けれど現状では肝心な内容が欠落している。
「獣人の方が匂いを嗅ぎ分けたメイド達がいたのでしょう? その名前が資料にはありません。先ほど部屋を見た限りでは、清掃作業が行われた後の筈です。既に匂いの対象が増えているので、もう手遅れです」
「すると犯人は……最初に嗅ぎ分けられたあの中にいたとっ?」
「ただの推理です。犯人の望みが叶うまで止まらないとは思いますが、後はご自由に」
思いも寄らない展開にパッソは思わず、強い好奇心から問いかけが口を突いて出ていた。
返って来たのはまたしても意味深なもので、関心は深まるばかりだった。
「あなたは……一体…………」
恐ろしくも感じられる冷淡な口調を聞けば、根拠のない空論とは切り捨てられない。
平凡な見た目からは予想だにしない知能であった。
「この街で偶然にも再会したのですが、彼女は俺の弟子の中でもとくに――」
「妻です」
驚きを露わにしていた先生が我に帰り、忘れていたと紹介するところを割って入り、隣に立つ女がはっきりと断じた。
新婚なのだろう。慣れておらずに照れたのか、微かに頬を赤らめながらも自ら告げた。
「…………」
「…………」
先生は間の抜けた顔となって、隣に侍る女を見下ろす。
しかしすぐにさも落ち着くようにと頭を二回だけ撫で、よしと頷いてからパッソへ向き直り言う。
「この街でたまたま再会したんですけど、彼女は俺の――」
「妻です」
「妻みたいです」
この不自然なやり取りの意味を解するまでは、暫しの時を要した。
「夫婦共々、よろしくお願いします」
「……えぇ、こちらこそ感謝の念に尽きません」
だが考えれば単純な話で、他言するつもりがなくともこの頭脳を持つ者が犯人に狙われる可能性は無くはない。
あの武の腕前からも、先生自体は探せないことはない。名前を隠していることからも、夫婦という近い関係性から身元に行き着くことのないようにと徹底していたのだろう。
街から去った後に犯人が追跡する危険性まで予め見据えた上で、事件解決をと妻を招集していたのかもしれない。
「まぁ、妻は明日の朝にはもうアルスを発つ予定なので、ご厄介になることはないと思います」
「そうですか。それは残念です……推理のお礼をしたく考えていたものですから」
予想は当たっていたようだ。
建前はどうあれ、本音としてはこのまま女に滞在してもらい、エンゼ教の為にその智謀を活かしてもらいたいところだ。
そう企むパッソがとある提案をすべく、口を開く
「宿にもお金にも、アルスでのどのような特権にも興味はありません」
「…………」
「私は夫の頼み故に、半日だけ予定を空けてやって来たのです。滞在を延ばすつもりはありません」
身体が冷え付いたのに反して、強く握る手に汗が滲む。
その空虚にも思える双眸に捉えられ、底知れぬ不安と同時に不可思議と心を掴まれる。
「次は腹立たしくも夫を説得しようと考えるのでしょうね。それは最も悪手となるので、私は勧めません。それでも諦めが悪そうですから、領主を頼ることも考えているのでしょうが無意味です。私達はアルスから出る独自のルートを持っています。外に待機させている尾行係も不快なので、付いて来るようなら容赦はしません」
先へ先へと思考が見透かされ、頭に浮かぶものが無くなる。朧げに立つ感覚のみがあやふやに感じられる。
けれど空白を余儀なくされた世界は、絵も言えぬ愉悦があり、快楽すら感じた。まるで真の理解者を得たようで……。
「……では、私達は参りましょう。あくまでも彼等の間で起きている事件なので、これでも充分過ぎるかと」
「うむ」
面倒ごとと明確に切り捨て、退室した後に扉が閉まる。
「…………」
足音が遠のき、気配が室内から失われてやっと解放された。
混濁していたかのような意識が明瞭となり、先程と変わらない室内を見渡す。
(…………本物同士、惹かれるものがあったのでしょうか)
思考や心情を把握されるとでも言えば良いのか、あのまま命令されれば従っていたのではないだろうか。
ひとえに、『威光』であった。
♢♢♢
領主館を後に、二人はダンスホールへ歩みを向ける。
路上で演奏される陽気な音楽が近くにも遠くにも聴こえており、自然と街行く人の足取りを弾ませる。
比較的宿屋街に近くなり、目に付いたカフェに入る二人。時刻は夕方となり、この時期にしては例外的な涼しい風を受けて温かい飲み物でもと、注文をしてからオープンテラスのテーブルへ。
「……私はすぐにご帰還されることを願います」
対面する魔王へと告げ、湯気の立つ紅茶のカップを口に傾ける。
「…………なんで?」
「この街には、本物の怪物がいるからです」
ミートソーススパゲッティを頬張る手を止めて訊ねる魔王へと、解明した真実を明かす。
「とても人の手には負えない、猟奇的で残酷な怪物が潜んでいます」
「なら尚更、俺がいた方がいいじゃん」
「確かにクロノ様ならば取るに足らない相手でしょう。しかし場合によっては、敗北する道筋があるかもしれません」
手でそっと皿を指して、クロノへ軽食の続きを促してから語り始めた。
「まず二件目ですが…………おそらく犯人は被害者が声を上げる暇もなく抱き抱えてから川を飛び越え、予め決めておいた茂みに連れ込み、四肢と首を切断しています」
「……化け物じゃん」
「初め私は、同行者が殺したのだろうと予想していましたが、三件目で確信しました。一つ目、二つ目と違い、あれだけは不可能です」
「密室だもんね。数々の探偵を悩ませて来たあの伝説の密室殺人だもん」
「密室である点は問題ではありません」
「だよね。密室なんて簡単に作り出せるもの」
ドアノブを確認して、密室どうこうが全く犯人に繋がらないことは判明している。
「あの錠の作りは簡単なもので、仕組みを理解している者なら外からでも鍵をかけられます。密室と騒ぐほど屋敷の中の錠を立派にする家は珍しいくらいです」
ただ深夜にその作業を行うのはリスクが高い。いくら鍵開けの技術があろうと、金属が合わされば物音は鳴る。
となれば密室にする為に使用したのは、単純に鍵だろう。
「なんで、メイドって分かったの?」
「死体の場所と向きです」
「………………なるほどね」
クロノが凛々しい顔付きとなって、理解を口にして頷いた。
口元をナプキンで拭い、ワインでボロネーゼの余韻を飲み下している。
その所作は王国のマナーとして完璧とは言えないまでも、どうしてなのか目が離せなくなる魅力があった。
「……被害者は騒いでいないことからも、明らかに犯人を部屋に招き入れています。そして死体の位置は部屋の中央……本の置いてあるデスク寄りでした」
その本には付箋が挟んであり、読みかけの本へ歩んでいたのだろうと察することができた。
知人が訪れた場で本を読むことは無いだろう。あったとしても、その後に施錠する為の鍵が無い。
「メイドならば部屋に臭いも残されていて尚且つ、忘れ物をしたのでそれだけ回収させて欲しいとでも言えば、難なく部屋に入れるでしょう。顔見知りであれば確実です。スペアの鍵も難なく持ち出せます」
「……いや、でも魔獣は?」
「それが問題なのです。室外で殺されたなら、他の殺人も何らかの仕掛けを用いた物だと考えられたでしょう。けれど、あの血の量と跡は、あの場で殺していなければ付かないものです」
窓、ドア、どちらも噛み跡と合致する大型魔獣が通り抜ける程の大きさはない。
「つまりそのメイドは、部屋の中で何らかの方法を用いた魔獣による噛み付きによって、背後から被害者を食い殺したということです」
「遺物か……」
「いえ、遺物ではないでしょう。この殺人者はかなり手慣れていて、このような連続殺人を相当数は行っています。そのような特徴的な犯罪者の遺物なら、私は聞き覚えがある筈です」
「……なら、魔術?」
遺物、魔術、順当に考えたなら、誰もがその可能性を疑うだろう。
ただし魔獣を喚び出す召喚魔術とするなら、三人目を殺す際には僅かなりとも時間を要した筈だ。大司教にも任命される者が、その隙を漫然と待っていたとは考えられない。
魔力の気配をいち早くに察知して、戦闘なり助けを呼ぶなりとしただろう。
「魔術は発動までの猶予がありますし、たとえ背を向けていたとしても魔力を察知して戦闘になっていた筈です。となれば、残された可能性は……」
霊獣……神獣とも呼ばれるが、富嶽に代表されるような霊獣とは別に、それより一つだけ格下となる枠組みがある。
「――犯人は何らかの“幻獣種”なのでしょう」
犯人が描こうとした怪物像は、まさにそのままであった。
物語から飛び出して来たかのような、破茶滅茶な存在。又は出鱈目であったからこそ、物語として誇張なく盛り込まれて来た伝説。
「その犯人は、黒騎士様と同等の腕力を宿しています」
人間の四肢を小枝を折るようにもぎ取った。
「加えて、黒騎士様よりも遥かに身軽で敏捷性に富んでいます」
ダンスホールの天井まで一っ飛びで飛び付き、槍ごと突き込んで人間を固定した。
「その者は更に、黒騎士様とは違って手段を選びません。標的も選びません」
その日にたまたま部屋の明かりが点いていることに気づき、読書家の大司教を気分で食い殺した。
竜よりも強い咬合力で、一噛みの元に食い千切った。
「目的も謎のまま、その怪物は愉快げに口元を歪め、息を潜めて新たな殺人の機会を窺っています」
黒騎士でも勝てない怪物。
だから引くべきと、主人へ諫言を申し出ていた。
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