第194話、無双遊戯


「……さいならっ!」


 沈黙を破り、なりふり構わず背を向けて駆け出した。


「追うぞッ、決して逃がすな!」

「コン、コン、コ〜ンっ! ほれほれ、早うおいでなさい」


 飄々と壁や障害物を跳び回り、裏路地から窓を割って廃墟の中へ。


「くっ、速いっ!」

「マーティンはそのまま追え! イーロス、左右から挟み討ちにするぞ! この機はもう逃せん!」


 先頭を行っていた鎚使いは続いて跳び上がり、窓枠を掴んで辛うじて室内へ踏み込む。


 弓はあれどもつがえる矢はなく、短剣も失われ、ユミを倒せる絶好の機会は今を置いて他に無いと総じて理解していた。


「考えてみたら、ええハンディやん」

「ゴボッ……!?」


 昨夜に目にした蹴り技を思い描くままに使い、大きな煙管型のハンマー使いが突入後の隙を狙って蹴る。下駄を履いた爪先が鳩尾に埋まり、鈍痛と共に呼吸が止まる。


「もう六回は殺せとるんやけどなぁ……」

「ぐっ!? くっ……」


 腹を抑えて嘔吐えずくその頭を踏み付け、階段を上がるように蹲る腰の辺りまで歩いて上がる。


「……あんたら、大司教みたいな大雑把で曖昧な括りで、ウチと渡り合えると勘違いしとるんちゃうやろなぁ」

「ぐっ…………」

「同格なわけないやん。国軍で鍛えられたミッティくらいやろ、本物いえるんは」


 ガニメデを避け、イーロスをあしらい、徹底して大槌使いを玩ぶ。


 実力差を見せれば見せるだけ、戦意は挫かれていく。やり方一つで素手であろうとユミならば、それができる。


「んっ? これ、見た目通り重いなぁ……よっこいしょっ」


 軽やかに腰から飛び降りたユミは、足元にあった煙痲キセラを振り上げ、男へと――――



 ………


 ……


 …



 それぞれが異なる出入り口から侵入し、下から逃がさないよう追い詰める形で駆け上がる。


 先程、ユミ達が立ち入った部屋は三階。東向きの窓からで、左から二つ目にある部屋であった。


「…………」

「…………」


 僅かに先に辿り着いたガニメデが目線でイーロスに指示し、扉前で双斧を構える。


 落ち着きを取り戻したイーロスも緑が鮮やかな片手剣を面前へと掲げて備え、突入に備えた。


 両者共に、デューアと競い合うに値する実力を持つ。心理状態良く、優れた武具があるのなら、誰であろうが負ける道理はない。


 ガニメデは摺り足で踏み込み、勢いを殺さずに扉を蹴り破る。


「デェイッ! …………ッ」

「っ…………」


 室内は家具もそのままの高級宿屋で、窓が割れている以外は今でも客を止められそうな状態で残されていた。


 しかし用心深く内部へ踏み込み、部屋の全容を視認すると異様な物体を目にする。


「…………」


 タオルらしき布を口に押し込まれ、目玉や鼻面ごと顔をずたずたに切り裂かれたマーティンが、重厚なソファに座らせられていた。


 四肢は砕かれて不自然な方向に折れ曲がれ、叫び疲れたのかマーティンは意識も朦朧としている。


「――また怪物にやられてもうたわぁ。助けてぇなぁ、ガニメデお爺ちゃん」

「……まだ数えて五十と少しだぞ、化け物め」


 ソファの後ろ……マーティンの右肩辺りから狐耳だけ覗かせて戯けてみせる正真正銘の化け物を前に、さしものガニメデも冷や汗を滲ませて顔を歪める


「っ……残酷な――」

「酷いなんて言われへんなぁ。カナン、あんな風にしたんやから。自分のこと顧みれる知能くらいはあってやぁ?」


 瀕死の髪の毛を掴んで揺り動かし、息を呑んだイーロスの言葉を人形遊びも交えて皮肉で遮る。


 マーティンは決して弱くない。それどころか天性の怪力持ちで、ガニメデの側近とも言える歴戦の猛者だ。刻々と迫る王国軍との戦いにおいても、肩を並べさせて共に駆け抜けるつもりであった。


 それが一分も満たずして、容易く死に体とされている。


「爺さん、この剣で弱らせないと捕まらないぞ……」

「……分かった。前へ出ろ、儂が補う」


 覚悟して臨むユミであったが実際に相対せば、まるで見え方は異なっていた。


 数を揃えても化け物、装備が充実していても化け物、弓が無くとも常に予想を超える化け物。どのような状況であろうと生き延び、こちらが皆殺しにされる未来がチラついて仕方がない。


「さっきはカッコ悪かったやん? ほんまは、こうやりたかってん」

「っ……!?」


 静かに苦悶するマーティンの首元を…………するりと撫でた。その際に指先で煌めいた光が、二人に怖気を走らせる。


 その光が持つあまりの冷たさに、ゾッとする。


「ンンンンンンッッ!?」


 首周りをパックリと裂かれたマーティンが痙攣しながら血を噴き飛ばす。噴水を思わせる勢いで、血潮がガニメデとイーロスに吹き付けた。


「くおっ!!」

「ふふっ、ウチから目を離したらアカンやん。舐めとんの?」


 顔面を覆うような血液の飛沫に視界を奪われ、咄嗟に腕で目元を拭こうと試みるイーロスへと、ソファ裏からユミが飛び出した。


 右手人差し指と中指に割れた窓ガラスの破片を挟み、全身を血で化粧しながら疾走する。


「ッ――――」


 血を浴びながら赤く染まる悪魔の如きユミの凶刃が迫る寸前、ガニメデがその横合いに踏み込んだ。


 目潰しを真っ向から受けても強気で堪え、左の斧を伸びた腕へ振り下ろす。


「――――」


 瞬間、ユミの視線が……自分に向いていた。


 伸ばした腕を引っ込め、すぐにガニメデの顔面へ振ってガラスを滑らせる。


「グンンンンッッ!!」


 狙いが自分であったと悟り、罠に飛び込んだガニメデは福音を発動。ガラスに頬を引き裂かれながらも、右手の斧をユミの素っ首目掛けて横薙ぎに振り付ける。


「コンっ」


 同時に行動を読んでいたユミも福音を飛び出させていた。迫る斧の下から掌をぶつけて軌道を逸らしてしまう。


 ガラスと刃が過ぎ去り、手負いは顔を裂かれたガニメデのみ。


 けれどガニメデは負傷などに取り合わず、左の斧で追撃した。


「やるやん、爺さん。あんただけは先に殺しとこかぁ」

「してやられてばかりでは“百人斬り”の名が泣くわっ!」


 仰け反ったユミの着物を僅かに斬り飛ばし、濃密な一瞬に感覚を取り戻したガニメデが次々と斧を見舞う。


『百人斬り』、絶え間なく押し寄せる盗賊を百人斬った…………のではなく、教会を襲った盗賊の群れに飛び込み、百人いるその場で殲滅にした伝説であった。


 ガニメデの身体に刻まれた無数の傷が、伝説を証明している。不屈、それこそがガニメデの真髄。


 この功績を認められ、ガニメデは司教を飛び越えて大司教の福音を授かることとなる。


「でもその刃物は遅いねん」

しゅうッ!!」


 暖簾に腕押しと斧が空振り、跳ねたユミの蹴り。ガニメデもまた蹴りを放った。


 確かな手応えを覚えるも、前腕により防がれ、防いでいた。


「こうやったかなぁ」

「ぬっ!?」


 再び攻めようと斧を振ったところを掴まれ、次いで胸ぐらを掴んだユミにより脚をかけられ、投げ飛ばされる。


「カッ――――!?」


 初見故に呆気なく投げられ、背を硬い床に打ち付けて呼吸と動きが止まる。


 後は首を撫でるだけ。


「ほな、さいな――――」

「させんッ!」


 鱗粉らしき緑の光を軌跡に残して、その魔剣は振り下ろされた。


「――――」


 最優先されるガニメデの排除を諦め、ユミは剣を避けながらも指先でガラスを投げ付ける。


 目を狙った投擲であったが僅か下に逸れ、頬肉に突き刺さる。剣も太腿を薄く斬るのみに終わり、痛み分けとなって飛び退いたユミにより距離が空く。


(…………アレはアカンなぁ)


 若緑色に広がる魔剣が残した軌跡に、ユミは直感と経験から危機感を覚えた。


「…………――っ?」


 直後、切り傷を受けた脚の感覚が鈍くなっていることに気付く。


 〈魔剣・痺翠ひすい〉、有毒鉱石であるスタナライトから打たれた魔剣で、魔力を通した剣撃により生物を一定段階まで麻痺させることができる。


「麻痺の蓄積……これは身体的パフォーマンスを半減まで麻痺させることができる。緑粉を受ければ低下の一途を辿るのみだ。お前に勝ち目はない」

「…………」


 血の雨が止む。


 そろそろだ。ユミならば窓から吹き込む風により、数が増えていく・・・・・・・のが分かっていることだろう。


「この剣とその煙管きせるだけじゃない。分かるだろ?」


 建物を取り囲むように、四人が……五人が配置されていた。


「俺達には国との戦がある。これ以上は大人しく逝け」


 痺翠を構え、苦しみのない一瞬の閉幕を促す。


 碌な武器もなく、同時に大司教七人を相手取り生きながらえるのは不可能であった。


「好きに恨め。この窮地はお前と言えど抜け――」

「窮地なん? あんたにはこれが窮地に見えとるん?」


 全身が血に塗れ、白金の髪を赤く染め、イーロス級の大司教に囲まれて、ユミはそれでも飄々と笑う。


「温い人生やったんやなぁ。甘い時間を過ごしとるんやなぁ。羨ましいわぁ……いや、憐れやわぁ」


 殺す対象へと向けるにはあまりに柔らかい笑み。反してギラギラと光る眼。エンゼ教には天使がいると風の噂に聞くが、今のユミは死の天使そのものであった。


「人は歩む、鳥は飛ぶ、魚は泳ぐ、ウチは生きんねん」

「っ…………」

「ウチが楽しゅう生きる邪魔立てするなら殺す。それを繰り返すだけや。今回だって変わらん」


 今のこの戦況でユミは、本当に全員を殺すつもりでいる。それが当然であると本気で考えている。本当に成し得てしまえるのだと、本気で思わされている。


「…………」


 表情の厳しいガニメデが立ち上がり、少しの過信もなく斧を構える。化け物を退治するのに相応しい出立ちである。


「見てみぃや。これまでとおんなじ、よく見た光景やん。窮地でも苦境でもありません」


 怖い、怖い、怖い、この女が怖い。


「最近なぁ? こんなん洒落にもならん本物の博打に勝っとんねん、ウチ。やから、こんなん――――はよ、殺してしまおな?」


 美しく微笑みかけるこの女が怪物にしか見えず、怖くて怖くて堪らない。

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