第185話、事件の始まり

 食後。それは食事の余韻を楽しむもの。美味を思い起こし、満たされた腹に恍惚とする素敵な時間。


 それなのにだ。


「食には拘るべきだ。美意識、身なり、言動、他者との付き合い方、人生観、一流にとってそれ等もとても大切だ。だが食は自らを構成する栄養であり、味覚を喜ばせることで日々が豊かになる。こればかりは妥協すべきではない。断じて否だ」

「…………断じて否?」

「断じて否だとも」


 何故かユミのデザートの時間に、食を侮るなと説教を食らっている。


 何も言ってないよ? 腹に入ればいいやとか、味は二の次だぜとか、塩かけて焼けば何でも美味いとか、そんな事どころか無言でコーヒーを飲んでたよ?


 そしたら何故か断じられた。


「ここで“牛頬肉の赤ワイン煮込み”と“季節の野菜盛り合わせ”を頼むといい。一流を目指す君にとって、きっと学びが得られる筈だ」

「ありがとうございます」


 大凡の場所とお店の名前を紙切れに書き込み、一流を目指すことになったらしい俺へ差し出す一流さん。


 大人しく受け取る。それ以外の行動を起こしたら、また叱られそうで怖いから。


「君は佇まいや食べ方に品がある。言いたいところが六点程あるが、身なりにも気を配っている様子だ。だから私と出会った幸運を無駄にせず、目指すべき目標として――」

「わぁ〜っ!」

「一流がぁぁぁぁぁ!?」


 椅子に走り回っていた子供がぶつかり、手に持った赤ワインが揺れて水滴が散ってしまい、一流が乱れたらしい。


 ほんの小さな人的影響にも揺さぶられるなんて、一流を維持するのも大変だ。


「はぁっ、はぁっ……」

「……いちいち全力で叫ぶからじゃないですか? 外でそれをやったら、たぶん遠吠えが返って来ますよ?」


 毎日をこれで過ごしたと仮定したなら、体力的に苦労しそうではある。


 すると丁度、左側からスプーンを食器に放ったであろう甲高い音がなる。


「ふわぁぁ…………はよ帰らん? 今日はいろいろ慣れんことあって疲れたわぁ」

「ご馳走様の一言くらいは聞きたかったよ」


 ご飯を食べ、酒を飲み、ジェラートを食べ、夕食としては最高の終わりを迎えたユミがベッドを求めている。


 泥酔である。呂律が怪しい。


「迷惑をかけた自覚はある。例の殺人事件の話もあるから私が送ろう。口振りや物珍しげな視線を見るに地元住民ではなさそうだから、ホテルかな?」

「……殺人事件って、でも狙われてるのってエンゼ教の関係者だけですよね」

「どうだろうな。犯人からしてみれば、ターゲットは誰でもいいのではないかな」


 含みのある言い方をする。


 俺達は一流さんを加え、店を後に殺人事件の話題に語り合い、アルスの街を行く。


「伝え聞いた程度だが、犯人は誰かにメッセージを送っている。わざわざ恐怖を植え付け、挑発して、誘っている。最初に思い付くのは領主館に滞在している指揮権を持つ者、又は主要な人物。どちらにしろ犯人は複数犯か……ふっ、単独犯ならば天才だな。並大抵でなければ仕掛けの予想すらできないだろう」

「怯えさせてエンゼ教をこの街から追い払おうとかですかね」

「怪物像を植え付け、撤退を狙う……その可能性もある。私の受けた印象からでも、殺人を経て自分の狂気的な人物像を徐々に表していっているのではないだろうかと考えていた。芸術にも明るい私だからこそ、噂だけでさえもそこまで見えて来てしまうのだよ…………ふっ」


 楽しそうだなぁ。この人、人生が楽しそうだなぁ。推理するだけでここまで自分に酔える人もいるんだな。


 …………俺もか。いつも楽しそうだな、お前ってよく言われるもん。主に父ちゃん兄ちゃんとエリカ姫から。


「素晴らしい建造物だ……」


 正面に現れた建物の隙間から覗くコンロ・シアゥを目にして、溜め息混じりに告げた。


「比較的、新しいとは言ってもだ。語り尽くせない歴史がある。デザインや設計から始まり、建設、維持、補修……加えて剣闘士達の武勇があの建物の価値を高めている」


 尊敬の念を込めて、王国切っての円形闘技場を讃える。


「……今はまだ“時”ではないな」

「なんやの、こいつ……ぶつぶつと一人で気色悪いわぁ」


 瞬間、論破状態となった一流さんがユミに牙を剥く。


「いいかねっ! 君は先程から――」

「ひっくっ! おっとすまねぇ……!」


 酔っ払いを装ったスリが分かりやすく一流さんに絡んでしまう。上等な身なりを見て狙っていたのだろう。


「……衣服が乱れた。この私の衣服がだっ!」

「うわぁ!?」

「事故ならばともかく、意図的にとは何事だぁぁぁぁ!!」


 スリを追いかけて一流さんが走り去っていく。


「…………」

「…………」


 …………ァォ〜〜〜〜ン。


 近くの森から、狼らしき遠吠えが返って来た。



 ♢♢♢



「ガニメデさん、ちょっと」

「う〜〜う……?」


 酒屋で飲み潰れていたガニメデを、弟子の一人が揺り起こす。


「早く起きてください、ほらほら、おらおら」

「いた、あたっ……!」


 禿頭をぺちぺちと叩かれ、赤い鼻をした酔っ払いがテーブルから身を起こす。


「……えっ!? 今、儂の頭、叩かなかった……? ほらほらおらおらって聴こえた気がする……」

「ガニメデさん……そんなわけないじゃないですか。師匠ですよ? どこの弟子が師匠の頭を叩くんですか? 馬鹿が……」

「だよな? 良かったぁ…………えっ? バカが……?」

「それより大変です。急いで向かわなければなりません」

「何処へぇ……今日も仕事を終えて、これから二軒目にという酔い加減で良い加減じゃっちゅうのにぃ……」

「…………」


 駄洒落を自慢げに言うガニメデを冷めた目で見下ろす弟子だが、すぐに嘆息して緊急事態を報告した。


 周囲の喧騒は喧しく、しかしガニメデにだけ伝わるよう耳打ちする。


 小さなコップに酒を注いでいたガニメデの手が止まった。


 回った酔いにより眠たげに降りつつあった目蓋が、微かに持ち上がる。


「……すぐに現場に行くぞ」

「はい」


 ふらつく事なく小柄な身でしかと立ち上がったガニメデが、乱暴な酔っ払い達をするすると避けて酒場内を行く。


 この夜、また一人の司教が“怪物”により惨殺されていた。



 ………


 ……


 …



 闘技場『コンロ・シアゥ』。


 デューアの姿は早朝から闘技場の地下にある武器庫にあった。


 起床の時間から少し早く起こされ、ミッティの死を上回る衝撃を受けることとなった。


「……許さないっ」


 あまりの凄惨さに目を背け、デューアは大きな悲しみと激しい怒りに震える。


 その死体には、矢が突き立てられていた。


 何本も、何本も、顔面から足先に至るまで全身を……。


「怪物だろうが誰であろうが、私が必ず仇を取る……」


 犠牲となった火熊使いの少女に誓いを立て、胸を抉る痛みに堪えるデューアが黙祷を捧げる。


 次に目蓋を持ち上げた時に現れた瞳からは、過剰な報復を容易に想像させる殺意が宿っていた。


 陽炎の如く身体から立ち昇る魔力。


 復讐の炎は、犯人を必ずや焼き殺すだろう。

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