第189話、ユミが弓を持っちゃった

 家族を求める者には、あの温もりを知って欲しい。自分でいいのなら、家族になってあげたい。


 ここでは友になれても、家族程に心の近い関係は難しい。悩みもストレスも抱えがちで、心を病む者も多い。


 機械的に育てられるこの世界にも、愛してくれる者はいるのだと気付いて欲しい。


 ただ、それだけだった。


「……難しいものだ」


 未だに顔を腫らして木陰に座り、職員や子供を問わず恐れを秘めた目で見られるのを感じる。だがむしろ、この状態は良いように思う。


 処罰に関しては、とても重いと呼べるものではなかった。三日間の独房謹慎だが、そもそも怪我で動けないのだから寝る場所が変わるだけだ。


 理由としては負傷させられた少年三人にも罪があり、問題のあった院長の他には誰にも手を出していなかったからだという。


「グルゥ……」

「寂しいのか? もう少しで帰って来るから心配するな」


 喉を鳴らして頭を擦り付けて来たグーリーを撫で、寮の部屋替えを終えて帰って来るであろうカナン達を待つ。


 家族が増えた。カナンとグーリーと。


 皆、親や親族を何処かで求めている。覚えていない者が殆どだ。今、両親は何をしているのか、アーチェなどは特に知りたがっていた。


『デューア君、これだけは覚えておいてください』


 ミッティから最後に告げられた忠告。


『君には護りたいものがあるのでしょう。カナンさんもその一人。その不遇を変えようと、焦って行動した結果なのかもしれません。けれど、どのような状況にあれども“身内以外にとっての怪物”になってはいけない』


 何がいけないのだろう。手段を選ばず実力を見せ付けた結果として、実際にカナンに手を出す者はいなくなった。


『君には“カナンさん達にとっての英雄”を目指して欲しい』


 言わんとする本質は何となく掴める。


 手段を選んで解決・・・・・・・・してこそ、英雄と呼ばれるのだと、そう言われた気がした。


『怪物となれば粛清される対象となり、英雄となれば君に協力してくれる者が自ずと現れることでしょう。今回のような場合にも、それ以上の窮地にも、きっと……』


 英雄だなどと言われてみれば、確かに憧れてしまうが、ほんの数人を護ろうとしてこの苦労だ。


 しかも告げたのは、毛髪に悩む腰痛持ちの大司教。


「……あの顔は、叱られるな」


 女子組から一足先にやって来るサドンを見る。


 グループ内では年長で、面倒見のいい性格と落ち着いた物腰からよく頼りにされている。


「もうすぐ、アーチェの部屋に引っ越したカナン達が来る。その前に……」

「分かっている。やり過ぎた」

「……俺はやり過ぎだとは思わないな」


 意外であった。


 身内に甘くはあっても、平和主義で騒動や諍いを嫌うサドンが暴行を肯定するとは。


「あの院長は屑だったし、その前も同じだ。俺が怒っているのは、お前が死んでいたかもしれないってことを、お前が理解していないことだ。大人達に殴られるお前を見ていたアーチェ達が、どんな顔をしていたと思う」

「…………」

「お前が死んで、俺達がどう思うかは考えないのか? それが家族なのか?」


 事件後に初めて触れた兄からの言葉は、頭を金槌で殴られたようだった。


 大人達に殴打されるよりも、遥かに胸が痛む。


「俺が死んだら、お前ならどうだ」

「…………すまない」

「死んでは駄目だ。それだけを分かってくれたならいい。だから…………泣くな」


 具合が悪そうに頭を撫で付けるサドンに言われて、自分が泣いている事を知った。


 袖を目元に押し当て、溢れる涙を隠す。


「カナンが来ているぞ。泣き止めないなら、言い訳を考えておけよ。俺が怒られる」


 前方に目を向ける。


 そこには、控え目な笑顔でこちらへやって来るカナンがいた。アーチェと手を繋ぎ、まだ慣れない距離感に戸惑いながらも共に歩いて来る。


 護りたいものが、はっきりと目に見える。何よりも尊い光景だ。


 目も合わせられずに照れながら話すカナンを目にして、ミッティの言葉が脳裏を過る。


 彼女はこれからだ。これから家族となり、これから前へ歩み出す。願わくば、その道に幸が在らんことを。





 ……だと言うのに……。





 笑顔で手を振るカナンやアーチェ、隣にサドンのいる光景が燃えていく。


 笑みを浮かべるカナンが、無残な死体と切り替わる。


 許さない……許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない。


 この犯人だけは許せない。


 この犯人だけは、怪物となってでも……。



 ………


 ……


 …



 天井は湿り気のある石の天井ではなく、白い清潔感のあるものとなっていた。


 自然と上半身を起こし、領主の館にある自室のベッドに寝ていたと気付く。


 身体も違和感なく、むしろいつも以上に快調である。


『デューアお兄ちゃんっ! わたしとグーリーも司教になれたよ!』


 けれど…………頬には涙が伝っていた。


「……グーリー……」


 相方を今も待つ火熊にどう説明すれば良いのか、少しの睡眠では答えを出せずにいる。


 もうカナンが帰って来ることはないと告げられるのだろうか。


 彼の悲痛を思うと、言葉が出せる気がしなかった。


「――ダメです。合言葉なき者を入れることはできません」

『っ〜〜〜〜!!』


 先生の声に振り向くと、窓に張り付いて抗議するアーチェとガラス越しに何やら言い争いをしていた。


 ここは一階であるが、扉から入ればいいものを何をしているのか検討も付かない。


『入れてくださいっ! デューアに何をしたんですか! 私達には知る権利があります!』

「秘密の合言葉がなければここは開けられません。一子相伝のマッサージ術は誰の目にも触れてはならないのです。ちなみに合言葉の最初の文字は“も”です」

『も……? もぉ……もぉ…………』


 与えられたヒントに考え込むアーチェだが、先生は退屈になったのか予想だにしない行動に出た。


「……アホアホの実を食べてアホ人間になったユミ」

『っ……!?』


 まさかのタイミングでお題を出されたアーチェが、愕然として慄く。


『…………そ、それ、ええもん持ってるやん。寄越しぃや……パクリ』


 おそらくアーチェの持っていた果実を横取りした筋書きなのだろう。やけに現実味のあるやり取りで、何らかの実を食べる仕草を見せる。


『……ウチウチっ、ウチやぁぁ! ウチやでっ! ウチが来たんや〜ん! ……う、うふ〜ん!』

「ぶふっ、ぷふふふ……」


 お気に召したのか、何故かセクシーポーズを取るアーチェの物真似に笑いを堪えている。


「……アホ人間のまま格闘家になったユミ」

『っ…………ウチャァァ! ほぉぉ……ウチやっ! ウチやウチっ、ウチャウチぁぁーっ!』

「ぷはっ、なはははははははっ!」


 狼狽えたのは一瞬。勢いのまま駆け抜けようと考えたのか、間も置かずしてお題に応えた。


 拳を突き出してユミの猿真似をするアーチェを、先生は手や膝を叩いて笑う。


「あ、アホ人間のままお風呂の水を抜かれるユミ……」

『水抜いたん誰ぇぇ! ウチまだお風呂入ってないんやけどぉぉぉ!』

「ぷははははは! あーはっはっはっ!」


 嘆きをこれでもかと表すアーチェだが、その背後には……本物のユミが帰還している。


「じゃあ、最後! アホ人間のまま、坊主頭にされちゃったユミ!」

『…………あ、散髪できたん? どれどれ……』


 床屋で散髪をした設定らしい。鏡を見て頭を触り、異常を悟る徹底した演技だ。


『………………っ!? ウチ、ハゲてもうてるやぁぁぁ〜ん!』

『えらい楽しそうやなぁ』

『ピィィ!? ゆ、ユミさん……』

『ええ度胸になったやん。お姉さん、嬉しいわぁ。まっ……ほんなら、裏で話……聞かせてもらおかぁ』


 そこで真顔のユミから声をかけられ、顔面蒼白となったアーチェを残して先生は無情にもカーテンを閉めた。


「ふぅ……あ〜、面白かった。じゃ、マッサージも終わってるし、朝ご飯もできてるらしいから、さっさと食べに行こうか」

「は、はい……」


 この状況からは、家族と言えども助けられる気がしなかった。


「………………ふっ」


 やっと察しが付いた。


 あれだけ世話になったミッティにさえ距離を置いていた自分が、会って間もない男に心を許した理由に。



 ♢♢♢



 領主ギャブルが使用人達に運ばせた武具をテーブルに並べる。


 主だった大司教達を前に、ギャブルはテーブルに打ち付けるように手を置いて言い放った。


「好きなものを取るといい。ただし、週に一度は必ず闘技場で闘うことを義務とする」


 昨夜の興奮が冷めやらぬ彼が一睡もしていないのだろうことは、目の下の隈が濃い点からも明らかだ。すぐにでも黒騎士を呼び戻したいことがありありと分かる。


「デューア君には最も強力な〈夜の剣〉を渡しておこう」

「……暫くは手が空かない予定ですが、よろしいですか?」

「ふむ、ここでも事件が起こっているのだ。事情も事情なのだから一番腕の立つ君に持たせるのがいいだろう」


 ここのところ、やけに活発化している魔物の討伐に勤しんでいたのだが、その時に渡すべきではなかっただろうか。


(……事件と言いつつ、黒騎士が現れれば私がミッティさんの仇討ちに乗り出すだろうとでも考えていそうだ)


 しかし今は、むしろ好都合と言える。


「では、有り難くお借りします」


 〈夜の剣〉を受け取る。


 抜いて現れた滑らかな刃は、奥深い黒と紺の混ざり合った夜空色。比較的軽量な細身の剣身を撫で、用意してあった鞘に収める。


「弓あるやん。これはウチやろ」

「……あの、ユミさん、私も使いたいんですけど」

「その小さいお口を閉じて、ついでに鼻も塞いどき。誰があんたに弓を教えたか忘れたん? 鳥頭やなぁ、千年早いねん」


 付き人時代があるからか、ユミは魔弓を欲するアーチェを細めた横目のみで下がらせてしまう。


「……渡してあげればいいのに。君、いま使えないじゃん」

「いらんこと言わんでよろしい。貰えるもんは貰うとかなね」


 まだ一日しか経過していないのだが、気が合うのだろうか。壁際の先生に歩み寄り、意味深な会話を交わした。


 使えないとは弓のことだろう。両手は共に負傷しているようには見当たらないが、何かあるのかもしれない。


「先生、少しばかりお時間を――」

「パッソさん」


 その二人組に近寄るドワーフの男……パッソに先んじて呼びかけ、更に進路を妨げるよう手を差し出して釘を刺す。


 ミッティ派、ガニメデ派、パッソ派。剣闘都市に派遣された三派閥の一つでありながら、戦闘力ではなくマーケティング能力に秀でた大司教であった。良く言えば商売上手、悪く言えばガニメデの言うような守銭奴である。


 先生を利用しようとしても何ら不思議はない。


「戦ってもらおうだとか、入信させようなどとは考えていませんよ。私はデューア君を観光に連れ出して欲しいとお願いしたいだけです」

「…………どういう、意味ですか?」


 親切心だとは思わない。視界の端に捉えるガニメデも、意図が察せないからか目を細めている。


「デューア君はミッティ大司教の補佐や魔物駆除と働き過ぎです。その上で、不幸の連続…………午後くらいは休んで貰います」


 動けるのなら役割をと、隙間なく仕事を割り振るパッソにしては不自然な理由付けだ。


「どうでもええけど、それより、しぶちんのパッソはん、ウチのお小遣いは出ぇへんの?」

「……仕方がありませんね。戦力が足りていないので今回は支給します。ただし街を巡回して、形だけでも治安維持に協力してくださいね」


 自分の眉毛が自然と跳ねるのを感じた。それほどまでにあっさりと、あのパッソが金を渡していた。


 けれど相手はユミで、気分屋で御し切れないのなら放し飼いさせる思惑なのだろうと朧げに納得する。


「ユミっ! このような緊急時に魔弓に金にと強欲にせびるとは何事かっ!」


 誰もが諦めているユミの自由な振る舞いに喝が飛ぶ。これまでと状況が異なるからなのか、ガニメデが怒声を見舞った。


「うるさいわぁ……何を喚いとるの? あとは死ぬだけのお爺が、若くて美人なウチに構おうとせんといてぇ」

「ミッティ達にも同じことが言えるのかっ! 今は亡き同胞達に顔向けできるのかっ!」

「あんたらに仲間意識がある思ぅてたん? あと唾、飛ばさん方がええよ」


 打ち付ける怒号に自然と背筋が伸びる面々だが、当の本人は愉快そうに笑う始末。


「仲間でないなどと……吐いた言葉には責任が伴うのだぞ。それでももう一度、同じことが言えるのか……?」

「他人に吐く言葉に責任持つ奴なんておるわけないやん。今から街にでも行ってみ? 独り言から噂話から日常会話まで、無責任に真実も確かめず、事実を歪めて隠して、醜く汚く言いたい放題や。誰がどうなろうとかまわへん。所詮は他人に吐く言葉やねんから」


 ガニメデの凄みさえ跳ね除ける不気味な怖さがあった。


 笑っている。落ち着いている。だが今のユミには誰も逆らえないだろう。


「せやから、ウチも好きにさせてもらいます」

「……デューア、部外者の方に身内のいざこざはさぞ見苦しいことだろう。儂もパッソに賛成は賛成だ。そちらの方とゆっくりして来なさい」


 肩越しに振り返り鋭い横目で告げたユミを目にして、近くにいる先生の存在を思い出したのだろう。口調に申し訳なさを滲ませて提案した。


「そうですか……先生、よろしいですか?」


 空き時間があるなら稽古を頼もうかと頭を過ぎるも、彼の本来の目的は観光であることを察して訊ねた。


「勿論。有り難い申し出だよ」


 気を悪くした様子もなく浮かべる笑みに、胸を撫で下ろす。


「ほな、ウチも飽きるまで付いて行こかぁ。……そこの裸体、退いてくれへん?」

「裸体っ? ぼ、僕のことかな?」


 いつもの如く気の向くままに。タンクトップ姿のチャンプを言葉一つで横にずらして先々と部屋を後にした。


「…………」

「…………ふふっ」


 扉を抜ける刹那に、とある大司教からの殺気を浴びながら……。


「……先生、私達も」

「そうしましょ。……それじゃ、皆さまお先に失礼します」


 お辞儀をして領主やチャンプの後ろを通り扉へ向かう先生。誰もが領主とチャンプの目の前を通り抜けたユミと比較して、身内の恥が連続している事実に頭を痛くしていることだろう。


 であるのにどうしてか、自分は誇らしいと思えてしまっている。



 ♢♢♢



 デューア達が去った。次いで、領主も執務に戻る事となり、部屋にはメイドとエンゼ教関係者のみとなる。


「珍しいですね、ガニメデさんが感情的になるとは」

「……頭を冷やした方が良さそうだ」


 武具を割り当てる会議が終わって歩み寄ったパッソへ、嘆息混じりのガニメデが謝罪の意を込めて言った。


「私も彼女へ貴重な資金を安易に渡し過ぎましたかね」

「お前のことだ、何か考えがあるのだろうに。訊けば返ってくる類か?」

「考え過ぎですよ。彼女は戦力として手放せない。またふらっと何処かへ行かれては困るというだけです」

「確かに奴は強いがなぁ……」


 弓を持たれれば、勝機はない。そう言い切れる程に、圧倒的な実力を持つユミ。あのミッティやデューアでさえ、まともに闘うことすら困難を極める。


 しかし、つい先刻のやり取りもあり、問題があるのも事実。


「それはそれとして……本当に良いのか?」

「何がでしょう」

「とぼけるな。儂の近き者達が多くの武具を所持することとした真意を訊きたい。こればかりはユミの時と違い、答えてもらわにゃならん」


 パッソは何かを企んでいる。それは間違いない。ガニメデだけでなく、見守る者等もデューア達もそれを確信していた。


 パッソとガニメデとで交互に一人ずつ武具を持たせる人材を選択したのだが、パッソはガニメデ派の者達を中心に選ぶ意外性を見せた。


 思惑が見えない。利益に拘る彼は何を秘密にしているのだろう。


 するとパッソは心外だとばかりに、馬鹿馬鹿しそうに呆れ笑いを漏らして告げる。


「本来の目的をお忘れですか? 武に秀でる者達が闘技場や街中で、特異な武具を披露する。するとどうなります? エンゼ教の布教に繋がりますよね」


 失笑しながら説くパッソは、自分達がミッティ派やガニメデ派に比べて武具に相応しくないと言う。


「ユミさんとデューア君のものを取り上げようとでもしない限り、私から異論はありません。そちらの皆さんでお使いください」

「取り上げるわけがなかろう」


 妙なことを言い始めるパッソにお返しと呆れて笑い、真面目な顔付きとなったガニメデは訊ねた。


「して、事件の進展は?」

「まったくです。ミッティさんが残した資料を参考に何とか形になる捜査をと、それが精々ですよ」


 ガニメデは深い溜め息を吐いた。

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