第199話、不運

「はぁ……はぁ……」


 不運があれば、幸運がある。


 あの崩壊した瓦礫の中で奇跡的に命拾いした槍使いは、火熊の慟哭を遠くに逃げ延びていた。


 身を隠して壁伝いに歩き、覚束ない足取りながら戦場を後にする。


(……クソっ、何でガキ一人のせいでこんなことになるのよっ!)


 死んで尚も目障りなカナンと、理解に苦しむ心情で殺戮を成したデューアへの怒りに、心中で吐かれる悪態は止まらない。


(あいつだけは生かしておけない……)


 今回が始まりに過ぎなかったと思わせる復讐を心に決めて、一先ずはアルスを離れようと裏路地を行く。


「……………………ひッ!?」


 ……眼前の壁に、矢が突き刺さる。


 あと半歩でも踏み出していれば、目玉を掠めたであろう距離であった。


 常識に則って察するならば、流れ矢だろう。


 しかし彼女を知る者は違う見解が自然と浮かぶ。


(……ユミだ……)


 デューアよりも、ガニメデよりも、グーリーよりも恐ろしい相手に見つかってしまった。


 嵐の不規則な風も関せず、この誤差に収めて射撃が行えることに凍り付く。


「っ、くっ……!」


 目の前の建物のどれかに入れば、まだ助かる道はある。


 少なくとも、この嵐では嗅覚は使えない。逃げ延びてみせる。


「ッ……!? クソッタレッ……!」


 走る先に矢が刺さり、方向を変えて走り抜ける。


 途中、建物の屋上にその姿を発見して……。


「…………ユミ……」


 完全な無傷となったユミが、弓と矢を手に憐れな虫を見る目で笑っていた。


 そして、一矢を射た。


「ッ、諦めないっつの! 残念だったわねっ!」


 一瞬の無風の際に直進した矢を福音を用いて避け、建物内へ飛び込むことに成功する。


 最も知りたかったユミの居場所も掴めた。彼女との騙し合いに勝てば、逃げ果せるだろう。


「…………」

「…………え?」


 そこには、ローブの人影があった。


 飲食店らしく、埃だらけの丸テーブルの中で厨房を背に佇んでいた。


「……道を外れるから、外道と言うのです」


 男はフードを取り、双剣・・へ手を伸ばした。


「仲間を…………あの子を殺した貴様がっ、未だ道を行くとは何事かぁぁぁ!!」


 涙を流す男は震える怒りで双剣を引き抜き、十字に重ねて振り上げた。


「ミッ――――」



 ………


 ……


 …



 マンティコアは攻撃をするでもなく、じっと黒騎士を見ていた。


 悟ったかのように不気味なまでに感情を表さず、呼吸をしているのかすら分からない程に静かに立つ。


「――よっ」


 この斧の一振りにより決めるつもりであった。


 奇妙な刃が回転する大斧で、マンティコアを両断する。右斜め上から袈裟懸けに、遊びなく倒す。


「っ…………」


 が、停止した。


 雷鳴の如き耳をつん裂く音が響き続けるも、マンティコアは微動だにしない。


 斧が振られた風圧により逆巻いた雨が一斉に降りしきり、一帯を濡らすその狭間で黒騎士は見る。


『……――――』


 マンティコアの右の瞳に、魔法陣が浮かぶ。


 その魔眼は知る人ぞ知る凶悪極まる魔眼であり、人の身で抗えた者はただ一人のみ。その者はその時点では辛うじて人であったが、通常は抗う術がない。


「…………」

『…………』


 …………一人と一体が同時に、首を傾げる。


 一方は何がしたいのか察せずに思わず仕草に現れて。一方は何一つ変化が見て取れないことを疑問に思い。


 だがこのまま見つめ合っていても埒が明かない。


『……――――』


 目にも留まらない速さで、マンティコアの横っ面に左の大斧が叩き込まれる。


 一拍後、嵐が舞い上がる。更に一拍後には、倍量の大雨となって二人に降り掛かる。


「ふぅッ!」


 次は右、そして左……重く厳めしい大斧を軽やかに振るい続ける。


 叩き込まれる度、加速度的に速度は上昇していく。


 一向に微動だにしないマンティコアへと、常人を遥かに超える剛力により斧がぶつけられる。


「――ふっ、ふはははははははっ!」


 嵐を跳ね除け、豪雨を弾き、斧の衝撃は断続的に二人を取り巻く周囲を震わせる。


 別次元の強さを感じさせるマンティコアを相手に、踊る黒騎士は何故か愉快に高笑って斧を振る。


 勢いに乗り、刃も回転させ、また一つ段階を上げて加速していく。


 しかし、操り手に限界は無くとも武具には限界がある。


「ハハハハハハハハハあっ……」


 斧の刃が欠け、黒騎士が切ない声音を漏らして動きを止めた。


『――――』

「おっと」


 急変したマンティコアが、矢の如く疾走して牙を剥いた。


 噛み付かんとするマンティコアの頬骨を両手で挟み、踏ん張るも――そのまま建物も突っ切って猛進する。その速度は衰えることなく、僅か四秒にして旧宿屋街の半分まで突き破った。


 マンティコアはその四肢で地を踏み締め、駆けているわけではない。むしろ飛行している風な様で、怪力自慢の黒騎士を巻き込み滑らかに突き進む。


「――――っ」


 どうすべきかと思案する黒騎士だったが、壁を破って通りに出た瞬間に、選択を強いられる。


 すぐ背後にデューアの応援へ駆け付けるアーチェや大司教達がいた。


 黒騎士はマンティコアを強引に倒す決意を――


『――――』


 左目を目にする。


 魔眼とは違い、空虚で光を感じられないその瞳。


 だが色合いの奥に、深い悲しみがあるように思えた。


 悲しみと共に怯え、絶望しているように感じられる。


 それはあの日、身体を変えられ、仲間を虐殺されて苦しんでいたオークとも似ているように思えた。


 刹那の迷いに硬直するも――決断する。


「――――ッ」


 挟んだ両腕でそのまま力み、抱き込むようにして交差させ、顔面を完全に破壊した。


「っ…………く、黒騎士っ」

「……マンティコアが……」


 鮮烈な登場に加えて、強力な魔物を相手に壮絶に過ぎる倒し方を見せた黒騎士に、一様に愕然とする。


「…………?」


 亡骸をただ見下ろしていた黒騎士が、何かを確かめるように死体へ手を伸ばした。


 その時だった。


「……――――」


 黒騎士が消えた。


 星空の残滓を残して、何か濃い青紫の細長い何かが黒騎士を連れ去った。


 それは、鎧にとっての災難。


「…………」

「…………」


 言葉を無くして立ち尽くす大司教達を他所に、マンティコアに異変が起こる。


 光る紋様が剥がれていく。


 魔眼を引き抜き、翼を象った神秘的な輝く紋様が宙に浮く。


「っ…………」

「……天使……」


 寄生する第三天使・マファエルが、人知れず“真の恐怖”を獲得してアルスの空へ飛び去った。


 権能は、〈不運〉。


 ベネディクト・アークマンが納得の出来と送り出した、最凶の第三天使であった。



 ♢♢♢



 騒動は嵐が去る前に終結し、アルスには日常が取り戻されていた。


 不幸にも飛んで来た〈夜の剣〉に、不覚にも吹き飛びされて、二日。


 陸海と呼ばれるものがある。


 ライト王国にある陸の中にある海で、潮の流れもあり、生態系も大洋と酷似している。


 その陸海はアルスから遥か南西にあるのだが、地下から繋がっているのか、中心部に抉られたような崖下には浜辺のようなものが自然形成されている。


 ぽっかりと空いた空間で、陸の海浜を楽しめる。


 崖は高く、青く澄んだ海に、僅かな生き物。危険も少なく、入場料を払うだけあり治安も確保されている。


「…………」


 ちょいとお高めなドリンクに舌鼓を打ち、ビーチ備え付けのデッキチェアに寝そべって浜を満喫する。


 腕も治してあげたのに未だに部屋に居座るユミはギャンブルにリベンジだとかいう耳を疑う行動中な為、優雅に一人でゆったりとした時間を過ごす。


 波の音が心地良い……。


 パラソルの下で、サングラス越しに波打ち際を眺める。


「――隣、よろしいでしょうか」

「どうぞぉって言うか、おやぁ……?」


 かけられた声音にサングラスを持ち上げて、その人物を見上げる。


 それはもう眩しい水着姿で傍らに立ち、冷たい光線のようにも感じられる眼差しを向けている。


「感謝します」


 ……えっ、隣ってそんな感じ?


「……っ、っ……」


 無理矢理に割り込むものだから、一人用のデッキチェアからいそいそと場所を明け渡す。


 お陰で俺は半分しかデッキチェアに生き残れていない。


「どう? 結構いいもんでしょ?」

「はい、天にも昇る思いです」

「なら良かったよ。それだったら犠牲になった右半身も泣いて喜んでると思う」


 薄らと微笑み、肌と肌でダイレクトに密着してしまうセレス。ふわふわで柔らかいのなんのって、ソフトシェル(脱皮直後の蟹や海老)のよう。


「……会議は?」

「半日ほど遅らせました」

「ほほう? 何か大事な報告があると見た。言ってみなさい」


 やれやれ、好きにしていいと言いつつもやはり王は多忙らしい。


 ライト王を見ていたから拍子抜けしていたが、この魔王無くして組織の歯車は回らないようだ。


「クロノ様から頂戴しましたお手紙の返答に参りました」


 俺がみんなの予定を狂わせていた。


「…………当然だ。むしろ遅いくらいだ。何をしていた、この俺を待たせるとは不遜極まりないぞ」


 別に本人が来なくても手紙で良くない? との疑問は置いておく。


「能力不足を痛感いたしました。後にできる仕事を全て後に回し、取り得る最速の手段を用いたのですが、こうも遅くなるとは……」

「このドリンク飲む? マッサージしようか?」


 王女様がお美しいお顔に影を落とすものだから、ついつい焦ってしまう。


「私如きにクロノ様のお手を煩わせることなどあってはいけません。それにマッサージと言うのなら、私にさせてください」

「全く疲労していない俺のどこを癒そうって言うの?」


 見ての通りバカンスにやって来て何日も経過している俺を、果たして癒せるのだろうか。


 しかし奉仕させて欲しいのだと言って聞かないセレスに、論破されてマッサージされてしまう。


 論破と言えば一流さん、今頃は何をしているのだろう。


「手紙の前に、何やら騒動があったと耳にしましたが、何名かお側に置いておくべきではないでしょうか」

「ふむ…………」


 全身を熱心にマッサージされながら、考える振りだけしておく。


 だって今はお爺さんにバイオリンを教えてもらったりと、孤独に…………よく分かんない付き添いはいれども、一人旅を満喫しているからだ。


「…………いや、カース森林に戦力を集中させておきたい。セレスの策に全力を投じる必要が出てくる可能性もある」

「何よりも優先されるべきは、クロノ様です」

「この俺が、負けると……?」


 心配してくれる配下の有り難い意見にパワハラする魔王……格別だぜ!


「勝利は疑っておりません。ですが、護衛はいて然るべきです。それに……そのような意図でなくとも、いつの間にか寄り付く虫を取り除く為に絶対的に必要です」


 俺に跨り顔を間近まで寄せて、すんごい鋭い眼で反撃を喰らう。明らかにユミのことを知っていて、ちゃんとしたお叱りを受けている。普通に怒っている。


 ヒサヒデの眷属め、バラしたな?


「………………忙しいセレスを思ってのことよ?」

「っ…………」

「寂しい思いを秘めて現地で手駒を調達したのは、王国でも組織でも会議に次ぐ会議に励むセレスを思ってのことだよ? もしかして…………何か変に疑ってる?」


 微かに怯んだセレスの顎を持って、目を合わせて虚言を見定める。


 嘘、ダメ。絶対。魔王以外。


「あくまでも、私の為と?」

「そうだよ? それなのに……何その目。審判の目じゃん。無礼界隈の先駆者にでもなるつもり?」

「…………」


 いけるいけるいける。大丈夫、不安に思うな。表情に出すな。


 相手は魔王的最弱姉妹の片割れだ。妹のようにジャグリングして終わりだ。


「……住所をかけて言えますか?」


 住所をかけんの!? 嘘だったら住所をバラされるの!?


 流石の俺も真っ青になる提案である。第一席に相応しい悪辣な頭脳だ。


「……………………無論過ぎて返答に困ったじゃん」

「…………」

「住所だろうと勤務先だろうと、好きにするといい。王国中から大挙して押し寄せようとも、観光地化されようとも甘んじて受け入れよう」


 言ってしまった。もう引いたら終わる。


 神の造形と呼ばれる完璧な顔立ちを、米農家の次男坊魔王が真っ向切って見返して受けて立つ。


「…………」

「…………」


 じっと真顔で迫る水着姿の女神様と睨めっこする。


 …………………………今回、ダメかも。


「………………っ」


 そう思ったのも束の間、悔しそうに眉を顰め、凍る表情に頬を赤くして顔を背けた。


 はい、勝ち。いつもの可愛いセレスだ、おかえりなさい。いつまでもそのままの君でいて欲しい。


「……私の思い違いであったようです。お許しください」

「謝罪を受け入れよう。君なら理解してくれると分かっていたからね」


 鷹揚に頷いて許しを与える。愚かなことは恥ではなく、反省しないことこそ恥じるべきなのだ。


「では、返答を聞かせてもらおう」

「……クロノ様は、現在アルスで起こっている連続殺人事件が我等によるものではないかとお訊ねになられました。ミストなどを使い、エンゼ教に恐怖を植え付けているのではないかと」


 どう考えてもそうだもの。セレスくらいなものだ。あのような不可能殺人を次々とやり遂げるなんて。


「ですが、私共は一切関与しておりません」

「…………」

「というよりも、この街は私どころか国軍も相手にする予定はありません。放っておくことで合意されています」


 ……どうやらアルスには、本当に天才殺人犯がいるらしい。





〜・〜・〜・〜・〜・〜

連絡

はいはいはい、新九章でした。

明日は面白い閑話があるのでそれを、明後日には新十章を始めましょう。

コメント返信は、かなりの数を返したノリで全返信をしていますが、有り難いことに多くもらっていて結構時間がかかっています。一言とか返し易いのをまた選ぶことになるかも。それだけご了承ください。

ではまた明日。

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