第195話、足枷

 平然とした顔をして、死地を行く。


 建物から建物へと自由気ままに飛び移り、自他共に認められる天才は大司教等を翻弄する。


「スゥゥ……ふぅぅぅんんっ!」


 煙痲キセラを持った大柄な女大司教が、先行くユミにしかけた。思い切り良く口元部分から息を吹き込む。


 すると雁首にある先端部分の火口から黒い粉が噴出。前方に拡散される。


 次の手順として煙痲キセラ自体に魔力を通すと、粉に着火。粉伝いに爆発は連鎖していき、連なる爆炎がユミに迫る。


「――花火が懐かしいなぁ」


 背後で何が起きているのか、誰が何をしようとしているのか、全て手に取るように分かるとでも言うのだろうか。


 ユミは飛び移るのではなく路地に落下することを選び、降りた直後に頭上で爆炎が通過した。


「馬鹿がよぉぉ!!」


 地上で追っていた鬼族の大司教が、滑り込みながらもまた得意な魔剣を使用した。


 〈牙回城斧がかいじょうふ・シロワリ〉。


 城を割るという名を持つ片刃の大斧。刃の周りに、幾つもの小さな鮫のヒレのような刃が連なる特殊斧。消費量は高くとも魔力を通せば無数の刃が高速回転し、あっという間に斬り削り、大木でさえも斬り倒してしまう。


 それが、両手に二つ。


 耳障りな回転音をがなり立て、巨大な二つの車輪が落下中のユミに合わせて薙ぎ払われた。


「こんなんあのグロブが好きやでぇ」


 福音発動の勢いも利用して身を捻り、空中にあっても難なく廻る刃を躱してしまう。ふわりと着地し、左の爪先を軸に蹴りを空振った鬼の横顔を蹴り付ける。


「――――ぐぁ!?」


 一撃必殺であっても当たらなければ意味はない。特殊な大斧を二つ振り、重量に重心が流れて体勢が崩れたところを蹴られ、驚くほど呆気なく素っ飛ぶ。


「くんくん…………こんっ」

「どうして分かるのっ!?」


 風下から潜んで忍び寄った女の槍を、くるりと向きを変えるだけで避けてしまう。


 大きな驚きの理由は背後も見ずに回避したからだけではない。持つ槍も特別。


 ギャブル元男爵が使い手によれば〈夜の剣〉に次ぐと評した槍、その名は〈伸長しんちょう鷹九捻たかくね〉。


 魔力を込めて突けば五倍にも伸びて刺し、払えども五倍に伸びて打ち払い、鞭のような柔軟な使用法も可能な用途の広い槍であった。


 だからこそ、今も用心してかなり手前から突いていただけに、避けたユミの異常さが際立っているのだった。


「くっ……!」

「野蛮やなぁ」


 穂先が戻るなり今度は打ち付けようと伸ばし、近付かせまいと伸びる槍打を絶え間なく打ち出す。


「ひょい、ひょいっ」

「ちょこまかとっ……! 当たらぁ…………ないっ! 当たらないっ! 当たるかと思ったけど当たらない!」


 戯けて踊り、両脇に聳える建物の壁を蹴り、又は走り、揶揄うように跳び回られて槍はコンクリートを削るばかり。


「挟んだち、そのまま続けちぃ!」


 出っ歯が特徴的な男が羽団扇のような扇を手に駆け付けた。自信が伺える様子で扇を振りかぶり、次にはその魔具の強力さが浮き彫りとなる。


「びっち!」

「その掛け声は止めなさいと言っているでしょ!!」


 扇を仰ぐ度に、暴風の球が撃ち出される。


 〈風仙ふうせん〉という突風や風玉を生み出せる扇で、使い手次第では竜巻さえも発生させられる。


 風玉と伸びる槍が建物を崩壊させながら迫るも、ユミは瓦礫を足場に更に変則的な動きで二人を手球に取る。


「ちぃぃぃ!」

「くぅぅぅ!」


 互いの横合いにある壁を壊し、互いに危機に瀕する。


「……なんでこいつ等に渡したん」


 仕掛ける前から自爆して瓦礫に埋もれる二人に嘆息て、あわよくば手頃な武具の奪取をとの思いを一旦置いて大通りへ。


「ハァァァッ!」

「少しはやるようになったやん、あの七光りのボンクラが」


 曲がり角からイーロスが仕掛ける〈痺翠〉が鮮やかな軌跡を彩って斬りかかるも、後退するユミの速度には追いつけない。


「っ…………匂いもダメなんかぁ、難儀やなぁ」

「もう気付いたのかっ……! ――――ガフッ!?」


 鼻腔に届いた匂いで、ほんの僅かに身体機能が変化したのを敏感に察知したのか、小さく呟いたユミが痺翠を持つイーロスの隙を突く。鳩尾に鋭く蹴り込み、袖を掴んで投げ飛ばし、それから大きく飛び退いた。


 左から先程の二人が瓦礫を抜け出し、東南の建物を降りる煙管の大女、右の建物に潜むガニメデ、鬼族もそろそろ出て来るだろう。一つ進んだ左の角にも一人……。


「ふふっ……」


 敵はマーティンを欠いたとは言え、七人。


 街灯に飛び乗ったところへ迫る、水球。完全に死角からの攻撃がされる。


「あんた等でも数が多かったら、そこそこには面倒なんやなぁ」

「ドラッ――――!!」


 水弾を仰け反って躱し、垂直落下して斧を振り下ろすガニメデに対しては、別の街灯に飛び移って退避した。


(どっかに短剣でも落ちとったら、こんな奴等…………あぁ、宿屋街やったらどっかに包丁くらいあるやん。ウチのおっちょこちょいな可愛いとこがまた出たわぁ……)


 ユミは次々と飛び移っていた街灯から進路を変更。追うガニメデ達は素早くその建物を包囲し始める。


 だが、


「………待てっ!」


 ガニメデが制止の声を発した。



 ………


 ……


 …



「…………」

「…………」


 厨房の棚を開けたら、こんにちは。


 死んだ魚の目となったユミと涙ぐむ少年が目を合わせていた。帰る途中であったのか、突如として発生した外の轟音に怯えて身を潜めていたようだ。


「…………」


 そっと戸を閉めた。


 遊び場としているのか複数の子供らしき匂いがあり、何かいるなと察してはいたが、脳が受け入れるのを拒否した。


「さっ、ナイフを探さんと………」


 泣き咽ぶ声がくぐもって耳に届くも、脳は認識せずして淡々と捜索する。外では集まって何やら悪巧み中らしく、好都合であった。


「……………コン? あるやん、ええのが………かなりボロいけど」


 ユミは〈出稼ぎ料理人の置き忘れ包丁〉を手に入れた。


「ほな、一人ずつ誘き出して血祭りにしてこかぁ………………は?」


 外の様子は香りとなってユミに届き、その直後に表情が曇る。


「もうイカれてもうとるやん、あの爺い」


 カナンを残虐非道に殺してたがが外れたのか、これから行われる行動にすっかり呆れていた。


「逃げよ、逃げよ……それでやれる思うとるんか」


 取り囲む気配は察知しており、狙うは西に控える羽扇子の男。接近して即殺し、魔具を奪えば後の障害はガニメデのみ。


 どの面を下げてなのだろうか、ガニメデは仲間に優先して魔剣などを持たせている。仮にあの痺翠が渡れば、少々厄介だ。


「行こか…………………………」


 足を止めた。野性の勘がそうさせるのか、足が止まった。


 意識が向かう先は、戸棚の中……。



 ………


 ……


 …



 煙痲キセラ、火力においてこれを上回るものはない。


「あれでもまだ甘く算段していたようだ。ユミに追い付くことは誰にもできん。不可能だ」


 煙管の雁首を地に突き立て、深く……深く息を吸い込む。


「――焼き飛ばせ……出て来たところを一気に叩く」


 女大司教が煙痲キセラに息吹を吹き込む。同時に羽ばたく福音の翼。


 魔力に痺れる旧宿屋街に、灼熱の時が訪れる。


 爆炎が一つの四階建て宿に吹き込まれ、一階から駆け上がっていく。


 まず一階全ての窓から火を噴き、二階……三階……最後に四階の窓から――


「――汗かくの嫌やねんけどぉーっ!」


 ユミが隣の建物に飛び移る勢いで、四階正面の窓を突き破った。


 何故か、子供を抱いて。


「ちぃ、よく飛ぶっ! どこまでも巫山戯おってっ!」

「乙女なんてそんなもんやろ!」


 ガニメデが右の斧を投げ付けると、ユミは逆手の包丁で弾いた。


 弾くも……子供の重みと相まって体勢を崩し、あと一歩のところで飛び移れずに地上に落下してしまう。


「うわぁぁぁんっ!!」

「なんか悲しいことでもあったん? でも泣きたいのはウチの方やねん」


 泣き叫ぶ子供を抱え、壁を一蹴りして勢いを誤魔化して着地するも、身も凍り付く回転音が迫る。


「――――っ!」

「女如きカスがぁぁぁ!!」


 包丁で受けるも激しい振動と瞬時に削られていく刃に、堪らず刃物を手放した。


「チぃぃ!!」


 撃ち出された風玉がその身を打つ。


「セイッ!」


 転がったところへ痺翠が襲い、口は裂け、防ぐ前腕を骨が見えるまで深く斬られる。


「ハァァァ!!」


 伸びる槍は横腹を突き破り、貫かれた勢いのままフラフラと後退る。


「…………」

「っ……っ、おねえちゃん……?」


 いつの間にか降っていた雨が、か細く震える少年の言葉をかき消す。見上げる女性は何を思うのか、状況も分からず顔色ばかりを伺っていた。


「……あんた、はよ逃げぇ」

「え……?」

「完全に頭に来たわ。こいつ等ぶっ殺すのに邪魔やからもう帰り」


 ユミは、変わっていなかった。


 雨に濯がれ流れる血は多く、片腕は麻痺。子供を下ろしたもう片腕で腹を押さえ、何ができるとも思えない。立つのもやっとの筈だろう。


 しかし目は今までと同じく、生きている。


 生への渇望に真っ直ぐな光を放っている。


「……あのユミが、気まぐれに見せた慈愛により逝くとは。これもまた一つの人生か……」


 手を汚した自分と相反するユミの最後に苦々しく告げたガニメデは、少しの油断もなく総攻撃を指示する。


「全員だ。全員でかかれ」


 ガニメデ自身を除く六名が、ユミへと踏み出す。あのユミに勝つ、という功績が持つ意味は大きい。


 誰も彼もが、素っ首を刈らんと勇んで走り出した。


 だが…………全員が僅か数歩で足を止めてしまう。


「えっ、何……?」

「…………」


 走り始めた本人達が、停止したことに何より驚いていた。


 待てど待てど、激しい雨音と少し離れた場所から届く燃焼音が流れるばかり。戦場にて部下達は立ち尽くす。


 そしてもう一つ、止まると同時に全員が


 その動作がされるのは相対する相手が味方か、もしくは敵意が無いことを訴える際に取られるだろう。


 自覚も無かったのか相手方も不意にその事実に気付き、不審そうにしながらも改めて視線を向けた時に…………固まった。


 雨に濡れていても、はっきりと冷や汗を掻いて怯えていることが分かる。


「………………っ」


 そして、一拍遅れて気付く。


 視線の向かう先はユミの先、彼等はただその一点を見つめて沈黙していた。


「…………」

「っ…………」


 ぞくりと身が大きく震えた。


 未だに怪訝そうに片眉を上げるユミの背後に、いつからか立っていた男。その黒い眼差しと目が合い、真っ黒な沼に引き摺り込まれる錯覚を覚える。


 果てのない闇に永遠に呑まれ続ける恐怖を想像して、息を呑む。


「…………」

「うわっ、びっくりしたぁっ!」


 気配一つで大司教達を縛り付けていた男が……ユミの頭に上着を被せた。


「あ、あんた……おるなら言って言うたやんっ。なんでいっつも背後を取るんよっ」

「なんだ、まだ元気じゃないか……。……俺が悪さをするなって言ったからこうなったなら、謝るよ」


 ユミの前へと立ちはだかるように躍り出て、背中越しに語り掛けている。


「ええよ……まさかウチに助っ人が現れる日が来るなんてなぁ。しかもそれが、あんたや」


 そこに生まれたとしか例えられなかった。今まさに見ていた視界に、突如として出現していた人影。


 総攻撃と駆け出した者達が揃って強烈な危機感に足を止めていた。そこにいるとまだ知り得ていなくとも生物の本能が止まれと叫び、逃げろと告げていた。


 刃先を避けて、その存在からの敵意を恐れていた。


 獅子に刃を構えようとも、地震や雷に構えるものなどいない。あるいはそれ以上ならば、認識していなくても回避行動を取ることもあるのかもしれない。


「自分を犠牲にしてまで人助けして欲しいわけじゃない。犠牲になってまで誰かを助けろなんて絶対に言わない。そんなこと言えるわけがない。ユミ自身が危険なら優先すべきは自分の命だ」

「助け損やん……」

「でもお陰でこの子は助かったんだろ? ありがとう」


 心配そうな子供の頭を撫で、素直な感謝が贈られた。


「…………」

「その傷もすぐに治そうか。けどもう少しだけ彼等と話をしてもいい?」

「お好きにぃ……ウチが殺すか、あんたが殺すかの違いやもん」


 腹を押さえる手に隠し持っていたフォークを捨て、ユミは安堵して腰を下ろした。


「危なそうなら声をかけてね。デューア君が来るまでは、逃げないようにしないと」

「……デューアも来とるの?」

「彼が気付いたんだ」

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