第188話、家族を知る者として
子供達の遊ぶ喧騒から離れ、壁沿いに並ぶ一つの木の影へ歩み寄る。
幼い自分が、自分より小さな子供と子熊へ歩んでいる。
「……カナン、またここにいるのか?」
十年程前……子供の頃の記憶だった。
教会の孤児院には他種族も入り混じり、多くの子供達が育てられていた。
今にして思えば、戦闘に特化した能力や才を秘める者達が多かったように思う。自分も物心つく頃より剣を持たされ、日々訓練に励んでいた。
「…………」
「……また院長か」
幼い自分が苛立ちに顔を歪めていた。いつ思い出しても腹立たしい。
当時、孤児院の院長を務めていた男は獣人差別主義者であり、カナンへ隠すこともなく陰湿な虐めを公然と行っていた。この時はまだ知らなかったが、後になって殴る蹴るなどの信じられない暴行まで行われていたようだ。
彼女から聞いたものなので、もしかしたらそれ以上の行いもあったのかもしれない。けれど傷付けてしまうのが怖くて、それ以上は訊ねられなかった。
「俺達の近くにいればいい。そうすれば護ってやれる」
「…………」
巻き込んでしまうとでも考えていることは安易に想像できた。
事実、他の子供達は院長の標的にならぬよう、カナンを避けている。それどころか院長に気に入ってもらえるようにと石を投げ、嫌がらせをする者までいる。
孤立したカナンに構うのは自分だけだった。サドン達ですら危うきに近寄らずと遠巻きに見るばかりだ。
「明日また鍛錬を付けに来る大司教の人……ミッティっていう時々頭の狂うおっさんなんだが、あの人に言ってみる。あいつは院長として失格だと」
「……また、怒鳴られちゃう」
震える声音が、刻まれた恐怖を物語っている。
物静かで大人しく、気弱であったこの頃のカナンは怒声に対して強いトラウマを抱えていた。自分であれ、他人であれ。よく聴こえるその耳に届けば、一人静かに震えて忍ぶ。
「知らないな。あいつらは他人だ。家族を護るのに他人に怒鳴られることなど気にしない」
この頃より前から、実習などで外の世界を見るようになり、違和感を感じるようになっていた。
院長や職員は仕方なく子供を
大人達はそれを異常だと考えていない。むしろそれを誇り、他主張を悪だと言って聞かない。
自分は宗教が怖く思えてならなかった。
「……俺はここが嫌いだ。でもカナンやアーチェ達がここを家と呼ぶのなら、俺が護るしかない。住みやすい家にするしかない」
憔悴しているとさえ見える、あまりに陰鬱な様に不安になるも、カナンとグーリーの頭を撫でて精一杯の親愛を送る。
ここに、愛は自分達の内にしかない。共に育つ仲間達からのみ愛され、自分もまた愛を示す。
“家族”か、それ以外か。この頃には自分の中で明確に枠組みがされていた。
嫌いな大人達への反抗心もあったように思う。カナンのような不当な扱いを受ける子供に、声をかけずにはいられなかった。
「っ…………」
「…………」
嗚咽して涙を流すカナンに胸を痛めながら、自由時間が過ぎるのを二人と一匹で待つ。
男女別の寮であり、同室の者等からも酷い扱いを受ける為、安らげる場所はこの時のみであった。寝床は濡らされ、陰口を目の前で叩かれ、グーリーと抱き合って眠る毎日。
そちらも何度注意しても打開策を見出せず、日数ばかりが経過していく。カナンもそうだが、
その夜だったと記憶している。
もしかしたら明日の稽古にはベネディクト最高司教が来られるやもとの噂を耳に、強硬手段も思い浮かべていた。
夕食前の掃除で、朝に綺麗に掃いたばかりの寮裏口付近をまた清掃する。
「…………………………」
一人で同じところばかりを掃き、日が落ちるのを見届けて中へ入る。
カナンに良くする自分に、特に意味もなくさせられている清掃だ。真面目に行うつもりはない。
「…………」
行く先の廊下には誰もいない。既に食堂に向かう時間で配膳を手伝う作業なども、もうすぐに終わる頃だ。席に着いて院長の挨拶を静かに待たねばならない。
だからこそ密談を交わすが如き声を潜めて交わされる物音が、不審に思われた。
それは男子寮の一室で…………足音を消して忍び寄り、扉を少しだけ開いて覗いてみた。
「……――――」
目の前が赤く染まった気がした。
少年が三人、年下の少女……カナンが一人。部屋の隅に押し込まれ、衣服の隙間から身体を弄られていた。異性に興味を持ち始める頃合いとなり、手を出しても支障のない少女に目を付けたらしい。
カナンは泣きながらも服だけは脱がされまいと必死で抵抗しているところで、その光景を目にした瞬間に――――弾けた。
「――――」
扉を開け放つ。
「っ……!? な、なんだデューアか――――」
手近にあった水入りの桶を掴んで歩み寄り、手前の男を殴り飛ばした。重い手応えで、頭を殴られた少年は壁に激突。
「はぁっ!? お、おいっ、なにすん――うわぁ!」
ぴくりとも動かなくなった様を見届けずして、二人目に水を浴びせて木桶で殴り付ける。
何度も、何度も、桶が壊れても尚も……。
「ぅぅ……っ…………」
血塗れで呻く様子を目にしても、募り積み重なった憂さは簡単には晴れない。
「…………」
「っ……!! や、やめっ、やめてっ……! たすけてぇ!」
突然の乱入者に腰を抜かして震える最後の一人を、呆然と眺めるカナンから引き離し、髪の毛を鷲掴んで引きずっていく。
その後の記憶は曖昧で、荒々しく繰り返される自分の呼吸と苦痛に漏れる悲鳴だけが妙に思い出される。
後から聞いた話では、顔面をジャガイモと見紛うまでに殴り付けたその最後の一人は、カナンを虐めていたグループの部屋に見せしめとして放置していたという。
しかし、怒りはまだ治らなかった。初めから爆発した憤りの矛先は三人ではなく、一人に向かっていた。
食堂まで走り抜け、乱暴に扉を開けて中へ。
「えっ……デューアっ?」
「どうしたんだ……?」
微かに聴こえる憂う声音も振り切り、元凶へ走る。縦に並ぶ長いテーブルの間を、騒然とする子供達を押し退けて行く。
後にアーチェはその時の様を、目が充血しており鬼のようだったと言っていた。鬼となっていたなら好都合だ。
「止まれっ! 何をするつもりだ!」
「すぐに謝らなければ反省室行きだぞ!」
前方から迫る職員二人に対し、椅子を踏み台にテーブルへ上がり、走り抜ける。
「猿めっ!」
伸びる手も軽い跳躍で躱し、諸悪の根源へ突き進む。
「デューアッ!! 貴様っ、騒々しいぞ!」
「お前がぁぁぁぁぁ!!」
食器もパンも何もかもを踏み付け、端辺りから院長達が踏ん張り返る上座のテーブルへ飛び乗った。
院長に飛び付き、倒したところを馬乗りになって殴り付ける。重ねた両拳を振り下ろし、力任せに幾度となく憎き顔面を打つ。
「グァッ、ヤメっ――ッ!? ガァッ……!?」
返る血を浴び、曲がる鼻を更に殴って陥没させ、頭を床に叩き付ける。
やがて大人達に取り押さえられ、気を失うまで殴られて……。
……気が付いた時には、地下の独房に放られていた。
発熱で意識は朦朧としていて、食器などで殴られた顔は焼けるようで、呼吸も覚束ない。
けれど気は晴れていて、五体投地で冷たい天井を眺める。
『――――デューア君……』
扉越しにかけられたミッティの声に顔を向けることなく、指先だけが反応した。
『起きたんですね……』
「…………」
『……事情はお友達から聞きました。私からベネディクト最高司教にお伝えしたところ、“白き天女は生命を等しく愛し、人々も等しく彼女に愛を捧げるもの”という教義に反するとして院長は降格処分となりました』
日が変わるまで寝ていたようだ。
しかし、朗報であった。予想外にベネディクトが人格者であり、利権に意地汚い大人達と違っていたことが幸いしたようだ。
今頃は上層部が保身を図り、責任の擦り付け合いや知らぬ存ぜぬを通す算段を立てているのだろう。
『代わりの院長が配属されるでしょう。しかしです。君……不幸中の幸いにも、死人はでませんでしたが…………暴力では何も解決しません』
それは違う。暴力でも解決は可能だ。好ましい手段ではないのかもしれないが、暴力は有効だ。
人であれ、組織であれ、国家であれ。暴力に対して、言論では平行線……もしくは一方的な被害を受けるのみだ。子供じみた筋の通らない理屈を掲げ、喚くように振るわれる暴力に言葉は通用しない。
暴力に対するには、暴力をチラつかせるしかない。対抗する手段があると牽制するか、もしくはその暴力たり得る大元を無力化する術でも見つけなければ解決は望めない。
『カナンさんの為とは言え、もっと他に手段はあった筈。今日を待ってくれたなら……私をもっと信用してくれたなら……』
偽善者が得意な無責任な言い分だ。
カナンは今、助かりたいのに。よくも一日もの間を、この地獄で耐えろと言えるものだ。本当に明日になれば助かる保証もない。無責任だ。罪とならないのが不可解なまでの罪深さだ。
止まない雨はない……止む前に限界を迎える者もいる。次の一粒の雨で倒れる者もいる。
いつか何とかなる……いつかとは、とても曖昧に言ってくれる。それまで耐えろと、よくも言えるものだ。いつ訪れるか分からない“いつか”だからこそ絶望しているのに。
言葉とはあまりに残酷で、薄っぺらい。
『君の処遇が話し合われています。やり過ぎていますから……しかも、これが初めてではないそうですね』
一度目は、容姿が気に入らないという理由で数名を忌み嫌うシスターだった。アーチェ等三名を陰で虐めており、その際にも暴れた前歴がある。
『どうして、そこまで……』
覚えているからだ。
薄らとある赤子の記憶。
自分を抱き上げる父と母らしき人物の温もり。確かな深い愛を感じていた。確かに、愛されていた。
どうしようもなく大切にしようという意思を感じる感触に包まれ、心地よい安心感から穏やかに
(あれが家族だ……)
どうして自分を手放したのか。手放さざるを得なかったのか、事故で自分だけ助かったのだろうか、ここに預けられた理由は分からない。教会に訊ねるのは規則として禁止されている。返ってくる答えはない。
だが、あれは紛れもなく愛だった。
ここには親はいない。親類の愛を、家族を知らない者ばかりだ。
だからこそ“家族を知る”私が――――
………
……
…
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