第196話、英雄と怪物
……沈黙が続いている。
馬車に戻ってからというもの、気遣いから会話を率先して行っていたデューア君が黙り込んでしまった。
ずっと腕を組んだまま目を閉じて熟考状態で、怒られているわけでもないのに俺達は姿勢を正してビクビクしてしまう。
「……何をしたんですかっ。デューアがこんなに怒ることなんて早々ないですよっ?」
「や、やっぱり彼は怒ってるの……? 後ろ手なんて組んだものだから、偉そうだった? それとも俺っていう人物の核心に触れて呆れちゃったかな……」
しょんぼりと反省する俺だったが、その時デューア君が頭を抱えるように肘掛けに頬杖を付いた。
続けて悔いる感情を込めた溜め息混じりに、その名は告げられた。
「…………ガニメデだ」
確信めいた意思が汲み取れる口調で紡がれていた。これまでと違い敬称はなく、むしろその名前を忌々しく吐き捨てている。
「えっ……?」
「カナンを殺したのは、ガニメデだ……」
激しく再燃するデューア君の怒りに、アーチェは困惑よりも恐れが先立っている。
明確な標的が判明し、奥底で燻っていた激情が研ぎ澄まされた殺意へと変わっているのだろう。
「どうして……そう、思うの……?」
「やっと現場の違和感が何なのかに気付いた」
声色低くアーチェへ語るデューア君は、導き出した結論に不整合な点がないかを確認していく。
「私が現場に到着した際、そこには
「…………」
「匂いを確認させろという人間が、嗅ぎ分ける対象を八人にまで増やしていたんです。そうしなければならなかった。何故ならその八人で殺したからだ」
言われてみれば違和感しかない。嗅覚に優れると言えど残り香だけで人物を特定するのは至難の業だ。八人は多過ぎる。
「でもそれだけで犯人なんて、とてもじゃないけど言えないわ。酔っていたのでしょう? 他の事件の時には匂いすら残ってなかったし……」
「呑んだ後の朝だったとは言え、大して酔ってはいなかった。そして一件目から三件目までの犯人と、カナンを殺した犯人は違うのだろう。おそらく三人目までの殺人を行ったのは、やはり黒騎士だ」
吹き荒ぶ強風が窓を叩き、もうすぐに迫る狂乱の復讐劇を囃し立てる。
♢♢♢
一人目から三人目までを殺害したのは、黒騎士なのではないだろうか。ミッティの関連性は不確かだが、不可能犯罪を装う為に証拠隠滅などを行ったと仮定すれば、容易に犯人を怪物に仕立て上げられる。
単独なのか仲間を伴ってなのかは不明だが、空を呑んだあの魔力量ならば常識を度外視した殺人も可能だろう。
だが四件目のカナンは、ガニメデが殺していた。
「ジュウテンさんや他二名に関しては、はっきり言って不正な取り引きや犯罪に関わっていた。黒騎士に言わせれば、粛正だった。だが純真なカナンは彼等とは正反対の人間だ」
「でもっ、なんでいま急にそんなことをっ……?」
「ミッティさんが死んだと聞いたからだろう」
怪物は、ミッティという楔に繋がれて息を潜めていた。実力高く、古参のガニメデでさえ無視できない存在であったミッティ。パッソと合わせての三竦みが出来上がっていた。
「ガニメデは早急に誰かを暗殺しようとしている。その為にはカナンの嗅覚がどうしても邪魔だった。だから……あの場にいた八人で殺した」
連続殺人にかこつけてカナンを無惨に殺した卑劣極まりない八人を思い浮かべ、渦巻く殺意は気が触れそうな程に増大していく。
呼び出す方法は幾らでも思い付く。獣人差別主義者が多いパッソ派ならば兎も角、ミッティの盟友率いるガニメデ派ならば警戒もしない。
「……だから現場に戻ったのか」
「はい……匂いを残している現場に戻らざるを得なかったんです。ユミが現れたから」
情報を得た順序が違うのだろう。酒場の位置は闘技場周辺で、当然にミッティ敗北の噂は瞬時に駆け抜けた。
それからユミの帰還を知り、カナンよりも鼻の効く人物にガニメデは慌てた。
「巡回班は昨日の食事の際に同席していない。巡回班を先導していたガニメデはユミの存在を知らなかった筈です」
自分にカナンの死体を見せた意図は分からない。
だが……。
「……もしもこの仮説が正しいのだとしたら、ガニメデは次に……ユミを殺そうとする。証拠は残っていませんが、その現場を抑えればいい」
最も難儀する筈だった捜査は終わった。後は確証を得た後に、裁きを与えるのみ。
「そこで――――殺す」
走行中の車内で立ち上がり、扉を開けた。
「先生は先にお戻りください。私は身内の恥を始末に向かいます。アーチェは先生と戻って信頼できる仲間に知らせてくれ。きっと金を持っているユミはカジノ方面に向かっただろう」
「……分かったわ」
武闘派であるガニメデ達を相手するにはアーチェは力量不足。自覚しているのか素直に首肯した。
「ユミなら何とかなっちゃうんだろうけど、俺が先に行って犯人達が悪さしないよう見ておくよ」
「えっ……そんな、先生まで巻き込めませんっ」
「勿論、助けを求めない限り手は出さない。あくまで念の為だよ」
立ち上がってそのまま、自分よりも先に馬車から飛び出して行ってしまった。
♢♢♢
「……そう言えばダガーもごめん。反省してる……」
「ウチは強いからなぁ。武器なんか無くても大丈夫やと思われても仕方ないんよ」
「たとえそうでも、お詫びはさせてもらうよ」
弱気を一切見せないユミに背を向け、解き放たれた怪物達と向き合う。
「さて、デューア君が来るまで俺とお喋りしよう。君達もそのままで待っていようか」
小雨は強まる一途を辿るも、語調を強めれば会話には困らない。
「あ〜…………なんか、予定とかある?」
「…………」
警戒する七名へ、デューアが連れ帰った男は雑談の話題を放る。
「あとはぁ……趣味は? 流石に全員が趣味もないとか有り得ないでしょ?」
緊迫する場の雰囲気にそぐわない柔らかな調子で、七名もの大司教を前に緊張感無しに語りかける。
「他には……う〜ん、明日以降の予定とかは? 仕事か……そりゃそうか」
「…………」
「大司教って戦闘前提なんだよね。稽古とかもしてるんでしょ? 自分へのご褒美とかってあるのかな。厳しい鍛錬の合間に、そういうのが無いとキツいだろうからね」
次々に問うも、用心深く構えるガニメデ達からの返答はない。
「そうだ、お酒も飲むんだっけ。昨日も飲んでたらしいけど、この後も飲む予定だったの?」
「…………」
「お酒は好き? 頷くとかならしてもいいだろ?」
「…………」
男の無警戒な様子を見て、視線を向けられたイーロスが静かに頷いた。
「ありがとう。じゃあ、今度は……アルスにさ、おススメしたい行きつけの店とかある?」
「…………」
煙痲キセラを杖に立つ女へ訊ねた。女は警戒も露わに睨み付けながら…………頷きを返した。
「分かるよ、この都市って美味しいお店が多いから。なら、その店で絶対に頼む好物とかある?」
「…………」
「へぇ、どんな料理だろうね。興味があるよ」
その後も満遍なく問いは投げかけられた。
「何を言うとんのよ……」
「…………」
呆れるユミだが、隣で寄り添う少年も困惑を表情に表している。
「そっかそっか……じゃあ、君。君はぁ……恋人とかいる?」
「いないち……」
「初めてきちんと答えてくれたね、ありがとう。いないのか、じゃあ良い人に出会いたいだろうね。う〜ん……」
一通りやり取りした男は流石に話題に困ったのか、額に指を当てて逡巡する素振りを見せる。
しかしすぐに男は顔を上げ、閉じた目を開いて黒い瞳を覗かせた。
――――どうしてそれを奪える……。
真に力持つ者の激情は、生きとし生けるものを震撼させる。
黒騎士が見せた黒翼よりも遥かに強く、全ての生命が恐怖の底を抜けて心身を凍り付かせる。
「っ……ぅ…………」
「…………っ」
血色の抜け落ちた青い顔で見渡す黒い双眸を受けた者から、腰を抜かして崩れていく。
「ウっ、ガッ…………っ!?」
ガニメデまでもが眼光一つで足腰から脱力し、恐れに震えて地に堕ちる。
男の怒りが発する気配のみで、人は成す術を無くして跪いてしまった。
刻まれた恐怖は二度と癒えることはない。失敗を繰り返す愚かな人間だとしても、忘れることは叶わない。
「前から疑問だったんだ。いい機会だから聞かせてくれ。カナンちゃんは、いま言った以上の全てを奪われた。なんでそれが奪える。なんで今また奪おうとできる」
憤怒を内に潜めて、言葉がはっきりと耳に届く状態にしてから続けた。
「……デューア君のあの様子だと、殺した理由なんて関係ないんだろうから、俺が訊いておくよ。どんな理由があってカナンちゃんを殺した」
「………………っ!!」
気合いで立ち上がったガニメデは別次元の存在を前に、震える唇を思い切り噛み締めて胆力と共に押さえ付け、やがて開口した。
「……歴史に語られるには、相応の立場を手に入れなければならない」
「…………」
ガニメデが本当に葬りたい相手は、デューアだった。
組織内にミッティがいるなら話は別だ。ミッティとデューアの二人ならば、導き手の座を譲って引き下がる他ない。
エンゼ教最大の戦とも言える王国との歴史的激突で、教徒を導く“英雄”はデューアとなるだろう。
だがミッティは失われた。ならば孫のイーロスを英雄にとの考えが生まれるのは必然であった。
「確かにデューアはイーロスよりも僅かに優れている。だがあればいいというだけで、実力など関係ない……周りに持ち上げられて、英雄は完成する」
プロパガンダが証明して来た。必要な情報のみを与え、時には嘘も混じえ、大衆の思考を操作する。
それは方法も多岐に渡り、容易である。名のある者が白と言えば、薄い黄色も白に見えるもの。大多数が価値のある物としているのだと誤認させれば、小石もまた宝石に見えるもの。
「それがカナンちゃんをあんな状態にした言い訳なんだとしたら、あまりに身勝手で下らない。理不尽に殺した上に、死体を無茶苦茶にして他人に罪を被せようだなんて…………本当に腹が立つ」
「罪は自覚している。だが行動しなければ変わらないのが人の道だ。時間があれば手段も選んだだろうが、運命はそれを許さなかった。だから今やる。所詮は、最後に勝ち残った者こそが正義を謳えるのだ」
「それ、たまに聞くよね。はっきり言って全く納得できない」
五メートル程の遠くない距離の先でゆるりと立つ男は、ポケットに手を入れたまま真っ向から否定する。
「護るべき者を背にして勇敢に戦って、それでも届かなくて負けた人も悪になるってこと? いや納得できない。そんなものは受け入れられない。俺は負けても勇敢だった騎士を何人も知ってる」
威圧感もなく言葉を被せることもなく、淡々と己が理を説く。
「俺は紛れもない悪だ。俺が強者であり続ける限りは、その理屈は通らない。勝利を手にする悪もある」
唯一立ち上がっていたガニメデだったが、真っ直ぐに己を通す男の視線に、無意識に右足を引く。
「――――そのまま」
「っ、なッ……!?」
ガニメデの眼前に、男がいた。
左足を踏んで胸ぐらを掴み、引こうとした右足が地に着く前に身体を引いて、後退りを止めてしまう。
「その右足を戻すんだ」
「…………」
裁きからは逃げられない。たとえ一歩でも許さないと、目を合わせて視線で告げられる。
すれすれで浮かぶ右足を言われるがままに戻すも、精神は限界を迎え、ガニメデは気を失う。
だが、掴む胸ぐらの手がそれすら許さない。一度だけ強く揺さぶられて目を覚まさせられる。
「ぐあっ!?」
「時間だよ」
英雄となるべく怪物となった者達へ告げる。
「聴こえるだろ?」
裁きの足音が近付く。水溜りを踏み付け、とても抑え切れない衝動をよく表しながら飛来した。
降りしきる雨粒を受けても黒々と燃え上がる宿屋を背に、激情に顔面を染めるデューアが降り立った。誰も見たことのない修羅の形相で、英雄が現れた。
「来たよ。カナンちゃん達の英雄が、君達怪物を倒しに……」
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