第203話、一流さん、旅立つ

 白い建物が立ち並び、その隙間を陸海から続く海の名残が風に煽られ、小海から吹き抜ける。


「このように、初の会議をつつがなく終えました」

「うむ」

「彼等にも話した通り、ネムが遺物を手にしてしまいましたので、より一層の注意が必要でしょう。あの男は少しばかり経歴に不自然な点もあるので、用心に越したことはないかと」

「うむ」


 アルスを行く男と女。


 雑多な人混みに紛れて、誰の目に留まることない。何処にでもいる恋人同士の逢い引きだ。


 男の腕を取って歩く赤毛の女は平凡そのものの容姿であることもあり、熱烈ぶりからも新婚旅行であろうと誰もが納得している。


「……本当に本物のベネディクトは探し出せるんだね?」

「はい。特定のみならず、上手くいけば抹殺まで望める筈です」

「……いっぱい偽物が散らばっている上に、アーク大聖堂で戦ったあの強い天使の上位互換なんだよね?」

「はい。特定までは間違いなく行えます。放っておいても近日中には報せが届くでしょう」

「なら…………よし」


 会話は隣り合う男女のみに届く声量で、観光地化のため整備された区画にある目的地を目指す。


「ベネディクトは《聖域》を除き、そこまで手を尽くす必要のある相手ではありません。クジャーロ王の方が余程に計画性を強いられるでしょう」

「ふむ…………あっ、予約したアキ・タコマチです。一人追加でも大丈夫ですか?」


 趣あるレストランに辿り着くと、ウェイトレスへ名を告げて仲睦まじく入店する。


 案内された席へ落ち着くと男は店内に目線を巡らせ、女は男から少しも視線を動かさない。


「……アキ様のお力をお借りしたいことが、今のところ三件ございます」

「偽名で話すところに粋を感じた、了承」


 騒ぐ客もおらず、控えめに会話を楽しむ穏やかな空間で、キッチンから漂う香ばしい薫りに胸を躍らせる。


「一つ目ですが、数名を不老にしていただきたいのです。まだ正確な人数は決定しておりません」


 凍て付く真顔で、畏れに早まる鼓動を隠す。


 臆す思いを押し殺して発した願いに、男は真面目な面持ちとなって返答した。


「……前に言ったと思うけど、あれを積極的にするつもりはない。把握できる範囲じゃないと悪用されるかもしれないから。君は狙われることも多いから迷わず施したんだ。それに不老にするだけの強化と言っても数年に一度は施術をし直さないといけない」

「承知しています。けれど――」


 密かに緊張で身を固くする女へ、男は弁論を遮って告げた。


「必要なんだろう? 分かってくれているのならやるよ。一応、理由は聞いておくけど、君がそう言うならそれが最善なんだと思う」

「…………」

「二つ目は?」


 ウェイトレスが運んで来た水のボトルを受け取り、グラスへ注いで女へ。同時に、強張る女への配慮なのか、次の話題をと促した。


「……ご帰還はいつ頃になりますか?」

「…………ん? うんっ?」


 質問への返答はなく、差し出した男の手をグラスを挟んで握り止め、辛抱堪らず最も気がかりであった問いを口にしていた。


「催促するつもりはありませんでしたが、いざ顔を合わせてしまうと二人で過ごす時間が恋しくてなりません」

「……嬉しいことを言ってくれるじゃんか。お前どこ行ってたんだよと言われるばっかりの中で、君くらいなものだよ。でも……ん〜、俺も俺で調査や刀の依頼があるから、一概にいつとは言えないかな」

「……分かりました。魔術陣を用いて距離に関係なく、瞬時に移動可能という転移魔術の復元を急がせております。完成されればこの煩わしさも過ぎた思い出となるでしょう」

「転移かぁ。旅情が無くなっちゃうから、できれば遠慮した、い…………」


 男が断りを言い終える間際から、女の切れ長の目が吊り上がり、あからさまに不満を訴え始める。


「…………ジョークだって。そんなおっかない目をしなくても冗談に決まってるじゃん。今はランチの時間なんだから、相方を楽しませる為の歓談なんてのはマナーなんだよ。エチケットなんだよ。それなのに何その目。何その獅子の目」

「杞憂でしたか。ならば良いのです」


 女は一先ずの妥協点を確約して、これを成果とした。


「…………」


 じっと重なる手を見つめ、暫くして手を離す。


「……では、次のお願いです」

「うむ」

「周辺諸国に、魔王様は剣と魔術の双方が極みにあるという情報が流れています」

「剣ではニダイに辛酸を舐めさせられ、魔術に至っては全く使えないのに笑っちゃうよね、はははっ」

「なのでアキ様には高位魔術を使用してもらいたいと思います」

「君、会話初心者?」


 自分のグラスに注いだ水を一口飲む間に、不思議と噛み合わなくなった会話を疑問に思う。


「例の死霊魔術師と同じく、魔王様の魔術に惹かれてカース森林を訪れる者達が現時点でも数名確認できています」

「…………」

「無論、魔王様に取り入る為にわざわざ悪事を働いていた二名は、既に命じて処しておきました。見せしめとして、森林外にて晒し首にしてあります」

「それで学習してくれるならいいんだけど」


 魔王という異名からも、魔術に精通していると疑っていない者達が多く頭を出し始めていた。


 カース森林に接面する国の中には、独自の魔術形態を持つ小国もあり、そちらから流れ込む魔術師が既に報告されている。


「ですが魔術に関しては、このまま各国や魔術師達に誤認させたままでいたいのです」

「だからって……今から勉強して使えると思う?」

「今、一部の者のみで魔王様専用の強力な魔具を作製しようと動いています。これは幹部しか知りません。組織内ほぼ全てにも内密にお願いします」

「分かった。ちょっと他とは一線を画す魔術が使える魔王を装えばいいわけだ」

「そうなります。【第三席】等で魔具を集め、【第四席】が作製することになっています」


 続けて苦々しい思いを密かに、あの取り引き内容を口にする。


「……これは【第三席】が協力する代わりにと要求しているのですが」

「うん? 怒ったりしないから言ってみなよ」

「…………彼女は“蛇”を使用する権利を求めています」


 男は間の抜けた顔になり、無言が続く。


 その間に料理は次々と運ばれ、テーブルは香り高い空間に様変わりする。


「……ドウサンのこと?」

「はい」

「そうなのかぁ……分かった」


 やはり彼女に甘い。その事実に女の眉間に皺が寄る……だが、今回ばかりは違っていた。


「あの子には俺から断っておくよ。代わりの物を聞き出しておくから、それをあげようか」

「……断るのですか?」

「うん、勿論。ドウサンとヒサヒデは戦力として見ないようにしてくれる? いくら何でも危険過ぎるから」

「梟はリリアさんの元にいますが、あれは良いのでしょうか」

「あれはヒサヒデが自分から護衛しているからね。しっかり言っておいたし、それにヒサヒデなら周囲に影響を出さずに能力を使える。でもドウサンなんかは絶対にダメ」


 女は引き締まった顔付きを更に厳しいものとする。


 金剛壁にいる時点で、世界的にも強い部類だとは認識してはいた。


 ただここまで強い禁止を言い渡されるからには、この想定よりも強力であることが伺える。


 しかも鬼や骸魔を自由にさせている男が、この二匹の取り扱いに関しては慎重になっている。


「承知しました。では……三つ目のお願いを聞いてください」

「言ってみたまえ」

「ジェラルドの元にいた新作メニュー開発を担当していた者達を、私が鍛えることになりました。本人達も了承しています。なので私に稽古を付けてください」

「…………」


 瞬きを数度も挟み、思案の間に黙ってしまった男だったが、充分に熟慮した結果として当然の疑問を口にした。


「それは………………俺が彼女等に教えた方が早いんじゃないの?」

「…………」


 女は珍しくも、溜め息を吐いてその問いに呆れの感情を示す。


「いやっ、考えていることは分かる。俺が君に教えるのって良いよね。俺も同じ気持ち」

「でしたら……何の問題も無いではないですか」


 何か都合を作ってでも共にいる時間を作りたいとの思いが重なっていると分かり、途端に顔が熱くなっていく。


 少しの間だけ目を閉じて、悟られないよう胸を落ち着かせる。


「あとは食べながら話そうか。これは――」

「よろしい。これで君も一流の味を経験できる」

「わ〜お」


 食器に手をやった直後であった。


 満足そうに話しかける者が現れる。馴れ馴れしく男の肩に手を置き、教え子に説くように語りかける。


「胸を撫で下ろしたよ。あの時の口が回る女性とも違うパートナーで、言うこと無しだとも」

「一流さんもお食事に?」

「いや、私は別の店で済ませて来た。が、きちんと君が一流の階段を上がっているか気になって店を覗いて三日目、こうして無事に確認できたというわけだ」

「連日じゃないですか。毎日じゃないですか」


 呆れる男にも構わず、その者は手を差し出して言う。


「さっ、冷めない内に一口食べてみて欲しい。食事に限らず一流は、エレガントに、スマートに、完璧にだ。そちらの女性も是非」

「…………では、アキ様からどうぞ」


 女はじっとその者を見上げ、何かを観察するように眺めていた。けれど不自然と捉えられる間の直前に視線を戻し、対面の男へと味見を促した。


「そう? じゃ、いただきます………」

「ちょっとぉぉぉ!!」

「だぁぁぁ!? な、なにっ!?」

「な、何をしているんだ、君は……」

「それ俺の台詞っ!」


 牛頬肉の赤ワイン煮込みにフォークとナイフを差し向けた瞬間に、それを是としない制止の声が轟いてしまう。


「季節の野菜盛り合わせからだろう……? 食べる順序を間違えてはいけない。君らしくもないミスだ」

「俺の何を知ってんのっ? 冷めない内にとか言うからでしょ!」

「早くっ、早く食べたまえっ。本当に冷めてしまうじゃないかっ……! 湯気の加減を見たところ、ベストなタイミングを過ぎるまでざっと四十秒程しか残されていないっ」

「せ、急かさないでくださいよ…………野菜も好きなのに、焦って食べないといけないのか」


 急かされるままに男女の中程に置かれた大きなプレートの野菜を適度に食し、やっと一流の舌が絶賛した赤ワイン煮込みへ。


「…………えっ、確かに美味しい」

「そうだろうとも。このメニュー自体はありふれた物だ。だからこそ、ここのシェフのレベルの高さが知れる」

「一流さん、本当に一流だったんですね」

「無論だとも。これに関しては疑う余地もない」


 褒められてより気を良くした途端に、饒舌に語り始める。


「仕事の合間に少しの休暇をとこの街に来たのだが、一流に相応しき食を求めて回ること十六軒。辿り着いたのがこの店だ。少ない? そうだとも、十六はあまりに少な過ぎる。私はあまりに恵まれていた」


 眼鏡を拭いて掛け直し、語り手の男は止まらない。


「特にこの牛頬肉の赤ワイン煮込みは、香味野菜の質も高く、肉も比較的上質。最高品質とは言わないまでも、シェフの腕が光っている。赤ワインと二種の酒精が織りなすハーモニーが――」

「三種類だと思いますが」


 だが料理をたった一口だけ食べた女が、語り手の言動を凍らせた。


「………………三種類?」

「私はそう感じました。この料理には、赤ワインの他に三種類のお酒が使われています」

「……少し待っていたまえ」


 血相を変えた一流を名乗る男は、厨房方面へと慌ただしく駆け込む。


 しかしすぐに…………グールを思わせる覚束ない足取りで戻って来た。


「……………………えっ?」

「えっ? って、こっちが“えっ?”ですよ」


 青白い顔で、現実を疑う一流の男。


「聞くまでもなく分かっちゃうんですけど…………三種類、だったんですね」

「いやっ…………えっ? いやいやいやっ…………何度も食べていたのに、この私が間違えた……? 嘘嘘っ、何かの間違いだ……いや、落ち着こう……冷静に分析すれば良い。それだけで良いんだ。何かを見落としていただけ、そうだ第一印象が悪かったに違いない。自分の舌を疑うな。これまでもそうだった筈だ。自分を信じろっ…………駄目だっ、信じろっ!」

「お酒が三種類だったってだけで、錯乱し始めちゃったよ……」


 一流が乱れ始めた自分に一流を言い聞かせ、念じるように小声で何度も唱える。


「私はこの料理も人並みに食べて来ましたから、使われたお酒の種類くらいは分かります。高説を唱える割りには、細かな味わいに無頓着なのですね」


 男の食事を急かしたからなのか、痛烈かつ的確な指摘で女が刺した。


「…………」

「い、一流さんが、凍っちゃった……」


 雪山で氷付けとなって発見されたミイラの顔付きとなる始末。


「でも仕方ないですよ。彼女は超一流なんで、赤ワイン以外に二種類もお酒が使われていると分かっただけでも凄いことでしょ」

「…………そう思うかね」

「俺は二流なんで、赤ワインしか分かりませんでした。という事は?」

「……超一流と二流間の私は、一流ということか」

「そう言う事になりますね」


 みるみる血色を取り戻し、いつもの如く速やかに身なりや髪型をセットしてしまう。


「失礼した。……彼女の味覚は素晴らしい。テーブルマナーも私の上をゆく。悔しいが、君も私よりも彼女を手本にするといい」

「そうします」

「驕りを自覚し、成長の余地と高みを知れた。君も覚えておくのだ。過ちを受け入れず、反省無き者は三流以下の小物だ。根本の幼稚性に支配され、やがて老害とでも呼ばれてしまうだろう。それはあまりにも……そう、不恰好だ」


 素直に女への感嘆を口にして、完全に立ち直る。


「……他人より自分でしょう。これが料理であったからいいものの、仕事や人生の分岐点などでミスをするようであれば、とても一流は名乗れません」

「ふっ、ごもっとも。しかし助言は有り難く頂戴するが、心配は要らないとも。私は仕事でミスをしたことはない」

「であれば問題は無いでしょう」


 戒めの意味も内包する教訓を与え、溌剌とした男の返答に頷いた。


 誰もが認める所作で、以降は黙々と料理を口に運ぶ。


「……一流さん、お仕事は何をされてるんですか?」

「建築家兼歴史遺産研究家だ。他にも頼まれれば臨機応変に引き受けることもあるが、主なのはその二つとなる。これは自慢だが、これまで絶望的とされる依頼を何度も完遂して来た」

「うわぁ、なんかお金持ってそう」

「仕事に見合う正当な報酬を得ているつもりだ」


 先日、コンロ・シアゥへ向けていた敬意や慈しみを感じる眼差しは、仕事柄であったようだ。


 そのまま足元の旅行鞄を持ち上げ、背を向けて言う。


「……品格に生まれは関係ない。誰もが磨けば光るもの……物の価値を真に見抜き、正しく評価し、一級の品々に見合う人物であれ」


 気が済んだのか、アルス最後の心残りが消えたとばかりに後ろ手を振り、歩み始める。


「それでは、きっとまた会えると信じて……さらばだ、アキ君」

「はい、また何処かで。さよならぁ〜」


 良い出会いであったと手を振り返し、また縁があるのではと奇妙な予感をしながら互いに再会を約束した。

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