第187話、失神してからがスタート

 ……そして五十分後……。


「アァッ、ぐっ……アアァッ!」


 岩無しでも深いスクワットでは身体が上がらなくなったので、可動域狭めのパーシャルスクワットに切り替え、それでも一回ごとに堪え切れずに尻餅を突く程度になる。


「グッ、くっ……!」


 汗は滝のように流れ、脚は異様なまでの痙攣を繰り返している。最早、別の生き物のように勝手に暴れているという状態だ。


「ふむ…………なんかまだ気絶しないなぁ。一回くらいは経験してもいいと思ったんだけど。脚は気絶し易いって印象だったんだけど個人差かな。種目を変えてみようかな」

「何をしているのっ!?」


 背後から怒声を浴びたので振り向くと、昨日に紹介されたアーチェさんが血相を変えてやって来るのを目にする。


「朝練です。途中参加しますか?」

「デューアっ、大丈夫なの!?」


 訊ねた俺には目もくれず、ガクガクと膝を揺らしながらも立ちあがろうとするデューア君に寄り添う。


「こ、こんなのっ……いくら何でもやり過ぎでしょう!? 何を考えているんですかっ!」

「立ち上がろうとできてますよ? 動けてる内からそんな、ははっ」

「……何がおかしいんですかっ! 意味が分かりませんっ! とにかくデューアを休ませてあげなきゃっ!」


 絶句したのも一瞬。苛立ちを露わに強い口調で叱り付けると、いい感じに疲労していたデューア君を壁際へ連れて行こうとする。


「でもインターバルなんか入れたら休んじゃいますよ?」

「休ませてあげてって言っているのっ! 何を言っているの!?」

「す、すみません……」


 両親と班長以外から叱られるのは久しぶりだ。


 挽回を試みようと思う。なので腰元にぶら下げていた水分摂取用の竹筒を取り外して差し出す。


「あの、じゃあこの塩水を飲ませてあげてください。汗かき過ぎて塩分が足りない状態なんで」

「貸してくださいっ!」


 同じ体勢でいるのも辛いのか、身動ぎして悶絶するデューア君へ無理矢理に竹筒の塩水を飲ませようとし始めた。溺れちゃうよ……溺死体が完成しちゃうよ。


「……もう少し休ませてあげてからの方がいいですよ?」

「はぁ!?」


 この子、めちゃくちゃ怖い。凄まじい眼力で睨み上げられちゃった。


「あなたが言う台詞ですかっ!」

「……デューア、死にかけているじゃないか……」


 激怒するアーチェさんと一緒にやって来ていたサドン君が、デューア君の状態に顔を引き攣らせて引いている。


「はぁっ、はぁっ……」

「デューアっ、無理に動くな……!」


 動けているのに無理って何だろうと思うも、言ったらまた叱られるので黙って見守る。この辺りから追い込むものなのに……。


「こんなことになるまでただ見ていたんですか!?」

「いえ、応援とかアドバイスをしていました。追い込む際には歌も歌うつもりでした」

「見ていたんじゃないですかっ!」

「見ますよ、そりゃ……先生だもん。開口一番から先生とか呼ばれちゃってるんだもん」


 過保護なモンスターフレンドことアーチェとの言い合いが始まる。トレーニング論争勃発である。


「これが異常だと思わないんですか!?」

「異常に決まってます。当時の俺と同じことがやりたいって、普通なわけがないでしょ。脳が痺れて弾け飛びそうなくらい痛いし、窒息寸前で呼吸できないくらいにしんどいし、あっ死ぬってラインを何度も行き来するくらいに辛いし…………でも我慢すればいいじゃんって方針なんです、俺」

「く、狂っているわ、あなた……」

「あくまで自分の鍛錬の場合はですよ? 頭おかしいでしょ、こんなことしてる人。デューア君が試したいって言うから、小川のせせらぎと共に初級編をやってるだけです。通常のカリキュラムを施してる他の弟子にはやってません。何故なら死んじゃうから」


 肩を竦めて常識を説くも、彼女は顔を真っ赤にして詰め寄って来る。


「いいんだっ……! じぶんで決めたことなんだっ……!」

「で、デューア……」


 荒い呼吸を繰り返しながらも、デューア君は精一杯の掠れ声を上げてアーチェを宥めた。


「そうだとしても、ここまではすることはないだろう……」

「強くなるのにっ……明日じゃ遅いことを知った……!」


 これだけキツいことをしても、デューア君の熱が冷めていない。彼なりの強い正義感と、仲間を大切にする心が根底にあるからだ。


 今のデューア君なら、アスラ達の域まで辿り着けるだろう。


「考えてみれば大司教達を立て続けに殺している者が相手だ。カナンの無念を思えば、ミッティさんを失った今……私がもっと強くなる必要がある」


 立ち上がれず膝を突いたまま、腕組みして監督する俺へ決意の双眸を向けた。


「先生、続きをお願いします……」

「うん。本当はまだまだ続けたいところだけどね。でも脚を続けたら鬼の眼光で睨み付けてるアーチェさんに死ぬほど怒られそうだから、今度は前腕いっとこうか」


 壁に飛び乗って紐を持つ腕を地面と平行に伸ばし、繋げた二振の剣を垂らす。


「デューア君は分かるだろうけど、握力って大事だよね。立てないなら座ってでもいいから、このグリップを持って懸垂しようか」

「わかりました。……せ、先生がずっと私ごと持ち上げてやるんですか?」

「だって上手く加減しないと離しちゃうでしょ? お尻を付いても座って休んでもいいけど、絶対にグリップを離さないようにしよう」


 サドン君に肩を借りながらグリップを手に、俺へ信じられないと目を見張る。デューア君だけでなく他の二人も疑っている様子だ。


 そして半信半疑のまま、体重を乗せて懸垂を始めた。


「…………ふっ!」

「本当に、できている……」


 下半身の疲労に苦しみながらも、腕と背中の筋肉を可動させて伸縮を繰り返すデューア君。


「何かっ、ほかに助言をもらえませんかっ……?」


 圧倒的に勤勉。いよいよ主人公である。


「よく言った! なら……う〜ん、苦しそうなの止めてみる? 表情に出しちゃう癖が付いてたら、戦闘の時に相手に情報を渡してるわけだからね。苦しみを顔に出さない訓練もしておこう」

「わかりましたっ……!」


 キリッとした顔付きに戻して鍛錬に勤しむデューア君……なんだけど、どっからどう見ても辛そうだ。ぷるぷるガクガクと、顔以外がこれでもかと苦痛を訴えている。


「……ちょっとそこの二人。暇ならデューア君の朝食を、今から俺が言うメニューに変えてもらってくれます?」

「は、はい……?」

「赤身肉か白身魚、もしくは卵白多めの卵料理か鶏胸肉を焼いたものと白米。あと野菜スープがあったら嬉しいな……デューア君が」


 唖然として立ち尽くしていた二人にお願いして、監督に戻る。


「……俺が言っておこう。アーチェはデューアを見てやってくれ」

「り、了解……」


 嘆息混じりに告げたサドン君が来た道を引き返して去っていく。幼馴染と聞いていたが、面倒見のいい二人の兄という印象を受ける。


 アーチェさんは姉振りたいデューア君の妹だな。


「……いつまでやらせるつもりですか?」

「言ったら怒るから言いたくないなぁ……でも言っちゃおうかな。言っちゃおう。気を失うまでだね」

「衛兵の人ぉーっ!!」


 差し迫るデューア君の危機を知り、本当に衛兵を呼ばれました。


 そしてデューア君が懸垂しながら追い返してくれました。


「……私達は教会で育ったんです。私とデューアとサドンとカナンと……もっといますけど、今は別の都市にいます。働く年齢になるまでは本当にずっと一緒でした」

「家族なんだね」

「そうです……だからカナンを殺した犯人はデューアが絶対に殺します」


 犯人を恨むというよりも、デューア君を案ずる様子を見せる。過去に何かあったのだと容易に察しが付く。


「……今の王国のやり方だって、私達の家をいきなり取り上げたようなものなんです。納得できますかっ? 黒騎士なんて話もせずにいきなりミッティさんを殺してっ……」

「う〜ん、君達みたいな人もいるけど、一部が悪さしてるのは本当っぽいからなぁ」


 俺の隣に腰掛けるアーチェさんは雑談できるまでに落ち着きを取り戻していた。


「…………」


 眼下には目蓋を思い切り閉じて座り、グリップを握り締めて耐え忍ぶデューア君。懸垂する力は残っておらず、腕の重みのみで地獄の苦しみを味わっている。


 破裂しそうに膨れた前腕は燃え上がり、脳へと激痛を伝達し続けていることだろう。


「……先生はまだ知らないでしょうけど、デューアには福音と呼ばれる祝福を授かっているので鍛錬なんか程々でいいんです」


 見慣れたのか、呆れたのか、そんな瀕死のデューア君を見下ろして愚痴代わりになんか言い出した。


「昨日、闘技場で見たよ。でもあれって魔力量が上がるだけでしょ? あんまり意味はないよね」

「は……? 魔力の翼のことですよ? 本当に見たんですか?」

「別に少し魔力が上がったところでねぇ……ははっ」

「さっきから何がおかしいんですかっ……?」


 多分ユミはそこのところをよく理解している。だから強いし、福音も上手く使えると思う。


 でもアーチェさんや殆どの司教達は、福音を強さの根本に持って来ている。


「福音とやらは、頸動脈を護ってくれるんですか?」

「……それはっ、護れませんけど……」

「奇襲をされれば発動する暇もないし、致死量の毒を喰らえば呆気なく死ぬし、心臓を突けば一撃で死ぬんです。体力だって増えるわけじゃない。見た感じだと、結局は福音も武装の一つに過ぎないんじゃないかな」

「…………そう、かも、ですけど」


 エルフで子供の頃から教会にいるって、かなり特殊な例だろう。苦労も多かっただろうし、だからこそ助け合って来た家族が心配なのかもしれない。


 そんな人にこれを伝えるのは酷だなぁ。


「よし、じゃあそろそろ朝練は切り上げようか」

「やっと終わり…………えっ、終わるのって……」

「うん、たった今、デューア君が気を失ったよ」


 筋肉が硬直してしまってグリップから手は離れていないが、完全に気絶してしまった。この領域に来られたら一皮剥けた証拠だ。


 おめでとう、デューア君。強くなる実感を得られれば、苦しくても楽しくて仕方なくなるから心配要らない。


「……キャァァァーっ!」


 ザ・絶叫と言うべき絶叫を披露してくれた。もっと落ち着いた人だと思っていたよ。


 ちなみにこれは初歩で、個人的に短期で鍛えるなら魔窟か金剛壁周りの馬鹿に強い魔物達の中に突入するのをおススメしたい。死ななければ一気に強くなります。死んじゃうから他人にはさせないけど。

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