第192話、錯綜する思惑の中で理不尽大魔王を思う一般魔王


 ガニメデは手となり足となる人材を集めた。


 望まれるのは早期事態終息だ。アルスに在るエンゼ教軍に落ち着きを取り戻し、来る国軍へ備える必要がある。


 今、主力となるのは当然にガニメデ一派。その自覚はある。老いた身であれどガニメデも未だ現役だが、先頭を切って戦うのはイーロスだろう。


「イーロス、人手は増やせそうか?」

「……無理だって知っていて訊いているんだろ?」


 一刻も早く、草の根を分けてでも見つけ出さなければならない。独特な気質を持つこともあって、逃げられれば足取りは掴めないだろう。


 実力から言っても油断ならない。


「急がなければ……デューアが察する前には終わらせておくべきだろう」

「俺も捜索に加わろう」

「お前はいい。万が一があるのだ、儂とお前という戦力は分散させるべきでない」


 何が起こるかは、ガニメデにも分からない。


 パッソは行動するつもりがないようで、これまでと変わらず屋敷で経理の仕事をこなしている。


 けれど彼は何かを企んでいるのは明白だ。それはエンゼ教の利益になるものだが、結果に繋がるなら身内を殺しても不思議でないのがパッソだ。


 領主所有の武具を易々と渡すところからしても不気味だ。意図が読めない。


 勘繰り過ぎという考えも浮かぶが、長年の付き合いから来る直感はそれを否定している。


「ガニメデさんっ、怪しい目撃情報がありました!」

「…………気を引き締めていこうぞ」


 敵は生半可にあらず。


 平時の老獪な風貌を脱ぎ捨て、眼差し厳しく戦士として歩み始めた。



 ♢♢♢



「……先生、どうかデューアに力を貸してあげてください」


 双塔オックスを観光中、何やら警備の兵と会話するデューア君を待つ間にアーチェから真摯に願われる。


「勿論だ。彼は初めてできた弟子らしい弟子だしね。できることはやるよ」


 俺も真剣な顔付きで答える。


「でもさ、それって胸ぐらを掴み上げながら言うことじゃないんだよね」


 朝稽古の熱が冷めやらぬアーチェは、悪漢のような手法で助けを求めていた。もしかしたら、ユミごっこで泣かされた方かもしれない。


「アーチェっ、何をしている!」

「この子だってユミと大差ないけどなぁ。いやユミの方が接し易いくらい」


 ゴリラって草を食って寝てるだけなのに、あんなにムキムキじゃん? あれと同じくらい理不尽を感じる。


 でも大丈夫。俺はレルガのお陰で慣れている。



 ………


 ……


 …



 あれは俺が大家さんに差し上げる包丁の試作品を試していた時のこと。


 金剛壁の自宅から東へ足を延ばし、切れ味を確かめようと散策していた時のこと。


「――〈魔王式三枚下ろし〉っ!」


 普通に魔力による斬撃を飛ばし、大岩ごと東の岩盤を両断してみた。


 見える範囲の景色を区切る亀裂が刻まれるも、ドウサンが主として君臨する東エリアの一割未満だろう。結構、この周辺は広大だ。


 あちこちから煙が上がり、所々から溶岩が流れ、炎に包まれる巨大蜥蜴とかげや蛇達といった、世界でも高レベルの魔物が生息している。今日も今日とて、ホットな場所である。


「……なんじゃ、こりゃ……」

「ふむ……いいじゃないか、今回のやつは。腕が鈍ったと思ったけど、初めから大して上手くないから変わらねぇや」


 ヒサヒデの魔眼で斬撃痕が回帰していくのを見届けた後、作製した包丁の切れ味に思わず頷いた。


「れ、レルガにかしてっ!」

「…………この刃の部分は絶対に触っちゃダメだよ? 約束できる?」

「できる。レルガは約束の子」


 映画の題名になりそうな台詞と共に、ドウサンから飛び降りたレルガが手を差し出して来た。


 表情は真剣そのもの。普段の自堕落にペットから世話される彼女とは異なり、誠意と熱意を感じさせる。


 ……仕方なく取っ手を向けて手渡す。


「はい……じゃあ、そのまま待っててね。なんか試し斬りできる物でも探し――」


 ベキンっ……て鳴った。俺が何か切れる物を探しに行こうかと斜め二十度くらいに身体を傾けた瞬間に、ベキンって音が鳴った。


「ガルルっ、ガルルルルルルル!」

「…………」


 事態を確認する前から、レルガが牙を剥いて唸って来ていた。説教される前から逆ギレして、むしろ謝らせてやろうパターンである。


 そんなことをされても、こちらはキョトンだ。


「ウゥゥッ……! ガゥゥぅるるるるるっ!」

「…………」


 岩肌に叩き付けたのか、刃が欠けて持ち手だけになった包丁を手に、俺へと怒りを露わにしている。


「ガルルルルルルルるっ! ガゥゥゥゥ!!」

「無茶だよ……それは無茶」

「がぁうっ! グルルるるるぅぅ……!」


 叱られたくなくて一生懸命に威嚇する姿も可愛らしいが、無茶が過ぎるためレルガの望む方向に事を進められない。


 まだ一回もまともに叱れた事ないのに……。


「ガルルるるぅぅ、ぐぅぅっ、うぅぅ…………」

「…………」


 やがて諦めたのか、険しく歪めていた顔を戻し始め……。


「…………」

「…………」


 俺と同じような、キョトンとした表情になる。


 そして暫くの沈黙が過ぎた後、レルガは俺の顔を指差して次なる作戦に出た。


「……おこらない顔してぇ?」

「お、怒らない顔……?」

「そう。笑うやつでもいい」

「この状況ではとてもじゃないけど笑えないよ、俺……」

「ちがう。レルガが笑う」

「変顔しろって言ってんの!? 面白い顔して笑わせてみろって言ってたの!?」


 あざとい声音で、スタートの体勢を指定されてしまう。間違えた側から、説教する側へ。


「……いやどちらにしても、できるかなぁ。今日こそは一言も二言も言ってやろうと思ってる俺だから」

「クロノさまだったらできる」

「嫌な信頼……」


 いや、やはり言うべきことは言わねばならない。


「……反省はしなきゃいけないんだけど」

「したから言ってるけどっ!」

「えぇ……? いやいや、最初から捩じ伏せようとしてたじゃん。反射的に悪足掻きしている内は信じられないって……」


 ぷんぷんとまた怒り始めた理不尽大魔王。ただの魔王である俺は困惑の連続であった。


「わざとではなかったって信じてる。レルガがそんな子じゃないのは、俺が一番よく分かってる」

「たぶん、レルガの方がわかってる」

「本人は計算に入れないのっ」


 ドウサンの口元に取っ手をぐいぐいと押し付け、無理矢理に食べさせようとするレルガを止める。


「……あのね、レルガ。時には素直に間違いを受け入れて“ごめんなさい”することも、君の成長にとってとても大切なことなんだ」

「頭はさげるんじゃなくて、ひねるもの」

「大喜利だよ、それは! ここで捻られたら堪ったもんじゃないって! 誰が教えてるんだよ、そういうのっ! 見つけたらただじゃおかないからな!」


 胸を張るレルガの背後でドウサンがとぐろを巻き、ヒサヒデは目を閉じる。きっと彼等も頭を抱えているに違いない。


 こうして教育の難しさを痛感し、日々頭を抱えています。


「イライラしてきた!」

「イライラしないの……素直にお腹が空いたって言いなさい。じゃあ、帰ろうか……」


 今日も元気良く俺によじ登るレルガを抱き抱えて、包丁を作り直しに帰るのだった。



 ………


 ……


 …



 思えば、うちの子も“ごめんなさい”を未習得であった。


 イライラするぞと脅しをかけて軽食を出させようという小技は自然と習得するのに。


 荘厳に聳える最北の双塔オックス。アルスと言えば闘技場よりも古くからある、堅牢の象徴であるオックスらしい。それが通らしい。蕎麦湯が好きで蕎麦食ってますみたいなものである。


 古い技法で作り出したコンクリート造りの左右に構える見張り塔。大昔はこの二つの塔を起点に防御陣を組み、街には一歩たりとも侵入を許さなかったという。


 見上げるオックスは数多の傷が見られるものの、未だ現役…………とは言え、立ち入り禁止とされている。


 オックスと共に都市を取り囲んでいた城壁が失われてもこちらは健在なのだが、古過ぎて倒壊の可能性や欠損する恐れがあるので、歴史的遺産保護の観点からそうされているようだ。


「六層になってるんだね、オックスは」


 ただ見上げるしかない観光客達を屋上から見下ろす魔王的行為の真っ最中。


 申し訳ない。大司教の特権で強引に立ち入ってしまった。


 そして魔王が来たよ、オックス。


「…………なんか雲行きが怪しくなって来たね」

「風も強いですね。今夜は嵐かもしれません。早めにもう一箇所も訪れましょう」

「はい、行きましょう」


 吹き付ける風に湿気を感じる。俺の友達なんかはこの感覚を『……雨の匂いがする』なんて船乗り気取りで格好付けていた。


 でも言わんとするところは理解できる。


 壁に沿って螺旋状に降りていく階段を行くと、なんとも不思議な気分になる。大昔の人達はここを通って街を守っていたのだ。世代を超えて、時代を経て、何人も何人も……。まるで塔自体が英雄のようではないか。


「いつかは壊れる日が来るんだろうけど、その時は街の人達に看取られながら散って欲しいもんだね」

「数年でどうにかなるものではありませんが、そうですね……保全にアルスが積極的と言えど、百年も経てばどうなるか分かりません。再び侵略行為が起きて、その際に活用されて壊れることもあるでしょう」

「なんというか……立派だなぁ。これだから、たかが建造物と侮れないんだよ。歴史があってドラマがあって、人々を守って慕われて、魅力に事欠かないじゃないか。最後まで何か物語を作りそうな佇まいだもん」


 雑談も交えて降りていく。デューア君から同行を禁じられて凹んでいるアーチェが下で待っていることだろう。


「彼女も付いて来るくらい良かったんじゃない? さっきの“てめぇ!”って言われたのだって、俺は全く気にしてないよ」


 観光して晴れ晴れとした気分の俺は、アーチェの肩を持つ余裕を見せる。


「今日のアーチェは明らかに素行不良です。庇う必要はありません。他者に対して無礼であっていい時などあろう筈もないのですから」

「真面目だ。まともっていいね」


 デューア君はどこまでも清々しい。心が洗われる……魔王だから洗っちゃダメか。


 けど俺もこういう人を目指すべきかな。どうやら俺は気を抜いていると、どこまでも巫山戯た展開に陥入るらしいから。


「次は闘技場と並んで人気の観光名所に向かいましょう」


 アルスは剣闘と賭博で有名だが、この都市には唯一無二の“癒し”がある。優美なマダムやロマンチストな人達は、そちら目当てで訪れている。


 そこへ向かうのだと、言われなくとも察せられる下調べする系旅行者。


「……先生、黒騎士がコンロ・シアゥで見せた投げ技ですが、心当たりはありませんか?」


 再びの馬車での移動中。黒騎士対策を考えているのか、そのような質問がされる。


「あれかぁ……そこまで上手くはなかったよね。厳しく言うなら、まだまだ浅い」

「グーリー相手に、赤子の手を捻るように技をかけたと聞きますが。どのような武術なのでしょうか」

「柔道ってやつだね。投げ技の他にも絞め技、関節技、あと固め技だったか……それ等で構成された格闘術だったと記憶してる」


 勉強熱心なデューア君に、持ち得る知識を惜しげもなく提供する。


「聞いた覚えは……おそらく無いと思いますが、どこの地方で生まれたものなのでしょうか」

「ニホンってところだったと思う。タタミノウエで生まれた技術で、その地域ではタイイクノトキってタイミングで習うんだってさ」

「一部で秘匿とされていた武術みたいですね。どうりで聞かないわけだ。厄介な……」


 嘘は言っていない。


「……これはミッティさんが言っていたのですが、剣術の極地に達した者には“刃の囁き”と呼ばれる光が見えるらしいのです。相手の剣と自分の剣とが答えを教えてくれるのだとか。聞いたことはありますか?」

「…………」


 何を言ってんの?


 真面目な顔をして、何を言ってんの?


「……俺でも数回だよ」

「っ……見えたのですかっ?」

「ただ剣術に秀でているだけではいけない。剣士としての誇りを胸に、使命を掲げ、ただ剣にのみ耳を傾ける…………その時に時折、それらしき光を垣間見たね」

「…………」


 ちょっと心配になってチラリと横目に見るも、デューア君は驚嘆に目を剥いて俺を見ている……。


 今度、あの姉妹にもやってみよ。


「……ソーデン家の当主から聞いたという話でしたが、まさか真実だとは……酒の席で交わされたジョークだとばかり」

「もしかしたら、あのニダイと戦った数人が見たのかもね。彼と戦う過程でそこまで昇り詰めた剣士がいても不思議じゃない。時の流れが遅くなる感じなのかなぁって。あくまで俺の感覚です」

「まさに奥義ですね……。私もいつか見てみたいものです」


 いや、違うから。これは嘘とかじゃなくて、目標は高い方がいいからだから。


 剣と会話なんてできるわけないもん。相手の剣が教えてくれるなんて、ただの反則だもん。そんなのに導かれるんだったら、厳しい稽古なんていらないじゃん。


 何を言ってんだか。


「あ、あの、デューアさん……」

「どうした、そのような青い顔をして」


 オックスを降りた出入り口にいた若い司教らしき男が、デューア君へ声をかけて来た。恐る恐る、言葉を選びながら。


「……ユミさんが、帰って来たというのは……本当ですか?」

「事実だ。屋敷には滞在しないらしいが、無事に帰還した」

「そう、ですか……」


 何をしたら、このように恐れられるのだろう。魔王として参考にしたい限りである。


「…………すまない。私からも訊かせて欲しい」

「えっ……? 勿論です、何でしょうか」

「もしかして君は昨日、巡回班だったのか?」



 ♢♢♢



 紙の上をペンが走る音、帳簿を捲る音、身動ぎに軋む椅子の音……。


 十名もの祭服の者達が仕事に励むその部屋には、それ等の音しか生まれない。


「パッソさん、領主から話があると」

「おや、何かお困り事でしょうか。外でもう少し聞かせてください」


 歩み寄って耳打ちした男に、パッソは朗らかに笑ってみせる。


 最奥の机から立ち、部下達の邪魔をせぬよう廊下へ出て詳細を聞く。


「……おそらく、護衛の変更でしょう。ガニメデ傘下の者達かデューア……くらいでなければ納得はしないかと」


 ドワーフの小さな背に続き部屋を後に扉を閉め、すぐにパッソに向き直って報告した。


「そうでしたか……。私から人材を選出しておくとお伝えしておきます。明日以降になってしまうでしょうが、そこは辛抱していただくしかありません」


 煩わしくもありそうな長髪に白い肌、不健康な痩せ型をしたアルビノの男……サンボ。


 ベネディクトを思わせる柔和なパッソの言葉に、引っかかるものを感じていた。


「……本日にでも、人選の変更は可能なのではないでしょうか」

「今日中では二度手間なのです」


 困り顔で笑ってみせたパッソは、軽いやり取りの最中に言ってのける。


「――何故なら、今日も人が死ぬからです」


 平然と紡がれた直後、サンボの身体に怖気が纏わり付いた。


 微笑みながら連続殺人事件を予見……確信しているパッソに、筆舌し難き強烈な恐怖を覚えた。


 彼は何を知っていて、それを口にしているのだろう。問いを投げかけることすら躊躇われるまでに、今のパッソは恐ろしい。


「それとサンボ君、一つ助言をさせてください」

「……頂戴します」

「差別主義は非効率的です。あまりにも効率を無視している。生産性もなく、敵を産み、視界を狭め、周囲からも取り残されていく」


 これまで口を挟まむことのなかった個人の主義に対する苦言であった。


 淡々と、回り道もなく、パッソらしからぬ助言が続く。


「他を変えるなど釣り合わぬ困難と労力を要するのみ。自分を変える、適応する、それが人類に最も重要な進化というものです」

「…………」

「私亡き後に表立つ意志があるのなら、早々に手放すべきでしょう」

「っ……不吉なことを仰られるっ」


 意味ありげな物言いをするパッソに胸騒ぎを覚えるのは当然と言えた。


 パッソは返答を控え、無言で窓へ歩み…………薄暗い雲の立ち込める空を見上げる。


「……裁きを前にする罪人には、二種類がいます」


 ふと語り始めた。


「犯した罪を償おうとする者、下る裁きから逃れようとする者……」

「…………」

「殆どの者は……犯した直後などには特に、咄嗟に逃れようとするものなのでしょう。誰しもが裁きを恐れて頭に浮かんでしまうのでしょう。では逃れる前提で犯行に及ぶ者は? まさに悪質ですよね。そして少なくない数が逃げ切れているのが現状です」


 どこまで知っていての発言なのか、断続的な寒気がサンボの体を縛り付ける。


「今回の裁きは、どうなることやら……。……私は私で、結果を受け入れましょう」


 嵐の前の静かさの中に、面持ち険しいパッソは小さく呟いた。

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