第197話、断罪の始まり



「……先生、ユミを連れて退いてください」

「分かった。後は見ているだけにするよ」


 言葉を受けるや否や師はガニメデから手を離し、ユミの方へ歩む。


 救われる思いを抱いているだろうことが明らかなガニメデを目に、師と入れ替わるように相対する。


「あんた……ぶきっちょなデューアには無理やって。上手いこと戦われへんねやから。言うても大司教が七やで? しかもガニメデまでおる」

「心配いらないよ。たかが賊が七人だ」


 危惧するユミへ杞憂と返し、師は傍観していた二人を抱え上げた。


 振り返る師から、簡潔な檄が送られる。


「俺の指導は厳しい。デューア君、君がやるんだ。カナンちゃんに勝利を届けるのは、君だ」

「はい、元よりそのつもりです」

「だろうね。あくまで確認だよ」


 薪をくべる。復讐の炎へと念を押すように薪がくべられ、最高潮に達する闘志で臨む。


「…………」


 背後を見る。


 ……そこには既に、師の姿はない。


「…………立て」


 感情的になるところを見られずに済むと安堵してすぐに、七名へと声色低く告げた。


 もはや怒りは、爆発寸前であった。反して師との会話を経て思考は落ち着き、やるべき事が頭に浮かぶ。


「……アレはなんだっ。なにを連れ帰ったか分かっているのかっ……!」

「言葉を交わすつもりはない。ひとえに、お前達を断罪する」

「っ…………」


 ガニメデは正しくデューアの殺意を受け取った。


 炎は、想像を遥かに超えて燃え上がっていた。


 雨に湿る銀髪から覗く冷たい眼差しから、はっきりと分かる。震える殺気。今すぐにでも八つ裂きにしたい欲求を、寸前で辛抱している。


「……デューア、儂等は降伏する」

「じ、爺さんっ!」


 投降を宣言したガニメデに、一同は動揺に揺れる。


「不可能だ。お前達も分かるだろう……あの神か悪魔の如き存在がデューアに付いている以上は、如何なる手段も取れん」

「ならば私を殺して逃げればいい。先生には予め関わらないようお伝えしている。私が頼んだのは、ユミの安全確保およびお前達が逃げないようにと、それだけだ」

「…………」


 拒絶。投降を拒み、取れる道を限定した。


「……何の意味がある。組織の為に合理的に考えろ。もうカナンは戻って来ない。過ちは過ちだが、状況は変わるものだろう。これ以上に戦力を減らすのは避けて然るべきよ」

「私が死んだ時、あちらでカナンがハグでもしてくれるだろう。私が剣を取る理由など、それだけで十分だ」


 右に、〈夜の剣〉。左に、鋼の剣。迸る剣気で小雨を弾きながら、緩やかに抜剣した。


「何故、無惨にカナンを殺したお前達を、カナンと同じく一度しか殺せないのだろうな。この世はとても不条理だ……曖昧で、綻びだらけだ」

「……儂はお前に最善を求めた……」


 本物の殺意に、ガニメデは静かに斧を握り締めた。


「今回、これを選んだのは貴様だ……」


 先の男は約束を守る類に見えた。最も近しいデューアが言うならば、見逃される可能性は高い。


 ならば戦おう。英雄の一団となり歴史となるその時まで、もう止まらない。


「……――――」

「ヌゥ!?」


 開戦の斬り付けは正面からの振り下ろしであった。察するのが遅れるまでの技巧による踏み込みから、怒りの度合いを表すように乱暴で、力強く、憎悪を込めて打ち込まれた。


「……っ、クォォォッ!!」


 両斧を交差させて受け止めたガニメデは、押し込まれて膝を突きつつも素早く受け流して反撃に出た。


「…………」

「ちぃぃっ…………」


 一人、また一人と、抜けた腰に喝を入れて立ち上がる罪深き夢追い人達。来たる運命の日に、未来に渡って語られる英雄譚とするべく、武具を手に唯一の障害を見据える。


「――――」

「ッ――――!?」


 あのガニメデが押されている。凄まじい気迫で振るわれる双剣により、老人の身体が度々浮かび上がる程だ。


 助力は急がれる。


「俺達も行くぞ…………――オオッ!!」


 飛び出したイーロスが〈痺翠〉でデューアへ斬りかかる。袈裟懸けに振り下ろされる剣筋は、乱れがあれども正確に急所へ振られている。


「――やっと立ったか」


 逆手に持ち替えた〈夜の剣〉で、それを受け止める。鱗粉に眉根を顰めつつもその特性を朧げに理解し、イーロスと睨み合う。


 かつては大司教の位をどちらが先に手にするか、競い合った仲だった。模擬戦も幾度となく行った。ベネディクトからも期待された二人であった。


「お前がこのような屑だとは思わなかった」

「っ…………ハァァァッ、アアッ!!」


 内なる怒りを闘志に変えるデューアに対して、イーロスもまた長き時を経て蓄積した妬みに牙を剥く。


 比べられ、鍛え上げ、それでも届かなかった存在ほど疎ましいものはない。現状に不満を抱えている者程、成功者は妬ましい。


「お前など消えてなくなれェ!! デューアッ!!」

「あぁ、誰かを消してやりたくなる気持ちも……今なら分かるさ!」

「ぐっ……!?」


 受けたまま福音を使用し、足払いして転倒させた。


 迫っていた水弾と風玉の着弾直前に飛び退き、左右それぞれから飛燕の斬撃をイーロスとガニメデへ飛ばす。


 着地後、完全な臨戦態勢となったガニメデ達と相対す。福音の翼を生やし、嵐を吹き飛ばしながら構える様を見る。


 龍が現れれば、このような焼け付く魔力を放つのだろうか。


 だが……。


(……何も怖くない。先生の言うように、ただの賊としか思えない)


 皆が同格である印象であった。少なくとも、昨日までは。


「…………まずは、一人を殺す」

「本当に、勝てるつもりでいるの……?」

「当然だ。まず、一人を殺す。そして二人、三人……そうすれば少しは痛みが分かるだろう?」


 返って来た答えに、槍を持つ手の感覚が薄れた気がしていた。


「二人目も決めてある。鬼畜外道を一人ずつ、確実に送ってやる。あの世でカナンに詫び続けろ、永遠にな」

「舐めんなちぃ……!」


 愚直に撃ち出された風玉は、嵐風を巻き込み巨大化して迫る。


「っ……!」


 斬り払うも、渦巻く勢いに剣を弾かれそうになる。二つに断たれて散開した後にも、強い風圧に襲われることを学んだ。


「オオオオオオオッ!!」


 回転する刃を持つ鬼と、巨大な煙管を振りかぶる女が前に出る。イーロスとガニメデが入れ替わり、伸びる槍などは合間に差し込むことに適している。援護は水を操ることができる〈アクア〉と〈風仙〉。


 負ける筈などない。


「ッ――――!!」


 逃げ回り、巧みに誘い出し、単体で当たり、七名を翻弄していたユミに対して、デューアは正面突破に拘る。


 追い込まれ、傷を増やしながらも、福音を用いて双剣で斬り凌いでみせている。


 〈夜の剣〉で斧を受け止め、左の剣では水玉を斬り飛ばす。又は〈痺翠〉と剣戟音を響かせ、極悪と言える回転斧を回避する。


「っ…………」

「大口の割には呆気なく終わりそうだなぁ!!」


 後退しながら脅威の粘りを見せるも、勢いづくに連れてガニメデ達が押し始める。やはり数の優位は覆せないと見えた。


「くっ……!」


 傷を増やしていくデューアは次々と大胆に振られる回転刃を避けるなり、左の剣を鞘へと収めた。


「何だ……?」


 不審に思うガニメデだが、すぐに次の行動が始まっていた。


 背を向け・・・・駆け出した・・・・・


 途中でユミの取り零した包丁を拾い上げ、障害物を踏み台にしていき、建物の壁へ飛び付いた。


 更に包丁を壁に刺し、そこを足場に跳び上がる。更にベランダを次々と跳び上がり、ただ上を目指す。


「奴め、屋上へ向かうつもりかっ!」

「そうはさせねぇぞ!!」


 作戦を変更したのだろう。ユミで痛い目を見ていただけに、鬼は強引に後を追う。


 回転刃を止め、壁へ叩き付ける。


「おおっ!?」

「上がっていくわ……そんな無茶な……」


 右の斧を打ち付け、左の斧を打ち付け、腕力だけであっという間に壁を駆け上がっていく。


 鬼族の血がそうさせるのか、一世一代の大戦を前に獣じみた衝動は加速していくばかりのようだ。


「逃がさねぇってんだよぉぉ! おらおらどうしたネズミ野郎がぁぁ!」

「…………」


 屋上の縁に手をかけてぶら下がるデューアが、垂直に駆け上がり猛追する鬼を見下ろす。


 と、デューアは…………手を離した。


「何っ……!?」

「言った筈だ。まずは……一人目だッ!」


 落下中にすぐさま左の剣を引き抜き、〈夜の剣〉と交差させる。その形はガニメデ達のよく知るものだ。


 何が起こるのかも、瞬間的に察してしまう。


「フンンッ!!」


 弦楽器が奏でる速弾きの音と酷似した音波が、壁伝いに波打っていく。建物の壁が上部から崩壊して落ち行く様は、壮大な瀑布を彷彿とさせていた。


「逃げろっ、避難せよ!!」

「イカれてやがるっ……!」


 見上げるガニメデ達にできたのは、鬼を置いて安全圏へ逃げることのみ。


「おおァァアアアア――――――――」


 巻き込まれた鬼は福音で抗いながら音波を和らげ、しかし粉塵や瓦礫と共に地面へ弾き飛ばされる。


「――グハァッ!! くっ、ぁ…………」


 強かに地へ落ちた鬼が昏倒寸前の頭で、苦悶を堪える。


「クッソがっ……………グッ!?」

「…………」


 落ちて来た影が、鬼の胸を刺し貫く。身を起こしていた鬼は刃を伝って再び、地に堕ちた。ガニメデに次ぐ戦力が、早々と失われた。


 しゃがんでいた影が立ち上がる。血に濡れる刃を雨で濯ぎ、残りを見据える。


「……あと、六人……」


 嵐はまだ始まったばかり。


 けれど未だ劣勢は変わらず。


 強い感情だけでは状況を覆せない。突然に強くなることはまず望めない。望んでいては勝利を遠のく。


 思考せよ。運に頼らず、思考する。激憤を飼い慣らして、思考する。


 激情に染まりながらも、繰り返して心に念じる。


「っ……! くっ……!」


 横合いからの斧を斬り捌いたのも束の間、伸びて来た槍が右肩を掠める。


 最も厄介であったのは、受けることすら難しい回転刃の斧であった。


 だが同等に戦況を苦しくさせるのは水の魔具でも風の魔具でもなく、


「必ず遠距離攻撃を挟めっ! デューアとまともに斬り合うな!」


 ガニメデであった。


 指揮系統が確立しており、経験豊富で勝利に貪欲。カナンを残酷に殺したことからも分かる通り、手段も選ばない。


 一人が失われてから、陣形を変更。来たる敵方増援到着を念頭にした短期決戦での総攻撃では危険と、包囲しながらも確実に弱らせる策を取っていた。


「っ……!?」

「ブフゥゥゥゥ……!」


 突然にガニメデが飛び退いたことから、大技の気配を察知して把握していた方角へと振り向く。


 そこには既に煙痲キセラへと息を吹く姿があり、出し惜しむことなく福音を発動させる。


「はぁッ!!」


 双剣を重ねて振り下ろす。放射された一際大きな魔力的音波は強力で、爆炎を真っ向から打ち消してしまう。


「…………」

「見事……認めざるを得ん、その実力」


 身体機能を低下させる〈痺翠〉持ちのイーロスを位置取りにより避け、五人を中心に戦ってのけるデューアは敵であっても讃えずにはいられない。


 傷だらけながら眼光の気迫は失われておらず、獰猛な肉食獣を前にしているかのような緊張感すら覚える。


「二人目……考えれば明白。儂か遠距離持ちの二人だろうが、イーロスと伸縮自在の槍が護っている。当てが外れたな……」

「卑劣な殺人犯が協力し合っている様は、お前達が考えている以上に滑稽で、嘘に塗れて見える」

「何とでも言うがいい。上に立つ者は民を数で見るものだ。一人の命はただの“一”と見る。一々感情など生むことなく、淡々と最善を判断せねばならん。未来に救われる信徒数を思えば“一”など無そのものよ」

「お前はッ……!」


 カナンの死を、無と言う。


 突き抜ける殺意により咄嗟に繰り出したのは、ミッティから教わった〈ソニックストライク〉。


「それを何度この目にしたと思っている……」

「っ…………」


 くるくると斧が投げ上げられ、突き出された掌。細く皺だらけの老人のものではなく、無骨で分厚い武人のそれ。


 緩やかに羽ばたく福音が後押しして、魔力が波動となって音波を相殺した。


「……魔力同士で打ち消し合えば、残るは空気の震えのみ。これを黒騎士は初見で解明したと聞く。まさに教団全体の宿敵よ、彼奴は」


 落ちる斧を視線もくれずに掴み取り、ミッティと長く競い合った年季の強みを覗かせている。


 だからこそ、――――二人目は決めていた。


「――――」


 駆け出したデューアは…………槍使いへ剣を振り上げる。


「来るっ!」

「イーロスっ、連携して迎え討てぃ!」


 ユミのような例外を除けばデューアの速度に付いて行ける者はいない。ガニメデは距離の空いていたイーロス達に走り出すも、その間に五合は斬り結ぶ猶予がある。


 デューアならば槍使いを落としかねない。


「ッ――ッ――――!!」

「くっ……!?」


 予想通りに短期で攻め立てるデューアを前に、槍を懸命に取り回して受けていく。師であるガニメデが双斧でなければ到底防げない怒涛の二合。


 けれど三つ目の刃は、ガラ空きの胴へ放たれた。


「――――っ!?」


 最中、鬱憤を晴らそうという強烈な殺意を受け、咄嗟に身を仰け反らしたデューアは、打ち上がった緑の軌道を見る。


 間合いから瞬時に斬られたと理解が及び、遅れて頬に刻まれた線が熱く燃える。


「デェリァァ!!」

「グッ……!」


 斬り下ろしは〈夜の剣〉で受け止めざるを得ない。


 すると左手側に飛び退いていた槍使いは、生まれた隙をどう見るだろう。


「シッ――――」


 ガニメデは槍を突き出した弟子と、デューア並びにイーロスを視界に収めていた。


「っ…………」

「――――」


 絶体絶命の筈であるデューアは、寒気が走る無機質な眼差しで…………槍の穂先を捉えていた。


 もう『よせっ!』の声も間に合わない。突き出された槍は加速し、雨粒も貫いてデューアへ疾走する。


「手にした玩具は使いたいものだな……」


 身を捩りながら手元で回転させた直剣により、槍の軌道は僅かにズラされる。槍が軌道を変えさせられて、力強く貫いた。


 …………虚しくも淋しくも感じられる雨音だけが続いていく。


 激戦の熱は忘れられ、頭の先から血の気が失い青褪める。


「…………」


 イーロスが、全員の視線を追って自らの胸に目をやった。


 右胸を貫く槍に気付いた時、止まっていた呼吸は、できなくなっていたのだと察する。


「…………」

「イーロスぅぅぅぅぅぅッッ!!」


 引き抜かれた槍のままに、デューアへもたれ掛かる。肩口に顔を乗せ、鼓動と同調して血が噴き出る胸元を、無駄と分かって手で押さえていた。


 デューアは手を貸すでもなく、淡々と訊ねた。


「何故、私にカナンの亡骸を見せた」

「…………」


 問いに対し、イーロスは目を閉じる。


 少しの間を置き、血の垂れる口元が動く。雨音にかき消されて周囲に漏れることもなく、デューアのみがその答えを受け取った。


「………………そうか、安心した」


 硬質な声音で言うデューアの胸元を滑り、イーロスが地に倒れる。まだ息はあるだろうが既に意識はなく、程なくして緩やかな死を迎えるだろうと誰もが察していた。


 だが、


「…………ナッ!?」


 デューアの行動に、ガニメデが声を上げた。


 イーロスが倒れ落ちる前に腹に差し込んだ脚で身を起こさせ、鋼の軌跡を走らせる。


 首、一線に。


「ヤメロぉぉぉぉぉぉぉ!!」


 既に宙へ飛んだイーロスの首に、老人の嘆きが轟く。


「……やはり貴様等に慈悲は不要だな」


 落とした命には興味無しと振り返り、顔を青褪めさせる一同へ向き直る。


 膝を突いて嘆くガニメデを一瞥して、デューアは平坦な声音で言う。


「……これが貴様の言う“一”だ」

「ぐっ、ギッ……!」

「ユミの言う通りだな。他人に吐く言葉に責任を持てないか? 受け入れろ、怒るな、悲しむな、貴様等にはその資格がない」


 耐え難い孫の死。噴き出す怒りを露わにして顔面を赤く染め、歯が欠けるまでに噛み締めて堪える。


 冷めた目でその様を一瞥し、悲哀に塗れる者達を見渡して順に剣で指し示す。


「貴様等が行えて、私が行えない道理はなんだ。あるわけがない。罪人共が…………被害者のように振る舞うなッ!」


 二人目はイーロスでなければならない。六名を相手に勝利するには、ガニメデから“最善の判断”を奪う必要がある。


「…………」

「…………」


 滾る殺意を宿し、同様の冷たい眼差しを交わす。


 どの面を下げて嘆いているのかと更に燃え上がる殺意と、知ったことかと理不尽に煮え滾る殺意がぶつかる。


 気が付けば二つの福音が爆発し、無意識に斬りかかっていた。

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