第180話、魔王、ベッドを奪われる
俺は二時間にも及ぶ葛藤の末に選び抜いた、格式高い『ホテル・ワーオフ』に帰還した。ワーオフの意味は分からない。
けれど俺に用意してくれた部屋はワーオフで最も豪華。テニスできるんじゃないかという広さの部屋に、大きなベッド、テーブルやソファ、おまけにシャワールーム、加えてお酒も果物もテーブルゲームも何でも取り揃えてある。
「悪人なら殺してもええんやんなぁ?」
「…………」
「魔王はん、魔王やのにおかしい話やん。でも従いますんで、ご贔屓にぃ」
その前に、どういう神経をしているのだろうかと思う。
部屋に入るなり、流れるように葡萄を摘み、俺でさえ手付かずの酒を飲み、ベッドへダイブ。
「…………」
「それにしても魔王はん、大きくもなれるんやなぁ。ウチはそっちの方がええわ。男前やし、ガキは喧しい虫みたいで嫌いやねん」
無一文らしい。
着物を買ってゴリゴリに減り、俺を探す為に使い切って素寒貧。だから俺がいいホテルに泊まっていることを知り、部屋まで付いて来て…………コレである。
「……寝ないでよ? ギリギリ見逃されてる自覚持ってよ?」
「寝ぇへんよぉ、ふぅぅ…………………………」
ピクリとも動かず、穏やかな呼吸を繰り返すばかり。俺は傍らで立ち尽くし、唖然として見下ろすばかり。
決めた。働かせよう。
ベッドとか使う予定がなかったけど、なんだこいつとは思うから、この人はこのベッドの使用料を払うべきだ。
「……手伝うって言うんなら、ちょっと潜入して内部を調べて来なさい。まだ大司教なんだから、それくらい簡単でしょ」
「…………」
寝たまま無言でベッド右のテラス外を指差す横着者だが、溜め息を堪えてそちらへ歩む。
遠くには領主館があり、外からいくらでも見ればいいとばかりの対応をされる。
「……今回は流石の俺も潜入が難しいから、どうしようかと思ってたんだけど君なら安全でしょ? いつもは不思議とスッと潜入できてるんだけどね」
「……ほな、ホンマに潜入して来ましょかぁ?」
「だからそう言ってるでしょ。そのベッドを使うなら、それくらいしてもらっていい?」
「するんかい……」
なにこいつっ!
小声で不満を口にし、全力で気怠さを表しながら身を起こしている。
「あ〜あ〜、長旅で腰痛ぁ…………ちらっ」
「……マッサージしろみたいにチラチラこっちを見ないでもらえる? ていうか君、そもそも何でこの部屋にいるの?」
♢♢♢
魔王から昼と夜の飯代を受け取り、追い出されたユミは仕方なく宿屋を後にアルスの街を行く。
ゆらゆらと気の向くままに飄々と、都会的な街並みを歩む。
しかしふと何かを感じたのか狐耳を立て、横道の路地裏へ逸れる。
「コンっ……と」
両側の壁を交互に蹴り、目を疑う身軽さで建物の屋上まで登ってしまう。
「…………こわ過ぎやぁ〜〜〜んっ!!」
叫んだ。
ベネディクトと同じく別次元の生物らしきと知っているからには、ユミと言えど魔王を前に平常通りとはいかない。
けれど以前と違い明確な敵意が無かったからなのか、普段と変わりなく振る舞えたのではと感じる。
(殺されんで良かったぁ〜……。でももうこれで勝ったようなもんやね)
大きく伸びをして、安堵の溜め息を吐く。更には自身の胸に刻み込む為、留意すべきを呟いておく。
「……暫くは大人しゅうしとかんと。言うこと聞いてハイハイ頷いとかなアカン。金ももろたことやし、一先ずはカジノとやらにでも行っとこかぁ……………………」
風向きが変わるなり、沈黙を余儀なくされる。
「…………い、いつから、いはったん?」
「ずっとだね。屋上からだけど、ずっといたね。物凄い面白い独り言、聞いちゃった」
「悪趣味やんっ! 覗かんといてっ、エッチぃ!」
振り返ってそこにいたのは、ポケットへ手を入れて呆れ顔で佇む魔王。気配もなく、呑気な表情で立っていた。
青い顔を一転させ、はだけた胸元や大きく露出する太腿を手で隠して顔を赤らめた。
「違うよ……。……ほら、俺はただ部屋の鍵を渡しに来ただけ。帰りが遅くなるかもしれなくなったから」
「な、なんや……ほなすぐに声をかけたらよろしいやん……。その間の置き方、嫌やわぁ……」
差し出された鍵を素直に受け取り、当たり前に生まれた疑問を口にする。
「どっか行くん? ええとこ行きはるんなら、ウチも連れてってやぁ」
「同じ宿のご婦人からさ、ちょっと離れたところにマンティコアがいるらしいって聞いたから、追い返しておこうと思って」
「はぁ、そうなんか…………何で?」
マンティコア程の強大な魔物が出現したことは驚きであり、災害への発展を懸念すべき事態ではある。
だがわざわざ魔王が時間を割いてまで動くことなのか、ユミには事情を聞かされなければ理解が及ばない。
「これからもこの都市で色んな人のお世話になるだろうし、街への恩返しだよ」
聞いたところで理解が及ばなかった。
「それから予約した店で夕飯を食べたりするから、もしあの部屋に居座るつもりなら先に休んでていいよ」
「イヤやわぁ、そんなお店があるんならウチも行くに決まってるやん。ご一緒させてもらいますぅ〜」
「…………いいけどさぁ。じゃあ、鍵は返して」
「あきまへん。ウチ、一度もらったもんは死んでも返さへんねん」
「鍵に関しては宿には返そうね……?」
そして魔王は今度こそ去った。
絶対的な存在へ媚びへつらう経験など当然にないユミは、これまで感じたことのないスリルに僅かな快感を覚えていることに気付く。興奮は彼女をカジノへと駆り立てた。
あっという間に消えていく昼食代。今度こそ叱られるだろうという危機感に反して、どうしてか精神的昂りが生まれて掛け金は増していき、夕食代までもが消滅した。
「…………仕事は、しとこか」
再び一文無しとなったユミは、本気で怒られる可能性にやっと思い至り、憎きエンゼ教大司教等が集う領主館を目指した。
その頃には日は落ちて来ている。
夕食は高価であろう為、遅刻は厳禁であった。建物の屋根を跳び回り、数分と経たずして目的の地へ到着した。
辿り着いて早々に玄関から出て来た知人の姿を捕捉し、好都合と目の前に降り立つ。
「っ…………ユミか?」
「デューアやん。ご無沙汰やなぁ、元気にしとったん?」
幽霊を見る目で驚愕しているところを見ると、やはり死亡していることになっていると予想できた。
「生きて、いたのか……」
「勘が冴えとるお陰でなぁ。……そう考えたら、感謝すべきかもしれんね」
「何か言ったか?」
「何でもあらへん。それより大変なことになっとるみたいやん。ウチも手伝おか?」
「…………ユミがか?」
仲間が死んでも弱いせいだと笑い飛ばして来たせいか、デューアが疑惑の眼差しを向ける。
「手伝お言うとる人間に向ける目か? また前みたいにぶっ飛ばしたろかぁ。苦〜い床の味でも、これだけの時間が経てば忘れとるやろうしなぁ」
「若い頃の話だろう。今は負けない自信がある」
デューアは別館へ足を向け、クスクスと笑うユミの挑発を受け流して歩み始めた。
通常ならば生存報告もなく遊び歩いていたところを咎めるのがデューアだろう。だが諦められているのか、責める言葉はない。
「……生きていて良かった。まずは帰還を喜ぼう」
「お構いなくぅ。ほんで、今は何処いってんの?」
「私のお招きした先生が体調を崩されている。仕事の報告を終えたので様子を見に行くところだ」
「思った以上におもんないなぁ……」
とは言え、他の者では二度手間である。デューアならば事件の詳細を知っている筈と、退屈を堪えて後を行く。
そして欠伸をすること十二回で辿り着くと……。
「先生、お加減はいかがですか」
「う〜ん、う〜ん……」
「駄目か……まるで悪夢にうなされているようだ」
デューアがノックもなく入った部屋では、額に当てる濡れタオルを替えるアーチェと……もう一人がいた。
ベッドでうなされる先生と呼ばれる人物。
「…………」
入り口から歩み寄って心配するデューア越しに、置かれた状況に苦悶するその姿を見る。
(…………潜入、できとるやん)
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