第176話、国の問題を旅路がてら解決する魔王

 その日、ワーテン領の新たな領主となった少女は崖に向かっていた。


 慣れない馬に跨り、青空に気持ちばかりの雲が散る真昼の崖際を駆ける。


「はぁ……はぁ……!」


 目下移動中のとある魔物の全貌を捉えるべく、その壮大な姿を追っていた。


「…………………………」


 絶えず揺れる大地、激しく震える空気。地震を生みながら極めて緩やかに移動するそれを遠目に、我を忘れて呆然と見る。


 島が、動いていた。


『――――……』


 霊獣・富嶽フガク


 九日前、百六十五年振りに動き始めたこの亀は、既に一つの都市を更地に変えて尚も気の向くままに歩みを進めていた。


 長き時をかけて蓄積されて築かれた森を背に、ライト王国北東に死んだように眠っていた富嶽。四本の脚と尾を甲羅内に潜ませ、目と鼻先だけを地面から覗かせて、静かに停滞していた。


 それが突如として目を覚まし、甲羅から紅葉が始まったばかりの森林をふるい落としながら立ち上がり、行動を開始したという。


 太古から生きる霊獣の歩みが始まる。一歩目にして神獣の行く先からは、あらゆる生命が逃げ去ったという。


 これは吉兆の兆しか、はたまた凶兆の前ぶれか。王国は魔王軍出現の話題も忘れ、富嶽の進路にのみ祈りを捧げて注目した。


 その歩みは止められよう筈もなく、腹を引きずり大地を削りながら前進する富嶽は絶対的災害と化す。


 幸いにも動きはこれ以上なく鈍重であり、避難は容易とされる。故郷を諦めれば避難準備は問題なく行える。


 けれど富嶽は何処に向かおうと言うのか、ただ南下を続けていた。


 そして南には…………王都がある。


 富嶽の進路変更は急がれた。興味のある物で釣る策や、地形を利用した策、壁を建築して誘導しようという者まで現れる。


(…………不可能ですわ)


 そのどれもが実現不可能であると、実物を目の当たりにした若き領主シャーネット・リングは確信する。


「…………どうしろと仰るのかしらっ……! このままでは富嶽様が領地を更地に変えてしまうわっ!」

「…………」


 遅れて到着した一団へ、シャーネットが胸の内を発した。


 毛先をくるくると巻かれた髪型は上流階級で見かけられるもので、華美な装いや騎士の護衛を連れていることからも高い身分と見受けられる。


「くっ……新たな霊脈は西に四十五度だけ進路を変えた道筋にあるとのことなのよねっ?」

「はい……お国からの情報ではそのようになっておりますっ」

「どうすればっ……!」


 まるで劇を思わせる芝居がかった声量と身振り。


 富嶽が移動を始めた要因として学者達が掲げたのは、霊脈の流れが変わったことにより次なる寝床を求めているという説であった。


 数百年に一度、大地に通るマナの通り道である霊脈は、その流れを変えると言われている。


 富嶽が眠っていた場所の下にも通っており、霊獣というだけあってそこからマナを取り込むことで魔力を蓄えているのではとされていた。


「領主であったお父様が病死して引き継いだ領主っ! まだ一月も満たない内からなんという不運っ……!」

「天よぉぉぉ!! お嬢様が何をしたというのかっ!!」


 不幸の連続が身に降りかかり、騎士と揃って慟哭を上げ始める。


「…………」

「…………」


 それを……先に崖から富嶽を見物していた先客二人が見ていた。


 一人は人族らしき男。その男に肩車されるのは、可愛らしい獣人の少女。どちらも黒いサングラスをかけており、富嶽が魅せる大自然の猛威を眺めていたようだ。


「こ、こうなればっ、わたくしが富嶽様に直接お願いにあがりますわっ!」

「いけませんっ! あのような神に等しき生命に人の言葉など届く筈がありません! 潰されるのみです!」


 震える身体で踏み出し、無謀を口に令嬢を騎士達が取り押さえる。


「…………あいつら、うっさい」

「うるさい……ね、確かに。て言うか…………こんなところに来てまで芝居じみた状況説明し始めてるけど、俺のこと知ってんのかな。疑っちゃうんだけど……」


 少女は男の頭上で両手のホットドッグを食べ、ケチャップとマスタードに口元を汚し、男はそんな少女がよく観られるようにと取っ手付き望遠鏡を翳してやっていた。


 装いはやけに身綺麗だが軽装で、武器も手荷物もなく魔物や盗賊のいる森にいるには違和感を覚える。


 けれど富嶽の存在がそのような瑣末な疑念の生まれる余地を残さない。


「ピンポイントにも程があるっていうか…………でも聞こえちゃったもんな」

「ガゥ……?」


 狼人族の少女を肩から下ろし、男は領主一団が気付かぬ内に絶壁から飛び降りようと歩み出す。


「ちょっとここで待っててね。西に四十五度らしいから」

「…………」


 興味の有無がはっきりと見て取れる少女はホットドッグを頬張って男を見送り、ちょっとだけ待ってあげることにした。


「お姉様っ、もはや都市は諦めて避難するしかありません!」

「しかし三つの都市が軌道上にあるのですっ。仮設する避難場所も目処が立っていないのですよ!?」


 激論が展開され、騎士や側近も堪らず混じっていく。


「国軍が到着するまで我等のみで避難行動を開始すべきでしょう。仮設住宅工事は国に丸投げしてしまえば良いのです」

「待ってください。それではシャーネット様の印象が悪くなる。むしろ仮設工事を急ぎ、避難誘導を国軍に任せるべきです」


 様々な意見が交錯し、議論は加熱していく。


 故にそれ・・を目撃したのは、ぼんやりと富嶽を眺める獣人の少女のみであった。


 丁度、左手のホットドッグを半ばまで食らい付こうと口を開いたところ。


「…………――――――」


 馬鹿げた光景が眼前に広がったもので、マイペースな少女ですら目を剥いて顎が更に大きく開かれた。


 富嶽が――――縦に浮かび上がっていた。


 尻尾の付け根辺りを軸に、頭から雲を越えて空へ立ち上がり、ゆっくりと回転しながら西側へと倒れていく。


「富嶽様の歩みはどうにもできませんわっ! かの御意志は即ち世界の意志に他ならないのですわ!」

「っ……た、例え、そうだしても! お父様のお墓だってあるのに!」

「他でもないお父様がそれを望むとお思い――――」


 急激に浮き上がった島の如き富嶽により、大地が釣られて浮き上がり、気流が生まれて竜巻きとなる。


 やがて動転する富嶽は手足をばたばたと動かし、空を掻き分けて全身を西側四十五度の方向へと沈む。


 今度は落ちる風圧により両側の山肌が剥がれ飛び、この地にかつてない地鳴りが鳴り響く。


「…………」

「…………」


 魂を抜き取られたのか、富嶽という存在よりも馬鹿げた状況に放心する領主姉妹。いつまでも続く轟音と荒れ狂う幾つもの竜巻き。そして逃げるように慌てて歩みを再開した富嶽を、騎士と揃って見送る。


 危機的状況に恐れるよりも、地獄の天候変化に嘆くよりも、理解できよう筈もない光景に呆然自失となる。


「ごくりっ…………こ、これが、ニシニヨンジュウゴド……」

「――はい、ただいま。じゃあ、そろそろ出発しようか」

「レルガにもアレおしえて?」

「えっ、今のを? ……普通に持ち上げて投げただけなんだけど。彼も冗談じゃねぇよと思ってるだろうし、二度とやる必要もないよ?」


 いつの間にか戻っていた男に少女は肩車され、凍り付く一団を置いて、異常事態にも動じず、富嶽剥がしを終えた二人は仲良く去っていった。


「よぅし、いいものも見れたし、買い物ついでに黒騎士の仕事を終わらせてしまおう」



 ………


 ……


 …



 レルガと剣闘都市アルスへ向かう俺。


 お昼はチキンステーキ300グラムと米約200グラムずつ。ちなみに、鳥のもも肉。


 真っ平に切った石で、ゆっくりじっくり皮目から焼き、皮バリバリ肉ジューシーなステーキが焼けたのであった。ニンニク、香草とバター、ビネガーを要所要所でチラつかせて焼いたのだった。


 そしてレルガの為に一口サイズに切り分け、自分のものも切り分けて切り株に座った時、いただきますを目前に事件は起こった。


「ちょっとこことかだったらバレないと思うから、やってみるね」

「はい?」


 これ、意味が分かる人がいるだろうか。


 俺の皿をジロジロと嫌な感じで見ていたレルガが、唐突に肉を指差して口にしたこれを聞いて、内容を理解できる人間がいるのだろうか。


「あむっ」

「はぁぁぁ!? 現実!?」


 真ん中辺りの一番いいところをフォークでぶっ刺して、堂々と食らってしまった。


 そして残りの肉を雑に寄せてカモフラージュを試み、岩に置いてあった自分の皿を膝に乗せ、何食わぬ顔で食事を始めようとしている。


 本人のお膝元どころか同席の元で、略奪行為が完了してしまう。


「むっちょむっちょと食ってるけど……こんな事がまかり通っていいと思うのっ?」

「がぅ?」

「良くないっ。この食卓には暴政が渦巻いてんじゃん! ただちに解決しないと俺のチキンが浮かばれないよ!」


 目の前で宣言された上で食われてバレないと考えるなど、どれだけアホだと思われているのか分からないが、兎にも角にもレルガに説教を敢行する。


「…………」

「またそれだ……怖いよ、普通に」


 レルガが説教の気配を察して、白目を見せようとして来た。


 何故かレルガは最近、叱られそうになると俺に白目を見せようとしてくるのだ。


 これでどうして回避できると思っているのかは、誰にも分からない。


「なんかヒサヒデみたいなことをするようになったな……」

「…………」


 立ち上がって自分の皿を切り株に置き、レルガも立たせて皿を置いておく。


「……うきゃぁーっ!!」


 こちょこちょとくすぐって謝罪を待つ。地面で悶絶するレルガが自ら反省を口にするまで心を鬼にする。


「レルガちゃん、いつも言ってるでしょ? 悪いことしちゃったら?」

「にげるっ!」

「生粋の悪人に成長しつつあるんだけど……」


 キャッキャと笑い転げるレルガとの楽しい旅路である。


 けれど残念ながら彼女はこの後、観光地でもあるアルスを目と鼻の先に捉えたこの状態から帰還してしまうらしい。


「……そう言えばさぁ、レルガは何の用事で帰るの? 折角ここまで来たのに……」


 落ち着いて再開した昼食で、ふとレルガに訊ねる。


「かあちゃんが呼んでる」


 俺の実家に行くらしい。かなりの頻度でヒサヒデと魔人族の里に遊びに行っていると聞く。二人とも実家の面々に溺愛されているようだ。


 つまりあの怖いソッドさんからの依頼は久しぶりに一人で解決しなければならない。


 今回は気楽なものだ。ゆっくりさせてもらおう。



 ♢♢♢



 レルガとの旅より一週間ほど前……。


 早朝は使用人、午後はある場所で現場監督の仕事である。


 さっさと仕事着に着替え、ニダイを倒してからちょっとした注目を集めているので気配を絶って学園へ赴く。


「……ふむ」


 先輩達の“マジかよお前とうとうやりやがったな”みたいな視線もその辺へポイして、控え室にて手早く作った味噌汁と卵かけご飯を食べる。


 生卵に抵抗があるのだろう。新鮮だってんだよ。


 醤油は一般よりちょいと多めだ。今日は初めから全部混ぜないで食べる。たまに全部混ぜる時もある。混ぜる時に決める。これも楽しい、最高だぜ。


 …………ん?


 合間の味噌汁でほんわりしていると何だか嫌な予感がしたので、耳を澄ましてみる。


 何故ならこの後に…………はぁ、来たか。


 受付へ、タッタッタッタッ……と近付く軽快な足音が。


『たったったったっ!』


 口でも言っていた。


 レークから帰還して直後なのに元気なことだ。先立って予約に来た騎士の指定よりかなり早いが、奴に常識は通用しないので、さっさと最後の一口を食べ――


『――ご機嫌よう、奴はいる?』


 奴!?


『エリカ様、ご機嫌麗しゅうございます。ご帰還を心よりお待ちしておりました。それで、奴というと……グラスでございますね?』

『うん、私の前に連れて来なさい』


 なになになにっ、俺はあの子に奴って呼ばれてんのかっ?


 衝撃の事実だ。色々と疑ってしまう。


 なので一言ガツンと言ってやろうと、卵かけご飯を速攻でかき込んで味噌汁で流し込み、受付へ勇み出て行く。


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