第9章、英雄と怪物編《英雄》
第175話、プロローグでダメージを受ける男
英雄とは作られるもの。偽りであり、しかして救われる者がいる。
怪物とは作られるもの。本物となり、英雄の贄となるその時まで止まらない。
彼等が出会う日は、もうすぐ近く……。
英雄譚は、誰かの望みで作られる。
♢♢♢
朝日は眩しく、表情固い三人を照らす。
「すぐに戻るつもりだが、後を頼む。ミッティさんは忙しいし、例の事件もあるから巡回を強化してくれ」
長めなれど野暮ったさのない銀髪を靡かせ、清潔感ある精悍な青年が振り返って告げた。
腰元の双剣だけでなく、身体付きからしてただならぬ武芸者であるのは容易に察せられる。
人気の程も伺える。既に広く名も知れており、通行人達は彼の姿を見つけるなり足を止めてその姿に見入っていた。
「……くれぐれも気を付けてね」
「どうしてデューアばかりが危険な魔物を担当しなくちゃならないんだ……」
幼馴染の二人が、デューアを見送る。
物心ついた頃から共に過ごした友であった。
「デューアは強いから……でもガニメデさんだっているのに、毎日討伐任務を与えられるのはおかしいわ……」
その都市は戦時下と呼ぶに相応しい緊迫感に包まれていた。五十三年前のクジャーロ国侵攻以降、初めてのことである。
加えて凄惨な事件が相次ぎ、更には魔物の活動も活発化していた。
卓越した武力を持つ者が集められた中にあって、特に突出した実力を誇るデューアが駆り出されるのは道理と言える。
「傷の一つも付いていない内から不平不満は言えないからな。せめて手傷を負うまでは優先して戦うさ」
あからさまに憤りを示すエルフのアーチェへと端的に告げて馬へ跨り、デューアは颯爽と黄色い声援を受けながら駆け出した。
「……アーチェ、戻ろう」
「えぇ……」
癖のある黒髪をした垂れ目の青年が、アーチェの背に手を添えて仕事場へと促す。
一方でデューアは、西にある洞窟付近に現れた怪物の元へ向かう。
このような発展した都市に“マンティコア”が出現したのだという。
二人にはこの魔物の名前は伝えていない。今回ばかりはデューアでなければならない程に、マンティコアという魔物は強大である。
「…………」
多くの魔物が存在する中で『人喰い』を意味するマンティコアと名付けられたそれは、人族によく似た顔面をしているという。
しかし胴は獅子、尾は毒液を宿す蠍の尻尾に酷似している。戦いに優れる進化を遂げたのだとも、悪魔の眷属であるのだともされている恐ろしき
本来ならば仲間達を引き連れて向かうべき大物である。
都市を抜け、街道を行き、夜通しで予め捜索を担当していた兵士と合流する。
「……この上を抜ければ洞窟があります。奴もそこに」
「ありがとうございます。あなたはできるだけ早くこの場を離れ、先に帰還してください」
「すみませんが、後はよろしくお願いします……」
一晩の恐怖に、腕利きの兵士は顔色を無くしていた。
一寸先も見えない闇夜の元で、すぐ近くにマンティコアがいる。屈強な傭兵でさえ、生涯にわたる強烈な恐怖を刻み込まれてしまう。
「…………」
覚束ない足取りで去った兵士を見送り、深く呼吸を一度だけ挟んだデューアがマンティコアへ歩みを向けた。
茂みを行くにつれ、異様な気配を感じ始める。不吉な予感が徐々に重くのしかかり、気が付けば無意識に双剣を引き抜いていた。
「…………っ」
樹々の隙間から岩肌が見えた時、汗が頬を伝う。
『…………』
四足で立つその獣は、牙を剥いていた。
雄々しい肉体を隆起させ、膨れ上がる迫力がデューアを仰け反らせる。
全長は九メートルはあるだろうか、高さだけでも樹を上回りそうであった。
だが、
(…………死を強く感じたのはいつぶりだろうか)
長く忘れていた格上と戦う緊張感にデューアは内心で奮い立っていた。
自覚よりも早く、自然とマンティコアへと走り出す。
『……ゴァァァァッ!!』
「ごぁぁじゃないよっ! 帰ってくれって言ってんの!」
急停止する。
「君がここにいたら、人を食べちゃうでしょ? そうしたら害獣として倒されるだけなんだよ。難しい世の中だよね。同じコミュニティで住んでる俺がそう思うもんな。でもさ、だからこそお互いの為にも、被害が出る前にもっと森深くに戻ってくれよ」
人がいた。しかも今にも噛み付く、もしくは毒液垂れる尾の針を突き刺さんと身構えるマンティコアを前に、呆れるとばかりの険しい顔で腕組みする男性。
『ッ――――』
「……無駄だから学習してくんない? 次は反撃するよって言ってからこれで三度目だよ? もう流石に次はやるから」
ウロウロと歩き回りながら、マンティコアの突き下ろし続ける毒針の雨を紙一重で避ける謎の人物。
「…………」
マンティコアへの闘志も恐怖心も忘れ、男の一挙手一投足に見入る。
不可能な動きではない。速いわけではなく、むしろ緩やかである。しかしだからこそ、強い違和感を感じていた。
決して針先が彼に当たることはないと断言できる。
喜劇の破茶滅茶なキャラクターを思わせる実力差を感じさせ、愉快な身動きで回避している。その様に異なる世界観に住む生物であるかのような錯覚さえ受けた。
「……悪く思わないでくれ」
『ゴァッ――――――!?』
見るも軽快にマンティコアの右手側に飛んだ男が、小さく横から回して引っかけるような拳打を当てた。
マンティコアの巨体は自然法則を無視して真っ直ぐに崖へ着弾した。
「…………」
目を疑う有様に開いた口は塞がらない。これまでの人生で築いた常識が覆されてしまっていた。
「ほら痛かった。強い人間だっているんだから」
『…………ご、ゴォォ』
「今になって“こいつヤベぇ”みたいな目を向けるじゃん……。いいからもう行きなさい。できれば人間とか食わないでね」
追い払う仕草を受けたマンティコアは、腫れていく右頬よりも男をチラチラと気にしながら、森の奥へ奥へと逃げ去った。
そしてそれを見送った男は満足したのか一度だけ頷き、手にする荷物もなくそのまま歩み始める。
「……あ、こんにちは。さっきみたいなのが稀にいますから、充分にお気を付けて」
「…………」
注意を口にして愛想笑いで会釈し、驚愕に目を剥くデューアの横を通過した。
「……ま、待ってくださいっ、先生っ!」
「先生……?」
慌ててその背を追いかけ、男の前に回り込んで引き止める。
男は呼び止めるデューアに対して素直に足を止め、少しの警戒もなくある疑問を投げかけた。
「……土地柄なのかなぁ。あなた方は気を抜くとすぐに弟子の位置まで滑り込んで来るんだけど、これって王国の土地柄なんですか?」
「他にもお弟子さんが……やはり高名な方でしたか。是非、私にも武術の何たるかを教えてください」
「まぁ、世間を騒がせている自覚はあるね」
自慢げに胸を張る先生。
年齢は二十五の自分より若いだろうか。けれど物腰には不相応な落ち着きがあり、無意識に先生と口をついて出ていた。
「じゃあ……ほぼ観光で来てたんだけど、時間もあるしちょっと運動しようか。こんな森の中でまで弟子ができると思わなかったなぁ……」
「よろしくお願いします。デューアと呼んでもらえればと」
「デューア君、やっと名前だけ知れたところで軽く手合わせしてみよっか」
すると男は右側に生えていた太めの枝を手刀で切り落とし、落ちるそれを掴み取った。
そして肩越しにデューアへ鋭い目線を向けて告げる。
「……俺は厳しいと先に言っておく。弟子に異論を許さないことで有名だから。家から通うのメンド臭くなって来たから宮殿まで来てくれなんて言おうものなら、問答無用で説教するから」
「望むところです。理念に反しない限り、師に従います」
「やっとまともな弟子が現れたか……」
感慨深いとばかりの呟きが漏れると、間を置くことなく指導が開始された。
………
……
…
落ちる葉を斬り裂き、並ぶ二振の刃が空を切る。
煙を相手にしているのではないだろうか。僅かに揺らめく男に双剣は擦りさえしない。
躊躇は早くも消え去り、真に斬る覚悟で相対しているというのに当たる兆しは見えない。
「ぐっ……!?」
しなやかな枝がデューアの膝を打ち、小気味良い音を立てる。
脳まで痺れが走り、焼くような痛みが残る。
けれど師は、堪らず動きを止めたデューアへ不満気に言う。
「全然、教えることないんだけど……文句なしに強いんだけど……何で卒業生が弟子入りして来た……?」
「はぁっ……はぁっ、くっ……」
「君は一人でも羽ばたいていけるよ。むしろこっちが双剣の勉強になっちゃったもん。こうなったら、もはや弟子は俺だからね?」
枝を放り捨てて終ろうとする師は、一礼をして締めくくろうとするも……ふと疑問を投げかけた。
「……なんか、あんまり楽しそうじゃなかったね」
「楽しい……?」
目元の汗を拭うデューアは思いも寄らない言葉に、荒い呼吸を繰り返しながらも考えを巡らせる。
「……その、訓練とは相手を倒す為に自らを鍛え上げるものですから、楽しいこともあるでしょうが基本的には辛いものと解釈しています」
「俺なんて何でも楽しいけど。走り込みでも筋トレでも。デューア君もそれだけ強かったら、剣を振るだけでも楽しくない?」
「…………」
「でもそっか。さっきは俺が避けてばっかりだったからかも」
手を差し伸べる師の眼には先程より熱が込もっているように感じられた。
「剣を。うちのスローガンは『笑顔に次ぐ笑顔』だから。今の弟子なんて俺の比じゃないよ。毎日毎日、生後三ヶ月なんか? ってくらい世界を満喫しながら稽古してんだから」
「は、はぁ……」
困惑気味に左手の剣を渡すと、師は一礼の後に切っ先を翳して構える。
変わらず隙はない。けれど先と異なり、攻める姿勢が見て取れる。
「………………——っ!?」
「ナイスガードっ!」
咄嗟にヒヤリと寒気が走った右側に剣を流す。すると激音が耳をつん裂き、目の前に師が迫っていた。
歩法が関係しているのか、剣が迫るまで接近を察知できていなかった。
「くっ、ハァァァ!!」
「ふはは! あっはっはっは!」
ゾッと込み上げた恐怖に、遥かに緊張感を引き上げて剣を振るう。力任せに弾き、後退させてから斬り付ける。
常人では見切れない速さでの剣戟を響かせ、移動する中で純真な子供のように笑い、剣を楽しむ師を見る。
「質問をよろしいでしょうかっ!」
「七つまでならいいよ! 七つ以上は答えないから!」
余りそうな数も許しが出た。
これまでで最も真剣に剣に打ち込む間に、初めて無関係な会話を挟む。
「どうしてマンティコアを殺さずに逃したんですかっ?」
「えっ……なんかそのぉ、殺さないに越したことはないかなって」
問いと同時に飛ばした飛燕を思わせる魔力の斬撃を斬り払い、手元で剣を遊ばせながら返答した。
「あれってまだ人の味を知らないと思うんだよね。目撃されるほど近いとは言え都市にも街道にも離れた場所にいたし、俺を見た時も“食いごたえ無さそうだな、こいつ”みたいに鼻を鳴らしてたし……」
「魔物……でもですか?」
「魔物でもだね。中には酷い目に遭ってる魔物もいるから」
排除すべき魔物に対しても、表情も変えずに当然と答えている。
「俺はそうだってだけだからね。デューア君はデューア君で、魔物は人の敵だから率先して倒すべきって考えでもいいんじゃない? 実際あのマンティコアは俺が追い払わなかったら、いつか人を食べてたと思う」
「……勉強になりますっ!」
師を真似て自身最速の踏み込みで、横薙ぎに斬りかかる。
「おっ?」
「ッ――――!!」
持ち手を上げて切先を下ろした剣で当然に受けられるも、飛び上がったデューアは上空で三回もの剣撃を斬り下ろす。
アクロバットな動きからの軽快な連撃により、持ち味が発揮されていく。
「いいね。楽しそうじゃんか」
「教えを請う身ですが、何故だか楽しくなって来ました」
師を中心に、軽やかに跳び回りながら剣戟を繰り返す。それからは問答もなく、笑みを溢しながらデューアが動ける限りひたすらに続く。
心躍る二人の剣舞が、鋼の芸術を生み出す。
見る者がいれば、彼等は師弟のようでも友のようでもあり、兄弟のようにも見えていたことだろう。
………
……
…
日も落ちて来た頃、二人は最寄りの都市に帰還した。
「すみません、先生。お礼と同時に仲間達にも是非、紹介させてください」
「うむ」
馬上で手綱を持つデューアが振り返り告げると、快い返事がされる。
頼もしく思うと共に、続けて教えを受けられることに喜びと安堵を抱く。
「人柄百点のデューア君に頼まれたら断れないからね。ていうか頑なに馬から降ろしてくれないもんね。……でもあんまりこの都市にいられないんだけど、どのくらいまで君に教えればいいの?」
「先生の差し支えない範囲でなのですが、今の我等には崩さなければならない難敵が存在します。既に仲間が何人も殺されていますので、奴を念頭に鍛えてやってください」
声色は自然と低くなり、到底人による犯行とは思えない有様で見つかった仲間達を思う。
「ふ〜ん、そんな悪党なら俺がやろうか?」
「先生を巻き込みたくはありません。加えて、いかに敵対関係と言えども、手を下すならば因縁のある私達で打ち倒すべきでしょう」
「君はとことん真面目だねぇ。どんな奴?」
目的地が近くなり、すれ違う者達がデューアに気づき始める。
やけに慕われていることに驚いたのか、『何者……?』との背後からの呟きがされるも、気恥ずかしさもあり話題を逸らさずに続けた。
「……伝え聞くのみなので、情報はあまりありません。ただ魔力と腕力が規格外であるらしいです」
「大丈夫でしょ。どれだけ威力があっても、避ければ負けないんだから」
「それだけではありません。頭から爪先までを覆う重厚な鎧を着込んでいるのです」
「…………」
兵士に代わって巡回中であった部下等に手を挙げて労いを示し、本拠地である領主館へ帰還した。
「……それから?」
「後は剣術にも優れているらしく、投擲などは流星の如くと聞いています」
「ふ、ふ〜ん……」
馬から降りて手綱を引き、師をつれて心穏やかに歩む。
「あの、鎧の色とかは……?」
「漆黒です」
「…………」
意外にも師は馬が不得手らしく、居心地悪そうに滲む汗を拭っている。戦闘では無類の強さを誇っていただけに、普段の愉快な側面と相まってその人間味に親近感が湧く。
「デューアっ、帰ったのね! 遅かったから心配したのよ!?」
「あぁ、すまない。早速だが、こちらの方を紹介する」
駆け寄ったアーチェを馬上の人物と引き合わせる。
アーチェですら暫く覚えがない程に、デューアは心弾んでいるように見えた。
「こちらは、先生だ。名前は何となく秘密にしてみるそうなので、アーチェも先生と呼ぶといい」
「先生……?」
「信頼できる方だ。だからこそ迷わず同行を願った。アーチェも自己紹介をしてくれ」
二人を前にしたアーチェは不審に思っていた。
デューアは気も良く真面目だが、関係性ごとに独特の距離感を保つ。しかし彼には半日程で全幅と言って差し支えない信頼を寄せていた。
「初めまして、先生」
「こ、こんにちは……」
何故なのか顔色悪く怯えているようにも見受けられるが、我等がエースであるデューアが引き込んだ以上は名乗る他ない。
「私はアーチェと申します。デューアと同じくエンゼ教の大司教を務めさせていただいております。彼共々、ご指導をよろしくお願いします」
「…………」
青褪めた顔で馬上から落ちた師を、咄嗟のことながらデューアが抱き止める。
「先生っ!? 先生ぇーっ! アーチェ、すぐに医者と寝室の手配をしてくれっ! 早くッ!!」
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