第103話、ノロイ


「……っ、光よ……」


 固定から解放された物体を淡い光で押し留める。


 崩壊間近のアーク大聖堂で、成長を取り戻したセレスティアは最後の力を振り絞っていた。


「——っ……ぐぉっ!?」

「早くっ、避難させてください……」


 落下した騎士達はナリタスの死に行くと共に徐々に固定を解かれ、緩やかに地面に打ち転がっている。


「せ、セレスティア様っ、ご無理なさらないように……!!」

「他に無理をしてくれる代わりはいますか?」

「っ……、申し訳ございません……」


 まさか最後に発動させるとは思わなかった。


 ここから見える擬似聖槍は明確に発動状態に移行していた。幾重にも広がる大小様々な魔術陣が組み変わり、擬似聖槍を中心に巨大な魔術陣を構成した。


 アルト派の騎士に皮肉を言いながらも、打つ手がなくやはり最後も頼ってしまうのかと微かに歯軋りする。


「…………っ?」


 そうして擬似聖槍を睨み上げていたセレスティアは、完全に想定外な光景を目の当たりにする。


 王都の民も目にしているだろう。そして誰もが擬似聖槍の末路を確信していることだろう。


 片や書物を拾い上げていたクロノも空の魔力に変化が訪れると修道院の窓を開き、それを目にした。


「……おぉ、間に合ったみたいだね」


 ………


 ……


 …



「くそっ、てめぇ……!!」


 ショック神父を倒してすぐのこと。苦しむジェラルドの右手には、異変が起きていた。


 身の毛もよだつアクアブルーの毛が夥しく生え、それが広がり、腕自体も太くなっている。


『キャハハハハハハッ!! 呪わせろぉっ、呪わせろぉお!!』


 ジェラルドにしか見えない水色の幻影、“呪獣・ノロイ”である。


 呪術の祖は、呪術の中に根源を三つ隠していた。


 “海”、“樹”、そして“獣”。


 マヌアは呪いに次ぐ呪いの日々で、知らぬ内にその身に獣の一部を宿していた。


『あいつぁ、ダメダメ。ダメだらけのダメ。対象が限定されてんだもん』


 獣は祭壇に残り、複数の宿主を経て、ショック神父へと。


『あれもダ〜メ。受けたものをそのまま返してるだけだもん。恩じゃねぇんだぞ、ダメダメダ〜メ』


 そして見つける。理想的な宿主を。


『お前はサイコーっ!! やっぱそうだよなっ! 呪いは受けたものより何倍にもして返さなけりゃ。じゃなきゃ呪いじゃねぇよ!!』


 やり過ぎなければ呪いではない。ノロイはそう言う。


 常に攻撃を受け、力に変えてそれを上回るパフォーマンスでやり返して来たジェラルドがいたく気に入ったらしい。


『だから身体寄越せ。お前の気に入らないもんは全部オレが呪ってやる』

「うるせぇ」

『……しぶといなぁ。常人なら一瞬だし、いくらなんでも弱ってる今なら自我なんて保てるわけないんだから』

「っ…………」


 右手のノロイ化は着々と進行する。指先までは既に異様な化け物のものとなっており、周辺には怨霊や悪霊を思わせる水色の不気味な発光体が慕うように飛んでいる。


『無駄無駄、さっさとオレと仲良くしようぜ。キャハハハハハぶぎゅ——』

「だ、大丈夫? 少し見ない内にすっかり立派になっちゃって……」


 ノロイの幻影を手で押し退け、魔王がやって来た。


『なにこいつっ。オレが見えてるのかぁ!? 怖いし気持ちわるっ!!』


 そう言いつつも、見える者がいるのが嬉しいのか心なしか楽しそうにしている。


「……てめぇか」

「あの、加勢に来たんだけど……。ちょっと専門外過ぎてお力にはなれないかも……」

「…………おい」

「なに? 水とか持って来ようかっ?」


 介護をするつもりの魔王へと、ジェラルドは告げた。


「……この腕を千切れるか?」

「できるけど…………えっ!?」


 仰天の治療法にクロノもノロイも唖然となる。


『待て待て待て待て待て待つがヨロシイよぉ! こいつ本当にできるぞっ!? おそらく、たぶん、絶対!!』

「やってくれ」

『分かった分かった!! 分かったから!! 乗っ取るのは一旦中止にするから止めてくれぇ!!』


 騒がしくジェラルドの周りを駆け回り、懇願するノロイ。しかし腕は一向に戻らない。


「……止めてねぇじゃねぇか」

『ここはマヌアっちの呪剣の影響で負の感情が集まり過ぎてた。オレの腕に集まって〈ノロイの仔〉になった分は解放しないと、腕も戻せない』

「…………」

『迷う事はねぇじゃん。丁度いいのがあるだろ?』


 ノロイが悪友に悪戯を持ちかけるように肩を組み囁いた。


「空のやつか……おい、てめぇは若い奴等を頼む」

「……分かった」

「アーク大聖堂に行くっつってたぞ」

「すぐに向かう。そっちは任しておいてくれ」


 ノロイに釘を刺す視線を向けた魔王はジェラルドを支える肩を外し、口笛で魔物達を呼ぶ。


「ジェラルドを外に誘導してあげてくれる? とても重要だから君達に頼みたいんだ」


 ………


 ……


 …



 ノロイ化はジェラルド側の状態によるもののようで、進行は続いていた。


「…………」


 ふらふらと壁伝いに出口を目指す。


 サイレンターが物音で最短の出口を見つけて導き、アルミラージが生物を退かせ、カンタイアリがそれでも寄る魔物を食い散らかす。


 その後に続き、鬼火のように付き纏う小さな〈ノロイの仔〉を引き連れて歩く。


 自我が切り替わりそうな感覚との戦い。未だ血を流し、ズタボロの身体で、激痛に耐えながら……。


「…………」


 立派になった息子の背を思い、追いかけた父の背を想う。大きくなった、今でも焼き付く。どちらも忘れることはない。


「……俺のやつはどうなんだろうな」


 ちゃんと大きくなっているか? 追いかける価値はあるか?


 同じことを繰り返しているだけ。一つのことに長けているだけ。おまけに不器用だ。


『……ねぇ、なにボソボソ言ってんの?』

「これしかねぇ……」


 出口が見えて来た。


 激痛を闘志に変えて霞む視界を晴らす。


 出口を抜けると、そこは西の城壁近く。しかし川沿いに人影はなく、周囲には魔物達だけ。ただ一人、歩き辛い小川をもう少しだけ歩み入っていく。


「俺が見せてやれる背は……」


 ……これしかねぇ。


「——っ!!」


 ノロイの右手を空へと突き上げた。自慢の腕力で、力の限り。


『おっしゃああ!! 訳わからんけど、いっけぇーっ!!』


 呪いの根源の命令により、〈ノロイの仔〉達が解放された。


 小さな〈ノロイの仔〉は本来ある呪獣の子としての姿を取り戻しながら、空へ上がっていく。大きく、大きく……。憎しみが更なる憎しみを呼び、晴らせない恨みが募り、途轍もない恨みとなる。それが解放されたなら……そんな負の条理を物語っていた。


 酷く醜く朧げながら、どこまでも巨大になり、擬似聖槍を喰らい始める獣達。手脚のない巨大な怨霊の獣が、天使の魔力で作られた擬似聖槍に嬉々として群がる。


 人の感情が生み出した怪物が、天使の業を喰らう。


 呪いは決して、終わらない……。




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